21 嫉妬
嫉妬させるつもりなのかもしれないが、一般的な感情の動きをしないベルトルド相手には無駄な試みだ。職務を全うしようと断りを入れるグインに、妻に急かされエドヴィンも口添えをする。
普通ならば護衛の任務にあたる騎士が宴でダンスなどあってはならないが、諸々を考え判断したエドヴィンにより許可された。拗ねた妻の機嫌を取るのが至難の業になるというのもあったが、カリーネのいうとおり護衛が護衛対象とダンスを踊るならばそれほど大きな問題ではないと判断したのだ。
これが恋人同士の間柄なら許可できないが、グインとアイラの間に甘い空気は存在せず任務を忠実に果たすというのは間違いない。ダンスに興じるアイラと距離をとるよりも守りやすくなるし、何より後宮の女たちが落ち着いているので命の危険があるとも言い難かった。けれど安心してばかりはいられない。彼女たちには父兄が存在して、アイラを邪魔に思っていてもおかしくないのだから。
「二人はお似合いのような気もしますけど恋心は持っていないようね。」
グインがアイラの手を引く前に何事かを耳打ちしていたカリーネは、今は夫と共にダンスをしながら呟く。それを拾ったエドヴィンはその通りだと溜息で答えた。
「君はいったい何をしようとしているだ?」
「ベルトルド様の本心が知りたかったのですけれど―――これなら大丈夫、なんとかなりそうですわね。」
一人で納得するカリーネの考えが解らずにエドヴィンは幾度目になるかわからない溜息を吐いて、久しぶりに会った妻の前で失礼ねとカリーネに叱られた。
「何が大丈夫なのだ?」
「アイラの夫になる方です。彼が相手ならロックシールドも安泰だわ。恋がいかなるものか、ベルトルド様は身をもって知ることになるでしょうね。」
エドヴィンは腕の中で満足そうに頷く妻の思考が理解できない。
「予言のつもりか? 目の前で妻が他所の男に抱かれてもいいと考えるような人間だぞ、それこそ奇跡だ。」
育てたアイラが大切なら選ぶべきでない。いったい何を考えているのかとエドヴィンは不安になる。
「あなたはこれまで通りベルトルド様を否定してくださればいいわ。それと、あの子が入る修道院はわたくしが決めますから、その点についてだけは勝手をなさらないで下さいませね。」
「君はアイラに相応しい夫をあてがうつもりではないのか?」
「勿論そのつもりですわよ。ほらご覧になって、ベルトルド様があの子を見ていますわ。」
社交の場に出ても親交を深める気持ちのないベルトルドは基本一人で周囲を観察しているが、今は社交に出たばかりと思われる十代半ばの娘に腕を取られていた。だが腕に縋る娘ではなく、ただじっとダンスに興じるアイラとグインに碧い目を向けてる。けれどその視線は甘さや嫉妬があるわけではなくただの観察だ。少しばかり戸惑いも含んでいるように見えるが、ベルトルドを知るエドヴィンからするとアイラを見つめる碧眼に欲望の色はない。あったとしても純粋にアイラを得る為だけに燃やされるもので恋情とは種類の異なるものだ。
「ただ見ているだけだな。」
「そうですわね。」
「そうなのか?」
聞き返したエドヴィンにカリーネは意味有り気に笑った。
「こういっては何ですけれど、陛下の視線が一番熱いように感じましてよ。」
玉座に座った王は頬杖をついてじっとアイラを見つめていた。周囲を彩る側妃たちもいつものようにきらびやかだが、我を表に出し自分が一番と寵を競り合う気配はない。後宮で剣を抜いた王を恐れそれで抑制させているのだろうが、やがて不満となりその不満がまたもやアイラに向かわないとも限らない。
「彼女が不幸になれば陛下もお悲しみになられる。」
「陛下のお心までもとらえてしまうなんて、さすがわたくしのアイラですわ。」
グインと手を取り合い踊る様はまるで恋人同士のようだ。ゴルシュタット夫妻だけではなく王の眼差し、同時に若い娘にせがまれながらもまるっと無視するベルトルドの視線までも引きつけている。
「カリエステ様、少し近くありません?」
しばらくぶりに踊るアイラをうまくリードするグインだが、口を開く度にアイラの耳元に顔を寄せる。勘違いしてしまいそうになる行動にアイラは頬を染め苦情を口にするが、敢えてそうするグインは更に身を寄せるかにアイラの腰に回す腕の力を強めた。
「ゴルシュタット婦人より親密に見えるよう振る舞うようにと指示があったので。」
「カリーネ様がどうしてそんな事をカリエステ様に?」
「さぁ。だが恐らく側妃方の気をそらすためではないかな。」
正直に言えばベルトルドにやきもちを焼かせるよう振る舞えと言われたのだが。けれどそんなのは無駄と言われるのが分かっているので口にせずもっともらしく繕う。グインも頼まれた相手がエドヴィンの妻でなければ従わなかったが仕方がない。
「カリエステ様にも沢山ご迷惑をかけていますね。申し訳ありません。」
「わかってくれているならそれでいい。君は田舎育ちのせいなのか……」
「カリエステ様?」
グインは好ましく感じると言いかけ口を噤んだ。こんな言葉を口にするのは口説いていると勘違いされて大きな問題になる。けれども好ましく感じるのは正直な気持ちなので、追求を恐れ誤魔化すようにアイラをくるりと回した。アイラは急な方向転換によろけることなく対応する。したたかな女性ならばわざとよろけて儚さを装っても良いだろうに、アイラは偽らず強さを主張する。
「ふらつきもしないとは。体幹に加え足腰もしっかりしているようだ。」
「田舎育ちですからドンと来いです。」
こういう所はますます好ましい。恐らくどんな状況であっても上手く順応してやっていけるのだろうと、最初の印象からすっかり様変わりしたアイラを相手にグインも楽しんだのだったが……
「気持ち悪ぅ……」
「すまない、調子に乗りすぎたようだ。」
アイラがお酒を一気飲みする様子を見てはいたがすっかり忘れていた。今にも嘔吐しそうになるアイラを伴い急ぎ休憩所へ向かう。
「すみません、本当にご迷惑を。こんな風に酔ったことなんてなくて迂闊でした。」
お酒には強くもないが弱くもない。酔っても気持ちが高揚する程度で特に困った事になったりした事はなかったのだ。それが調子に乗って踊りまくったものだから迷惑をかけたと謝るアイラに、グインも自分が悪かったと部屋を手配する。
「扉を開けておくのが礼儀だが、この様な状態なので閉じさせてもらうよ。」
未婚女性と二人きりで部屋にこもるのは誤解を招くので、扉を開けておくのが常識だ。けれど酔った姿が人目に晒されるのも良くないと、グインは冷たい夜風を案じつつも窓を開け放ち鍵はかけずに扉を閉める。
「寒くはない?」
「風が気持ちいいです。ご迷惑をかけて本当にごめんなさい。」
「マリエッタを呼んだほうが良さそうだな。」
気を利かせたグインは通りかかった使用人にマリエッタを呼びに行かせる。護衛であるグイン自身がこの場を離れる訳にはいかないからだ。けれどしばらくじっとしていると具合がよくなってくる。せっかく呼んだのに悪いことをしたなと思いながら水を飲んでいると、どこからともなく人の争うような声がしてきた。かすかな声に耳を傾けるとどうやら女性が声を上げているらしい。
「何かしら?」
外から聞こえるような気がして窓から身を乗り出すと、どうやら声は隣の部屋から聞こえるようだ。しかも女性が何かを罵倒するような声。アイラはカリーネの元で教えられた社交の常識を思い出して一瞬だけ頭が真っ白になった。休憩の為に用意された部屋では盛り上がった男女がまぐわいに興じることもある。けれど必ずしも同意があるとは限らないのだと。アイラもそのような場所に引き込まれないよう気を付けるように言われていたのだ。
「大変。女性が襲われているわ!」
「おそらく違う。」
グインの返事を聞かずアイラは部屋を飛び出し隣の部屋の扉を叩く。女性のわめく声がよりいっそう高くなり、正義感に燃えるアイラはドアノブを力任せに捻るが鍵がかけられていた。
「アイラ嬢、これは襲われているのではなく襲っているのでしょう。」
「何を訳の分からないこと―――!」
やめなさいとのんびりしたグインに手を貸すよう詰め寄ろうとするも、急に開かれた扉がアイラの額に激突した。
「痛っ!」
「うるさいわね行き遅れっ、邪魔なのよ!」
中から飛び出してきたのは若くて可愛らしい貴族女性だ。けれど現在は眉を吊り上げ般若の形相でアイラを睨んで、乱れた衣服と髪を整えながら小走りにどこかへ行ってしまった。額の痛みも忘れアイラは唖然と女性の後姿を見送ったあとで、開け放たれたままの室内へと視線をやり息を呑む。
部屋の中では長椅子に深く腰掛けたベルトルドが目にかかる金色の前髪をかき上げていた。上着を纏ってはいるが釦は外され、下に着ているシャツも腹のあたりまで肌蹴て綺麗に割れた腹筋が覗いている。年頃の男性の裸なんて弟くらいしか見たことがないが、アイラはその光景に赤面するよりも真っ青になり、一拍おくと今度は強烈な怒りが沸き上がる。
「なんなのこれ―――」
妻には貞淑さを求めるのだから自分もそうあるべきだと言ったのはどこの誰であったか。なのに目の前に見える光景はいったい何なのだろう。鍵をかけた部屋に男女で籠りいったい何をしていたのかなんてまるわかりだ。
「ああそうだわ、わたしは妻でも何でもないんでした。」
断りを入れたのは自分だ、妻でもまして婚約者ですらない。ベルトルドが何処の誰とどのような関係になっていても文句などいえる立場になどなかったのに、溢れる怒りと締め付けられる胸の現象はいったい何なのか。
アイラはくるりと踵を返し走り出す。追う役目にあるグインは一つ溜息を落とすと呆れたようにベルトルドを見た。
「なぜ言い訳をなさらない?」
「そんな必要がどこにある。」
一方的に捲し立てる娘の声を隣の部屋にいたとはいえグインには聞き取れていたはずだ。それがアイラに出来なかったとはいえ、よく見れば何もなかったのは一目でわかる。言い訳をする必要があるとはまったく思わないと衣服の釦を閉じながら身だしなみを整えるベルトルドに、グインは意味ありげに口角を上げた。
「他にも空いた部屋はあったはずだ。なのにここを選んだのはアイラ嬢が心配だったからではありませんか?」
「君が彼女に不埒な行いをするとは思っていないよ。」
「深層心理はどうでしょうね。」
先に部屋に入ったのはアイラとグインだ。その後で娘に誘われたとしてもわざわざ隣を選んだのはベルトルド自身だったはず。
グインは護衛対象を見失う前に黙礼するとその場を離れる。残されたベルトルドは娘に擦り寄られたせいで移ってしまった香りを不快に感じて顔を顰めた後で、無表情にアイラが去った先を見つめた。
「確かに言い訳をする必要はあるな。」
アイラを妻に迎えたいと願うのなら彼女の心証を悪くするのは良くない。彼女が何百年も昔に舞い降りた天使の末裔だと、一国の国王と宰相が心から信じているのなら更にだ。
王を眠りに誘う力が事実なら天使と呼ばれる存在が本当に存在した可能性もある。勿論背中に羽が生えていたなどとは思わないが、ロックシールドには統治者に引き継がれる髪と瞳の色の不思議も存在するのだ。何かしらの特別な理由があり受け継がれているのだろう。アイラには拒絶されどうしようもない状況になっているからこそ、ここはきっちり説明して誤解を解くべきだとベルトルドにも解っているのだが―――何故なのだろう。驚いた後に酷く傷ついた表情をしたアイラの姿に胸の内に喜びを感じ、このまま浸っていたい気持ちに陥ってしまったのだ。それにわざわざ後を追い訂正するのも嘘くさかった。誘ってきたのは娘の方でベルトルド自身は指先ですら娘に触れていなくとも、アイラの方は何かあったと勘違いしているのだ。こうなってしまうとベルトルドからではなくグインから訂正される方が信じやすいだろう。だから追わないのだとベルトルドは自分に言い訳をする。
損得だけで繋がりを持ちたいと望んだはずなのに気持ちの面で上手くいかない。どうしたことだろうと己に起きる不思議に首を傾げつつ、最後の釦を留めるとベルトルドは何事もなかったかに部屋を後にした。そこへマリエッタが姿を見せる。
「お嬢様は?」
「走り去るのをカリエステが追った。」
「走り去っるって、え?」
「酔いは抜けたようだから案じなくていい。」
「―――何かしましたね。」
どうして解るのだろう。ベルトルド自身は何もしていないのだが、アイラを嫁にもらうには不誠実と思われるような行動に直面されただけだ。しかも襲われているのはベルトルドだというのに、娘の方が襲われたと勘違いをしている。
「女は難しいな。」
だから嫌いだったはずなのに。気付けば目で追ってしまう。晩餐会では視線を向けられどういう訳か心地よかった。その後はゴルシュタット侯爵夫人の采配でグインと踊る様はとても楽しそうで常に釘づけにされ、腕にぶら下がり何事か捲し立てる若い娘を邪魔だと一括し振り解くのも忘れて見惚れたほどだ。娘のたくらみを知りながら、暴かず大人しくついて行ったのはどうしてなのだろう。護衛としてグインが側にいるのだから何も心配する必要はなかったのに、隣の部屋に潜り込んで聞き耳を立ててしまった。そして気付けばこの様だ。ベルトルドはよく解らないという状況に戸惑う。戸惑うなんて生まれて初めてではないか。あの娘にはいったい何があるのだろう。何とかしなくては自分が自分でなくなるようで、ベルトルドは焦りがわくという感情をこの日初めて学んだ。




