29 取引
不寝番がなければ顔を合わせる機会が極端に減るというのは当然だったが、近頃ベルトルドの姿を見ることがなくなった。不寝番がなくともマリエッタの顔は見るので意図的に離れているのか、離されているのだろう。日中の護衛は基本的にグインが固定となり、夜も別の人間が扉の前に立っているようだ。
エドヴィンの配慮かもしれないが、あのベルトルドの事なのだから会おうと思えば向こうからやってくるに違いないのだ。それがないのは愛想を尽かしたからだろう。興味を失えばこんなものだとアイラから自虐的な笑いが漏れる。
「寂しくなります。」
冬でも緑を保つ美しい庭園を眺めていると、マリエッタが白い息を吐きながら漏らした。
「マリエッタさんにもお世話になりました。」
防寒着を着ていないので寒いのだろう。マリエッタが上着を手繰り寄せ身を小さくするのを横目に、アイラは景色ではなくすっかり変わってしまった自分自身を見つめていた。
「お嬢様はこのままでよろしいのですか?」
何を言われているのかわからないわけではない。ベルトルドを案じるマリエッタだがアイラの事も心配してくれていた。拒絶したのは自分だし、やったことに後悔はないのだ。けれど切ない気持ちはどうにもならない。好きになった人は評判の変わり者で人の心が解らない、知ろうともしない人だった。
興味を持ったことは何が何でも突き詰めなければならない性格で、それをするだけの身分も有している。人の気も知らないで親しい人間だけに許される距離に許しもなく勝手に入り込んでくるし、世間一般的な常識や礼儀の何もかもを忘れて寝台にまで入り込んでくるおかしな人間だ。自分でもよくわからない、どうしてあんな非常識で自分勝手な変人を好きになってしまったのか。それだけならまだよかったのに、求婚までしてきて心のない愛を囁くのだ。貧しい男爵家の娘ごときが、愛が欲しいと願うのは贅沢で間違った考えなのだろう。けれど目的が達成されれば見向きもされない妻になどなりたくない。ロックシールドの為の結婚なら受け入れられると考えていたのに、好きになったと気付いたとたんに受け入れられなくなてしまったのだ。カリーネに世話になり、弟が受け継ぐロックシールドを盛り立てるために生きてきたはずなのに、恋一つで脆くも崩れ去るなんて。自分は贅沢で自分勝手な女だと気付いたアイラは、どうしようもない想いに長く白い息を吐き出した。
腕を引き危険から守ってくれたのは仕事だ。部屋中を跳ねる蛙を捕まえるのに協力してくれたものの、効率を考え思考に夢中で立ち尽くしていた彼に呆れる。それを急き立て体を動かすことを強要しても文句も言わずに手伝ってくれた。いつの間にか側に寄られるのが二人の常識となり、匂いを嗅がれるのに抵抗するも嫌な気分が薄れていたのも事実。求婚されて驚いて、その理由に落胆して。グインと親しくなるきっかけとなったファリィからの手紙の件も意地悪をしているわけではない。意図的に言葉にしないことで彼の目的が果たされるから口を噤んでいただけだ。それでアイラが被害を被るようなことになるなら前もって対処してくれたのだろうが、相手がグインで危害がないと解っていたから放置していたに違いない。そこにはアイラに対する特別な感情は備わってなどなく、彼は己の欲求に素直に従っているだけなのだ。
対するアイラはどうだろう。好きになった相手からの求婚に愛が得られないからと駄々をこね、ロックシールドが得られる後ろ盾を拒絶しているのだ。これが条件だけの婚姻なら了承したかもしれない。けれど好きになった相手に愛をもらえないという理由で、結婚生活を想像すると虚しさに押し潰されそうになり辛くて逃げ出す。行かず後家なだけではない、貴族の娘としても役立たずのどうしようもない娘だ。
「これでいいんですよ、マリエッタさん。」
姿を見せないのが全てを語っている。興味が失せたら二度と会えない人は、結婚していても同じ結果になっていただろう。これでよかったのだとアイラは自分に言い聞かせた。
寒空の下でアイラが悩み悲しんで一人納得しているまさにその時、護衛の任を解かれたベルトルドは再びガウエン公爵を訪ねていた。
初訪問の失敗は相手をよく理解していなかったせいだ。公爵に心の幼い成人した孫娘がいると知り万全の対策を講じて公爵の前に立つ。公爵の隣には何が楽しいのかくすくすと笑っている美しい娘がいたが特に気にはならなかった。
「本日はプリシラ嬢にお似合いの縁談を持て参りました。」
「わたし結婚するの?」
公爵よりも先に身を乗り出して返事をしたプリシラが大きな青い瞳でベルトルドを見上げる。「少し待ちなさい」と公爵がプリシラの腕を引けば、長椅子に深く座り直して背を預け、興味津々といった輝く瞳でベルトルドを凝視していた。
「君に孫娘を託したいのだがね。」
「私のような情のない男に大切な御令孫を託そうとは。決断を早まるのは良くないことです。」
「情はなくとも約束事はけして違えぬ男と認識しているが。」
確かにそうだ。どんなに美しい娘を前にしても手に入れたいとかいう欲求は起こらないし、異性に対して情など感じたことは一度たりともないと断言できる。それでも取引として約束したならどんなことになろうとも約束を違えるようなベルトルドではなかった。死なない限りは遂行する自信がある。
「その通りですが、御令孫のような方には私ではなく、公爵のように包み込み慈しんでやれる存在が最も適しているかと。」
「そのような相手がおればとっくに引き込んでいる。」
いないからの妥協だと笑顔で語る公爵に、ベルトルドは特に何も感じず持参した釣書と折りたたまれた小さな紙を差し出した。
「シェルーム子爵ロレンツ殿です。御年二十九で少しばかり年齢が離れていますが、御令孫を大切に慈しんでくれるであろう存在です。」
ガウエン公爵は可愛い孫娘を案じ、彼女を生涯守ってくれるであろう伴侶を求めている。プリシラは確かに心は幼いが頭が悪い訳ではなく、言われたことはきちんと最後まで出来る素直過ぎる性格の娘だ。外や社交に出せば悪い人間によって瞬く間に黒く染め上げられるような純粋すぎる娘。ベルトルドが彼女を得た場合も確かに守り大切にするだろうが、そこに心はほんの少しも籠っていないし、受け継ぐヴィルヘルム伯爵家を完全に預けられるかといえばそうではなかった。知性の面からいえばアイラの方が格段に良く、だからとて天使に関する資料をあきらめきれないベルトルドは、公爵のお眼鏡にかなう対象者を引きこもりに変わり探したに過ぎない。興味を持った事柄には手間を惜しまないベルトルドにかかれば簡単なことだ。
「西に領地を構える子爵だな。その年まで独身とは何か問題があるのではないのかね?」
「爵位に不満があるのは解りますが、堅実で公爵家の援助などなくとも十分にやっていけるだけの力があります。六年前に奥方を病で亡くしてより独り身で、以来妻を娶ることも情婦を得ることもなく、亡くした奥方との間にも子供はおりません。」
初婚ではないのかと呟きながらも興味を惹かれたのか、公爵は孫娘の為に釣書に手を伸ばす。隣では言いつけを守るプリシラがにこにこと笑顔で公爵の動きを追っていた。
「随分と愛妻家であったようだな。そんな男の後妻に治まっては辛い思いをするのではないだろうか。」
釣書に記載された人柄が良いだけに悩ましく息を吐く公爵をベルトルドはじっと見つめていた。シェルーム子爵は亡き妻を大切にし、病で失ってからも一途に想い続けているのである。もともとは政略で結婚しているのだが、子爵は亡き妻を一目見て心を奪われたらしい。この辺りはベルトルドに理解できない事柄なのだがとても重要な部分でもあった。ベルトルドはテーブルに置かれたままになっている折りたたまれた紙を公爵へ差し出す。
「子爵が一目惚れし溺愛した亡き夫人の姿です。彼女を知る人間に描かせました。」
受け取った公爵は紙をそっと開くと濁りのない碧い目を大きく開いた。それを横から覗き込んだプリシラが満面の笑みを浮かべる。
「わたしのだんな様はシェルーム子爵なのね。ねぇそうでしょうおじいさま?」
黒一色の鉛筆で描かれているので髪や瞳の色は不明だが、そこにはプリシラにとてもよく似た美女が描かれていた。
「子爵は非常に面喰いな男で、再婚話が立ち上がるたびに亡き妻と同等かそれ以上の美貌でなければ納得できないと断り続けています。御令孫であるプリシラ嬢なら間違いなく子爵の心を射止め、亡き夫人の分も含め生涯に渡り一心に愛情を注がれるに違いありません。」
シェルーム子爵の好みは美しい女性だ。一度恋に落ちれば一心に愛情を注ぎその愛は死んでも続く。当然浮気や不倫は許されず妻を社交場に出すこともしなかった。これはまさにプリシラにうってつけの相手だ。プリシラの美貌を利用しない手はない。心が大人になりきれなくとも、美しい妻を心から愛する男は必ずどこかに存在する。強い信念を持って探せばさほど苦労せずにシェルーム子爵にたどり着いた。
「ご希望であれば引き合わせいたします。会ってみて公爵がお気に召さなければ二度と御令孫に近づかないよう対処させていただくつもりです。私との愛のない結婚よりも御令孫にとっては幸せな結婚生活になるのではないかと。」
「おじいさま、わたしこの人と結婚するの?」
「ううむ……」
結婚をままごとの一つと思っているのか、プリシラは嬉しそうに祖父の腕にまとわりつき、公爵は孫娘の金色の髪をゆっくりと撫で付ける。
「妙な癖がある、という話は?」
「亡き夫人は囲われてはいましたがとても幸せに暮していたと。使用人たちとも良好な関係を築いているようですし、年の差も御令孫の状態を考慮すればちょうどいいのではないでしょうか。」
「よくぞ探し出したものだ。釣書が事実なら突き返すのは確かに惜しい。」
予想通りの反応にベルトルドは頷く。多少は外界に詳しい様だが、天使に入れ込む引き籠りの老人とベルトルドの情報収集力には天と地ほどの差があるのだ、当然である。シェルーム子爵は綺麗な女性が好きだが、惚れたら一途に尽くすのは間違いない事実だ。特におかしな性癖があるわけでも変人でもない、どちらかといえば善良な人間だろう。亡き妻に酷似したプリシラを溺愛するであろうことは、彼を知る多くの人間が証言していた。間違いがあってはならないのでベルトルドもこれから確認に向かう予定だ。
「少し時間をもらってもよいかな。」
好みの問題もあるだろうがプリシラほど容姿の整った娘をベルトルドは知らない。綺麗なだけではなく亡き妻に似ているのだから子爵に話をもっていけば飛びつかせる自信があった。
「検討すればするほど御令孫にとって有益な男だと理解できるでしょう。公爵ご自身もお確かめになりたいでしょうし。そこで気に入っていただけたのなら―――」
「解っている。ベルトルド殿の心内に留め置くと約束してくれるなら先日の家宝、閲覧を許そう。」
これで一つ片付いた。
こういう人間に目をつけられ縁談を正式に申し込まれては面倒になる。既に求婚しているアイラも公爵の孫娘が相手となればこれ幸いと駿馬の如き速さで逃げ出すに違いないので、護衛の任を解かれたに等しい今の状態は騎士として不名誉なことだが動きやすくなって幸いした。ベルトルドは無邪気にはしゃぐプリシラを前に今後の予定を立てる。どれほど騒がれても考え事をしているときは気にもならない。無用なものは全て排除できるのもベルトルドの特性だ。
この後はシェルーム子爵の元に走り人物を見極めたうえでプリシラの絵姿を渡す。了承されれば引き合わせるだけで後は両者で上手くやるだろう。問題はそのあと、国王と一夜を共にしてまで逃げようとするアイラをどのようにして納得させ頷かせるかだ。こちらに心を寄せているなら素直に従えばよいものなのになかなかに頑固でやりがいを感じたところで胸のうちに痛みが走り、そうではないだろうと勝手な思考が脳裏を過った。
「そうでないのか?」
いったい何が違うのか。難しい問題ほど解いた後は満足だ。逃げる娘を追いかけるなど初めての経験だが、手に入れた時の爽快感はこれまでにないものになるだろう。けれど王の寝室で過ごすアイラを廊下で待つ間、その時の長さに珍しく焦るという感覚を思い出した。けれど何故焦るのか解らず、それだけではなく心の揺れや痛みやらがこみ上げてきたのだ。今までにない感情の動きに戸惑いを覚えたベルトルドだが、大した問題ではないと目の前にある処理するべき案件を手抜きのないよう実行するために、あえて努力して胸の疼きを押さえるのであった。
そうしてはるばるシェルーム子爵を訪ねプリシラとの縁談をまとめた後で登城したベルトルドであったが、久し振りにアイラを訪ねると部屋はもぬけの殻。とっくに城を辞しエドヴィンの屋敷に移ったと聞いた時には、そんな簡単なことを予想できなかった我が身に驚き、放心状態がとけずしばらく立ち尽くしてしまったのである。




