23 共寝
碧い瞳が見開かれる。ベルトルドの驚く顔など初めてだ。もしかしたらとても貴重なものを見たのかもしれないと、アイラは広げた腕を誘うようにさらに前へ出す。
「奇跡なんて信じない、だから調べたいのではありませんでした?」
どうぞ遠慮なくと広げられた腕。ベルトルドは見開いた瞳を元の大きさに戻すと盛大に眉を寄せた。
「何を企んでいる?」
「お世話になったからですよ。弟にも素敵な方をご紹介いただきましたし、せめてお返しにと。」
「この手を取れば私は君を妻に迎える。君は私との婚姻を望まないのではなかったのか?」
アイラはふふっと笑うだけで答えない。ベルトルドは訝しみながらも目の前に曝される対象への興味に抗えず、アイラと視線を絡めたまま差し出された白い手を取ると鼻を寄せた。
「匂いが変わったな。」
「城に染まったという意味でしょうか?」
田舎から出てきて幾月か過ぎたのだ、土臭さも少しは消えたのだろう。鼻をすんと鳴らしたベルトルドは眉間の皺を消して細い腕を辿るように嗅ぎながらアイラの首筋に鼻を寄せた。これまで指先以外に触れた場所はないが、アイラは全てを暴かれるような気分になり顔を背ける。すると白く細い首筋が露わになり、透けた静脈に吐息が触れたせいでアイラは息を呑んだ。
「いや、やはり君の匂いだ。」
匂いにばかりこだわられさすがに恥ずかしさが前に出る。
「この香りに秘密があるのだと思っていた。」
「田舎っぽい匂いを陛下が懐かしいと感じたんです。それだけの事ですよ。ベルトルド様は難しく考えすぎなんです。」
「難しく考えてはいない。ただ真実が知りたいだけだ。」
耳元で話されアイラは体をすぼめる。まるで恋人同士が秘め事を交わしているようだがけしてそうではない。こんな事は絶対にしたくなかった筈なのに、ベルトルドはアイラが抱いた希望という最後の砦を壊してしまった。愛していると心など微塵もないただの台詞。ああやっぱりと、硝子が砕けるような音が胸の内に響いた。
投げやりになったわけではないがそれに近くもあった。完全に離れるために小さな可能性も残したくなかったのだ。気が済めばベルトルドの興味はアイラから離れる。そうすれば彼が望む条件の結婚相手はいくらでも存在するだろう。ベルトルドの出身や肩書に魅力を感じる貴族は少なくなく、屋敷を不在にして妻を伯爵領に閉じ込めたきりにしてもよいというご令嬢はきっといるはずだ。
「何処までなら許される?」
結婚するつもりであっても婚約すらまだの娘が相手だ。興味につられ理性が決壊する前に問うベルトルドに、アイラは「何処までも」と答えた。
「罠に嵌められている気分だ。」
「ベルトルド様の直感は正しいと思います。」
髪の匂いを嗅いでいたベルトルドが身を放す。凝視されたアイラは、どうしますかと問うように首を傾げた。
「どうせ妻にすると決めているのだから嵌められようと厭わない。」
ベルトルドはアイラの腰を抱くようにして引き寄せると二人して長椅子に腰を下ろす。てっきり寝台の上でと思っていたアイラは少しばかり驚くも口を開かない。ベルトルドもようやく許可が下りたせいなのか遠慮なくアイラに触れるが、剣を握りなれた大きくて硬い掌はけして厭らしい動きを見せてはいなかった。ベルトルドはあの日、あの時シェルベステルがしたように、アイラに縋り胸に頬を寄せる。
「緊張しているな、心音が速い。」
「それは仕方がないかと。」
こんな状況なのだからと、頬を染め胸に抱くベルトルドから視線を外せば、真面目な顔であの日と同じようにと困難な要求をされた。そのお陰ですっと頭が冷える。想いを抱いているのは自分だけなのだと再確認すると鼓動を押さえるのは簡単だった。
やけになっているのかもと自分でも思う。後ろで固く結われたドレスの腰紐をあの日と同様に解いてもらい、部屋から追い出さずに衝立の向こうで木綿の寝間着に着替えると、今度は寝台へ遠慮なく押し倒され伸し掛かられた。けれどもベルトルドの手は衣を剥ぐでは無く腰に回して縋るような形だ。頭は胸の位置、アイラは求めに応じてそっと抱き寄せた。
「どういう事だ、私の方が胸が高鳴る。」
「それが成人男性の普通なのではありませんか?」
ベルトルドにとってアイラが性の対象でないにしても、健康な若い男が女の胸に顔を寄せているのだ。当然の反応だとアイラは小さく笑った。
「欲情する以前のように感じるが……このままでは眠りに落ちる気がしない。」
何故だろうと唸るベルトルドを前にアイラは思わず吹き出してしまう。
「それはそうですよ。陛下のは本当に偶然なんですから。」
これで信じてくれるのだろうか。答に不満を持ってくれなければと願う。これでお仕舞いなのだとしても気分よく別れたいとは願うのだ。
「ロックシールドには何かがある。天使云々は単なる伝承だが、何かがあると勘が告げている。」
「それこそ説明不能な案件ではありませんか。」
「私の勘は外れたことがないのだけどね。」
アイラ自身も知らないことだ、何かあると言われてもどうしようもない。イクサルドに天使が舞い降りたのは何百年も昔の話で、その事実を調べようとしても時の経過が長すぎるせいで今更どうしようもないだろう。ロックシールドは歴史は長いが小さな領地を持つだけのしがない男爵家だ。確かに代々王家に仕えてきたというのはあるのかもしれないが、アイラ自身は父親やご先祖様がどういった仕事をしていたかなんて知らされていないし知りようもない。ぼんやりと考えていたアイラは、無意識のうちに胸に抱く金色の髪に指を差し込み、撫で付けながら欠伸を漏らした。
「昨夜のお嬢様、いったいどなたですか?」
行かず後家と罵られた。相手はアイラを知っているようだったがアイラの方はまるで知らない。罵るからにはアイラをよく思っていないのだろう。もうすぐ城を去る身ではあるが気を付けるべき事柄でもあるし、特に何ともなしに口にした。
「テルー子爵家のミストレイ嬢。今年社交界に出たばかりだが、豊かな結婚相手を見つけるのに必死で見境ない娘だ。それを父親の子爵も案じている。」
「見境ないっていうのはその……ベルトルド様を襲ったようなことを、他の方にもやっているという意味で?」
「標的を一人に絞れば責任を取らせることもできるが、数多くいるとそういう訳にもいかなくなる。ミストレイ嬢は他の娘と比べても類を見ない馬鹿だ、そのうち純潔を散らして嫁の貰い手をなくすだろう。君を罵った報いは受ける、見ているがいい。」
腰に回された腕に力が籠められアイラは瞳を瞬かせる。『見ているがいい』とはどういう意味なのか。放っておいても自滅して彼女自身が行かず後家になるのか、それともベルトルドが何らかの―――とまで考えたアイラは首を振って否定する。ミストレイ嬢は別れたい自分の婚約者でもないのに、そんな事をする理由がベルトルドにはないではないか。
「どうかしたか?」
「いいえ、なにも。そうだわ。ベルトルド様がわたしを人に教えるとして、どういった説明の仕方をされますか?」
「恐ろしい程の田舎娘だな。労働のせいで体の締まりがよく足腰も強い。常識はあるものの理由に納得がいけば異性との同衾も厭わない変わった娘だ。苦労にも慣れているので没落の際に逃げられるような事態にもならないだろう。生まれのわりに大変頭がよく機転もきき、国王陛下の覚えも目出度い。虫の類に恐れを抱かないので、外で遊びまわる年頃の子守りには向いている。蛙を捕まえる腕は一級だ。」
「褒めると貶すが一緒になったような紹介文ですね。」
「何を言う、称賛ばかりじゃないか。」
本気で言っているのだろうか。冗談を言わない人なだけに複雑な心境だ。それでも心を寄せてしまったせいで、二人で過ごした時間を覚えてくれているのが嬉しいと感じてしまう。
「君なら私の事をどう教える?」
「そうですね―――」
考えながら金色の髪に差し込んだ指をやわやわと動かした。
「髪は柔らかいですが、体は硬くて暖かいですね。知りたがりで厄介でそれから―――愛を知らない。」
「測りきれないものに重きを置くのが理解できないだけだ。」
「では知っているのですか?」
「親や身内に感じる情というものなら理解しているが、男女のそれは移ろいやすく、時に刃傷沙汰にまで発展するようなろくでもないものだ。」
「―――確かに、そうですね。想いが通じ合わなければ苦しいだけですし。」
呟くように漏らしたアイラの声にベルトルドは反応し顔を上げた。
「君に好いた男ができたのか?」
「さぁ、どうでしょう。」
曖昧に答え誤魔化すようにベルトルドを引き寄せると胸に抱え込んだ。
「ちょっと眠りませんか、わたしたち一晩中起きていたんだし。」
「眠たければ君だけ眠れ、私は起きている。睡眠の調整は仕事柄得意だ。」
ただ抱き付いているのではない、原因究明のためにやっているのだとしっかりとした口調で告げるベルトルドに、さすがは変人とアイラは苦笑いを漏らした。本当ならアイラだって男の人に抱き付かれた状態で眠れるわけがないのだ。それでも抱き付いている相手が少しも性的な感情を見せてこないせいで、人肌による安心感からなのか眠気がやってきてしまった。けして神経が図太いわけじゃないのにと長く息を吐き出す。
「本当に眠くなってしまいました。ベルトルド様には不思議な力があるようですね。」
「私に不思議な力などない。昨夜は晩餐に陛下の眠りと、続けて常と異なる事柄が起きたのだから疲れているだけだ。」
「誰かの温もりに縋ると眠れてしまうというのも、きっと不思議な力の一つですよ。誰でもいいわけじゃない、波長が合うとかいうのがあるのかもしれませんね。」
「それならば君は誰とでも波長が合うのだな。」
エドヴィンの息子だけではなく、領民の子供たちもアイラに抱かれると穏やかに眠ってしまうのだから。
「そう言えば弟君はどうだった?」
ゴルシュタット家の子息と領民については調べてあるが、アイラより二つ年下になるリゲルとの事は調べていない。ベルトルドの問いにアイラは「う~ん」と艶めかしい声を漏らした。
「父に教えられて。その通りにすると眠るんですよ。可愛いの―――」
「父君に?」
ベルトルドが顔を上げると漆黒の瞳は閉じられ、わずかに開いた唇から寝息が漏れていた。眠っているのを確認したベルトルドは再度アイラの胸に戻り考え込む。
「父君に―――前男爵の力というのは何なのだ?」
前王はアイラの父親のいかなる力を利用して私腹を肥やし民を苦しめるに至ったのか。そしてエドヴィンを通しクリストフェル率いる反乱側に確実な情報をもたらす術はいったいなんであったのか。人の心を読むのはベルトルドにもできるが、国王の周囲にはそのような力をつけた人間はいくらでもいる。そんな彼らと前男爵の差はいったい何だったのか。
アイラは父親に習った通りを実践し子供たちを寝かし付けているのだろう。それをシェルベステルにも使ったのか。アイラ自身も気付かずに使っている催眠の類なのかもしれない。だがこれまで不寝番で見てきた様子から催眠術を使っているような感じもなかったし、暗示をかけている様子も見受けられなかった。今現在ベルトルドがしていることとさほど変わりない。胸に鼻を寄せ匂いを吸い込むが、睡眠を促す類の薬が使われている様子もなかった。
「天使といえばガウエン公爵家だな。」
イクサルドの歴史に埋もれた公爵家の名が自ずと漏れる。ベルトルドからすると何処の誰よりも変わっていて、まさしく『変人』に等しい変わり者の集まりだ。かつてイクサルドが神を信仰していた時代、神殿という神を祀り崇める最高機関が存在していた。ガウエン家はその指導者を多く輩出すると同時に、神殿を守る有能な騎士たちをも生み出す、王家と力を二分する程の力を有した公爵家だったのだ。しかしながら天使が舞い降り功績を残すと同時期に、当時のイクサルド国王が天使を崇拝した事によりガウエン公爵家の繁栄は廃れ、今は没落の一途をたどっている。現在の当主を筆頭に嫡男も引きこもりという公爵家は、長い歴史を刻みながら周囲からは忘れ去られた存在となっているのだ。
しかしながらそのガウエン公爵、廃れてしまったとはいえ今現在も神を祀る神殿の責任者を務めている。しかも神を祀る神殿の責任者であるにもかかわらず天使崇拝者として、何百年も昔に存在したといわれる天使に関わる物事の収集家でもあった。天使のせいで神が追いやられたというのに、その天使を認めないどころか逆に陶酔して研究にも余念がない。しかも今の代だけではなく、先代もその前の代の当主もそのまた前も―――何代にも渡って天使愛好家と言っても過言ではないらしいのだ。興味がないので確認はしていないが、次の当主となる嫡男も天使にしか興味がなく日々研究の毎日だという。
「近寄りたい生き物ではないが仕方ない。」
天使と呼ばれたものがロックシールドに関わるのなら、その天使がなんであるのか調べなければ始まらないではないか。そうと決まれば行動あるのみとアイラの胸に頬を寄せ、柔らかな感覚と温もりに安堵を覚えた途端、ベルトルドは瞼を落とすと一気に眠りへと引き込まれてしまった。眠るつもりなど微塵もなかったのに。




