122_継暦136年_冬/06
道中に気まぐれにか守衛騎士の護衛を得られたことでペンゴラへの移動はスムーズに進んだ。
本来であれば二日、三日は掛かってもおかしくない旅程のはずだが、
ゴジョや宿で雇った魔術や請願使いによって疲労した馬を治癒しながら強引に進んだ。
いつ守衛騎士の気が変わるかもわからない。
少なくとも戦闘になれば事後のことも含めて大いに時間が取られるからこそ、こうした無茶をするべきだと決断を下したのはデューゼンたちだった。
予想より遥かに早く到着したことに感謝をしつつも、無理をさせてしまったことにヴィルグラムは少し申し訳無さそうにする。
「こういうときは素直にお礼を言うのが一番でや」
「……ありがとう、デューゼン。みんな」
シェルンの言葉に、ヴィルグラムは素直に従う。
そうしてお礼を言うととデューゼンとその家族だけでなく、商隊の人間は皆嬉しそうにした。
命の恩人でもあるヴィルグラムの力になれたことを知ることができたからだ。
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よっす。
無事ペンゴラに到着したオレだぜ。
商隊と別れを告げ、ペンゴラにはオレ……つまりローグラムと、
少年、姐さん、旦那、店主だ。
一党としちゃ立派なもんじゃないか?
「とりあえずは情報収集かね」
「旦那はどこに?」
「男爵同盟のツテでも再利用してみるとするさ。
お前らはどうする?」
ブレンゼンの一言に対して、シェルンは冒険者ギルドを、ゴジョは魔術ギルドに、という話になった。
主役の少年は、
「気になった場所があるから行ってみる」とのこと。
「それじゃ、オレは宿でも取っておくかな。
街のど真ん中にあったデカい看板の、……どこもデカかったな。
黄色い看板の宿かその周りで見繕って見る、予約者は少年の名前にしておくぜ」
大きな宿でありゃ、酒場も併設されているだろう。
そこで軽く聞き込みをしてみるとするさ。
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かしゃん。
扉を開いた瞬間に来たのは「いらっしゃいませ」でも、「ようこそ」でもなかった。
スープの入った器がオレめがけて襲いかかる。
熱々だったらえらいことだったが、ぬるめだったのが助かった。
「えらくなったもんだなあ! ちょっと前まで俺らがいねえとやっていけなかったってクセによお!」
「あいもかわらずスープはマズいってのに、一流店ですって面を今更するのか? ええ!?」
なるほど。
絵に描いたようなタカリ二人組が酒場でイキっていらっしゃる。
ライトブラウンの髪の毛のポニーテールを揺らして謝っているのは給仕らしき娘さん。
あまり目立つのもよろしくないとは思うが、詰められているのを放っておくわけにもいかないだろう。
オレに投げつけられた皿を拾い上げる。
やや重さもある、投げるには程よい具合。
「オッホエ!」
すっこぉぉん、なんて小気味のいい音がなる食器なんだ。
「イィ痛……ってえなあ……!」
「ははあ。なるほど。重さと掴み心地もいい具合だ。投げたくもなるよな」
「何しやがる」
「投げたのはそっちだろうよ。返してやっただけだ」
「調子に乗りやが……って……?」
怒り心頭ってのが良くなかったのか、皿が命中した男がこちらに向かおうとした瞬間に頭部から派手に出血する。
「ぎえ!?」
「ああ、勢いよく出てるウチは大丈夫だ。安心しろって」
「じょじょ、冗談じゃねえ! 医者、医者あ!」
走り去る男の背を追うようにして片割れも逃げる。
出入り口近くで、
「また来るからな!」
などと言っていた。
街中にも賊が出るなんて、と言いたいところだが、アイツらからは賊スメルがしない。二流……いや、三流ですな。
一流の賊なんていてほしくもないが。いたところでどんな臭いかは知りたくもない。
「余計なことしちまったよな」
血は付いたものの、皿は無事だった。
冒険者が出入りする店らしい頑丈さだ。
拾った皿に付いている血を自分の服で拭ってから机の上に置く。
「余計なことなんて、そんな。本当に助かりました……あ、すぐにタオル……じゃダメそうですね」
スープに浸したパンといい勝負ができるほど、オレの衣服は色を変えている。
給仕と思っていた年若く見目の整った女性は宿の女将だったらしく、その裁量を以て衣服を用意してくれた。
他の冒険者の置いていったもので申し訳ないと云われるが元々着ていたボロから数十段ランクが上がっている。
これはお召し物といっても過言ではない。
元が貧相な布切れだっただけだろうって? そうだね。
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「随分とガラの悪い客だが……何かあったのか」
「トライカが閉鎖されているのはご存知ですか?」
「あー……うん。噂には」
まさか『そいつを何とかしにきたのさ!』とは言えない。
不用意に発言して祭り上げられるのも困るし、逆にトライカで何かしている手合の、その仲間がいるかもわからない。
「トライカとペンゴラは表向きではないのですが、互いに発展のために手を取り合っていた過去があるのです」
「閉ざされるまでは、か」
「はい。
ただ、手を取り合う以前はこのあたりにも賊が多くて、それに対抗するために」
「賊を雇って牽制していた?」
で、トライカと水面下で提携して、安定を得たので賊は放逐された。
賊はそれを恨んで今も市民に嫌がらせをしているとかだとしても、
これに関して賊に情状酌量の余地なんてない。
賊のエキスパートであるオレが言うんだから間違いない。
ちゃんとしてるやつは賊から足を洗って警備にでもなるだろうからな。
それをしなかったか、断られているって時点で素行の悪さが救いようがないレベルだったってことだ。
「トライカが元の状態に戻れば往来する馬車なんかも増えて、冒険者さんたちも戻ってきてくれるはずなのですが」
「賊に対抗できる人間や、それこそ元賊だからこそ対策を打てる連中なんかも散り散りになっているのか」
見渡してみると、あまり宿泊客の姿はない。
先程の騒ぎでも動けなかった商人や旅人ばかりだ。
賊が跋扈しているなら冒険者の出番だとは思うんだが、
どうやら賊の相手をして稼ぐだけなら主要都市であるルルシエットなりビウモードなりに足を向けたほうが金になるって判断なのだろう。
「じきに良くなるさ。
オレがその第一号かもしれないぜ、ってことで宿は空いているかい」
女将は嬉しそうに部屋を案内してくれた。
料金もサービスすると云ってくれたが、流石に閑古鳥ではないものの満員御礼でもない店でその恩恵をいただくのは気が咎めたので辞退した。
多少お高くあったとしても、金ならある……と、ゴジョさんが云っていたので大丈夫だろう。多分。
予約などを終えたあたりで酒場で席を用意してもらい、ご一同を待つことにした。
ペンゴラは広い。
衛星都市として発展していく過程で周辺にあった村々を飲み込む形になって、それをそのまま全てをペンゴラとした。
道路の整備に住居の用意などによって元々そうした都市のように見えるも、大いにあったものを再利用した土地なのだと聞いた。
かつての住人たちが争ったりしないのは先程の賊同然の連中が理由でもある。
元々、賊の楽園ことアドハシュ原野が近いこともあり、そこで戦えなかったイマイチな賊が憂さ晴らしに村や人々を襲うことがあった。
都市となり、発展し、ルルシエットの兵士たちが見回りをするようになって平和を得た。
かつての村人たちは伯爵への恩義を感じ、それ故に同じ土地に住むものとして手を取り合っていた。
が、それもトライカの一件で状況が変わった。
都市の市民たちは不平不満は言ってはいないらしいが、それでも明確に治安は低下している。
ルルシエット伯爵も手をこまねいているではなく、色々と方策を打ち出して、実行もしているが、賊の拡大範囲はその動作を超える早さだったのだという。
「市民からも自警団は組織されていますし、騎士や兵士の方も見回りはしているのですが」
「問題が多すぎてなかなかこっちまで回ってこれないか」
女将は小さく頷く。
ううむ。なんとかしてやりたい。
トライカの一件がなけりゃ、頑張りを見せるんだが。
「ここの宿は広いし、客も多い。
警備もそれなりの奴を雇ってたんじゃないのか?」
その警備次第じゃ領主に訴えればそれなり以上の護衛を借り受けられたりしそうなもんだが。
「それは」
扉が壊れるんじゃないかというほどの大きな音を立てて開き、入店する。
客ではない。
筋者……ではないな。見るからに賊。明らかにカシラってやつだ。
女将はソレの入店と同時にオレの近くから離れる。
オレを巻き込まないようにするためであるってのは一目瞭然だった。
「女将ィ。ウチの若ぇのが世話んなったみてえじゃねえか」
「その……他のお客様がいるところで騒がれましたので……」
ぞくぞくと入ってくる手下。
総勢七名ほど。カシラを入れれば八名。
街道沿いで現れる連中よりは腕が立ちそうだ。逃げてきたであろうが、それでも腐ってもアドハシュ原野の賊だったってことだろう。
いい賊顔してやがる。
勿論、褒めてない。
「アイツぁ可哀想なことになっちまったのによお。
謝罪もねえのか?」
「それは……申し訳、ございません」
オレが暴れて迷惑になったらなあ。
それこそ一党まるごとペンゴラから追放なんてなったら目も当てられない。
我慢だ。我慢。
もう少しで見回りの騎士なんかがきっと来るさ。
「言葉じゃなくってよお!」
ぐい、と女将を抱き寄せる。
手下たちは机を手に持った武器で破壊して、
「見せもんじゃねえぞ!」
などと暴れていた。
「ッ……」
スープだ。出してもらったスープに口をつけて心を誤魔化せ。
もうすぐ来る。騎士なり、兵士なり、冒険者なり、いい感じのヒーローとか、何かしらが。
「トライカに仕入れに行って戻ってこねえ旦那にいつまで操立てしてんだ?
俺が面倒見てやりゃ繁盛もするし面倒もなくなるぜえ!」
「ここは……、あの人と初めた店だから、……あの人が帰ってくるまでは私が守らないと」
「なあに泣いてんだ?
もう死んでるってことはお前もわかってんだろ、なあオイ!」
「オォッホエェッ!」
ぱっかああんと最高に気持ちのいい音がカシラの頭で響く。
飲み終わったスープの容器は頭の半ばまでめり込んだ。
我慢の限界だ。
すまん皆。迷惑にならんように立ち回るから許してくれ。
「な、なに、しやがる……」
「言っても聞かないお客様にゃあこうするしかねえかと思ってなあ。
どうだ、頭から血ぃ垂れたら少しくらいは冷静に」
「そいつをぶっ殺せッ!!」
「ならねえか! ま、そりゃそうか!
頭アチアチになったら即行動ってのはどこまでも賊だよな、テメエもオレも!」
返答と同時に食器を相手方に投げつけ、賊の悲鳴が一つ上がる。
それが戦いのゴングだ。
手下との距離はそう離れちゃいない。
投擲の技巧がメインウェポンのオレはこれ以上距離を詰められたらオシマイだ。
もっとうまい立ち回り方があっただろうって?
あっただろうな。
でも、ここで我慢ができねえからそこのカシラもオレ自身も賊だって話なのさ。
手下は七人。
一番近い奴はカシラの『ぶっ殺せ』という命令が出ると同時にオレが投げつけたカトラリーが顔面に突き立って死亡している。
残りは六。
次に近い奴にはカトラリーを投げたのとは逆の手で陶器製の食器を砕いて、破片を掴むとほぼ同時に投げつける。
両手を使って投擲できるのも技巧のおかげだ。
武器を抜くとでも思っていたのか、また一人撃破。
残り五。
少し距離がある。
ただ、引いたところで活路はない。進むべきは前。
転がって倒れゆく手下たちの抱えている武器を抜く。
短剣が一つ、手斧が一つ。交差するように構え、腕を払うようにして投げる。
投げられるのは瓦礫だの石ころだの以外だって得意なんだ。
それらの武器が手下二人の命を同時に奪う。
これで残り三。
一気に半数以上の仲間が殺されたからこそ、一瞬の動揺が出る。
賊の一般的な動作で言えばここでカシラが一喝して突っ込ませるが、カシラは現在オレからのプレゼントに感激したのか頭を抑えている。
手下の士気が復旧する前に、
「見せもんじゃねえ」などと吠えつつ壊した机へと走る。
だめだぜ、オレに尖ったものを与えちゃあ。ヒステリーになったガキみたいに何でも投げちまうんだからよ。
砕けた机の足を投げ一人、天板の破片をブーメランのように飛ばして一人、
自分たちの敗北であることを理解した顔をした手下も、当然逃したりはしない。
ここで逃がせばまた来る。来るかもじゃあない。絶対に来る。賊が言うんだから間違いないぜ。やるときゃやらんとダメだ。
砕けてどこのパーツかもわからなくなった机の残骸の一つを投げつけ、最後の手下の命を奪う。
「ぐ、ぬ、ああ!」
スープ皿を頭から引き抜く。
ただ、かなりの大きさの破片が突き刺さったままで、まるで角が生えているように見えた。
凄まじい形相でオレを睨むカシラ。
「てぇめええぇ、俺のかわいい手下をぉ!」
「そんなにかわいがってんだったら屋内で飼育でもしてるんだったな!!」
カシラが突っ込んでくる。
ひとまずは女将から離れてくれたのでよしとしよう。
「ずおりゃあッ!!」
気合と出血。
極めて低空でタックルの姿勢を取る。
意外な動作だ。近くにあった瓦礫を掴もうとするオレは一瞬ですくい上げられ、店外へとぶん投げられた。
「げほ、ごほッ」
「木っ端微塵にする勢いで投げてやったのに、頑丈じゃねえか!」
「木っ端微塵寸前だよ!」
全身が痛い。
オレの体は残念ながら前衛仕様じゃないのだ。
だが、寝転がってもいられない。
カシラは悠然と店を出る。
何とか立ち上がり、睨み合いの状況へと移行した。
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通りにはそれなり以上の人間がいる。
それらは急に現れた血みどろの人間が二人を見ても、驚くではなく、それが決闘めいたものであると認識したらしい。
野次馬たちはその気はなくとも、人垣となり、逃げ場はそうして塞がる。
店からも心配そうに女将は現れるが、人垣をどうにかできるわけもなく、立ち往生していた。
「この辺りで手打ちにしようぜ。テメエは二度と店に近づかない。オレは戻ってスープを啜るのに戻る。それでいいんじゃねえのかね。
賊が二人で決闘なんて場末の吟遊詩人でも唄にしないだろうよ」
少しでも投げられたダメージから立て直す時間がほしい。
会話だ。
どうでもいい会話で長引かせるしかない。
「そうかあ?
意外と盛り上がるかもしれねえぜ、てめえの体が真っ二つになるとかすりゃあなあ」
拳をばきばきとならしながら笑うカシラ。
頭からは未だ緩やかな出血。
「頭から血を流しながら云うことかよ」
「大体、テメエが俺に皿を投げなけりゃこうならなかったろうよ。
お前が引き裂かれることもなかったし、俺も痛い目を見なかったんだぜ。
どうしてこんな酷いことをするんだあ?」
「女将に酷いことしたからだろ?
酷いことしたら大抵のことは戻ってくるもんだぜ」
「それじゃあ戻って来たのを打ち返せば酷いことの連鎖が続くってわけだ。
今日のところはテメエで打ち止めだがなあ」
「こっちとしちゃなんとかアンタの命で打ち止めにしたいところだけどな」
痛みは多少マシになった。
次の問題は武器だ。
何もない。
本当だったら店内でアレコレと投げ、逃げては投げの引き撃ちで何とかしてやろうと思っていたんだが。
一方、カシラは武器を持っていない。
先程のでわかったが、冒険者の職能で分類するなら闘士ってヤツだろう。
何か持っていれば運良く落としたり、奪えたりしたかもしれないが、流石に手足はどうにもならない。
「残念だが、今日の打ち止めはてめえだ……よッ!」
カシラが踏み込み、拳が放たれる。
元から避けることなんて下手くそだってのに、ダメージがある状態じゃ余計に無理だ。回避どころか受け身すら望めやしない。
腹にめり込んだ一撃の衝撃はオレの体全てをふっとばすだけの威力があった。
人垣はオレをクッションするでなく、オレが飛んできた分だけ後退した。
したたかに体を地面に打ち付ける。
「こいつで終わりにしてやるよ!」
追い打ちをかけるように走るカシラ。
視界が明滅している。痛みが意識を奪おうと暴れていた。ここまでか。
そう覚悟したところに
「ローグラムッ!!」
人垣の向こうから声。ブレンゼンの旦那だ。
それだけじゃない。
「使えッ!!」
薪割り斧が投げ込まれる。
旦那の大剣を投げ込まれたらどうしようかと思っていた。
最後の気力を振り絞り、立ち上がると同時に薪割り斧を掴む。
「オッホエ!」
武器の速度を稼ぐだけの距離はない。
だが、十分だ。
斧はカシラの頭へと当たる。斧そのものは刺さらないが、致命傷になるものがすでにそこにあった。
スープの皿。その破片だ。
それらが頭蓋とその中身を破壊すると、カシラはオレへと向かいながら、しかしそれ以後の動作を命令することはできず人垣へと突っ込んだ。
「アンタで打ち止めになったな」
絶命を確認すると同時に、オレも意識を手放した。
ブレンゼンの旦那の声と、駆け寄ってくる女将の姿が見えたが、意識はそのまま闇に溶けるではなく、転がり落ちた。




