152_継暦141年_夏
よっす。
……と、グラムがどこかで挨拶をしている頃。
少女は身の丈とは釣り合っていない大きな三角帽子を被り直していた。
ちょっとした仕組みのおかげで風に吹かれても飛んでいくことはないが、定期的に被り直したり、角度を正してやらねばその効力が切れる我儘な代物だった。
(かつての持ち主と同じように、本当に我儘だなあ)
杖を肩に寄せて、ようやく空いた片手で帽子を直す。
少女は隻腕であった。
魔術師ギルドの本部である『果ての空』にてその才能を認められたのは四肢の一つを損なっているというのに、などと哀れみから来たものではない。
勿論、多くの魔術士たちにとって果ての空は損なっていようとも才能を認められる場所であると希望を見せた存在ではあった。
彼女の名はルカルシ。
『不言』の二つ名を持ち、詠唱に頼らず魔術を行使する異才異能の魔術士であった。
十代も前半の頃からちっとも体躯が育たないのも含めて出自怪しき『魔女』と蔑まれたりもするが、気にするタマではない。そのように育ってきた。
常に考えるべきことをのみ考え、実行するべきのみを実行してきた。そうであれと自分を律し続けてきた。
だが、一人の男が命を捨てて彼女の与していた一党が守られたときに察したのだ。
そうした自己本位の考えは誰かを不幸にするのだと。
あのとき、彼が──冒険者グラムをしっかりと見ていれば、仲間たちを観察していればあの悲劇は回避できた。
異才異能、才人だと言われ、おだてられた始末が彼の死。
いつか大切な仲間と呼べたかもしれない、未来の友を失ってようやく自分のくだらなさを理解した。
だからこそ、彼女は以後、多くのことを知ろうとし、誰かのためにと行動をした。
少年王に侍っていた恐るべき侯爵が一人、ボーデュランと契約したのもまた、そのための力を得るためでもあった。
結果として行った計画の協力が正しいことであったかの答えはまだ出ていない。
(随分風が出てきたな。これ以上進もうと思っても無駄に体力を浪費するだけになりそう)
ルカルシは魔術士ギルドにおいて特別な位を与えられていた。
各地の魔術士ギルドの監査。そして、それらを報告し監査結果でギルドとして望ましくない状態にある──つまりは領地やその上層部との癒着のようなことをしていれば処罰することを職務としていた。
命を奪うことすら許されるその強権は次代のグランドマスター、つまりは魔術士ギルドの頂点になる人間のみ与えられている。
(イミュズは魔術士ギルドの立場が特別なものになっている。自治都市との結びつきが強すぎるんだ。
自治都市が清流であるなら問題はないし、これまでも研究機関として優秀な働きをしていた。
けど、ここ最近は……)
学術都市として華やかな発展を続けていたイミュズではあったものの、近年には上層部が裏側の商売をして成り上がってきたものも少なくない。
皮肉にも都市の武器であった学術によって生み出したものが犯罪に使われるようになったと噂されてもいた。
それは効果怪しき水薬であったり、付与術を騙る武器であったり、イミュズがあくまで研究途上の試験品であったものが非合法な商品に転用されてしまった。
どのような悪影響があるかもわからずに、それらは流出され続けてしまっているようだった。
視察、監査、報告は終わっている。
イミュズ魔術士ギルド全体がそれらの流出に強く結びついている、ルカルシはそう結論付けていた。結果次第では手を下す必要があるだろう。
そのままイミュズで魔術士ギルド本部が下す指令を待っていても良かったが、情勢が激しく動いている各領地のことを考えると他の都市にある魔術士ギルドの監査も進めたい。そのまま滞在して暗殺、なんて可能性だってゼロではない。
都市を出てペンゴラへと向かおうとする道中。
情勢の問題から交通便が出ておらず、徒歩での移動となった。
魔術を達者に使えようとも少女程度の足並みしか持たないため、旅の遅れは深刻であった。もう少し距離を稼ぎたかったが、無理をしても仕方がない。手足がすらりと伸びた管理局のエルフが少し羨ましくもある。
目についたのは街道にぽつんと存在する宿。怪しいものではない。街道にはこうした宿が幾つもある。
怪しくはないが、経営している人間に警戒を持たないのも愚かなことだった。街で営業できないような輩がここで店を構えているだろうと想像できる。
(大きな窓。中には客がそれなり。服装もそれぞれ)
宿は表向きの姿、裏では悪行三昧などと、そのようなことをすればすぐに話が広まる。
旅人が誰と会うか、何のために旅をしているか。それらはそれぞれに理由はあれど、行先に待つ人や事情はある。それが来ないとなれば道中に何かあったと疑われるだろう。
そこに宿があり、多少なりとも客がいるのであれば、『それほどの危険はない』という結論に辿りつくことになる。警戒はするべきだが回避するほどではないものなのだ。
(宿として動いてそれなりに長そう。店員の動きも手慣れてる。たちの悪い宿ってわけではなさそうだ)
見てくれは少女でも、彼女は数年間一線で活動してきた立派な冒険者であった。その首元には銀灰の認識票が揺れていた。
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「翌日朝まで、一人。部屋は空いているかな」
「ああ。前払い制だがいいかね」
「構わない」
街道の宿であれば小銭稼ぎ目当ての荷馬車が客を乗せることも頻繁にある。
運が向けばそうしたものを捕まえて楽をすることができるだろう。
明日の朝までにその運に巡り合わないのであれば、徒歩の旅をする覚悟を決めようとルカルシは内心に思う。
「今夜、翌朝の食事はどうする。夜は煮魚の定食。朝は卵にベーコンに、まあ、一般的なものになる。金額は」
良心的な価格だった。相当のぼったくり価格を覚悟していたが。
魚が供されるということは近くにはそれなりに賑わう川があるのだろうか。
「では、両方とも」
「お代は確かに。アンタの部屋は二階の左奥だ」
鍵を渡される。
すぐに部屋に閉じこもってもよかったが、眠気があるわけでもない。
この宿は酒場が併設されている。そこそこの広さだが客の入りはまばらだった。
「お茶をもらえるかな」
「軽食は」
「夜があるから」
ルカルシはそう言いながら、追加の金銭を支払う。
こうした場所では資産金属を利用できない。貨幣は未だ重要なままだ。
(イミュズがあれほど厄介な状況になっていたのには困ったな。少し考えを纏めたいところだけど)
客はまばらではあっても、それなりに騒がしい。
そうした状況のほうが彼女にとっては集中できる環境だった。無音の中での考えごとは余計なことまで考えてしまいそうで、それは避けたかった。
よさそうな席がないかと進んだところで、彼女はつい声を出してしまった。
客を見て、声を上げるのは失礼なことだとは思っていても出てしまったのは仕方がないことだ。
「……ヤルバ?」
それは暫く疎遠だった、かつての一党仲間の姿だった。
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宿に併設された酒場。そこに何かを頼むわけでもなく座り、俯いている男がいた。
ヤルバッツィ。
ビウモードの行動騎士であり、至当騎士団の総長であるはずの男であった。
彼は考えては、答えに行き着かずにそこで身動きがとれなくなってしまっていた。
思い返す。それは敗北だった。
この宿に辿り着く少し前、トライカへと向かう最中に襲いかかってきた野伏りの女二人。
圧倒的だった。刃が立たなかった。
全力で戦えば、味方を使い潰すようにしてでも戦えばどうだったのか。彼に後者の判断はできるわけがなかった。彼は騎士としては優しすぎた。どこまでいっても彼自身は寒村の三男坊でしかなかった。
だが、それでも仲間を犠牲にしたくないという感情はどうにも言い訳のように思えていた。
負けたのだ。彼女に。そして、そこから逃げ出した。
言い繕うことはできない。
トライカへとは進めず、やむを得ず退却をしている彼らに、
「止まりたまえ」
そういって止めたのは騎士たち。
彼らが至当騎士団の歩みを止めさせた。
至当の一人がその行いに、
「貴卿らは何者か。我らはビウモード伯爵領が至当騎士団。任務の最中に足を止められるいわれはない!」
非難の声を上げると騎士たちから一人が歩み出る。
「あるとも」
毅然とした男の声だった。
声の主は面包を外すと、そこには怜悧な顔立ちをした青年のかんばせがあらわになった。
その姿に至当騎士団の人間と、そしてヤルバッツィもまた気がついたようだった。
「我が名はベサニール。
出自は近衛騎士団総長、行動騎士であるドワイトが父である」
年若い騎士だ。ただ、その才覚は確かであり、領内の貴族たちからも評判がいい。
将来はドワイトの持つ行動騎士の座を引き継ぐだろうとも言われていた。
「ベサニール殿、わざわざ我らの前に来たのは何用か」
用件を問いただすのはヤルバではなく騎士の一人である。
これは至当騎士団の総長とそれ以外の騎士との格の問題だった。
たとえドワイトの息子であったとしても、国を代表する騎士団の長が直接的に応対をするべきではないと騎士が考えた結果だ。
慣習としても正しい行いではあったが、
「至当騎士団が総長にして行動騎士ヤルバッツィ殿!」
それでも応対している騎士の頭を越えるようにしてベサニールはヤルバッツィへと声を掛ける。無礼な行いであるが、その無礼さをベサニールが知らぬはずもない。
彼は騎士になるべくして多くを父から学ばされていたからだ。
「貴殿の至当騎士団総長の座、そして行動騎士としての位を剥奪する!
その命令を伝えに来た!」
懐から取り出されたのは御璽が押された指令書。ビウモードにおいてこれ以上は存在しないと言えるほどの正当性が示されていた。
「なっ……」
一同が同じように声を詰まらせる。ヤルバも同様だった。
「トライカへと辿り着けず、戻るようであればあらゆる資格を捨てたものとみなし、貴殿からビウモードにおけるその全ての位を剥奪する!!」
こうして、ヤルバッツィは急に職を失った。




