017_継暦141年_春/08
「何が……」
フェリがその状況を見やる。
オレたちは丁度街も軍も見下ろせる山にいる。
見下ろせる、といっても距離はまだそれなりにあり、軍隊が陣取るには不便な場所であるから斥候はいたとしても騎士の部隊なんかがいる可能性は低いだろう。
「あの旗はビウモード伯爵領のもの……どうして」
苦々しげにフェリが云う。
「バッチバチにやり合ってた国なんだっけ」
「先代の時点で和平が結ばれたはずなのですが、今はそれよりも」
「そうだね、皆と合流しよう」
「お二人とも」と、動こうとしたオレたちをセニアが止める。
「ここからでは少し見えにくいのですが、南側に軍が展開しております。
旗はルルシエット伯爵のもので間違いありません」
そりゃあ王室付きのメイドなら家紋は記憶しているか。
煙が立ち上っている街よりはまだしも安心できそうだということで、
まずはそちらに向かうことに決定した。
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「貴様ら!ビウモードの人間ではないな!」
それは不運な遭遇でしかなかった。
南に展開しているルルシエット軍を偵察に来ていたビウモードの部隊とばったりと遭遇してしまったのだ。
言い訳を考える前に味方ではないと看破される。
何かしら軍を識別するもののあるなしでもあったんだろうか。
それに関して考えるのは今はしない。そんな暇がないのだ。
不運だったというのはこの遭遇のことではない。
どこかで戦いを終えて、本隊に合流でもしようとしていた部隊らしき連中まで横合いから現れてしまったのだ。
「ルルシエットの冒険者どもだ!」
偵察兵が叫ぶと横合いから来た部隊から騎兵が現れ、突っかかってくる。
道中で拾った石はあるが、鎧を着込んだ騎士に意味があるとは思えないし、馬を狙ったところで騎士が守るなり、操縦で急所を庇わせるなりするだろう。
「くたばれ、ルルシエットの犬どもッ!」
偵察兵、とは言っているがただ観察して終わりってのが職業ではないようで、
鋭い身のこなしでフェリとセニアを抑え込んでいる。
オレ側に来ない理由は一つ。
騎兵の狙いがオレにあるからだ。
そりゃあ殺しやすそうなところから狙うよな。
セニアがオレを守るために動き出す。
あの抜き手が振り回される。眼の前にいた偵察兵が見るも無惨な肉塊へと変わった。
「どきなさい、下郎」
ぎちりと歯を鳴らし、囲む偵察兵を睨む。
ごくりと唾を飲み、しかし偵察兵は退かない。
「冒険者は一人も生かすな、それが命令なんだ。
悪いが、あ……あんたみたいな強者でも、逃げるわけにはいかない」
凄絶な状況であっても立ち向かう心が竦んでいない。
連中にも命をかけなきゃならん理由があるってことか。
フェリもオレの方へと来ようとするが、その隙を狙って偵察兵の持つ短刀が彼女たちの体を引き裂く。
セニアはまるで無傷ではあるが、フェリは少なからぬ傷を負ってしまったようだ。
「オレはオレで逃げるから!
セニアはフェリをお願い!!」
「ですが、……」
騎兵をどうするのだ、と言いたげに。
「騎兵なら大丈夫、信じて」
「──……承知、しました」
恐ろしい形相だ。
そりゃあオレを守ろうって約束をフェリとしていたんだから、少なからぬ愛着を持ってくれはしたんだろう。
それでも信じて、と言った言葉を信じてくれた。
それがたとえかつての主の影をオレに見ていたとしても、嬉しいもんさ。
だからこそフェリを頼んだ。
オレとてここまで帰ってきたんだ、死ぬ気はまったくない。
向かうべきは街の中。
煙こそ上がっていたが破壊され尽くしたってわけじゃあなさそうだ。
であれば建物やら何やらを使えば追手がいても撒ける自信がある。
運が良ければ味方とも合流できる。
「また後でね、二人とも」
「はい、必ず」
「どうか無事でいてください、ヴィーくん!」
ここでの問答がオレの命数を縮めることを理解しているのだろう。
フェリもまた、悔しげな表情ながらもオレを見送ってくれた。
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騎兵の足には勝てるわけがない。
城門を潜る前に確実に追いつかれ、踏み潰されるなり、槍の餌食にされるなりって結果になる。
奥の手。
残り一枚の戦輪。
使うべきはここか、それとも別の場所か。
──いいや、もったいないもったいないと使わないで殺されるつもりか?
何もかも手放してしまうほうが気持ちがいいってもんだろう。
馬蹄の音が強くなる。
一騎二騎ではない。最初に向かってきたのは三騎だが、その後ろにも同じ数が控えていたように見えた。
振り向いて確認したいが、今は少しでも距離を稼ぎたいから速度を落とすようなマネをしたくない。
馬蹄の音からして間違いない。
六騎。
つくづく若い肉体の優秀さに感謝するばかりだ。
これが老骨の賊だったら聞き分けられなかっただろう。
いや、その前に体力的にこんなに逃げられないか。
それが分かれば十分。
あとは振り向きざまに戦輪を投げる際の角度だけだ。確実に全ての騎兵を殺す。
騎兵さえ片付ければオレが逃げるにしてもフェリとセニアにしても有利に働く。
騎兵がいないだけで逃げ切れないならどうするべきか、と考える思考を排除できるからだ。
振り向き、
力を加えた戦輪をスナップして投げる。
回転と加速を得たそれが真っ直ぐではなく蛇行するようにして飛来する。
オレは投げた後すぐに走り出した。
結果はわかっている。
騎兵は全滅。
だが、フェリたちの方には向かえない。
擲つ際に騎兵の後ろから歩兵がこちらへと進むのが見えた。
フェリたちの方へと進もうとすればそいつらに阻まれるのが目に見えている。
戦輪の餌食にとも考えなくはなかったが、適切な距離ではないし、歩兵の全てを倒そうと欲をかいて騎兵を殺りきれないのが怖かったからだ。
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馬蹄の音はない。
オレは一目散に城門に走る。
出入り口にはガドバルの後輩が壁を背にして横たわっている。
ひどく損傷した死体だった。
それが彼がここを守ろうと必死に戦ったことを如実に伝えている。
……オレがいたところで何かできたわけじゃない。
彼に何かできたと思うことは、職務を貫いた彼への無礼。そんな気がした。
城門は開かれている。
中へと入り、一旦路地へと進む。敵の歩兵が入ってくるならばまずは撒くのが先決だ。
住宅地であろうというのに、生活の気配がない。しかし、人の気配がまるでないわけでもない。
時折、かたんと音が聞こえる。
がっちりと閉められた窓や戸からこちらを確認するための音だろうか。
この状況は少しだけ安心できる材料だった。
少なくとも民間人に手を出すような虐殺者が敵ではない、ということだ。
だが、冒険者には大いに敵対感情を見せていた。
そうなれば、冒険者ギルドはどうなっているのか。
街から上がっていた煙は軍事に関わる組織に攻撃を仕掛けたのかとも思ったが、冒険者ギルドなどもそこに含まれていたのではないか。
ああ、冗談じゃない。
イセリナになにかあってみろ、絶対に許さない。
だってオレはまだ、彼女との約束や決め事を裏切ったっていうのに謝れてすらいない。
ガドバルと一緒にオレを冒険者の道を歩かせてくれた恩を一つも返せていないんだ。
オレは冒険者ギルドへと走る。
最短距離は大通りなども通過することになり、もしも敵が街に入り込んでいるなら危険しかないが、今は時間が惜しい。
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冒険者ギルド。我が愛すべき家。
外観からわかることは完全に壊れてはいないことと、緩やかにそこかしこの窓から細い煙が上がっていること。
帰り道で見た煙の出処はここではなかったようだが、時間の問題だろう。
遅かった。
少なくとも建物には手を入れられた。
だが、ここにいた人たちは?
ガドバル、ニチリン、ローム……先に帰っているはずのナスダやトマス。
それに、イセリナは。
「去りなさい!」
絶望的な感情が心に満ちそうになったとき、施設の中からイセリナの声が聞こえた。
言う必要もないだろうけど、オレは中へと走る。
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火が室内を支配している、ということはなかった。
それでもそこかしこに小さな火は付けられている。
いつそれが大きなものに変わっていくか、それは時間の問題だ。
だとしても、関係ない。
声の主、イセリナはフロアの中心で歩兵たちを睨んでいる。
「冒険者ギルドは施設を置く全ての国家と都市と友好的な同盟を結ぶ組織!
たとえここが貴方たちにとっての敵地であっても、ここは不可侵であると約定を結んでいるのですよ!」
「知ったこっちゃねえんだよ!」
「ビウモードにゃあお前らのお仲間の冒険者ギルドはもうないんでな!」
「なっ……そんな報告は受けていません」
「そりゃあ受けてねえだろうよ、ビウモードのギルドは伯爵の直轄組織になったんだからな!」
話に必死でこっちには気がついていない。
雑に机の上に置かれているカトラリーを引っ掴む。
「オッホエ!」
ナイフ、フォーク、スプーン、魔族の国の食器……箸とか言ったか。
とにかくそれらを全力でぶん投げる。
イセリナに対面していた三人に次々とカトラリーが命中し、倒れる。
幾つかは当たったところであまり意味をなさないものもあったが、概ねナイフとフォークが仕事してくれた。
「イセリナ!大丈夫!?」
「ええ、ヴィーさん。
貴方こそお怪我はありませんか?なにか問題は」
「大丈夫、大丈夫だから。
報告することは沢山あるけど……──」
「おい!何かあったのか!?」
上階から声が聞こえた。
こっちの味方じゃあないのは確実だ。
味方ならイセリナを助けようとしているはずだから。
「とにかく、外に!」
イセリナの手を掴み、外へと出る。
出た後はどうする?
普通に街中にビウモードの奴らが入ってきちゃってるって、城郭都市としちゃおしまいなんじゃないのか?
城は落ちてないのか?だったら城に逃げるべきか。
いや、南の軍がルルシエットならそっちの方が確実か。
ぐるぐると思考は回るが、回したところで最良の答えが得られるとは思えなかった。
まずはどこかの空き家にでも逃げて相談しよう。
オレより頭のいいイセリナなら、きっとオレがうんうん唸るよりもいい案を出してくれる。
ああ、クソ。
本当にオレは愚かだ。
学びに対してもっと前向きだったら、オレもアレコレと方策を思いついたんじゃないのか。
……いや、違う。自分への恨み言はあとでだ。ネガティブな気持ちはそのうち重要な判断を鈍らせるに決まってる。
外へは出れた。
しかし、重要な判断云々の前に、その選択肢そのものが封じられたことがわかってしまった。
冒険者ギルドに面した大通り。そこに身なりのいい騎士が一人立っていた。
ギルドを背にして左手には騎士。
右手側は空いてはいるが、その先にはオレが入ってきた城門があり、つまりはその先には騎兵の後ろに付いてきていた歩兵がいるという予測が立てられる。
鎧騎士相手じゃあオレは有効打がない。
走れば逃げ切れるかもしれないが、イセリナは別だろう。
そしてオレにはイセリナを置いて逃げるなんて選択肢はまったくない。
かといって、背にしているギルドからは恐らくは火を付けていたであろう兵士たちがこちらへと向かってきているはず。
状況が悪化する前に判断しなければならない。
まずは背中を打たれるのを回避するべきだ。
じりじりと右手側の道へと歩いていく。
騎士が一歩前に。
フルフェイス型の兜に全身甲冑。
高そうな布地の外套を半身を隠すような形で巻いている。
武器は弓。
矢はつがえられていない。ただ、腰に矢筒が吊るされていて、抜き打ちすることができるのだと、いや、それに自信があるのだと暗に示しているようだった。
「イセリナ様」
だが、行われたのはクイックドロウではなく、兜を外し、略式であろう礼を取る騎士の姿。
オレはその顔に見覚えがあった。
いささかの時間経過こそ刻まれているものの、それは──
「ビウモード伯爵家、至当騎士団総長ヤルバッツィ。
ただいまお迎えにあがりました」




