34 姉と弟
姉弟そろって猪の解体をしたあと、アイラがリゲルの追及に答えることができなかったせいで再び会話は途絶えた。
いつの頃からだろう、修道院に行くと決めたのは。子供の頃は生きるのに必死で受け入れてくれたカリーネに必死でしがみついていた。幼い姉と弟だけでは生き残る術がなく、誰かに頼るしか道がなかったのだ。助けてくれたカリーネの側で成人したらロックシールドに戻りリゲルが爵位を継ぐのだというのは解っていたが、当初はアイラもずっと側で生きていくのだと思っていたように感じる。
けれど物事の分別が付くようになると、リゲルより二つ年上であるアイラは自分の身を置くべき場所がロックシールドにはないのだというのに気づくようになった。カリーネがいつかアイラに相応しい男性を見つけてくれるという言葉を、ロックシールドの立て直しを理由に断るようになったのは十を過ぎた頃だっただろうか。まだまだ子供である年頃に先を考えるようになっていたアイラは、あまりにも子供らしくない子供だっただろう。当時は寂しそうに眉を寄せていたカリーネの姿を覚えている。
ロックシールドの将来とリゲルを男爵として立派に見送るのが定めのように感じていた。小さくとも父が残してくれた長い歴史を持つ領地を手放すわけにはいかなかったし、乗っ取られるようなことになってもいけないと過去を教訓に頑張っていたのだ。目指す場所は変わらないのに、どうして『笑わない』と指摘されてしまうに至ったのか。
弟の為、ロックシールドのためにと頑張ってきたことが独りよがりだったのだとようやく気付かされる。逆の立場だったならどうだろう。領地を任せた、自分は精いっぱいやった、やり残したことはないとリゲルに去られてしまったら。その過程に至るのに何の説明もなく突然であったなら。きっとどうしてと、いかないでと縋るに決まっているのだ。それがまさに今、アイラがリゲルに押し付けている現実なのである。
湯あみを済ませ後は寝台に入るだけになった状態でアイラは思い立ち部屋を出る。明日からはセシルたちがやってくるのだ、問題を先送りにしてセシルを不安にさせてしまうのは良くない。それにリゲルには知る権利があった。部屋を訪ねると寝間着姿のリゲルが迎え入れてくれる。昼間と違って心なしか頬が緩んでいるのは、心の動きが正直に現れた結果だろう。
「絶対に秘密にしてほしいことがあるの。」
シェルベステルの不眠は城の中では知られた事実で人の口に戸は立てられない、そのうち周知の事実となるが、何がどうなり不利な結果となるかわからないのだ。死の危険がなくなったからと吹聴してよい事柄でもなく前置きすると、絶対に秘密にするとリゲルは頷いた。
「わたしがお城で頂いた仕事は国王陛下の不寝番だったの。」
「不寝番?」
田舎貴族の娘である姉が国王を廃するような力がなく、決して傷つけるようなことがないのはリゲルも承知している。けれど害がないだけに王の側に侍り守りの役に立てるかといえば否だ。おかしなことだと首をかしげるリゲルに、アイラは王が命を危ぶまれるほど重度の不眠に侵されていた事実を話して聞かせる。
「サイラス様を寝かし付けていたのをエドヴィン様が思い出されて。医者も薬も呪い師も効かないからって、手当たり次第になんでも試していらっしゃったのよ。」
「ああ、それで陛下は眠れたんだ。姉上って不思議だよね。抱き寄せられると泣く子はすぐに眠ってしまう。」
きっとアイラに抱かれると自分も眠ってしまうよとリゲルは目を細め、シェルベステルが眠ったというのをアイラが話す前に自分から口にし納得していた。
「それで陛下と恋仲になったとか?」
「なんてことを言うの、違うわよ―――」
恐れ多いことを言わないでと俯いたアイラをリゲルが覗き込む。促され、アイラはその後の出来事をぽつぽつと話して聞かせた。
シェルベステルを眠りにつかせた力が何なのか、不思議に感じたベルトルドが謎の究明に乗り出し、その延長としてアイラに求婚を始めたこと。ロックシールドにとってはまたとない良縁だが、護衛として側にいるだけではなく同時に求婚されいつの間にか心を捕らわれてしまっていたこと。そうなるとベルトルドの徹底的に一貫した貴族としての結婚、将来、その全てに人らしい感情の一滴すら込められていない虚しさに心が痛み、ロックシールドの為に求婚を承諾できなくなってしまった経緯。政略の結婚なら何があっても受け入れなければならないのに、それが出来なかった自分が情けなく頭を下げるアイラに、黙って話を聞いていたリゲルは怒るでもなくう~んと腕を組んで首をかしげる。
「なんか変だよね。」
「変って、わたし? それともベルトルド様?」
「ベルトルド殿だよ。」
おかしいよ、どうして姉上は気付かないのとリゲルは心の底から驚いたように瞳を瞬かせるが、アイラはリゲルが何に驚いているのか、何をおかしいと思っているのか全く理解できなくて同様に瞳を瞬かせた。
「だってベルトルド殿が姉上に求婚して不寝番を続けてもいいと言い出したのは、陛下の病が解消される前じゃないか。その時は陛下の病が癒えるって保証はなかっただろうし、これからだって再発の恐れがない訳じゃない。陛下がそのまま姉上を手放せなかったら、姉上を嫁にしても伯爵家にやる事が出来ないだろ?」
アイラが王に縛られヴィルヘルム伯爵領に向かうことができなかった場合、ベルトルドは年老いて死に向かうばかりの現伯爵が元気なうちに伯爵領に戻って運営をこなさなければならなくなる。それではベルトルドの主張する一生騎士として城に仕えるという願いはかなわなくなってしまうのだ。頭のいいベルトルドのことだ、その場合はどうするという物事を考えている可能性もあるが、ベルトルドがヴィルヘルム伯爵家を継ぐのを前提とするとリゲルには全く思い浮かばない。
そもそも別の策があるならアイラを正式な妻に迎える必要もないではないか。身分的に手折られ放置されてもロックシールドは文句が言えないような立場なのだ。エドヴィンに求婚の許しを問い、アイラを無理矢理手籠めにしてしまわない所は誠実さが窺える。どうしてその矛盾を指摘しなかったのかと、自分よりも頭のいいはずの姉にリゲルは首をかしげるばかりだ。
「本当は姉上が好きで欲しいだけなんじゃないのかな。」
「そんなはずがないわ。だってベルトルド様はわたしが陛下に―――その、陛下と体の関係があっても平気だと言ってのける人よ。」
「けど姉上に対しては誠実でいると約束できる方なんだろ。なんていうのか、城に行った時にちょっとしか話さなかったけど、嫌な雰囲気のある人じゃなかったんだ。」
セシルを紹介されたのは手紙で、リゲルが実際にベルトルドと顔をあわせる機会に恵まれたのはアイラを訪ね登城した際のほんのわずかの間だ。良縁の礼を述べるだけに至ったがベルトルドは忙しい中もしっかり対応してくれた。心証をよくしようと目論んでのことと言われるとそれまでだが、リゲルにはそのような人間にはまったく見えなかったのだ。だからって誰にでも優しい優良騎士として映ったわけでもないが、人柄は嫌なものではなかった。
「多分、きっとベルトルド殿が言葉にしたのは全部真実だ。不寝番で陛下と何かあっても姉上には拒絶することが許されないし、それこそベルトルド殿が阻めば反逆になる。そんなことになってもいいってのは平気って意味と同じじゃないよ。姉上の身に何があっても大切にするってのは、その辺のことも含んでじゃないのかな。」
言葉通りなら酷い言い方だとリゲルも認めるが、よくよく考えるとそれはとても有り難い言葉だと解釈したリゲルはアイラに身を寄せた。
「ベルトルド殿が姉上と結婚して伯爵家を任せるっていうのは、それを言い出した時点では大きな矛盾が生じている。もしベルトルド殿がそれを失念していたとするならどうしてだろう。それは自分の目的の為に姉上が欲しいってだけじゃないって証明にはならない?」
違うかなと問うリゲルにアイラは言葉を失い瞳を瞬かせる。ここに来て初めてだ、ベルトルドに同調した見解を示す人間がでてきたのは。姉を思っての言葉かもしれないが、リゲルの見解はまさにその通りでアイラには返す言葉がない。けれど―――アイラはそれを真に受けられるだけの関係をベルトルドと築いているわけでもなかった。
「ベルトルド様の真意は言葉の意味通りよ。不寝番も永遠には続かないと、陛下の回復を見越してのことに違いないわ。それにもういいの、ちゃんと解ってる。わたしの心の問題なのよ。ロックシールドの役に立てなくて申し訳ないって思う。でもどうしようもなかったのよ。」
ごめんなさいと詫びるアイラにリゲルは案じるようにして眉を寄せる。
「ベルトルド殿と陛下、二人と同衾してまでって姉上の気概は別のことに役立てるべきだよ。なんでそんな所で度胸を見せるかな。お二人だから無事だったけど、普通ならいいようにされて文句は言えない。もし孕んだりしたらどうするつもりだったんだ。それに娼婦だって罵られても文句が言えないよ。本当の姉上は違うのにそんな風に噂されるなんて僕は嫌だ。」
いくらロックシールドのためとはいえアイラに体を張らせるつもりはない。政略結婚も必要ないし、本当なら自分の代わりに領地を治め続けて欲しいくらいだと言い放つ。リゲルは男として生まれそれが役目だから家を継ぐが、爵位とか贅沢な生活などには魅力を感じないのだ。それよりも何よりも一番は姉であるアイラのこと。修道院に行かせたくないし、エドヴィンに呼ばれ不寝番なんてものをやらされているなんて思いもしなかった。姉の言葉を素直に信じて、世話になったカリーネに恩返しができたと喜んでいた我が身が憎らしい。どうしてそうなる前にエドヴィンに相談しなかったのか。そうすれば良い解決策を見出してくれたに違いないと思うも、アイラの性格を知り信用しているだけに、二人の異性と同衾までやってのけた行動を責めはしなかった。自分の前から逃げ出さないで欲しい、リゲルの最たる願いはそこにある。
「本当にごめんなさい。ロックシールドの名前も失墜させちゃうわね。」
「それは別に。そもそもロックシールドは社交に出ないから平気だし。」
そのあたりはどうでもいい事柄だ。国の中心から離れた国境沿いの小さな領地にまでアイラを蔑む噂が届くとは思えないし、国の中心でそのような噂が流れているならエドヴィンが何とかしてくれるだろうと、リゲルはその辺りのことは軽く考えていた。とにかくアイラを失う羽目にさえならなければ特に文句はないのだ。
「ベルトルド殿は何を言っても心では姉上を望んでいるよ。絶対にそうだって。でも姉上が信じられないだけのことを言ったのも事実なんだろうね。」
「その望みっていうのが陛下を眠らせる力について知りたいってことなだけなのよ。わたし自身に好意をもってという訳でないのは確かなの。謎が解明された後は放っておかれて、交流さえ途絶えるに決まっているわ。そんな夫婦になるなんてごめんよ。」
「でもさ、姉上はベルトルド殿を好きなんだろう。一緒に暮らしていたらベルトルド殿も姉上を好きだって気付くと思うけどな。」
知らないに等しいベルトルドをまるで知っているかにリゲルは話す。リゲルの印象はそうなのだろうが、ベルトルドを知る人間のいったい如何程がリゲルと同じ見解を示すだろうか。一人もいないのではないかとアイラは力なく笑みを浮かべた。
「ベルトルド様はお城勤めでわたしはヴィルヘルム伯爵領、一緒に暮らせやしないわよ。それにわたしは奔放な誰とでも寝る行き遅れの札を貼ったも同じなんだから、リレゴ公爵家の出身であるベルトルド様との婚姻なんて許されるわけがないわ。」
もういいのだと首を振るアイラをリゲルは労うように抱き締める。アイラからすると説明してくれた事柄が全て事実なのだろうが、それを悲しいと涙を流さずに泣いているようでリゲルはたまらなくなった。男女の関係は損得で結びつく方が楽だろう、愛情が絡むとこんなことになってしまう。大事な姉だ、幸せになって欲しいのにそれを否定する。自分もそうだが姉のアイラも関わりを持った人からは必ず好かれるのだ。飛び込んでしまえば必ずベルトルドの心を射止めるに決まっているのに、姉はそれを理解せずに傷つくのが怖くて扉を閉めてしまっていると感じる。
「結婚なんて別にいいけどさ、修道院だけは行かせないからね。」
ぎゅっと力を入れて抱きしめるとアイラから苦痛の声が漏れるが、リゲルは構わず抱き締める腕を緩めない。最期にはくったりとした姉を寝台に引きずり込むと、久し振りに肌を寄せ二人して眠りにつた。姉と弟とはいえ成人した男女ならやるべきことではないが、狭い家に住む庶民なら特に珍しいことでもない。それでもアイラは妻を迎える弟に非常識だと詰め寄るも、ベルトルドとシェルベステルの二人とは同衾したのにと膨れられては口答えできないで終わったのであった。




