41 後日談 嫉妬
指触りの良い真っ白な糸に針をかける。あみ針を操る熟練を迎えた手の動きは目で追うには速すぎて、けれど針を操るアイラには的確にとらえられていた。その手元を少年が興味深そうに覗き込む。
「昨日はこのくらいだったのにもうこんなにできたの?」
「急がないと間に合わないようなので頑張っているんですよ。」
手を止めたアイラはゴルシュタット家の嫡男であるサイラスに視線を向ける。手元にあるのはシェルベステルより贈られた最高級の糸だ。自分の為に用意してくれた心尽くしの品を拒絶できなくて受け取っていたが、国王より賜った品物を編んで売るわけにもいかず、今はこうしてアイラの手で自分自身の為に複雑な文様を織りなし編み進められている。
「母上よりもずっと上手だね。魔法みたいだしすごく綺麗。これをまとったら僕とも手をつないでくれる?」
「勿論ですサイラス様。光栄です。」
アイラは都に置かれたゴルシュタット邸に身を寄せ、ヴィルヘルム伯爵家に嫁ぐ準備に追われていた。サイラスが感心しながら編み終えた部分をアイラの黒髪にあてがっているそれは、アイラが結婚式で頭にまとうベールである。
アイラとベルトルドの結婚は予想に反し誰からも反対をされず、ベルトルドの父親であるリレゴ公爵と祖父であるヴィルヘルム伯爵はあっさり承諾し歓迎してくれている。ロックシールドという国境沿いの小さな貧しい領地しか持たない男爵家だが、後ろにはゴルシュタット侯爵、そしてイクサルド国王の覚えが目出度いとなれば許される身分差であったようだとアイラはほっとしていた。
しかしながら、リレゴ公爵家が男爵家の娘との婚姻を許したのにはそれらよりも重要な別の理由がある。アイラを逃せば後は嫌々ながら嫁いでくる良家の娘か、財産目当ての娘だけだとリレゴ公爵とヴィルヘルム伯爵は先を読んだのだ。ベルトルドはよくできた男ではあるが、一般人には少々理解されない思考の持ち主である。かつての婚約者は他の男の子供を身ごもるという不貞を犯してまでベルトルドとの婚姻を逃れたのだ。
確かにアイラの身分は低い。だが何よりもあのベルトルドが気に入っているので人柄的には間違いないだろうし、後ろにはゴルシュタットと国王が控えているのだ。家の格に差があってもリレゴ公爵家としては文句はなかった。なので冬が明けたら式を挙げるという、貴族としてはあまりにも短すぎる婚約期間に驚いたものの、アイラに思い直す期間を与えないという意味でもリレゴ公爵家はベルトルドの考えに同意し、女にとっては大事な婚約期間を楽しめないとの理由で渋るカリーネを説得してしまった。
そのため現在のアイラは結婚式の準備に追われているのだ。都に置かれたゴルシュタット邸に身を寄せ一月、花嫁衣裳は既に出来上がり届けられている。婚礼の費用は全てみるというベルトルドがカリーネの機嫌を取る意味でも、彼女御用達の仕立て屋に無理をさせ作らせた花嫁衣装はあまりにも豪華で出来が良かった。アイラが気後れする程の絢爛たる、けれどもカリーネが納得するけして派手すぎない素晴らしい品だ。カリーネが納得するならアイラに異論はなく、そのドレスに合わせて式で花嫁が頭にかぶるベールをアイラが作成中なのである。
レース編みにおいてアイラの腕はかなりのもので、他の人間に作らせるよりも素晴らしい出来になるだろう。自分で編むというアイラの気持ちをベルトルドも尊重してくれたのだが―――しかし。
「街に見世物がきている、一緒にいかないか。」
毎日のようにベルトルドがゴルシュタット邸にやって来てはアイラを外に連れ出そうとするのだ。散歩に遠乗り芸術鑑賞と、最初の内は快く付き合っていたのだが、連れ出されると日が暮れるまで連れまわされてしまう。体力には自信のあるアイラだが、結婚式で自分が身に着けるレース編みの完成が怪しくなってきたのを期に難色を示すようになった。遠慮なくはっきりと断りを入れれば無理矢理連れ出したりはしないのだが、カードゲームや盤遊びといった子供が好きそうな遊びの準備を始め、沢山でやった方が楽しいとサイラスを唆してアイラの手を止めさせるようなことまでやらかす始末だ。これは邪魔をしているとしか思えない。
「ごめんなさいベルトルド様。昨日も遊び過ぎたので今日は遠慮しておきます。このままでは式までに間に合いません。」
「何も無理をする必要はない、ベールはこちらで準備しよう。」
「でも立派な糸をいただいているのですから、ベールとして使わなければいったいどこで使うというんですか。」
恐れ多くもイクサルドの国王から頂いた品だ、生半可な作品は残せない。修道院に入っても手つかずで側に置いた糸をどのようにすればいいかと思案していた所で、ベルトルドと結婚するという事態に陥ってしまった。一生に一度の晴れ舞台、ここで使わなくていったいいつ使うというのか。アイラは邪魔をするなという意味を込めベルトルドを睨み付けると、「ふんっ」と鼻息荒く作業を再開した。そんなアイラをベルトルドは黙ったままじっと見下ろしている。
ベルトルドとてアイラの主張は正しいと解っていた。国王より頂戴した品を晴れの舞台で披露するという意味もだ。送り主はさぞや喜ぶだろうし、一国の主である国王に配下の貴族が敬意を払う意味でもまたとない機会。
だがしかしベールを自分で作成すると言い出したアイラに同意しながらも、糸の出所がシェルベステルであると知ったベルトルドは胸の中にもやもやした感情が湧き起った。これはそう、アイラが側にいないせいで起きた体の変調の始まりと同じである。そうと悟ったベルトルドは試しにアイラを外に連れ出してみて気付いたのだ。アイラを連れ出せば作業が中断し、それが続けばベールを他で代用する必要が出てくる。そうなるのを想像すると晴れやかな気持ちになるということに。
アイラに気持ちを寄せる男からの贈り物に集中し、大切に扱っているのにも不満があった。アイラがそうと知らなくてもシェルベステルの心はアイラへと向かっているのだ。シェルベステルの想いが通じることはないと解っていても何故かむかつくのである。
これは単なる嫉妬だ。そうと知らなければアイラの作業を邪魔などしなかったのに、最高級品である糸の出所がシェルベステルと知ってより邪魔するようになったベルトルドの心理は、ベルトルドも、対するアイラもまるで解っていない。
無言で立ち尽くすベルトルドの袖をサイラスが引っ張る。幾度も引き名を呼ぶが思考に集中しているベルトルドに声は届かない。
「ベルトルド殿、ベルトルド殿!」
サイラスが腕を引いてぶら下がってもベルトルドの体が揺れるだけで意識は明後日の方向だ。普段は無茶をしないお行儀が良いサイラスだが、心に抱いた欲求が勝ったのだろう。必死でベルトルドを現実へと引き戻そうとする。ベルトルドの周りをうろつきながら服を引っ張ったり飛びついたりしたものの、何の反応も見せないベルトルドの様子に荒くなった息を整えながらしばし考えたサイラスは、良いことを思い付いたとばかりに笑顔でアイラに駆け寄った。
「ねぇアイラ、僕も見世物に行きたい。一緒に連れて行ってよ。珍しいものを沢山みるのはいいことだよね?」
「サイラス様、それは―――」
子供特有の好奇心に満ちたキラキラした瞳がアイラを見上げる。しかしながらサイラスはゴルシュタット侯爵家の大切なたった一人の後継ぎなのだ。軽々しく街に連れ出して何かあれば取り返しがつかないと、申し訳なさそうに眉を下げたアイラであったが―――
「幼少期にその目で見て多くを学ぶのは私も賛成だ。サイラス、彼女が一緒に行くというなら連れて行ってあげるよ。」
「やった! アイラもいくよね。」
「あのっ、でもカリーネ様がお許しにはならないと―――」
「絶対大丈夫、ベルトルド殿が一緒なら母上も許してくれるよ。母上にお許しをいただいてくるっ!」
「あっ、ちょっとサイラス様っ?!」
街にでるのだから貴族らしく護衛を伴うのは当然だが、何よりも剣の腕前は王国上位を争うベルトルドがついているのである。カリーネも許してくれると大はしゃぎで走り去ったサイラスをアイラは唖然と見送った後で、キッとベルトルドを睨み付けた。
「ずるいですよベルトルド様っ!」
「彼の望みをかなえてやろうという気持ちはないのか。君がどうしても嫌だというなら私一人で連れて行ってやってもいいが?」
「そんなことができるわけないじゃないですか!」
勿論ベルトルドの腕前は信用しているが、それでも大切な大切なカリーネの一粒種に万一にも何かあってはいけない。常識が一般と異なるベルトルドにサイラスを預けるのは憚られ、そうなるとアイラが同行しないという選択肢は存在しなくなる。
「もうっ、期日までに出来上がらなかったらどうしてくれるつもりですか?」
「だからこちらで準備するといっている。君の意見は尊重するが、根を詰めてまで花嫁が無理をする必要はない。」
二人の結婚式の準備だ、それをどうしてベルトルドが邪魔するのかアイラにはまるで解らない。そしてベルトルドも自分が嫉妬をしているなんて気付きもせず、けれども彼女に想いを寄せる男から贈られた糸に情を込め、集中されることに苛立ちを覚えて彼女の手を止めたくてたまらなくなるのだ。大人気ないとか余裕がないとかいう考えなどまるで思いつかず、ただ芽生える感情のまま突き進むベルトルドの様子を、開け放たれたままになっている扉の向こうで笑いを押し殺したカリーネが面白そうに眺めていた。
カリーネ様、部屋の外でやり取りを盗み聞きしていました。サイラスは部屋を飛び出してすぐに静かにさせられています。




