30 訪問者
城を辞して十日が過ぎる。社交期間である冬の間は都に滞在するというカリーネに従いアイラはゴルシュタット邸に身を寄せていた。
社交に忙しいカリーネだが、誘われてもついていく気にならないアイラは留守番だ。カリーネも無理に誘うようなことはせず、美しく着飾ると日中に行われるお茶会や、夫であるエドヴィンにエスコートされ夜会へと出かけていく。エドヴィンによるとシェルベステルは順調に眠れているようで、社交期間が終わる冬の終わりにはアイラもカリーネと共に都を辞し、ロックシールドへ帰ることが決まっていた。
「あらまぁ、アイラにも招待状が届いているわ。」
広い居間での午後のひと時。執事から受け取った手紙を整理していたカリーネが声を上げ、暖炉の前でカードゲームに興じていたアイラはその声に手を止める。
「サンセット伯から明日の夜会にアイラも是非にとお誘いがきているのだけれど。あなたの噂を聞き付けて陛下に取り入ろうとしているのかしら。あちらにはお若いご子息もいらっしゃるし、お付き合いとはいえどうしましょうかしら?」
悩まし気に溜息を吐いたカリーネに、息子であるサイラスがカードを手にしたまま立ち上がると小走りに駆け寄った。
「アイラは僕のお嫁さんに欲しいってお願いしたよね。母上、聞いてらっしゃるの?」
「勿論ちゃんと聞いていますよ。アイラとは年も離れているし駄目よと言ったのは覚えているかしら、サイラス?」
カリーネの息子であるサイラスに嫁に欲しいと乞われても動揺したりはしない。相手は生まれた時から知っていて、寝かし付けだけではなくおしめの世話までした経験がある十歳の子供なのだ。サイラスの成長を見守ってきたアイラは、サイラスが自分を母親のように慕ってくれることに嬉しさを感じる。嫁に欲しいというのもカリーネに向ける感情と同じようなものなのだ。もし本当に恋心を持っていたとしても、年上の女性に対する小さな憧れ程度だろう。なにせ一緒に遊んだリゲルは婿に欲しいと望み、男女の差が解るようになってからは兄に欲しいと懇願されているのだから。
「サイラスの願いを聞き入れる訳ではないけど何かあってはいけないわ。さすがに夜会となるとお留守番してもらったほうがよさそうね。」
夜会に出席するとなると一歩先は暗闇という場所だらけだ。エドヴィンも同行するがあくまでもカリーネの夫である。そのような環境にアイラを伴っていくのは貞操的な意味でとても危険だった。アイラにエスコート役をつけ四六時中そばで守ってくれるなら問題ないが、その相手を探すのが大変だ。迂闊な相手をつけるとその者自身に手を出されかねない。
それでいいかしらと問われアイラは素直に頷いた。するとサイラスが嬉しそうにカードを手にしたまま暖炉の前に戻ってくる。
「さ、続きしよう。」
暖かい敷物の上に座り込んで純粋な笑顔を向けられると、アイラも幸せな気持ちになって自然と笑顔になれた。子供を相手にすると心が癒される。
「サイラス様。今度は負けませんからね。」
「じゃあ本気でやって。この二年で僕も成長したから手抜きはなしだよ。」
王の不寝番という役目を担ったアイラを手に入れようと画策する輩は多い。社交シーズンはお近づきになる格好の機会であるし、末端貴族でもあるので声もかけやすい。ゴルシュタットの屋敷に身を寄せているだけでも後ろに誰が付いているのか明白だ。何より地位や権力を少しでも大きくしたいと望む輩は、王の覚え目出度く宰相の息のかかる娘を手に入れようと画策するのも当然といえよう。
ロックシールドに引っ込んでいた時には一度も縁談が舞い込まなかったというのに、うちの嫁にと社交に出たカリーネに接触を試みる人間も少なくないという。城を辞し愛想を尽かされ手放したとしても、国王のお気に入りであったのは間違いないのだと、何かしらの有利な情報を求めて群がる輩が後を絶たない。それを追い払う役目をカリーネは楽しんでやっていた。何が楽しいのかはアイラに理解できないが、下心をもってやってきた人間を袖にするのは本当に楽しくて少しも面倒ではないらしい。この様子ならきっとロックシールドの屋敷にもアイラの縁談が舞い込んでいるに違いないとカリーネは嬉しそうに微笑むのだが、対応するリゲルは頭を悩ませ、結局は放置した状態になっているだろう。
翌日、昼日向から夜会の準備に忙しいカリーネを手伝うアイラを、パリス妃の侍女ファリィ=ギールが訪ねてきた。アイラの名を騙りグインに恋文を出してひと騒動起こそうとした娘だが、最後に顔を合わせたのはシェルベステルが後宮で剣を抜いた事件以来である。後宮に勤める侍女のしるしであるお仕着せではなく、良家の子女らしい服装でやってきたファリィは、アイラと顔を合わせるとすっと腰を下ろして深く頭を下げた。
「ご無沙汰いたしております。」
馴れ馴れしさや刺々しさのない、きっちり一線を引く挨拶を受けアイラも頭を下げる。城を出たのにこんなところまでやってくるなんていったいどんな了見だろうと警戒していると、ファリイは一度上げた頭を再び下げた。
「時が経ってしまったのですが、アイラ様の名を騙りカリエステ様に差し出した手紙の件をお詫びに参りました。浅はかな考えで大変なご迷惑をかけてしまい、本当に申し訳ございませんでした。」
自分からの恋文だと偽りアイラに橋渡しを頼んでおきながら、実際の所はアイラの名を騙った偽りの恋文をグインに渡していたのだ。騙されただけではなく嵌められもした。相手がグインであったからよかったものの、不埒な輩であったなら取り返しのつかない事態になっていたかもしれないのだ。けれど済んでしまったこと。すんなり許せることではないがいつまでも根に持っていてもしょうがない。時間がたってもこうしてわざわざやって来て頭を下げているのだから受けないわけにはいかなかった。
「どうぞお顔を上げて下さい、済んだことですので。頭を下げるならわたしよりもカリエステ様に。」
「カリエステ様にもお詫びをいたしました。アイラ様の居場所も教えていただきこうして参ったのでございます。」
本当に申し訳なかったと詫びる姿に偽りはない様だ。許すからと繰り返しようやく顔を上げてくれたファリィにほっとする。
「それからパリス様のことも。本来ならお仕えするわたしたちが命を懸けてもお守りしなければいけなかったのに、酷いことをしてしまったアイラ様に恥も外聞もなく縋ってしまって。お詫びとお礼が遅くなり申し訳ありません、パリス様をお助け下さりありがとうございました。」
後宮を自由に出られない側妃たちにとって、常に王の側にいるアイラという存在は脅威であった。女官であるマリエッタの話もアイラを守るための偽りと疑い、閉鎖的で変化の少ない後宮では話題の中心となってマリエッタの言葉が全て偽りと信じてしまう。そんな中でファリィの仕える主は男子を出産した自信と余裕から大きく構えていたが、時が経つにつれ不安になりアイラを排除したいという考えに至るようになったのだ。そこは後宮の妃たちに配慮できなかったシェルベステルの不手際だが、シェルベステル自身にも大きな問題が降りかかっていたので責めるわけにはいかない。そうなると全ての原因がアイラのせいのように思われ、主の憂いを取るためにも、女官と異なり身分的にも下で後宮の外に出るのも特に問題にならないファリィたち侍女が策を講じたのである。それを主であるパリス妃は知りながら黙認したのだ。
本当に申し訳ないと詫びるファリィをアイラは許す。実際に被害はなかったし、最も恐ろしかったのは上空から植木鉢が降ってきたことくらいだ。あれは一歩間違えば大怪我をしていた。助けてくれたベルトルドが言うにはリンティア妃の侍女だったというのでパリス妃に仕えるファリィには関係がない。
アイラの許しを得られてもファリィは笑顔を見せず、眉を寄せ硬く口を引き結んで最後まで謝罪の言葉を繰り返していた。きっと自分を恥じているのだ。やったことは同じでなくても自分に返ってくる。ファリィの場合は浅はかな自分に対する後悔であり、静観したパリス妃は王の怒りを買い剣を突きつけられた。となると自分には何が返ってくるだろうと、ベルトルドの求婚を断るためにしでかした出来事が思い出される。最後の最後まで謝罪し頭を下げるファリィを門の外まで見送ったアイラだが、不意に人影が視界に入り込んだ。視線が合うと人影の主である彼はまっすぐにアイラの元へと足を進める。
「閣下を通して面会の許可を頂いたのだが、その様子だと聞いていなかったようだね。」
いつもの騎士服ではなく、公爵家の人間に相応しい設えの良い衣服を身に着けたベルトルドが冷静な碧い瞳で見下ろしていた。驚き言葉を失っていたアイラだが、はっとして腰を低くし頭を下げる。城で出会った護衛の時とは違う、今目の前にいるのはベルトルド=リレゴというリレゴ公爵家の次男であり、ヴィルヘルム伯爵家を継ぐ身分にある人だった。
「ご無沙汰しております。」
エドヴィンに許可を取ったのならカリーネにも話が行っているはずだ。ベルトルドの訪問を忘れるなどよほどでない限り有り得ないのでカリーネはあえて黙っていたのだろうか。どうしてと頭を下げたまま眉を寄せるアイラの視界にさらに側に寄ったベルトルドが写り込んだ。
「話があるのだが時間を頂けるだろうか?」
「―――わかりました。どうぞこちらへ。」
ここはゴルシュタット侯爵家の屋敷だが、アイラでは身分が上の人間を追い帰せる状況にはない。目の前に立つベルトルドはこれまでのようにアイラの護衛ではないのだ。公爵家のご子息を前に迷ったもののエドヴィンの許可を取っているというし、ベルトルドは嘘を言うような人間ではないのでひとまず屋敷の中へ入れカリーネに確認に走る。カリーネは鏡の前で侍女に髪を結われている所だった。
「ファリィ嬢はもうお帰りになったの? わたくしもご挨拶しようかしらと思っていたのだけど。」
「ファリィ様はたった今お帰りに。入れ違いにリレゴ公爵家のご子息ベルトルド様がいらしているのですが。」
「あら、そうだったわ。ベルトルド様がアイラに会いたがっているとエドヴィンに相談されたのだったわ。」
「カリーネ様はご了承されたのですか?」
「ええそうよ。だってアイラの護衛をつとめられてお世話になったのだもの、邪険には出来ないわ。今度はご挨拶をさせていただくから、わたくしの準備が整うまでお願いできるかしら?」
エドヴィンが不在の屋敷に身分のある殿方が訪ねてきたのだ。女主であるカリーネが代わりに挨拶するのは当然だが、公爵家の子息として訪問しているベルトルドの状況に不安を覚える。結婚の申し込みは断ったつもりでいるが、ここで正式に申し込みでもされたら断り切れない。けれどもっともな理由を並べ頑なに否定しながらも、アイラは心のどこかで求められる状況に喜んでいる部分があるのも感じていた。でもそれを掴み引き出してしまうと悲しい未来が待っているのも知っている。
重い気持ちでベルトルドを待たせる客間に戻ると、ベルトルドは盤をはさんでサイラスと向き合っていた。待たせたのを詫びながら盤を覗けば駒が進んでいる。それほど待たせたかと焦っていると、ある程度進めた状態で始めたのだとベルトルドが説明してくれた。
「アイラと大事な話があるっていうから、それじゃぁ来るまでって約束したんだ。」
簡単な子供向けの盤遊びだ、駒を進め王を取れば勝ち。ある程度攻めた状態に駒を並べ始めたのだろう。カリーネは夜会に向け準備に忙しいし、アイラも手伝いに追われていた。暇を持て余していたサイラスは目敏く来客を悟り駆け付けたに違いない。ファリィの時は大人の女性だったので遠慮したのだろうが、ベルトルドは同性であるため話しやすかったのだろう。楽しそうに駒を進めるサイラスにベルトルドが待ったをかける。
「よく見てごらん、そこに置くと君の負けだ。」
「あ、本当だ。えっと―――」
「駒が盤に触れていないから変えてもいいよ。」
嬉しそうに手にした駒を元あった場所に戻したサイラスは別の駒を進め、ベルトルドも時折口を挿んで指導しながら駒を進めた。最期には僅差でサイラスの勝ちとなる。勝利したサイラスはご機嫌で盤を手に部屋を出て行った。相手が子供でも容赦なく叩き潰すように見えるが、花を持たせてやる優しさはあるようだ。黙ってみていたアイラが意外そうに視線を向けると、ベルトルドは心を読んだかに口を開く。
「勝つと再戦を申し込まれるからね。」
だからいい具合に指導しながらぎりぎりの状態で勝たせたんだと、ベルトルドは悪気も何もない様子で口にする。やっぱりそういう人だよなと思いながらアイラはお茶の準備を整えた。
「それでお話というのは。」
「ガウエン公爵をご存知か?」
てっきり結婚の話と思っていたアイラは意表を突かれ、瞳を瞬かせながら「いいえ」と首を振る。
「君のご先祖にあたるという、天使に関するあらゆる事柄を収集しているのがガウエン公爵だ。当代だけではなく、天使と同じ時代を生きた当主の時代より彼女に関する記録や品を集め管理している。」
「はぁ、そうですか。」
自分が天使の末裔といわれてもぴんと来ないアイラとしてはいまいち反応が鈍い。
「廃れてはいるが、当代のガウエン公爵は神殿の管理者としての役職を担う方だ。」
「それはっ―――無知で申し訳ありません。」
神殿の管理者ならば修道院入りを望むアイラなら当然知っておかなければならない事柄だ。それを知らなかったと披露し、その程度の信仰心かと言われた気持ちになり身を小さくする。アイラが修道院入りを望むのは婚期を逃した後ではそこしか行き場がないからで、深い信仰心があるわけではないのだ。それを確認するように碧い瞳がじっとアイラを見つめる。アイラはその碧い瞳から逃れたくて俯くと、膝の上で握りしめた手をじっと睨みつけた。




