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胸を枕に  作者: momo
本編
36/42

36 彼女がいなければ



 冬に入る前、ベルトルドはエドヴィンとすれ違い様に引き留められた。


 「彼女が修道へ身を寄せた。これから陛下にご報告に向かうところだ。」


 頭を鈍器で殴られた感覚がベルトルドを襲うが平静を保ち、エドヴィンの薄い青の瞳に己のそれを重ねた後にすっと視線を外して瞼を下げる。


 「そうですか。彼女の望みが叶い喜ばしいことです。」

 「本当にそう思っているのか?」


 何を思っての言葉だろう。正直喜ばしいとは言えないが門を潜ってしまったのなら手出しができない。すでに彼女は神の花嫁だ。金を使って無理矢理引きずり戻すことは可能だがそのような権利も資格もない。ベルトルドは黙礼するとその場を離れた。


 向かった先は目的の場所ではなく与えられた部屋だ。仕事を放り出し舞い戻った自室で手にしたのは潰れた菓子袋。中の焼き菓子は一年以上放置されとっくに食べられなくなってしまっているが、どうしても捨てることができない物へと変わっていた。悲しいことにベルトルドとアイラを繋ぐものはこれしかない。


 「君はいったいなんなのだ、私を苦しめるのは何故だ?」

 

 この頃のベルトルドは自分がおかしいと認識できるまでになっていた。何がおかしいのか。求婚するまでに至りはしたが、アイラはただ単に条件が合うだけの存在であったはず。シェルベステルを何かしらの力で眠らせたせいでベルトルドの興味を引きはしたが、謎の解明は進まず、しかも近頃はその謎を解明したいという気力すらなくなっていた。志し半ばであきらめた経験などないのにいったいどうしてしまったのか。しかもいつまでたってもアイラの姿が頭から離れず、こんな品物すら捨てきれない。


 求婚には応えられないと、色を失った唇から発せられた言葉は今もベルトルドの胸を抉り続けていた。仕事に精を出すも夜が来ても眠れない、食欲がなく物が喉を通らない。それでも騎士として何とか仕事をこなしているのは極限に追い込まれても対応できるだけの体を作ってきたからだ。けれどそれも限界に近いように思われる。このような現象がなぜ起きるのかベルトルドには解っていた、不調の原因の何もかもがアイラに繋がるのだと。


 けれど何故アイラが不調の原因になるのか、それだけが全くわからない。時折ロックシールドまで駆け奪い取ってしまいたい衝動にかられるも、顔を合わせた途端に拒絶されるのを想像して息ができなくなるのだ。窒息の呪いでもにかかっているのかと本気で思ってしまうほど、ベルトルドの精神状態はおかしなことになってしまっていた。 


 「ゴルシュタット夫人が許すとは。またも私の読みが外れた。」


 カリーネはアイラをとても気に入っている。だからアイラが修道院行きを強く望んでもカリーネが必ず阻止すると思っていたのに。目を見ればエドヴィンが嘘を言っているわけではないのが解るだけに、聞いた瞬間に強い衝撃を受け今も体が重く息をするのすら辛かった。


 軍には規律がある。勝手な都合で乱してはならないし、乱せばベルトルドの将来に関わった。公爵家の出身だからとの言葉だけは聞きたくないと仕事に戻ろうとするも、体が言うことをきかず寝台に寝転んでしまう。そんなベルトルドの姿が見えず心配した同僚が部屋までやってくる。全てにおいて報告を欠かしたことがないベルトルドが姿を見せないのは何かあると異変を感じてのことだが、寝転ぶ様子を認め声をかけるも返事はない。これまで隙のなかったベルトルドがおかしい、もともとおかしかったが更におかしいと噂になっていたので恐る恐る近づき揺すれば目を開けるがすぐに閉じてしまった。そのまま意識を失ったベルトルドは精神虚弱と診断されリレゴ公爵家に戻されることとなる。


 声をかけても返事がない、連れ出すのも腕を引けば素直に従う。もともと変な子だったが何もかもを突き詰める性格で行動力は優れていたのだ。それがまるで人形のようになり、父親であるリレゴ公爵は高名な医師を呼び寄せ診断を仰ぐも原因は解らず回復の兆しは見せない。食事もとれず無理矢理口に押し込んでようやくといった感じで、このままでは命が危ないと心配される中、領地を出て見舞いに訪れた祖父であるヴィルヘルム伯爵があることに気付いた。


 「これは何か考え事をしているのではないか?」


 考え事をするにしては長すぎる。けれどもしそうなら呼びかけ揺すろうとこちらの世界へは戻ってこないのだ。こうなると呼び戻す方法はなく、けれど確かめる術はあるとヴィルヘルム伯爵は、側にあったペンを握りしめると、それをベルトルドの額めがけて振り下ろした。


 「何をなさるのですか。」


 ヴィルヘルム伯爵がベルトルドの額に突き刺そうとしたペンは、ベルトルド自身の腕で払われ床に転がる。ようやく反応を見せた姿に父公爵と母親は息をのみ、祖父は「ほらみろ」と公爵と娘である夫人に笑って見せた。


 「随分と長く考え込んでいたようだが、今度は何に興味を引かれているのだ?」


 老いた祖父が孫に向かって興味深そうに笑みをむける。公爵家に連れ戻されて一月、これまでの記録を優に超えた最高記録だ、いったい何に興味を示したと、変わり者の孫に祖父も興味津々だ。


 「年寄りは田舎に引っ込んでいる時期では?」

 「お前が茫然自失となり命が危ういと聞いたのでな。」

 「私がですか、冗談を。」

 「そうだな。だが飲み食いすら忘れるほど考え込むお前も悪いのだぞ。ちゃんと周囲が見えておったならそうはならんだろう。」


 心配そうに見下ろす父公爵と母の姿と状況に、反応を示さずとも見ていたことなら全て記憶から手繰り寄せられるベルトルドは、状況を察しばつが悪そうに顔を顰めると両親に謝罪した。


 「それでベルトルド、お前は何に興味を引かれているのだ?」

 「天使にですよ。」


 同じ質問を繰り返す祖父を前にベルトルドは、自分がたった今叩き落としたペンを拾うと机に向かい紙を広げる。


 「天使とは―――あの天使か?」


 また訳が解らないことを言い出したと公爵と婦人が複雑な表情を浮かべる。


 「他に何があるというのです。私は天使を手に入れる。全てを捨て去っても必ず手に入れると決めたのですから、どうか邪魔だけはしないで下さい。」


 言うなりベルトルドは、父と母、そして祖父の目の前で騎士団長宛に文書をしたためる。その内容は両親だけではなく、駆け付けた祖父までも驚かせるものであった。



 生きる糧を忘れるほど考え込んだのは、求婚を断り修道院に身を寄せる娘のこと。王の不眠が原因で呼び寄せられ出会った田舎貴族の娘。国境沿いの小さな領地で平民と大差ない生活を苦にも感じず楽しんでいた土臭い田舎娘は、不眠に苦しむ王の病を見事に回復させ、彼女自身の魅力をも周囲に曝した。


 その魅力に惹かれ、捕らわれたのがベルトルドだ。抗ってもどうしようもない、捕らわれた原因が何なのか突き詰めるのには離れていてはどうしようもなかった。あれほど知りたかった人を眠りに誘う力の解明などどうでもいい。今のベルトルドは単純だ、ただアイラが欲しい。


 これはもう考えても無駄な事柄だった。シェルベステルを眠りに誘った方法が何なのかと考えても答えは出ず、何をどう考え廻らせてもアイラの姿が脳裏に浮かぶだけなのだ。排除しようにもしきれない。何かが変わればとカリーネの助言通りにアイラが王に抱かれる姿を想像して、想像しようとした途端に胸が締め付けられ鼓動が止まるのではないかという現象にさいなまれる。見えるものが全てではないのはベルトルドも承知しているが、何が全てなのかわからない。アイラに関わることはとにかく解らないことばかりで苦しい、苦しくてならないのだ。この苦しみの先に何があるのかと考え出した結論。苦境の先には何もない、それならどうしてこのようなことになるのかと考えれば必ずアイラへと行きついてしまう。では何故アイラへと行き着くのだろうかと考えてもはっきした答えが出る訳ではない。けれど唯一解るのはアイラが欲しいというただ一つだけだった。


 彼女を手に入れる為なら、ベルトルド自らを曝しこれまで目指していた事柄から手を引いても惜しくはない。何をどうするべきなのか、彼女を手に入れるための全てを考えて得た結論。アイラはベルトルドの心が得られないからと求婚を退けたが、ベルトルドは今もアイラが望む心というものが何なのかわからなかった。解らないが前のように引けるわけではない。欲求やら何もかもをかなぐり捨てても会いたくて、一目でいいので会って話をして、そして許しが得られるなら手に入れてしまいたい。それが今現在ベルトルドが究極なまでに抱く欲求であった。


 「冗談じゃないぞ?!」

 「申し訳ありません。」


 騎士団長の罵声も心地よい。公爵家の子息でありながら底辺から頑張ってきたのに何故だと、ベルトルドをかっていた騎士団長は唾を飛ばす。けれどベルトルドの話に、彼の性格を熟知する騎士団長は『哀れな』と言葉を残して出された書類を受け取った。


 『哀れ』との言葉はベルトルドに向けられたものではない。ベルトルドに執着された女性に向けての言葉だ。


 本物の騎士になるにはどうしたらよいのか。無駄に恵まれ過ぎた公爵家に生まれたばかりに抱いた疑問。苦労せずになれるという職業に裸で飛び込んで現在の場所にまで上り詰めた。目的は半ば、性にもあっている。一生の職業と自らの力で上り詰めることを目指したが、欲しいもの(アイラ)を得る為なら捨てても惜しくはない。


 騎士団長に辞職願を提出し、その足で目指した先はエドヴィンの執務室だ。ついに本当に頭がおかしくなったと噂されるベルトルドが押し入る勢いで宰相執務室に入り周囲を圧倒する。補佐する役人たちは驚き書類を手に目を見開いて、部屋の主であるエドヴィンも大して変わらぬ様子だった。


 「体調はもういいのか?」

 「閣下に話があります。」


 本格的に頭がおかしくなったというのは信じていなかったが病であったのは真実なようだ。すっかり痩せてしまったベルトルドの様子にエドヴィンは痛ましさを覚えるも、真っ直ぐに向けられる眼光は鋭く迷いがない強いもので。了承して部屋を移した先でベルトルドは単刀直入に切り出した。


 「アイラ嬢に求婚する許しをいただきに参りました。彼女の了承が得られるならというのは今もまだ有効でしょうか。」

 「彼女が了承するとは思えないが。それに既に手遅れだ、彼女は神の花嫁となったのだからな。」

 「有効かどうか、それだけを求めております。」


 真っ直ぐに強く見据えられたエドヴィンはベルトルドの真意を探ろうとする。あきらめたのではなかったのかとの思いもあるが、一般的な常識のない男が相手なだけに真の目的はなんだと見逃さないように注意深く観察した。既に一度失敗してアイラを傷つけているので余計に気が抜けない。


 「陛下が彼女を求めていると言ったら引くか?」


 シェルベステルがアイラを望む気持ちに変わりはないが、父を廃し兄の処刑を命じた重荷を背負うシェルベステルは一人の女性に固執し、政を乱すのを良しとしない。アイラの心がシェルベステルに向いているならまた違った結果になっていただろうがそうではないのだ。けしてシェルベステルがアイラを求めているわけではないが、エドヴィンは試すようにベルトルドの心の動きを探る。


 「二度と不寝番にはつかせません。」


 迷いなく発せられた言葉だが、それはベルトルドにこれからの道筋が出来上がっているからだろう。不寝番につかせないという意味はどのように取ればよいのか。エドヴィンは表情を消したまま低く、けれどしっかりと告げる。


 「それを決めるのは君ではない。最優先はイクサルド国王たる陛下だ。」

 「それでもです。」


 国王であるシェルベステルが望んでもアイラを不寝番にはつかせない。堂々と言い切るベルトルドにそれは無理だとエドヴィンは現実を突きつけた。


 「ベルトルド、君は国王陛下に忠誠を誓った騎士だ。」


 ベルトルドが騎士になった経緯を知っている。己だけの力で努力し、認められ、天職とさらなる高みへと上り詰めているのだ。目的は半ばで果たされていないし、騎士というだけではなくイクサルドに生まれた人間として国王に絶対的な忠誠を誓うのは当然なのだ。とくに高位貴族に生まれた者が王に盾突けば血を流す争いに発展しかねない。だが次にベルトルドが発した言葉にエドヴィンは驚かされ言葉を失った。


 「騎士の称号は返上させて頂きました。今の私はただのベルトルド=リレゴです。」


 それはベルトルドに限って有り得ない事柄だった。

 幼少期に良家の子息は努力なしに騎士の称号を得られると教えられ、実力も伴わない偽物の騎士となれる不条理に気付き覆した。公爵家の人間が底辺から這い上がってきているのだ、嫉妬や逸脱した嫌がらせがある中においては並大抵の努力ではない。人並み以上の努力で得た騎士職。それを返上したというのだ、驚かないわけがなかった。


 「何時?!」

 「先ほど騎士団長により了承されました。」


 騎士の称号を返上したとて国王に従わなくて良いわけではない。当然ベルトルドはそれを理解している。けれど全ての優先順位を考えると捨てることに何の迷いもなかったのだ。ベルトルドに決断をさせたのはアイラであり、恐ろしい女性だとベルトルド自身が感じるもその恐れが心地よくまるで警戒はない。


 「冗談ではないのか?」


 唖然としたエドヴィンが言葉を絞り出すも目の前のベルトルドはやつれているものの、特に普段と変わらない雰囲気でエドヴィンと向き合っていた。


 「私は冗談など口にする人間ではありません。」


 本気ですと告げるベルトルドを前にエドヴィンは、自分を落ちつけようと息を吐き出すと小さく首を振った。


 「彼女を得るために騎士の職を辞する必要があったというのか。」


 正直、実力と身分を備え持つ騎士を失うのはとても残念なことだった。本来なら国王を側で守る存在として極めて側で仕えることができるのに、身分を理由に選ばれたくないと拒絶するような男だ。騎士としては貴重な存在を失うことになる。それをあっさりと手放した騎士団長に腹が立たないわけではないが、それは筋違いというものだろう。己の意思で去って行くベルトルドを引き留めるのはエドヴィンであっても容易くはない。


 「アイラをどうするつもりだ。」

 

 問うエドヴィンにベルトルドは迷いなく答えた。


 「妻にします。彼女がいなければ私は生きてはいけないようなので。」


 甘くも、涙を誘う訳でもない。普段と変わらぬ表情で告げられた言葉。けれど碧い瞳は真剣で強い光を宿していた。




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