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胸を枕に  作者: momo
本編
38/42

38 君が欲しいから




 膝をついたベルトルドを唖然と見下ろす。両手は取られたままで、暖かそうなコートの袖から覗く手首は筋張って骨が浮いていた。暖かい衣に包まれているも逃がすまいと握りしめる手はとても冷たくて、俯いたベルトルドからは床に向かって雫が零れ落ちていく。


 どこからどう見ても涙を零していた。状況がわからずアイラはどうしてという思いで無意識に身を落として膝をつく。アイラの涙は驚きに止まってしまっていた。


 「あの―――」

 「私は―――」


 同時に口を開いて言葉を止めた。アイラからは言葉がつなげられないでいると、ベルトルドがゆっくりと顔を上げ、濡れた頬はそのままに話を続ける。


 「私は君が欲しいと望むものを渡してはやれない。何故なら心が欲しいと言われても、君が望む心というものが理解できないからだ。愛を囁けと言われても偽りなら言葉に出来るが、君が欲しているのは真実の物なのだろう。私はそれが何なのか全く理解できない。解らないんだ。」


 望みの為に人を欺くことに迷いはない。それで手に入るなら死ぬまで一生嘘をつきとおすことなど容易いのだ。愛していると囁き信じ込ませるだけの演技だってできるのに、なのにどういう訳かアイラを前にするとそれが出来なくて馬鹿正直にそのまま口にしてしまう。


 「条件と望むものが食い違い君との縁は切れたと思っていた。陛下を眠りに誘った奇跡の原因はガウエン公爵を頼ればなんとかなるだろう。君は必要ない、手の届く資料だけで答えを見つければ済むことだと思っていたのだけどね。不思議なことに謎の解明などどうでもよくなってしまった。こんなことは初めてで今も驚いている。」


 抱いた疑問や欲求が解明半ばでついえるなどかつてない出来事だ。心底驚いたと語るベルトルドを前に、アイラは彼がいったい何を言いたいのかと、その真意が何なのかを見逃さぬよう注意深く耳を傾け観察する。


 「君にこうして見つめられると心がざわつく。」

 「えっ?!」


 思わぬ言葉に驚いて身を引こうとするも、捕らわれた腕は離してもらえず身動きが出来なかった。膝をついたのはアイラだが、逃れたくても自分の力では立てないように腕を取られただけで抑え込まれてしまっている。


 「解らないんだ、これが何なのか。四六時中君の事を考え脳裏に描き続けたせいだろうか。他のことがまるで手につかなくて、衣食住すらまともにできなくなってしまった。呪いなど信じないが、その信じぬ現象に悩まされているようにすら思えてしまう時がある。君がわたしを呪い殺すのではないかと。」

 「呪ったりなんかしていません!」


 呪いなんてベルトルドではなくアイラだって信じてはいない。ようは心の持ちようだ、人に疎まれていると思い呪われていると感じて悪いこと全てをそのせいにしてしまう。けして人が人の力で誰かを呪い殺すなんて出来ないのに。呪っていないと声を上げたアイラにベルトルドも呪いなど信じていないと同意する。


 「だが説明がつかない。君は私を捕らえ支配し続けているんだ。寝ても覚めても考えるのは君のことで、一年以上前に君がくれた菓子を握りしめ縋る我が身に寒気がよだつ。だがどうしてもやめられない。その菓子だけが君と私を繋ぐ唯一のものだと思うと、心が締め付けられ涙が零れる。君に会いたいと、こうして触れたいと切望してしまう。君のことを考えれば考えるほど眠れず、腹も空かずに無理矢理食べても吐き戻してしまうだけだ。」


 一年以上前の菓子と言われたアイラは都に呼ばれた当初、ベルトルドに伴われ街にでて買い物を楽しんだことを思い出した。確かお礼にと、断られるかもしれないと思いながら菓子の一つを渡したのを覚えている。あれは貴族が、まして公爵家に生まれ育ったようなベルトルドが手を付けるような品ではなかった。顔を顰め不快に感じたのかと思ったものの手にしてくれたのだ。


 そう、あれは一年以上も前の話だ。あれは菓子であって飾りや他の用途に使えるようなものではない。それをまさか今も手つかずで、捨てるでもなく持っているというのか。


 「食べなかったんですね。」

 「気付いた時には手の届かない物へと変わっていた。そう悟った瞬間、どういう訳か涙が零れたよ。」


 年を取ったせいだろうと見解を述べるベルトルドを前に違うだろうとアイラは首を振った。涙が零れたと恥ずかしげもなく口にしたベルトルドに対し、ここにきてようやく何かが変だとアイラの怒りも治まり別の物へと変化していく。目の前の男はこんな場所にまで来て何を言っているのか。取りあえずここで重要だと思われることを何とか絞り出した。


 「一応忠告しておきますけどそのお菓子、口にはしないで下さいね。お腹を壊すだけじゃ済まなくなると思います。」


 焼き菓子なので腐り悪臭を放ちはしないかもしれないが、間違いなくかびは生えているだろう。側に置いておくだけで黴の胞子が飛んで健康被害も出るかもしれない。


 「もしかしたら不調の原因はそれのせいなのでは―――本当にすぐに捨てて下さい。」


 眠れないのも吐き戻しも焼き菓子に生えた黴の胞子が飛び散ったのが原因かもしれない、だからすぐに捨てろと助言するアイラに今度はベルトルドの方が首を振った。


 「私と君を繋ぐ唯一の品を捨てろというのか?」


 冗談だろうと真顔で叱られたアイラだが、どういう訳かぶるりと身震いし一瞬で鳥肌が立つ。何かがおかしい、確実におかしい絶対におかしい。悪寒を感じて後ろへ膝をずらそうとするも捕らえるベルトルドは力をゆるめてくれる気配がない。


 「わたしが嫌だと言えばあきらめる、そうおっしゃったのは誰です?」


 とにかく手を放してもらいたくて抵抗を見せるもベルトルドが相手ではどうも無理なようだ。無駄な抵抗をやめ一息ついてから問うも、君がいなければ死ぬと繰り返すベルトルドにアイラは眉を吊り上げた。


 「何が死ぬですか、冗談はやめて下さい。わたしと結婚しなくてもベルトルド様は死にませんし、わたしがベルトルド様を殺せるわけがありません。」


 意味不明だと訴えれば対するベルトルドも意味不明だと漏らす。


 「私には己の欲求と同時にやらねばならないことがある。」


 それはリレゴ公爵家に生まれた者としての定めだ。嫡男である兄に万一があった際の予備として、もう一つは母方のヴィルヘルム伯爵家を継いで盛り立てていくという役目。


 「知っていますよ、何度も説明を受けました。ベルトルド様は自分がやりたいように生きる、そのためにヴィルヘルム伯爵家を任せられる妻が必要だと。」


 愛など何も存在しない完全な政略結婚だ。政略というには語弊があるかもしれない、アイラを望むのはベルトルド自身であってヴィルヘルム伯爵家ではないのだから。アイラはベルトルドのやりたいことを阻害しないために必要とされる犠牲のようなものだ。伯爵家を上手く経営し、子を生んで次代の伯爵に育てるという役目を与えられる。それだけしか望まれていないのだと痛いほど解っている、理解している。幾度も言われたのだから。けれどそれは男子禁制の修道院にまでやって来て押し付けて良い事柄なのか。誰もが違うというに決まっている。こんな事をするのは変人と噂されるベルトルドだけだ。


 「わたしの欲しいものは下さらないのに自分の欲求だけは突きつけるなんて、格下の男爵家が相手だとしてもずるいとは思いませんか?」


 公爵家からすれば当然許される行為だがそれでも言葉にした。やっとここまで逃げてきたのに追ってくるなんて。神の領域である修道院で妻問いまでしてのけ、アイラが自分を殺すとのたまう。いったい何なんだこの男はと、こんな男を好きな自分自身にも腹が立ってならなかった。


 「そうだな、私はずるい。だが君の欲しいものが何なのか、心が欲しいと言われても本当に理解できないんだ。だが一つだけ、これだけは解る。」

 「なんですか?」

 「君が欲しい。」

 「ベルトルド様―――」


 止まっていた涙が悔しくて再び湧き出しそうになった。が、次にベルトルドから発せられた言葉により瞬く間に引っ込んでしまう。


 「君を得られるのなら爵位も、騎士の位も何もかもを捨ててもかまわない。ただ一人、君だけが欲しい。欲しくて欲しくてたまらないんだ。」


 「え?」と、言葉は捕らえるも意味が正確に理解できなくて、同時に恐ろしくて眉を寄せる。しばらく互いが互いを強く睨むように見つめ合った後で、ベルトルドが吐き出すように漏らした。


 「一生をかけ証明すると決めていた騎士の位は返上した。」

 「返上って―――え?」

 「騎士は辞めたということだ。」


 ベルトルドの告白にアイラは言葉をなくしぽかんと口を開いてしまう。意味が解らない。だってそれは、騎士という職業は一生の物と、騎士を続けるためにアイラが必要ではなかったのかと言いたくても喉が詰まって声が出て来ないのだ。


 「君が厭うならヴィルヘルム伯爵家も継がない。君だけがいればいい。許されないなら国を出て追っ手の届かない場所で暮らそう。大丈夫だ、腕に自信はある。君に傷一つつけさせはしない。」


 傷一つ……大丈夫とはいったい何が大丈夫なのか。まさか追ってきた人間の命を奪うという意味ではないだろうなと、不穏な空気にアイラの全身から血の気が引いた。


 「ベルトルド様!」

 「どうか―――」

 「ちょっと待ってください!」


 アイラは声を上げベルトルドの言葉を遮る。


 「ちょと待って下さいベルトルド様、騎士を辞めたってどういうことですか。騎士職に拘るからこその求婚だったのではないのですか?」


 それがどうしてと、まさか本気で言っているのかと唖然とするアイラの腕を解放したベルトルドだが、すぐに肩を掴んでアイラの瞳をじっと覗き込み真実だと答えた。


 「嘘だわ、そんなこと―――そうまでして何が知りたいの。秘密なんて何もないのに……」

 「今の私にとって陛下を眠らせる謎などどうでもいいし、騎士としての経歴や未来など無用なものだ。私が望むものはただ一つ、君だけだ。君がいなくなってから何一つ手につかずまともではいられなくなってしまった。全てに対して無気力で君だけを欲しいと望んでしまう。ならどうすれば君を手に入れられるかと考えた。君は心からの愛を望むが、だが私はそれを与えてやれない。何故ならその愛とやらが何なのかわからないからだ。」


 愛などといった見えない物を証明することほど困難な物はない。言葉で尽くしてもそれが真実とは限らないからだ。損得なしの愛情で結ばれる男女のどれほどが真実の言葉を吐いているのか。怪しいものだとベルトルドは疑う。


 「だから君を得るために何をどうすればよいのか考えた。そうすると幼少期より望み続けた本物の騎士になる証明や、祖父から受け継ぐ爵位が邪魔なのだと解った。私が君だけを望んでいると証明するためにそれらは邪魔だ、だから騎士の職を辞した。これで私は祖父の領地に滞在し四六時中君と共にいられる。」


 常に一緒にいることでアイラが夫婦として望む生活を送れるだろうと考えたのだ。騎士を辞めることで祖父から受け継ぐヴィルヘルム伯爵家の経営も、アイラに押し付けるのではなくベルトルド自身がやって行くつもりだ。ベルトルドには伯爵家を継ぐ責任がある。だがそれもアイラが望まないならごみのようなものと思うようになってしまった。


 「君がヴィルヘルム伯爵家に嫁ぐのは身が重いというのなら爵位を放棄する準備がある。少しばかり時間が必要だが、手続きは私がこの国に居なくてはならないわけではない。私は君と一緒に居られるならどこでだって暮らせるし、そうなると君が貴族らしからぬ生活を送ってくれていたことはこの日の為であったようにも思えるな。」


 勿論ベルトルドも貴族らしい生活しか出来ないわけではない。騎士として底辺からやって来た経験は市井にでても十分通じるだろう。


 「そんな―――じゃあわたしの為に騎士を辞めたというのですか?」

 「君の為ではなく私の為だ。そうしなければ君を手に入れることが出来ないと分かった。」

 「どうして―――」

 「君が欲しいからだ。」

 「だって―――でも、ベルトルド様。あなたはわたしを好きではないのでしょう?」

 「好きではないわけではない、好ましく感じている。だが君が望む愛とかいう感情が自分にあるのかはわからない。恐らく私はその辺りの感情が欠落しているのだろう。」

 

 嘘でもいいから言葉が欲しいと思った。だがいくら望んでもベルトルドからは愛の言葉が発せられることはないだろう。これだけの告白をしながら愛があるかわからないというベルトルドを前に、それでもアイラは胸をいっぱいにして涙が溢れてきてしまった。


 「あなたは―――ベルトルド様は嘘をつかないのですね。」


 それはどうしてと涙を零しながら問えば、ベルトルドの指が伸びて頬に伝う涙をすくう。


 「君を頷かせるために演技しろというならできるだろう。だがやりたくないし、これまでもやれなかった。初めから失敗していたのだな。自分でもどうして君がいなければ死んでしまうのか、その理由が解らない。だがゴルシュタット夫人に言われたとおり君と他の男がむつみ合うのを想像するととても辛くなる。君を想うと胸が詰まって息ができなくなるんだ。何故そのような現象に陥るのか医者にかかっても判明しなかった。そして悟ったよ、私は君がいなければ死んでしまうのだと。」


 生きることに大きな執着があるわけではない。興味がある事柄を置き去りに死んでしまうのは悔しいと感じるがそれまでだ。けれどアイラに出会い、知ってからは側にいたいと思うようになる。神の花嫁となるために修道院に入ったアイラだが、神が彼女の体に触れるわけではない。それでもだ、ベルトルドは居もしない神にまで嫉妬するようになってしまった。何の苦労もなく神がアイラの信仰を、心を手に入れられると想像したら悔しくて羨ましくて、そして悲しかったのだ。それでもベルトルドは人を愛するということが理解できない。そう告げるベルトルドにアイラは泣きながら苦く笑う。


 「弟に言われたことがあります、その答えが解らないのです。だからベルトルド様が考えてくれませんか?」

 

 何だろうかとベルトルドは視線で促し、その間もアイラから流れ落ちる涙を指先ですくい絡めていた。


 「ベルトルド様は陛下の病が、不眠が癒えると信じていましたか?」

 「それは私の専門でも興味の対象でもない。癒えるか癒えないかなど考えもしなかった。」

 「ベルトルド様が最初に求婚してきたとき、陛下の病は続いていました。もしあの時わたしと結婚して、陛下の病が癒えなければわたしは不寝番のままです。それがいつまでも続くのだとしたら騎士職や領地はどうなさるつもりだったのですか?」

 「それは―――」


 答えかけたベルトルドの動きが止まる。問われて初めて気付いたとでもいうのか、碧眼は見開かれ驚きアイラを凝視していた。


 「それを―――リゲル殿が?」

 「矛盾していると。」


 騎士を続けるために祖父から受け継ぐ領地を経営できる女性が欲しいと並べたベルトルドの言葉だが、その場合はシェルベステルの病が癒えアイラなしで眠れるようになっているのが条件だったのだ。何もかもを計算して求婚したのはベルトルド自身だが、ここで初めて気付いたといった表情を前にアイラはじっと答えを待つ。


 「確かに矛盾している。陛下の病が癒えなかった場合、私が得られる権利は君との同衾だけだ。その後いったいどうするつもりだったのだろう―――」


 考え込んだベルトルドだったが体がぐらりと揺れ傾く。何がどうなったのだろう、話の途中で倒れ込んできたベルトルドを正面にいたアイラが受け止める形となった。


 「えっ、あの、ちょっと?!」


 だが当然支えきれずにアイラはベルトルド共々後ろに倒れ込む。受け止めたベルトルドは見た目以上に痩せてしまっておりはっとしたのも束の間、後ろに倒れ込んだアイラの頭上に見える聖堂の扉がきしみながら音を立て開かれた。


 「……。」

 「修道院長様。」

 

 聖堂の中が暗いせいで背中に光を受けた修道院長が、ベルトルドを胸に受け止め倒れ込むアイラを無表情で見下ろす。状況を把握した修道院長のこめかみがピクリと動いたのは少しばかり時間が過ぎてからであった。 


 

 



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