20 妻には逆らうべからず
欲求解消を兼ねたベルトルドの求婚は破棄されることなく、シェルベステルの不眠も改善しているのかしていないのか解らないままだ。それに関しては不寝番を休んだのがただの一度だけなので判断のしようがない。
そんな日常が繰り返される中、弟の婚約者であるセシルが伯母のナターシャを伴い、婚儀の半年前にはロックシールドに入ることが決まった。要するに花嫁修業だ。その時までにアイラは領地に戻り、セシルをロックシールドに相応しい女主人に仕立て上げるつもりでいる。
見合いの釣書と実際に会って話した感じからすれば上手く馴染んでくれるだろうと予想できたが、親がいない中で成長したアイラはその役目を担うと決めていたのだ。知る限りのことを全て教えてしまわなければ、ロックシールドの為に学んだことはいったい何だったのかとなってしまう。自分でなければできない事、それがアイラの居場所を作ってくれていたようなもので、役目が果たせないならいったい何の為に自分が存在するのか、ただの厄介者になる恐怖がおきていた。
心は急くもシェルベステルの不眠が解消される約束があるわけでもなくアイラは揺れていた。セシルのような女性がリゲルの妻となるなら、アイラがいなくてもロックシールドは大丈夫だろう。けれどそれを証明されてしまうのはとても怖かった。
そうこうするうちにシェルベステルの誕生日を祝う晩餐会の日がやってくる。この日ばかりは日頃の気鬱も吹き飛びアイラの心は踊っていた。素敵なドレスをエドヴィンが贈ってくれたのもあるが、それよりも何よりもゴルシュタット侯爵夫人が登城するのだ。これが心躍らずにいられようか。
「お久しぶりですカリーネ様!」
「ごきげんよう。まぁまぁなんて素敵なのかしら。すっかり見違えてしまったわね。」
久し振りにカリーネを目にした途端、淑女らしくとこらえていた昂りが一気に開放されてしまったが笑顔で大目に見てもらえる。エドヴィンと共に姿を見せたカリーネにもドレスの礼を述べれば、カリーネは扇を広げてアイラの耳元で囁いた。
「流行遅れのドレスを着ていたらあなたを連れて即ゴルシュタットに引き返すつもりだったけど、夫にしては良い趣味をしているわ。きっと助言する方がいたのでしょうね。」
「実は仕立て屋の方に全てお任せして。カリーネ様好みでとお願いしたらこのように。さすがカリーネ様が認められる方ですね。本当に素敵なドレスを贈っていただいて感謝しています。」
何気にエドヴィンの女性関係を訊ねられたとは気付かず正直に答えれば、カリーネはふふっと笑って扇を閉じた。
「でも素敵なエスコートは準備してくださらなかったようね。こんな主人で申し訳ないけれど腕を組んでくれるかしら。なんならわたしでもよくてよ?」
「はいっ、ぜひともカリーネ様と!」
あら冗談よと笑ったカリーネの横で、微笑ましく表情を緩めているエドヴィンが曲げた腕を差し出す。本気にしたアイラは少しばかりがっかりしながらも差し出された腕に己の細い腕を絡め、アイラの心の動きが読めたエドヴィンは目を細めた。アイラにエスコート役を準備しなかったのはカリーネに言われていたからだという言い訳は口にはしない。妻の機嫌を損ねて得をする事などないのだ。
エドヴィンにエスコートされても同席はできない。ゴルシュタット侯爵が婦人を伴い国王主催の晩餐会に出席しているのだ。あくまでもアイラはロックシールド男爵家の人間なので、同席させてしまえば常識もわきまえない娘だとアイラ自身の評判が落ちるのは目に見えている。身分に相応しい末席についたアイラだが、国王の姿が遥か遠くにしか見えなくとも平気だった。カリーネの側でないのは寂しかったが、周りは同じ男爵家の人ばかりで気が楽だ。それでも親しいわけではないので運ばれてくる料理に舌鼓を打ち、時折カリーネへと視線を向けた先で、見知った金髪が目に入り思わず視線を止めてしまった。そして視線が重ねられる前にそっと外して下を向く。その様を目撃したカリーネが「あらまぁ」と小さく感嘆の声を漏らした。
「急にどうした?」
「あの子を神へ嫁がせなくてすみそうだと思って。」
ふふっと微笑んだカリーネの視線の先には俯くアイラの姿があった。
「彼女には返し切れない恩を受けた。良き伴侶をと願うがなかなか上手くいかない。」
国王を祝う晩餐の席で溜息を漏らす夫を妻が笑顔で諌める。
「わたくしの隣で浮かない顔などなさらないで。それにあなたの目は節穴ですの? アイラの目には映る殿方がいましてよ。」
それはいったい誰だと驚くエドヴィンにカリーネは視線で答え、その先の人物を認めたエドヴィンは眉を寄せた。
「彼はいけない。」
「あら、まさか身分が釣り合わないとはおっしゃいませんわよね?」
「勿論だ。彼がまともな思考の持ち主ならば問題ないのだが、噂は君も聞いているだろう。」
エドヴィンが宰相として城に上がっているせいで、カリーネはゴルシュタット侯爵夫人として領地にとどまっている。それでも社交が大好きで、アイラ達をロックシールドに返してからは頻繁に社交に出るようにもなっているのだ。もともと華やかな世界が大好きなカリーネが公爵家出身でこれほど目立つ存在を知らないわけがない。
「見た目と生まれに加えて実力ある騎士となられて大人気でしたのに。とても残念な性格で若い娘たちからはあっと言う間に嫌われてしまいましたわね。でも正直な方よ。リゲルに素敵な方を紹介して頂いたようですし。それでも正直わたくしなら御免ですけど、あの子が気にしているようなので探りを入れてみましょうかしら。」
楽しそうなカリーネの様子にこれ以上かき乱されてはと案じたエドヴィンが、これまでの次第を手短に話して聞かせる。アイラが心から望むなら許すとエドヴィンは返事をしたが、ベルトルドの興味はアイラ本人ではなく王を眠らせた奇跡の解明だけにあり彼女自身にはまるでないこと。愛情の得られないとわかりきった婚姻はアイラの様な娘には酷だろうからエドヴィンは許可できずにいた。それは国王であるシェルベステルも同じだと告げれば、カリーネは表情を消して遠くに視線を馳せる。
「そうだとしても、相手があの子ならベルトルド様もお変わりになるかも知れないわ。だってこのわたくしを一目で変えてしまった子ですもの。」
「一目で変えたとは?」
眉を寄せるエドヴィンにカリーネは嫌だわ、お忘れになったのとわざとらしく拗ねてみせた。
「乳母に頼まれてあの子達を引き取ると決めはしましたけど、わたくし子供が大嫌いで。社交にばかり興味をもっていたのもあって、離れにでも押し込めて使用人に任せておけば良いと思っていましたの。世間では哀れな子供に手を差し伸べた慈悲深い侯爵夫人を演じられますし。」
慈善活動は貴族の義務だが、実際にお金だけを出して手を汚さないというのが主流だ。例にもれずカリーネもそうだったし、忙しさにかまけエドヴィンも金銭だけの援助にとどまっているのが現状。本来なら仕事を持つ夫の代わりに妻が動くべきなのだが、カリーネは義務の範囲でしか行動を起こせない性格だったのだ。アイラとリゲルを引き取るまでは。
「けれどあの子達を見た瞬間、胸を射られたというのかしら。とても切なくて泣きたくなるような感覚に陥ってしまって。あの漆黒の瞳が必死に訴えてきましたの、どうかお願い、助けてください。どうか見捨てないでって。」
当時を思い出したのか翡翠色の瞳にうっすらと涙の幕を張らせたカリーネにエドヴィンは驚かされた。そういう女性を演じている訳でもなさそうで、どうやら本当に当時は涙を零したらしい。しかもこんな話を聞くのは初めてだ。二人を引き取ると決めたカリーネからは簡素な手紙が届いただけで終わっていたし、その後の報告もエドヴィンが自ら執事に問い合わせ確認する程度だった。それにゴルシュタット侯爵家との関わりが濃厚になればなるほど利用される可能性が出てくる。だからエドヴィンはあえて領地に戻った際も接触を持とうとはしなかったし、アイラとリゲルの姉弟も挨拶を交わした後は食事を同席することもなく部屋で静かにしていたようなのだ。日を追う毎にカリーネは二人に愛情を注ぐようになったのだが、引き取った初めの頃は幼い姉弟に寂しい思いをさせているのではないかと案じていた。
「あの子たちは一瞬でわたくしの心を掴んでしまったのよ、あの子たちの瞳には人の心を動かす特別な力があるわ。あの子に本気で思いを込めて見つめられたら彼もきっと心を持つはずよ。」
囚われすぎて夫であるエドヴィンにすら会わせたくない時期があったのだと笑いながら告白するカリーネを前に、エドヴィンはもしやとの思いが胸を駆ける。
煩いという理由一つで子供が嫌いで、華やかな社交が忘れられず侯爵夫人となってもおとなしく領地にこもっていられなかったカリーネが変わったのは、それはまさにアイラとリゲルの姉弟と顔を合わせたのが原因なのか。これがロックシールドの二人ではなく、他の生まれの哀れな子供であったならカリーネは心を動かされずに変わらず派手な生活を続けていたのだろうか。
エドヴィンは見つめられ心を動かされたと涙ぐんだカリーネを自分と比較する。二人の父親である前男爵と直接顔を合わせ交渉したのはエドヴィン自身だ。彼の瞳も漆黒で闇に引き込まれそうではあったが捕らわれはしなかった。心を操り掌でいいように転がせるのならその力を使われ、エドヴィンは前王の側に仕える彼を初めから信用してしまっていただろう。けれどそうならなかったのは何故か。彼が力を使わなかったからなのか、やはりそのような特別な力はないからなのか。アイラとリゲルには無いと強く語った姿を思い出し、また不眠で死の淵に落ちたシェルベステルとのやり取りも脳裏に描いた。それからシェルベステルがアイラに惹かれる理由も。その過程はエドヴィンにも語ることができるし、アイラを欲しいと望むベルトルドは彼女自身に惚れてはいない。やはり力をもたらす血は薄れ消えてしまったのだという思いと、カリーネを一目で変えたのはその失われたはずの力ではという思いが湧き起こる。
だからと言って何かが変わるわけではない。もし本当に今もイクサルドを守った天使の力が残っているのだとしても、それを利用するのは約束違反だ。前男爵が命を懸けて願った唯一の事柄を違える訳にはいかないし、イクサルドはそこまでの危機に瀕しているわけでもない。このまま忘れ去られていい伝承だ。
それでももし、ベルトルドが真実にアイラを求めたならどうなるのか。愛情の欠片もない言葉を発したベルトルドが心からの愛を囁いたとき、アイラはそれを信じることができるのだろうか。
カリーネに急かされはっと気が付くと晩餐は終わり広間への移動が始まっていた。広間では音楽が流れダンスを楽しむことができるし、軽食や酒が振る舞われるのもあり、地位や身分によって席が決まっているわけでもないので誰もが自由に社交をすることができる。エスコート役の夫がいるのに先に行くわけにもいかず、出遅れたと不機嫌になる妻を諫めエドヴィンも席を立った。
ロックシールドの為に嫁ぎ遅れの不名誉を気にもせず働くアイラをカリーネは案じ続けていた。夫の頼みであっても手が付き、愛人にされる可能性のある王の寝かし付けなど本当ならもっての他だった。けれど命の危険もあると言われては頷く他なく、また修道院に入ると決めているアイラにもしかしたら出会いがあるのではと僅かな期待をもって送り出した。そしてロックシールドの領地と弟の事しか頭になかったアイラの視線が語っていた心の内。これはもしかしたらとカリーネの心がわく。修道院に入ってしまえば一生会えなくなってしまうが、他家へ嫁に行けば交流は絶えない。好機を逃してはならないと、妻がなにかやらかすのではないかと心配する夫の視線に気づかぬ振りでカリーネはベルトルドの真横を会釈一つで通り過ぎた。
「彼に用があるのではないのか?」
「ふふっ、また後に。」
案じていたエドヴィンとしては肩透かしを食らったような気分だ。けれど向かう先にはアイラの姿。浮かれた様子の妻に、もしかしたら自分の息子よりもアイラが好きなのではないだろうかという錯覚が沸き起こる。
「アイラを気にしているあの方、近衛の方ね。彼はいったい誰かしら?」
「グイン=カリエステか。彼女の護衛だ。」
周囲を気にしつつアイラを見つめているとしてもそれは仕事だと説明するも、カリーネは解っていると微笑んだままアイラに向かって突き進む。気付いたアイラは食べかけのお菓子を口に放り込むとグラスの酒で一気に流し込んだ。
「お腹がすいているの? お食事だけでは足りなかったかしら。」
「本当はいっぱいなんですけど、あまりにも綺麗で可愛いお菓子ばかりでつい。コルセットをゆるく締めてもらったので無理をすれば全部試せそうです。」
「それならよかったわ。でもあなたはお酒に強くないのだから流し込むようにして飲んでは駄目よ。」
「はい、カリーネ様。一口つづ、優雅にゆっくりとですね。」
空になったグラスで飲む真似事をしていると気付いた給仕が回収してくれた。
「そう、優雅にゆっくりと。よくダンスの練習で口にした言葉ね。そうだわアイラ、主人と踊って見せてくれない。どの程度覚えているか確認させてもらうわ。」
「今ここでですか?!」
「ええそうよ。あなたと踊ると心まで軽くなるのだもの。主人にも経験してもらいたくて。」
ちゃんと復習はしているのでしょうと問われ、アイラは頬を引きつらせながらも「はい」と返事をした。
いつ何処で必要になるかわからないので常にマナーには気を使い、ダンスは練習をしておくように言われていたのだ。ロックシールドにいる時にはリゲルと一緒になってカリーネの教えを守っていたが、ここに来てからは相手もいないので疎かになっている。修道院に入るつもりになっていたので余計にだ。叱られるかもしれない。
きっと注意を受けるだろうと沈むアイラを励まそうとしてエドヴィンは妻に袖を引かれる。二人の様子を側で見学したいので、一緒に踊るパートナーに彼を誘いたいのだとカリーネが指さしたのはグインだった。
「彼は仕事中だ。」
宴の席にあるので近衛服でも礼装を纏っているが、帯剣しているのを見ればカリーネにもすぐに理解できるだろうに。しかもグインは国王直属の近衛、カリーネの我儘で職務を放棄させるわけにはいかない。
「あら大丈夫よ、彼もアイラの側にいた方が仕事をしやすいのではなくて。あなたが紹介してくださらなければ気の多い女になってしまうわ。」
だから早く紹介してと急き立てられるが、駄目なものは駄目だとエドヴィンも妻を諫めた。その声に何故かカリーネは嬉しそうに微笑む。
「あら、それなら彼にアイラと踊ってもらいましょう。それなら誰よりも側で守ることができるでしょう。職務放棄にもならないし、なんならわたくしから陛下に直接お願いしても構いませんのよ。」
どうしますかと目を細められ、エドヴィンは走り出した妻を前に仕方がないと溜息を落とした。




