164_継暦141年_夏
都市奪還のために動いたルルシエット軍。
防衛戦の中でボセッズとの戦いで命を落としたマーグラム。
ルルシエット軍は一度軍を退いたものの、ビウモードの防衛部隊との睨み合い、緊張状態が解けたわけではない。
構図は奪われたものを取り返しに来たルルシエット軍と、奪ったものを守ろうとするビウモード軍というわかりやすいものではあった。
しかし、その裏では何があったのか。
それを知るものは少ない。
ボセッズとの戦いで命を落とす数ヶ月前。
継暦141年、夏。
マーグラムとなった彼の、一つ前の周回。
ヴィルグラムと自ら名乗り、ルルと出会い、ゴーダッドと共闘し、火波のマシアスと戦う頃。
その裏側を知る──否。裏側の中心としてあちこちを動き回っていた人物がいる。
ギルドの受付嬢であった少女、イセリナ。裏側とも真相とも言うべき視点の持ち主は旅をしていた。
行動騎士として各地を巡り、ルルシエットと共に戦うものを探す旅を。
だが、その結果はいずれも芳しいものとは言えなかった。
(この情報だけでは弱い……。
イミュズの連絡会を味方に引き入れられなかった以上、
ルルシエットの手札を増やす手段として、私自身がビウモードに行くことでその補填とするべきでしょうね……)
イミュズを支配する『連絡会』。
この時点でビウモード、カルカンダリ僻領と共に三領同盟と呼ばれるものが裏で構築されていることをイセリナはまだ知らない。
戦術家のような視点や感性を強く備えるわけではないにしても、情報を集め、分析をしてきたイセリナ。彼女はビウモードとの戦いがこのまま続けば敗着する可能性が強いと見ていた。
故郷とも言えるルルシエットが滅びるなど許せるわけもない。
土地と人々と、思い出を守れるのならば危険なやり方であっても選ばなければならないと考えている。
危険な行いとはつまり、ビウモードに顔を出すこと。
かつてイセリナがイセリアルと呼ばれていた頃、彼女はある意味でビウモードの至宝であった。
ヴィルグラムによって逃され、ルルシエット領へと逃げ込んでからも度々彼女のもとにビウモードの手のものが回収せんと現れることがあった。
その全てを運もあって退けることができていた。
ヤルバッツィが現れ、直々に回収しようとした先日の件もある以上、今もビウモードは彼女に価値を見ていることがわかる。
(いまだ私に執心しているということは、メリアティのご体調が優れないのか……。
それが理由で攻めてきた……?
いや、友好関係を結んでいるのならば別の手段でアプローチはできたはず)
今まで彼女を何かしらの手段で攫おうとしているのはいずれもビウモード伯爵直下のものではなく、その領地で禄を食む貴族たち。
ビウモードのそうした貴族たちは独立独歩で行動する自主性が強く、それによって土地を守り、大きくした背景がある一方で、伯爵家におもねるためならば表沙汰にできないような行為も平気で行ったりもする。
(伯爵家が私を求めるような、公的なやりとりをすればビウモード領内で私を確保するべしと声と勢いが強くなる。
それを恐れてできなかった、という可能性もあるのかな)
自分を高く売り込む相手がいれば、イセリナは自らを消費することを厭うつもりはなかった。
それだけの恩義と時間が彼女とルルシエットの間には流れていた。
(ヴィーさん。
貴方に救われた命です、無闇に使い潰したりはしません。
ですが、危険な場所へと踏み込む無茶は許してくださいますか)
彼女を救った二人の少年へと誓う。
奇しくも同じ名前の、彼女の英雄。
逃されてから今まで彼女の中にはその英雄の姿が焼き付いたままだった。命は簡単に捨てたりはしない。だが、特別な価値がある状況ならば別。
いかにして命を燃やすか、美しく燃やせるのならば大切な命を消費することを臆さない。それはヤルバッツィをはじめとした百万回は死んだザコたちに心魂を炙られたもの特有の、一種の病のようでもあった。
「イセリナ様」
不意に掛けられた声。
ただ、それは可能な限り敵意を受け取られないような声音と、すぐに姿を表すことで害意のないことを示すものがあらわになっている。
それはエルフであった。カルザハリ王国の礼服であるスーツを纏った姿は美しさに鋭さを加えている。
「あなたは?」
敵意もない相手に敵意を向けるようなまねをするイセリナではない。
外交的、あるいは中立的ともいえる意識でそのエルフへと向き直る。
「カルザハリ管理局、正規職員のミストと申します」
外回りが多いフォグやヘイズと異なり、ミストは基本的には内勤、ウィミニアの秘書的な役回りなどを務めることが多い。
その彼女がイセリナのもとに来たのはそうした内勤を主としているがゆえの、他の局員同様に備えている戦闘能力を隠しやすいのもあるし、
そうした『あなたに害意など持ち合わせていませんよ』という姿勢だけではなく、実際に事務方とも言えるミストはイセリナと似た職分としての共感を与えられる可能性があったからだ。
「イセリナ様をお誘いにあがりました」
もっとも、ミストが無力な女性ではないことをイセリナはすぐに理解した。だが、冒険者ギルドの受付から現在の外交担当まで広く人間を見てきた。そうした経歴から来る職能によって管理局側からの『心遣い』を察していた。
「カルザハリ王国に、ですか?」
「そうとも、言えるかもしれません」
意外な返答ではあった。
「お誘いする場所は我らカルザハリ王国民の最後の領地と表現できる場所ですので」
もう既に存在しない国への誘いなど白昼で幽霊に手招かれるようなものだが、イミュズまで来て手ぶらで帰るよりは幽霊の手を掴むほうがいくらかマシだと彼女は考えた。
「エスコートをお願いいたします」
イセリナの声は未知と想定外の相手に少しだけ弾んでいた。
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向かう先がトライカであると説明されたときは半ば会う相手が誰かというのは察していた。
「こちらへ」
ミストが案内したのはその賞賛をするべき相手が住む場所。つまりは市長邸だった。
そこは様々な施設から離された孤立していた。
権威付けのために目立たせようとしているわけではなく、隣接した建物を持たないことで防衛力を高めているのだろう。
忍び込むではなく、力量に自信のあるものが真正面から強引に入り込もうとするのには無力だが都市内でそのようなことをするものはそうそういないだろうという判断でもある。
その防衛計画はその後、もろくも砕かれることになるのだが、さておき。
ミストに連れられるままに部屋へと通される。
そこで待っていたのは──
「お久しぶりです、イセリナ」
市長。
そしてイセリナにとっての親とも、姉妹とも、半身とも言える存在。
「……はい、お元気そうでなによりです、メリアティ」
いつか再び会う日は来るだろうとイセリナは考えていた。そのときにどんな顔をして会えばいいのかと思い悩む夜が一夜二夜どころではない。
しかし答えが出るよりも早く、彼女に会うことになった。
準備がなかったからこそ、ただ素直に挨拶をすることができた。それには互いにあの騒乱から時間が経った今も無事であったことに対しての安堵と喜びが見えるものだった。
メリアティが一歩前へと。
イセリナは次に来ることがなにかを理解するよりも先に、彼女に抱きすくめられた。
「……生きていてくださって、嬉しく思います」
「何もしてあげられなくてごめんなさい」
互いに求めるのは容赦であることは間違いない。
イセリナもただ抱かれるではなく、メリアティの腰に手を回し、優しく抱擁を返した。
暫くの間は二人はそのままであったが、どちらともなくそっと身を離す。
作り出させてしまったものと、作り出されてしまったものは、確かにここに互いに容赦を行えた。
「こうしてご足労いただいたのは、『これ』以外にも勿論理由があります。
でなければ今や一領の重鎮たる行動騎士となったあなたを呼びつけるなど非礼に当たりますからね」
行動騎士。
主に伯爵領に存在する名誉ある職位ではあるが、貴族階級的な意味での騎士とは異なる。
一種の職能のようなものだ。
伯爵が選び抜いて与えたその力はそのまま、伯爵の名代としての地位があるにも等しいといえる。
つまりは、貴族階級でいう騎士よりも上であるとすら言える。
「本来であれば一都市の市長が呼び立てるのは無礼にあたるかとは思ったのですが」
メリアティの言葉にイセリナは「呼んでくださって嬉しいです」と返す。その心に偽りはない。
自分の半身たる人間と繋がりを持ちたかった。以前のような非常時での出会いではなく、平和裏に。
肉親の存在を知りながら会うことができないのにも近い感情をイセリナは今まで抱えていた。
行動騎士。
炉の力を人間に与え、身体能力やインクを後付し、人知を超えるような強化を与えられるもの。
ただ、炉の力というのは直接的に接種することは殆どの場合、人の身には過ぎたるものであり、炉の扱いに精通したものでもない限り難しく、そもそも炉の精髄に通じているものなどこの世界にどれほどもいない。
炉というのも解明されていないものであるが、わかっている機能の一つとして土地の支配者と契約を行い、その契約主に力を貸す。炉が元々あった場所から動かされたり、その場所が別のものに支配されたりしたとしても炉が自ら主を乗り換えることはほとんど存在しない。
上書きをする手段がないわけでもないのだが、それもまた前述の通り炉の精髄を知るものでもない限りは行うことは難しい。
ともかく、行動騎士は炉の力を受けて戦うことができる。その数は有限であり、選ばれることそのものが全幅の信頼を受けている証であった。
メリアティにとっても、自身の半身とも言えるイセリナがそうした立場になれる人間であることがたまらなく嬉しかった。
それが自分の兄が起因として起こった戦いによって生まれたことでなければ、諸手を上げて喜んでいたであろう。
「私は、私の望みを叶えたいのです」
「つまりは呪いを?」
「いいえ。……呪いが消えるならそれは喜ばしいことではありますけど、私の望みは──」
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「し……いえ、本気ですか?」
思わず「正気ですか」などと口を滑らせそうになる。冒険者に囲まれていると口が悪くなる。こういうときにとっさにチョイスミスをするようなイセリナではないはずだが、それでも口を滑らせかねないようなことが彼女の望みであったからだ。
「はい。本気です。正気かと言われれば、どうでしょうね」
「失言でした……」
「イセリナは何も云っていないでしょう」
たおやかに微笑むメリアティ。
「私は本気です、イセリナ。
私を救おうとしてくださった父上が育み、私を慈しんでくださった兄上が守るビウモードを壊すことを望んでいます」
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その後、イセリナは主であるルルシエット伯爵のもとに戻る。
「──以上がメリアティが我々に求めている内容となります」
「報告ご苦労さま、イセリナ。
……それにしてもメリアも思い切ったことを……」
おどけやふざけもなしの真面目な声色でガドバルがそれに対して、
「閣下の眼を以てしても見通せないものでしたか」
「ガドバル、そう意地悪を言うなよな。魔眼は語られるほど万能じゃないんだ。少なくとも私のはね。
見ようとする視点を複数持つことはどうも難しいんだよ。
今睨んでいるものがある以上はメリアの方には注視できなかったから、まさか彼女がそんな大望を抱いていると気が付けなかった」
冒険者から取り立てられた行動騎士の一人であるガドバルの言葉に対して、拗ねるように言い訳をする。
実際、彼女の魔眼は可能性とその未来を垣間見るだけのものでしかない。それも低い可能性だけをたぐるようなもの。彼女の持つ頭脳、睡眠を限りなく求めない特異体質などから得ている推察能力の補強になっている程度だと当人は語る。
「彼女の求めに応じよう。
ガドバル、部隊を率いてトライカ近くの荘園に入ってほしい」
「罠である可能性は」
「考慮しなくていい」
淡く光るルルシエットの瞳。大したことのないと当人の語るものであっても魔眼は魔眼。それを持たぬ人間からすれば断言されれば魔眼の導きもあるのだろうと納得してしまう。
もちろん、普段からルルシエットが行うことが正鵠を射るばかりだからこそ頷くところが大きい。
そういう意味で言えば、補強しているのは推察能力ではなく、彼女自身の存在を補強していると表現することもできた。
「ただ、暫くはトライカを睨むルルシエット軍という体裁は取り続けるように。
話は通しておくからトライカからちょっかいが掛けられることはないと思うけど、協力体制にあることを知られれば危険になるのはメリアだから」
「承知しました」
「可能であればメリアのところに夫も向かってくれれば一番いいんだけど」
結果として、ヤルバッツィはトライカへと向かい、イセリナもその背を追う。
道中でヤルバッツィを説得するつもりであったのだがそれは叶わなかった。
フェリシティとセニアの強襲によって敗走するヤルバッツィ、イセリナであればフェリシティを説得できたかもしれないが、現場に駆けつけられる距離に来れたのは戦いが終わったあとであった。
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