119_継暦136年_冬
「諸君らを信用していないからだ。
正確には、諸君らの無能ぶりを信頼していたからこそ、本当に重要なことを共有するつもりはなかった」
挑発ではない。
本心からの言葉であるのをどうしてか、参列者の殆どが認識できた。
(狩りの時間だ)
声。シメオンの脳裏に声が響いている。今に始まったことではない。
言葉はいつも違えど、害意や殺意、衝動を言葉として固めたものが囁かれていた。
ただ、今日は一段と囁きではなく、その声は大きかった。
「我ら同盟に爵位を持つものらしからぬ、少年の死体を探させ、集めさせようともしたな。
おぞましき儀式でも開くつもりかね。アンデッドに魅入られたからこそ。
どうなんだ、シメオン君」
公的な語り口ではなく、普段の口調へと戻すタッシェロ。
人材を集めるオーガスト。
研究の成果を実地データとして集めるサリヴァンやジョター。
先代タッシェロは永遠の命を追っている。
それを行わせているのは計画の中心にいるシメオンであり、研究についても彼が主導していた。
当代タッシェロも永遠の命をテーマにシメオンが何やら研究をしていたことは知っているものの、先代のような学識を持つわけでもなく、タッシェロ家に伝わる『ライネンタート侯爵の研究資料』は先代の死後すぐにシメオンの手によって秘密裏に回収されている。
結果として、当代のシメオンに対する認識は曖昧なままであった。
それでも、兄がしたように彼もまた男爵同盟には忠義とも呼べるような情熱を注いでいたつもりであった。
しかし、それはシメオンの一言によって破壊された。
その破壊はタッシェロにとって亡き兄への冒涜に等しかった。
「魅入られた、という意味ではそうだろう。
ただ、それはインク的要素によってではない。
私が魅入られたのはダルハプスという個が持つ知識や技術、そして彼が自身の非才によって成し遂げられなかったそれらの可能性の先にある」
例えば、とシメオンは一言置くと、不意に手を振るう。
それは瞬時に太く、巨大で、毛むくじゃらなものに変わりながら側にいた男爵の一人の顔面を潰し飛ばした。
「じゅ、《獣化の秘術》……。
秘術は同意無しでは受け渡しができないはず……」
カンバラ男爵はそれを見てそう呟いた。
慄くカンバラの横から、
「何をしておられるのだ、シメオン卿!」
乱心としか言いようのない行動に非難の声をあげるのはパウラスであった。
武力に偏り、喧嘩っ早い男ではあるが、そのいずれもが義心から出るもの。
男爵ではなく一介の騎士身分であれば彼の不幸はなかったかもしれない。
パウラスは飾られていた騎士鎧を見ると、その鎧とともに展示されていた剣を掴む。
刃引きはされていない。
質もよい。手入れもしっかりされているようだった。まるでこれを使えと言わんばかりであったが、それに気がつくほどパウラスは機知の巡りのいい男ではなかった。
「ぬうあぁッ!」
鋭い踏み込みからの振り下ろし。
「残念だよ、パウラス卿。
君のその無意味な正義感はまったくの無用なものだった。
愚かなだけであればまだ命永らえたかもしれないものを」
パウラス渾身の一撃は獣化したシメオンの腕を半ばかその手前まで切り進めるが、獣の筋力を以て強引に引き剥がすと同時に拳が御見舞される。
熟れた果実が爆ぜるようにパウラスは砕けて死ぬ。
腕を抉る剣もシメオンはあっさりと引き抜き、投げ捨てた。
名剣の類を持った勇猛果敢な男爵が一捻りになる。
それを目の当たりにした男爵たちの心を支配するものはたった一つ。
「ひっ、ひい!」
恐慌。ただそれだけだ。
その光景に腰を抜かしながらカンバラは逃げ出そうとする。
「忌道で一纏めにされている隷属は儀式であれ魔術であれ、複雑な手段か、同意を得ることで成功率を高める必要がある。
そう、複雑であれば同意なくとも隷属を付与することはできるのだよ」
獣化を解き、指をパチンと鳴らす。
「体……が、動かな……」
逃げ惑う男爵の一部が糸で操られている人形のように不可思議な動作を始める。
「今までの多くの契約、食事などの歓待、閨に送った人間たちに事前に付与した術式、それらを組み合わせることで君たちに隷属を付与した。
これもまたダルハプスが持っていた知識の一つだよ。
尤も、その出所はカルザハリの三賢人由来であろうがね」
焦るでもない態度のシメオンに対してタッシェロが常の如くに問う。
「私の告発に対してその隷属を使わなかったのは何故かな。
君が隷属を使うことは知っていたが、よもやそのような遠大な手段さえ取れば同意が必要ないとまでは思ってもいなかった。付け入る隙はあったはずだ」
「可能性の先といったとおりさ。
これらの技術は可能性の只中にある。
今だ開発中というべきか、ダルハプスという男がその人生をかけて研究した数多のもので諦めた術なのだよ。
つまり、投資価値のないものと定められ、発展を諦められる程度のものということさ」
タッシェロが周りを見渡せば、一つの共通点が浮かび上がる。
(インクの扱いを心得ていないもの。
精神的動揺が出やすいもの。
男爵位の家に生まれただけで美点のないものは影響を受けている……のか?)
才能があると豪語するわけではないが、少なくともタッシェロはある程度の魔術は使えるし、精神に関しても図太い。
であれば自身に隷属の効果がないことの証明にはなる。
(民草を含めて広い範囲で使わない理由は何故だ?)
民衆を対象とすれば巨大な勢力を得られそうなものだが、シメオンが隷属で的にしたのは今回を除けば自分の領民たちと、
人材商に売り払うためのどこからか連れてきた隷属されていない連中だけだ。
実際、この隷属は同意同然の効力を他者から引き出させることができるものの、
『対象に食事や酒を振る舞い、感謝される』
『対象に隷属させたか、忠誠を誓ったものか、自分自身と閨を共にさせる』
『対象は心理的な動揺を引き起こしやすいか、精神的に薄弱である』
この全ての条件を満たさねばならない。
タッシェロが考えるような大きな範囲に自在に使えるものではない。
それでも、今回のような状況では使い勝手もある。
悪用しようと思えば幾らでもできる技術ではあったが、複雑なこの術式をシメオンはついぞ記録としても技術としても残すことはしなかった。
ただ、実際のところと、理解して納得する部分が乖離することは多い。
この件に関してもタッシェロは、
(同盟の多くの人間を隷属させられれば十分な威力か。
水面下でそれをすることもできたはずだ。
だが、それをせずに窮まった状況ではじめて彼は隷属を発動させた。
つまりそれは、)
かのように考えた。
惨状のただなかでタッシェロは恐ろしく冷静なままだった。
「投資価値が薄いと断じたこの隷属を使い、我らを利用するでもない。
それはつまり我らにそこまでする価値はないと言いたいのか」
いや、冷静ではない。
怒りをひた隠しにしようとしながら、怒気が臨界を超えているからこそその場に留まっているだけなのだ。
「価値があるものがいないわけではないさ、タッシェロ卿。
ただ、この隷属の忌道も、永遠の命を得るものは少なければ少ないほどいい。
特権を持つものはたった一人でいいのだよ。
ただ、その判断を下すかどうかを悩んではいた……今はただ、踏み切らせたことに感謝している」
その言葉と同時にシメオンは踏み込みながら、片腕を獣化させ、
「……得難い友を得たと、思っていたのだがな」
タッシェロの最期の言葉は確かにシメオンへと届いた。
しかし、シメオンは腕を止めるではなく、感謝の念を込めて叩き潰した。
(全て獲物に過ぎない。
狩れ。狩り殺せ)
頭の中で声が響く。シメオンの視界が歪むような、ダルハプスの声が響いていた。
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乱心。
そうとしかいいようのない、シメオンの行動。
ただの乱心ではない。姿を変えることが即ち異形や変容とビッグウォーレンは思わなかった。
彼もサリヴァンの血統にある獣化の秘術について知っていたからだ。
古くから、少なくともカルザハリ王国が倒れたときのドタバタから存続している一族ならば同じ男爵位にあるものたちのことは調べが付いていたし、秘術とは時代によって変化したりするものが少ないからこそ、
今もサリヴァン男爵の家に伝わる獣化は残っているのだと予測していた。
ビッグウォーレンが予測しきれていないことがあるとするなら、当代のサリヴァンは腕だけでなく全身を獣の如くに転じさせることが可能であることくらいのものだ。
足元に転がってきた幾つかの肉片以外に、パウラスが使った剣がある。
(話し合いで終わるかは怪しいと思っていたが、こうなるとは予想できるわけもない)
周りには男爵同盟にべったりではないものの、傘下に入ろうとするものもいれば、ビッグウォーレンのように何かしらの話しをしにきたり、下調べにきたりするものもいて、そのいずれもが逃げたいが、シメオンの獣同然の腕を見て、
「背を向けるほうが野生の獣には危険だ」という警句に縛られているかのように行動できずにいる。
(ここで多くの男爵が死ねば喜ぶのは周りの子爵や伯爵家であろうな)
剣を拾い上がる。
見事な手入れが施されていた。
この日のために用意したものであろうことが予測できる。
見れば使いたくなるような、名匠の技が透かして見えた。
「諸君、ここはこのビッグウォーレンに任せ、背を向けて全力で逃げるのだ!
シメオン卿は乱心したかもしれぬが、獣ではない!
背を向けて危険なわけでもなかろう!それでも獣の如くにして背を追うならばわしがいる!
逃げるのだッ!」
ビッグウォーレンは男爵たちの中でも知られた存在である。
男爵同盟が何度も誘うくらいには、その名誉も実力も備えたる血統なのだ。
その当主が背を守ると豪語するならば信じない理由もない。
男爵たちの大体は悲鳴を上げながら外へと走る。
会議室に残されたのはパウラス、カンバラ、タッシェロだった肉片と、
シメオンとビッグウォーレンの二人であった。
「やはり卿は素晴らしい方だ。
卿のような人を仲間に取り込めなかったことは我が身の不明であった」
「シメオン卿がこうなるのであれば、こちらとしては先見性があったと言うべきかね」
「かもしれませんな」
「……ぬかせ。
卿は元々この選択肢を取るか悩んでいたのであろう。
それとも、わしがおればこの状況は回避できたのかね」
「それについても『かもしれません』としか返せませんな。
ただ……、タッシェロ卿も、パウラス卿も、カンバラ卿も友と呼ぶべきものたちではありました」
どこか悲哀の色を滲ませる声に、ビッグウォーレンは構えた剣を下ろす。
シメオンもまたそれを見て隙ありと動くこともない。
「だが、友と在ることよりも重要なことがある。
そう云いたいのか。
それとも、友を捨てさせるような強制力が男爵たる身に命じることができたものがいるのか」
「やはり、貴方こそを友とするべきだった。
その点は努力不足でしたか」
苦笑を浮かべてから、シメオンは言葉を続けた。
「我ら男爵は、いえ、西方諸領圏はいずれ消え去る運命にある。
それは卿も思っているのでは?」
子爵や男爵の領地が寄り集まっている西方諸領圏は130年余をなんとか生き延びた。
途中消える家もあれば、男爵となった家もある。
総数そのものは大きな変化はない。
であればそれは永遠のものかと言われれば、そうかもしれない。
あくまで、西方諸領圏だけでこの世界が存続しているのならば、だが。
東には旧王国領の中でも大きな領地を獲得する大領主ビウモード伯爵とルルシエット伯爵がいる。
二代前までは土地が荒れるほどに深刻な対立があり、しかし緩やかに対立は解消し始め、当代になる頃には相当に落ち着いていた。
しかし、落ち着きを見せたのはあくまで二つの大領主の、相続戦争における土地の奪い合いと憎悪の押し付け合いについてのみ。
ビウモードは周辺各領に対して同盟、恭順、さもなくば戦いと支配をすることに躊躇はなく、
当代ビウモード伯爵においてもそのスタンスは変わっていない。
侵略は行われてはいないが、それは『今はまだ行っていない』だけだ。
──実際のところで言えば、当代ビウモードはそうした侵略を行うつもりはないのだが、
ある種の当事者である西方諸領圏のものたちからしてみれば安心などできはしない。
むしろ、嵐の前の静けさだと思うほかなかった。
(だが、もう退くことなどできぬ)
シメオンの頭に声が響く。
今このときにというわけではない。
ダルハプスとの協力関係を結んだ日から、精神を蝕まんと声が響き続けていた。
常に彼のアンデッドが囁きかけているわけではない。
知識の共有をエサに、与えた意識そのものに仕込まれた呪詛こそが声の元凶である。
しかし、シメオンは今まで狂うことなく、その声に屈さずに男爵同盟として徹してきた。
彼が自身で語る通り、ダルハプスが持つ多くの知識を同盟へと還元した。
ダルハプスの知識を掘れば掘るほどに声は強くなる。
それでも耐えていたシメオンの精神的障壁を崩したのは、身内の疑念であった。
(すっきりしたであろう。この解放感は病みつきのはずだ。
さあ、ここまできたのだから次へと進むしかない。
このダルハプスのもとへと参集せよ。解放せよ。その獣性を)
声が恐ろしい速度でシメオンの精神を歪めていく。
怜悧な思考も、冷静な性質も、強固に維持された精神の壁なくして保てるものではなかった。
それほどまでに彼はダルハプスの影響を受けていた。
「消えるかどうかの答えをわしは持ち合わせていない。
だが、それに抗うことが貴卿にはできる、そう言いたいのかね」
「私は私の限界を知っている。
できるものをこそ主に据えればよいのだ」
「それがダルハプスということか」
「いいや、違うとも。
完全な機構を作り上げ、そこに君臨するべきものは決まっているはずだ」
「前もっての発言を思えば貴卿こそが『それ』というわけではないのだろうな」
「仰る通りです」
その問答の中に入り込む影が一つあった。
「こりゃあどういうことです、旦那」
ガルフが駆け込んでくる。
外へと全速力で逃げ出してきた男爵同盟の人間やその部下たちを見て、逆走する形でこの部屋へとたどり着いたのだ。
本来であればメイドが忍び込んでいるのを隠したり、注意を反らせたりするために侵入地点の近くで待機しているべきではあったが、変事とあれば別である。
「ガルフ君。すまないな。
私の理想は穏やかな形で迎えることはできないようだ」
「そりゃあそうでしょうな。
ただ、身内から殺し始めるなんてのは予想の外だったんですがね」
私心なく動く機構を求めた男がやったこととは思えなかったが、
ガルフはすぐに考えを改めた。
(これが旦那の最後の人間らしさだったとしたなら)
彼は何かがきっかけで『機構』そのものになろうとしている。
きっかけの始まりを作ったのはガルフではあったものの、彼とてこうなるなど予想できるわけもない。
(旦那らしいものと喋るのもこれが最後かもしれないってことか)
「火をかけろぉーッ!」「盟主は怪物だった! 火だ! 火で殺すしかない!」
狂乱の声が邸の外から幾つも上がっている。
残された時間は長くはない。
問いたいことは一つや二つではなかった。
ダルハプスとの関係性も、機構を作り上げたあとに王として迎えようとしたものはなにものなのか、他にも彼に雇われる中で得た疑問はあった。
だが、次の言葉が最後であるなら、そのいずれもがどうでもいいとすら思えた。
「俺との依頼はこれで解消かい、旦那」
「ああ。これまでだ。
君に素晴らしき秩序の風景を見せる約束をしておきながら、共に歩めないことは残念に思うよ」
「そいつに関しちゃ俺もですよ。
旦那が描くバカでかい夢が果たされるのか、潰えるのかを見たかった」
「私の夢は潰えたとしても、全てではない。
果たされるものもあろうさ」
「それは」
「売り渡して得るべきだった代価を──」
夜の闇を砕くように炎の紅い光が外を照らしていた。
それは篝火ではない。
邸に放たれた炎であった。
「名残惜しいが、これまでのようだ。
さらばだ、最後の友よ」
シメオンは両脚を獣化させると恐るべき跳躍で窓を割り、外へと飛び出す。
「……行っちまいましたか。
悪党の俺にゃあ丁度いい、最期の職場にでもなると思っていたんですがね」
「彼は君に生き延びてほしそうでもあったが……今は脱出するべきだろう。
感傷的になって火の餌食になるのも馬鹿らしくはないかね」
「ええ、それは確かに」
二人は逃げ出し、しかしガルフは途中であのメイドのことを思い出す。
(あの目は誰も信頼していない人間のそれだ。
この状況も察して逃げ出しているだろうさ)




