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胸を枕に  作者: momo
本編
35/42

35 腕を切る




 姉を神の花嫁なんかにしてなるものかと、リゲルはカリーネに手紙をしたためた。自分が訴えても修道院に飛び込まれては終わりなので、カリーネに止めてもらおうと思ったのだ。ロックシールドの当主はリゲルだが、現実に運営をしているのはアイラである。リゲルがアイラに勝るのは狩りや体力的な面だけなので逆らっても大した効力はない。その点カリーネの言葉ならアイラは逆らわないので頼みの綱と縋ったのだが、返ってきた返事は『アイラのしたいように』という事柄でリゲルの望むものではなかった。それでもアイラが入る修道院はカリーネが決めているし、アイラの幸せを心から願っているので任せておくようにと記されている手紙の内容からリゲルも口を噤む。カリーネがアイラを溺愛しているのはリゲルも知っていたし、きっと悪いようにはしないだろう。そう信じて日々が過ぎた。


 ロックシールドにやってきたセシルは早々に馴染んでアイラと共に楽しく過ごしている。セシルについてきた伯母のナターシャは、アイラが戻っているなら問題ないと一泊するだけで帰ってしまった。再び結婚式にはセシルの両親とやってくる予定だが、その日が姉との別れになるかもしれないとリゲルは落ち着かない。姉との見解は異なるがベルトルドを信じて手紙を出し、姉への想いを確かめてみようと思い詰める日も少なくなかった。


 一方イクサルドの王城では、ベルトルドが変わらぬ日常を過ごしていた。


 アイラに結婚を断られた事実をようやく理解してからは、女々しくもどうにかならないかと足掻くことはない。求婚者にふられたからとてなんだというのだ、互いに条件が合わなかっただけだと理解するも、心にぽっかりと穴が開いてしまったような感覚が常にベルトルドを襲う。


 「もしかして病だろうか?」


 胸に空洞がある感じがするのに時折その胸が抉られるように感じられもした。病を疑い医者にかかるも特に悪い場所は見受けられない、疲れているのだろうと的が外れた診断が下される。疲れてなどいないと思うも医者に言ったとて診断にけちをつけたと取られるだけだ。礼を述べ仕事に戻り、暇を見つけいくつかの医者を頼るも診断は変わらず疲労に終わる。そのうちベルトルドは疲れの一つと判断して医者通いをやめ、その暇をガウエン公爵家を訪ねるのに充てた。見目麗しい孫娘のプリシラに会いに行くわけではなく天使についての資料を熟読するためにだ。アイラに手が届かなくなってしまった現在、シェルベステルにもたらした眠りの真相を解明するには、シリウス=ガウエンが所有する黒い天使についての資料だけが頼りだからである。


 「彼女の存在は希少なのか―――」


 本日の資料はガウエン公爵が所有するロックシールド男爵家の家系図だ。黒い天使と称されるティアナ=レドロークとその伴侶となった当時の英雄ザックス=ロブハートを初めとした家系だが、二人はロックシールドに根付いたわけではなく各地を転々としていたようで、現在のロックシールドに居を構えたのは二人の間に生まれた男子が最初であった。


 天使と英雄、二人の間に生まれたのはその男子一人で、以降ロックシールドの地に生まれ出る子供たちも一人ないし二人、そのどちらも男子である。しかも枝分かれした傍系は続かず途絶えてばかり。家系図を信じるならロックシールドに女子が生まれたのはアイラが初めてであった。


 「公爵がこれを見過ごしたのは何故だ?」


 天使取集家であるガウエン公爵にとって、天使の末裔とされるアイラを妻に迎えたい。そのような心の動きが成されても不思議ではないというのに、接触した過去も、政変でロックシールドが危機に瀕した時にも手を差し伸べることなく静観していた様子でベルトルドはそこに違和感を覚える。


 「人の目を欺くために用意されている偽物というわけでは―――」

 「そんな訳があるものか。我が公爵家が収集した品と情報は全て真実であると自信をもって公言できる。」


 天使について語るのが楽しくて仕方がないらしい公爵が口を挿み、ベルトルドは目の前の公爵をじっと観察した。


 「確かに貴方では年が離れすぎていますね。」

 「何の話だ?」

 「彼女を、ロックシールドに唯一生まれた女性であるアイラ嬢を何故ガウエン公爵家に引き込まなかったかという問題です。」

 「―――成程、そう来たか。」


 公爵からすっと表情が消え碧い瞳が壁に掛けられた肖像画へと向かう。天使を見つけたという当時の当主ラシードの美貌がこれでもかと表現された姿があり二人を見下ろしていた。


 「彼が禁じたとでも?」

 「いいや、そうではないがね。」


 アイラは二十の年齢になっている。成人してかなり経つが、目の前にいるガウエン公爵は既に六十を超えていた。伴侶は先立ち現在は独身であるが、アイラを妻に迎えるには少々どころかかなり年齢的に離れており、ロックシールドが田舎貴族であってもその若い娘を妻に迎えるには世間から非難を浴びるだろう。だが彼には次のガウエン公爵となる息子がおり、プリシラの兄も存在するのだ。息子が駄目なら孫でもいいではないか。息子もその後を継ぐ孫もガウエン公爵同様に天使狂いで、現在は二人して天使が巡った巡礼地を自らの足で同様にまわっているのだという。何と奇特なと褒めてやるべきなのだろうが、天使の痕跡をめぐるという考えがベルトルドには全く理解できないので褒めるのはやめておいた。


 「天使には興味があってもアイラ嬢には興味がない?」

 「彼女は魅力的であろう、何しろ君が求婚する程なのだからまさに天使の力だ。」


 忌々しそうに吐き出された言葉をベルトルドは心の内で復唱しながら考える。アイラを魅力的と唱える公爵を立ち止まらせるものは何なのだろうと。もしかしたらそこに答えがあるのではと探っていると、ベルトルドの視線を払うように公爵が首を振った。


 「当時の王弟エイドリックを暗殺しようとした罪で拷問を受けた記録があっただろう。その拷問を執行したのが当時の公爵であるラシードだ。」


 天使を拷問した過去があるというのにどの面さげての求婚だと、公爵はそれはそれは辛そうに拳を握りしめていた。が、ベルトルドはその考えが理解できない。


 「天使の拷問が真実だったとしても、当代がそれを行ったのではない。それに二人が交わした手紙の内容からすると良好な関係を築いていたように窺える。特に問題ないのでは?」

 「神の御使いに手をあげたのだ、末代まで呪われても当然だろう。」

 「呪いなど存在しませんよ。」

 「―――君のように考えられたらどれほど楽であろうか。」


 何が問題なのか。確かにガウエン公爵が所有する資料には当時の公爵であるラシード自らが天使を拷問したとある。体を傷つけたのか精神に作用する拷問を仕掛けたのかは不明だが、肉体を傷つけられても首をはねない限り死なないのだから痛みも感じないのかもしれないではないか。勿論ベルトルドはそのような世迷言を信じてはいない。けれど幾代も昔の先祖がしでかした出来事を、まるで目の前で見てしまったかのように顔を顰め落ち込んでいる公爵の心理とはいかなるものなのか。天使が使用したとされる文字の不思議はあるものの、天から人が舞い降りてくるなど錯覚以外には考えられないと、ベルトルドは心の底から神の使いという存在を否定していた。


 「ご先祖がしでかしたことが原因でロックシールドに顔向けができないと?」

 「当然だ。君のように軽々しく天使の末裔に求婚など、夢の中にあってもできようはずがない。」


 馬鹿じゃないのかと、変わり者の老人を前に心の中で呟く。何が天使だ、そんな言葉に惑わされて己を厳しく罰しているつもりになっているのも理解できない。事をしでかしたのは遥か昔の当主であって彼ではないのだ。親の罪を何も知らなかった子に償わせるとは何事かとすら感じるも、己を正し悦に入る様子も窺えますます解らなくなる。天使信仰者の変人などを理解しようとする自分が愚かなのかもしれないと、ベルトルドは手元の資料に視線を戻した。


 「天使は貴方達を恨んではいない。」


 呟いた後で顔を上げると公爵が目頭を押さえていた。どうやら歳をとると涙もろくなるというのは事実らしい。もしかしたら先日ベルトルドの目から流れた涙も年齢を重ねたせいなのだろうか。成程そうかと一人納得したベルトルドだが、不意に浮かんでしまった面影がちらつき離れず、掻き毟りたくなるような衝動が胸の奥から湧き起ってしまう。


 いったいどうしてしまったのか。呪いという言葉がちらつくも馬鹿げていると首を振る。けれどこの何とも言えない不快な症状はアイラという存在を想い描くと必ず起こりベルトルドを苦しめるのだ。もしかしたらアイラは本当に神に繋がる解明できない力を有しているのではないかとほんの一瞬疑うも、そんな訳があるかと馬鹿げた思考を遮断し息を吐き出した。

 

 「どうかしている―――」


 一瞬でも馬鹿げた考えが脳裏をかすめるとは。肉体的な不調の原因もわからない状態から逃げるようにガウエン公爵の屋敷で時間を潰しているのだ。いったいどうしたことだとベルトルドは家系図に記されたアイラの名を指先で辿る。そもそもここに来るのは謎の解明の為なのに、いつの間にか不調を誤魔化すのが最大の目的のようになってしまっているのだ。かつてない異変にベルトルドは戸惑う。こうして謎の解明を進めるも以前のような情熱はなく、最後には決まってアイラの姿を想い描いてしまうのだ。いったい何故なのか、自分自身のことなのに解明されない状況に苛立ち恐れを抱いた。

 

 ベルトルドの状態がどうあれ時は過ぎるものだ。春になり、それが過ぎるとやがてアイラと出会った季節が廻って来る。夏の盛りとなり青空を見上げ額に滲んだ汗を拭っていると後ろから声をかけられた。  


 「ベルトルド殿!」

 

 振り返ると近衛姿の男が眉を寄せ怪訝そうにベルトルドを睨んでいる。


 「どうかしたか?」

 「どうかしているのは貴方ですよベルトルド殿。」


 一時期、共にアイラの護衛を務めたグイン=カリエステがベルトルドの左腕を指し示す。釣られるように視線を向けると赤い液体が腕を伝って茶色の地面に滴り落ちていた。


 「医務室はあちらです。」


 いったいどこに行こうとしているのかと問われ、向かおうとしていた場所には鍛錬場の裏手でその先には城を取り囲む石造りの壁しかないのをベルトルドは思い出した。


 訓練中に怪我をして医務室に向かっていたはずなのに、実際にはまるで異なる場所を彷徨っていた。自分がどうしてこんな場所にいるのか解らないと、どうしてしまったのかと思うも、別にどうでもいいと滴る血をじっと見つめ続ける。すると怒った表情でグインが手拭いを取り出しベルトルドの傷ついた腕をきつく縛りつけた。


 「近頃の貴方は恐ろしい。相手も蒼白になっていましたよ。」


 訓練で手合わせしたのは騎士になりたての新人で、剣の実力はベルトルドの足元にも及ばないような相手だった。だから模擬剣でなく真剣でいいとベルトルドの行動を周囲も特に問題にはせず、しかし手合わせした途端にベルトルドは剣を弾かれ左腕を負傷したのだ。


 何事にも完璧を追求し続けるベルトルドである。剣の実力は互角を有する者も少なく、本来なら騎士になりたての新人ではかすりもしない程の実力差があったのだ。それがあっけなくやられ、特に痛むような仕草や表情もなく淡々とその場を離れたベルトルドを誰一人追うことができなかった。怪我を負わせた新人に至ってはベルトルドから一本取ったと勝利を喜ぶどころではなく、蒼白になり小刻みに震える始末だ。特に大きな声を上げ威嚇するでもないのに、近頃のベルトルドは行動自体が周囲に恐怖を抱かせた。そして今日は腕を切られ血を流しても眉一つ動かさない。あまりにも淡々としたベルトルドに周囲は言葉を失う。それを目に止めたグインだけがベルトルドの状況を察することができ後を追ったのだ。


 「悩みがあるでしょう。私でよければ相談に乗りますので話してみませんか。」

 「悩みなど―――あるとするなら陛下を眠らせたアイラ嬢の力の原因が解らないことくらいだ。」

 「ガウエン公爵家へ頻繁に通っているとか。」


 社交に出て来ず、人目にもめったに姿を見せないせいで変わり者と噂される公爵は、神に仕える立場にありながら天使信仰者としても有名な話だ。それも当代の公爵だけでなく、幾代までも遡れるほどの筋金入り。その公爵家に成人したばかりの美しい娘がいてベルトルドが縁談をまとめたのも噂として広まっていたが、同時にそちらに通い続けるベルトルドが公爵の孫娘に懸想しているとの噂もまことしやかに囁かれていた。変人同士でお似合いなのではと嫉妬を孕んだ女性たちの噂は辛辣でグインの耳にも入っている。グインはベルトルドがアイラにしたことを知っているので彼に対してあまり良い印象を持っていないが、それでも心ここにあらずで、腕に怪我をし血を流しながら明後日の方向に向かうほど自失しているなら放っておけない。


 「ガウエン公爵家のご息女は大変美しいと聞いています。貴方が見た目で心を惹かれるとは思いませんが、そのご息女が関係しているのではありませんか。」


 もしそうなら他の男を紹介したのは何故だろうと疑問が残るが、自分の気持ちに気付くのが遅かったとも考えられる。

 

 「彼女に会ったことが?」

 

 いいえと首を振るグインをベルトルドは観察するようにじっと見つめたあとで、小さく首を振ってそれを否定した。


 「的外れだな。私が公爵家に通っているのは天使に関わる資料を拝見させてもらうためだけで、他に目的は何一つない。」

 「そうですか。アイラ嬢の力が何故ガウエン公爵家が所有する天使に関する事柄に繋がるのか理解できませんが、貴方は今もアイラ嬢に捕らわれているという訳ですね。」

 「捕らわれている?」

 「だってそうでしょう、彼女が陛下を眠らせた理由に拘り続けているのはベルトルド殿ただ一人です。陛下が彼女に心を開き、彼女がそれを受け止めたのだと誰もが認めているのに、貴方は今も執拗にありもしない疑問に固執している。これをアイラ嬢に捕らわれていると言わずに何というのです?」

 

 解らないのですかとグインが挑発的な視線を向けた。ベルトルドの知らない事柄を知っていると言わんばかりの優位な視線だ。確かに表現の仕方によってはアイラに捕らわれていると言ってもいいが、今はそれだけではなくなっているのだ。彼女が持つ力の判明に情熱を注いでいたというのに、謎に向けての意欲が無くなってきている。だからといって興味がなくなったわけではないのだ。ふとするとアイラの姿が脳裏に描かれ、彼女のことばかりを考えてしまう。秘密が知りたいだけなのに幻の彼女に全てを邪魔され、体にも異変が現れているのだ。ベルトルドは布で硬く縛られた腕に視線を落とす。


 「彼女が持つ力とは何だろう。」

 「力というより彼女が持っているのは魅力でしょう。何処にでもいる女性のようでいてそうではない。彼女はいつの間にか多くの人の心を引き付けてしまう、そんな魅力のある女性です。」


 成程、それも一理あるなとベルトルドは頷いた。気付くとアイラの周囲は彼女の味方ばかりなのだ。敵対していたパリス妃やその侍女のファリィ、そして田舎臭い娘など特に興味を抱かないようなグインを味方にするだけではなく、大して交流のない王を守る近衛たちまでもがアイラを好ましく思っているのが見て取れた。そしてシェルベステルというイクサルドの最高権力者の心に至っては瞬く間に掴み取ってしまっている。けれど、それでもアイラはただの娘のはずだ。父親には人の心を読む力があったとか天使の末裔とかなんとか並べられようと、どこにでもいるような一人の女性に間違いないのだ。


 「それなのに何故―――」


 心惹かれるのだろうか。


 消え入るように呟かれた声だが、目の前にいたグインは正確に聞き取れ驚きに目を見開く。けれどそれは呟いた本人にはまるで自覚のない言葉で、自らが発した事すら気付けていなかった。




 

 



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