129_継暦136年_冬/06
「父、上……」
想像をしないわけではない。
ダルハプスと戦い、命を落としたのだ。
彼の大悪がアンデッドをいかにして生み出すかはわからないが、眼の前に立つ存在が自らの父親であるということに何の疑いもない。
ビウモードの中に流れる血がそれを教えていた。
「御免ッ!」
誰より早く動いたのはドワイト。
剣を横薙ぎに振るう。無形剣によって地から巨大な刀身が隆起する。
刃は鋭く伸びるようにして先代の命を狙う。
しかし、先代ビウモード伯爵の首はそれで取れるほど安くもない。
後方宙返りをするような身軽な動きでその一撃を避けると、少し離れた場所で小さく笑う。
「それでいい、ドワイト。
今の主はわしではないのだから」
その表情は柔らかい。
諦めたような笑みで炉に触れる。
「この炉はルルから借り受けているもの。
我らがここで暴れ、もし壊しでもしたら取り返しが付かぬ。
怒ったあの娘をなだめる手立ては未だ我らは知るところにない、そうであるな」
全く以て、先代の言うとおりである。
せいぜいが甘いものを用意するくらいが関の山。それも効果は薄い。
彼女が怒るような事態そのものが長い付き合いでも片手で数えられるくらいのものだが。
「ええ。
ルルの気性はまったく、ビウモード伯爵領家の力がまるで及ばないものですから」
「なればこそ、決着は上で付けようぞ」
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上へ戻る道中。
三人のうち誰一人武器を振るうことはない。
貴族の名誉という面を大切にしているというのは少なからぬ理由としてあるかもしれないが、
それ以上に甦った父、或いはかつての主を相手に簡単に刃を向けることはできない。
不意打ちとなれば心理的なハードルはあまりにも高い。
「父上はアンデッドとしてとはいえ、甦られたのですか」
「我が身が生前と同じ自我を持つかは判断できぬ。
そのようにして生み出された人形や、けだものの命を纏め固めてそのように動かしているだけかも知れぬ。
何より炉を守れという強力な命令に逆らうこともできん。
お前たちのことは無論覚えてはいるが、過去の記憶の全てを思い出せるかと言われれば、そうではない」
かつてアンデッド化こそが不死に至る手段だとして研究を重ねたものは少なくない。
しかし、不死になった技術として確立されていないことはそのままアンデッド化は不死とは異なるものである証明となっていた。
断念した多くの理由は先代が語ったような記憶の欠落である。
近い時間軸の記憶は有していても、その過去は覚えていない。
大切な人間を見ても大切な理由と、その人物が何者かはわかっても、その由来はわからない。
不死を求めるような人種からすれば、それは不死と呼ぶには不完全な存在となるからだった。
彼らが到着したのは『ルル家』のダンスホール。
炉からここまでにある全ての扉もそうであるが、いざというときの防壁として使うためか、いずれも分厚く重い。
その扉を開くのに先代は苦労を見せることはなかった。
肉体の仕上がり具合は往年の、全盛期のそれであることがドワイトは見て取っていた。
名目上はそうだ。
実際には室内での練兵などにも扱えるようにと設えられたものであり、
戦士として一流として差し支えない彼らが全力で戦っても崩壊などしない堅牢な作りになっている。
「ここはルルの持ち家同然。
戦いでできた損傷分は」
そう口にした先代に、
「わかっております。ビウモード家から出しましょう」
返したのは当代。
言われずともそうしていたであろう態度を見て、
伯爵として見劣りのない立ち姿に父親は満足した気持ちを得る。
髭を蓄えた威風を纏おうとしている男が息子であることや、彼らの未来のために封印に命を使ったことは覚えている。
彼がわからないことは、自分の妻のことや、この息子がどのように産声を上げたかなどであったが、
今この瞬間だけでいえば、ないことを我慢することはできた。
「わしは彼の大悪ダルハプスが下した命令には逆らえん。
それ故にお前達がやるべきことは」
「この手で、父上を……いえ」
当代ビウモードは剣を構える。
親へと向けるべきものではない白刃。
伯爵として、自領の未来を守るために向ける。
「父上、今日で貴方を超えます」
「いい返辞だ」
返答として、先代ビウモード伯爵もまた、剣を向けた。
お前たちが倒すべき存在であると伝えるように。
「ドワイト、行くぞ!」
「はい、……当主様!」
閣下とは呼ばない。
彼を当主と呼ぶのは一種の決別、過去の主との決別であった。
それもまた、先代にとって喜ばしいことである。
ドワイトが支えるに相応しい男だと、自分の息子を信じてくれている証拠であった。
(喜ばしいことだ。
我が身の自由がないことの苦しみを帳消しにするほどに。
……いや、まるで自由がないわけではない。
戦う意思、経験を活かした判断と行動、瞬発的に発揮するための動作。
それらの自由はある)
手を取り合ってダルハプスと戦うという選択肢を取れないのは悔しいが、
残していった彼らの実力を敵として確認できるのは望外の喜びでもある。
先代ビウモード伯爵はどこまでも武辺者の魂を備えた男であった。
(ドワイトの無形剣は見事、凡人には体得することができぬ技。
一種しかないはずのそれは扱い方で幾百幾千の戦術を生み出すことをドワイトはよく理解している)
地面から生えるように現われる半透明、非実体の巨大な刃。
いずれの無形剣にも共通して言えることは、これが一種の儀式のようなものであるということ。
剣を振るうという動作が極限まで短縮された儀式であり、刃を生み出す結果を発生させている。
(最大射程さえ見誤らなければ問題はないと断じることができる。
常人には無理であっても、わしは長らくドワイトを見てきた故に。
……それは彼もわかっているだろう。
であれば、ドワイトの技は全て囮。
本命は)
攻撃を避けたところに強襲する当代。
(伯爵とは思えぬ力任せで強引な攻め。
だが、それは正解だ。
流麗な技など戦場で、少なくともわしとの戦いでどれほどの役に立つものかよ)
確かに自らの血が、心が、教えが子に引き継がれているのがわかる。
(しかし、まだまだ足りぬ。
強襲とは、荒ぶる一撃とは──)
バックフリップで攻撃を避けると同時に持っていた剣を投げつける。
剣は武門が名誉の証。投げつけることそのものが理解の外になることが多い。
空中であれば姿勢制御などできるわけもないはずだが、足場にできる可能性のものはあった。
ドワイトの作り出した無形剣である。
消えるまで一秒もないはずのそれに足を触れる。
非実体の刃が切れ味を有するのはそれがインクによる効力。
触れるだけで危険な刃も魔術に対して障壁を作るようにして、
足に庇護の力を有する請願を作ることで無事に足場とすることができる。
消える寸前の無形剣を足場として空中から一気に突進するようにして当代へと突き進む。
一瞬、刃を投げつけられたことに、いや、伯爵であった男が行うと予想もしなかった乱暴な手段に身を固めかける当代。
しかしここは理性と冷静さが驚愕を上回る。
投げつけられた刃を払い落とした当代だったが、次の瞬間には父親の鉄拳が顔面にめり込んでいた。
状況を理解するのに一瞬の時間を要するほどのやりとり。
(このようなものをいうのだ!)
だが、当代もまたその戦闘センスを引き継いでいる。
そして、先代への憧れもあって多くの力は父親を参考にしていた。
拳を防いだのは足場を作るために使った請願。
強力な拳は確かに顔面に打ち込まれたものの、傷は浅い。
生前に説教のために頭の上にげんこつを打ち込まれたときのほうがよほど痛かったと思う余裕があるほどに。
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当代が投げつけられ、弾いて空中で回転する剣を掴む。
先代は着地と同時に魔術の詠唱を始める。
目まぐるしい状況の中で、詠唱が完了すると同時に、二刀となった当代が踏み込んだ。
闇色に燃える炎が放たれるも、剣が振るわれ、闇色を切り裂く。
先代が追加の詠唱と共に拳を固めるが、当代は詠唱の始まり際に更に踏み込み、先代の体を左右を袈裟斬るようにして切り抜けた。
一拍置いて、膝を突くのは先代。
アンデッドの身。痛みはない。
ただ、急速に抜ける力がアンデッドとして存在するためのインクが激しく漏れ出ていることを伝えていた。
「全盛期並に動けはしたが、そうか……。我が力を上回る。これほど嬉しいことはないな」
自分が犠牲になると決めたあとも不安があった。
まだ若い息子に全てを背負わせることに。
だが、当代はその不安の全てが杞憂であったことを明確に示した。
そうなれば、応援や慰みの言葉で彼の心を支えるのに最後の力を振るう必要はない。
伝えるべきはダルハプスとの接続から立てられた推測。
「炉を奪われたと知られればダルハプスも全力で取り返しに来るだろう。
お前たちの仲間がダルハプスの首を狙っているのであれば、ここを守るのが仕事になる。
命がけになる。だが、その背にはビウモード伯爵領の全てが掛かっていることを忘れるな。
軽々に命を投げ出すような真似は許されぬ」
「わかっております、父上」
当代は毅然とした態度を取る。
その奥底に親を思い、抱擁を求めたい子供じみた感情がないといえば嘘になる。
だが、そんなことをすればいよいよ父は残念してアンデッドとして徘徊する結果を生み出しかねない。
「我が子よ、ビューよ。
故郷を頼むぞ。ビウモードを、トライカを、メリアティを……」
「必ず、良きように」
「ああ。……頼んだ」
満足気に微笑むと、その肉体は残ることなく塵の塊が風に吹かれて払われるように散って消えた。
偉大なビウモード先代伯爵の二度目の最期として、彼の名誉を徹底的に汚す冒涜的な終わり方だった。
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手に持っていた剣もまた、ゆっくりと解けて消える。
もうこの場所に父親がいた痕跡は何一つ遺されていない。
消えゆく剣を見やりながらビウモードはドワイトへと告げる。
「この戦い、横槍があったなら勝利できたかはわからなかった。
父上は最後に取り返しに来るであろうことを教えてくれた。
そこから考えられるのは、ダルハプスは他者を操ることができるが、何らかの制限があること」
同時に操れはしないが、先代が消えたことで他の駒を操れる余剰が生まれたのではないかと予想を口にする。
また、すぐさま先代を甦らせたりしない辺り一度消えたものを再利用することもできないのだろう。
それについてはそうであってくれという祈り込みのものではあるが。
「かつてのダルハプスにもそのような力があったわけではないはず。
恐らくはこの炉こそがあやつに力を与えた。
炉をこちらが握っている限りダルハプスの力も弱っていくはず」
「では、ここを死守……ですな」
「ああ、父上のお言葉のとおりにな」
「準備をいたします、閣下。
先代様のげんこつのような、泥臭くも勝利のために全力を尽くすことこそが我らのこれからの戦い」
「ああ。
ここは頼めるか、ドワイト。
私は炉の権限を奪い返しに行かねばならん」
「お任せを、閣下」
先程までの、泣きそうだった青年の姿はない。
毅然にして厳粛なビウモード伯爵領の長の顔をした男がいるだけだ。
ドワイトはそこかしこにある棚などで進入路となりそうな場所を塞ぎ始める。
ビウモードも地下へと走り戻る。
炉は触るには高度な知識や技術がいるが、権限の上書きについてであれば持ち主になったことがあるのであれば前述したような知識や技術は必要ない。
上階はドワイトに、万が一彼が敗れたときは炉と外を区切る扉を守り、それでもというときは炉を破壊する。
二人は言葉もなくやるべきことを疎通し、実行へと移すのであった。




