10000人レース ー78 フライドポテトは至高の美味さでした
「理々って時々エグいよな。よりによってフライドポテトだなんて」
高広が彩乃の耳元でコソッと話す。
「某有名チェーン店でもリピーターが多いのに、理々のフライドポテトなんてリピーターどころじゃないよ。うますぎて中毒になっちゃうよ」
「そうよね。おいしさの天元突破だものね」
彩乃もうんうん頷く。
「理々は天然で悪辣だけど、祐也は計算的に悪辣なのよね。見てよ、あの笑顔」
彩乃の言葉に高広が祐也に視線を向けると、祐也が人畜無害な顔をして口角を上げていた。
「わぉ、あの顔はフライドポテトを食べたリシャイルさんがメロメロになることをわかっていて、リシャイルさんを利用しようと考えている顔だ。でも、現地に信頼できる協力者がいると便利なんだよね。たとえリシャイルさんが善良な人だとしても祐也は遠慮なく利用するだろうから、理々や俺たちのために。だから俺は何も見てないよ」
「ええ、私も何も知らないわ。理々のフライドポテトを食べたらリシャイルさんがメロメロになるなんて予想をしていないわ。前もって起こりうる可能性を推しはかるなんて100パーセント無理だし、ええ、予測が狂うことも―――理々のフライドポテトに限ってはないけれども、私は知らない」
高広と彩乃は知らんぷりをすることにした。
これからも理々の料理を、女神の世界の人々が食べる機会は多々あるだろう。4人はこの世界で生きていくのだから。そして理々の料理は、女神の世界の人々の味覚を鷲掴みにすることは予測ではなく確実なことだった。
甘味、酸味、苦味、塩味、辛味、渋味、旨味、たった10日間で理々は料理を極めてしまった。女神のサービス期間中プラスもともとの才能、とはいえ異常なほどのレベルアップであった。高広や彩乃や祐也の何十何百倍ものスピードでのレベルアップであったのだから。
だが、今ならば理解できる。
高広も、彩乃も、祐也にも。
神との契約により、理々には人知を超えた神の力が直接に後押しをしていたことを。レース期間中は、神の本体と理々の心の中に潜む髪の毛一本分の力は、見えない蜘蛛の糸のように細く幽い繋がりにあったのだ。
神の紐付き、と言えばよいのか。
現在では契約は女神が眠るまでだったから正真正銘、神の本体から離れてしまった髪の毛一本分の力しか理々の側には残っていないが。
本体から分離した、もはや別個の意識体となった幸運様。
故にガチャの結果からもわかるように、レース期間中はあれほど万全で万能であった幸運様がやや配慮に欠けるポンコツになってしまったのだ。
が、それでも神の力である。
ドームホームの管理球と水蒸気ちゃんがお仕置きも兼ねてスパルタ育成中なので、再び有能の権化になるのも時間の問題だろう。
幸運様の件はさておき。
理々のフライドポテトである。
ゴクリと喉を鳴らしたもののリシャイルは、顔を横に向けて無理矢理に視線をフライドポテトから剥がした。
「い、今は護衛中なので」
しかし高広が、
「いいじゃないですか。少しぐらいならば。理々のフライドポテトは絶品なんですよ、食べない方が後悔しますよ」
とフライドポテトを掴み、自分の口に放り込む。
「コレ! この味! リシャイルさんもどうぞ? 本当に美味しいですよ?」
無情の風がフライドポテトの匂いをリシャイルの鼻先に運ぶ。
尊敬すべきハイエルフである高広の誘惑に加えて、仲間のエルフたちの無言の訴えが視線となって突き刺さった。階級制度の厳しいエルフ社会は、リーダーであるリシャイルの許可がないと仲間のエルフたちは食べたくても食べられないのだ。
異世界人が多々訪れる(拉致ともいう)世界なので、専門技術から家庭料理まで異世界の知識は多岐に渡り色々と広まっていた。
フライドポテトもそのひとつ。
リシャイルも食堂や屋台で幾度と食べたことがある。
鑑定をかけても無害との判定。問題はない。ごく普通のフライドポテトだった。尋常ではなく食欲を捕らえて掻き乱す匂い以外は。
ジリジリと炙られるような仲間のエルフからの圧にリシャイルが降参して、
「では、少しだけ……」
と言ってフライドポテトを口に入れた途端、ガッ!! とリシャイルの目が極限まで見開かられた。青い目が爛々と燃え上がる。
ドバッとリシャイルの涙腺が決壊した。
「……美味なり……ッ!」
普段は上品な振る舞いをするエルフたちが、我先にフライドポテトへ手を伸ばす。
「至福っ!」
「美味しいっ!」
「何だ、これはっ!? フライドポテトの味をしているのにフライドポテトではない。人生で一番うまいっ!!」
あっという間に山盛りにフライドポテトが消えた。まさに消滅したと言っていい。
もちろん、クッキーも。
エルフたちは陶然と表情を蕩かせ、口はあえぐみたいに開いては閉じて、フライドポテトとクッキーを称えようとするが最上の言葉が見つからない。
ようやくリシャイルが、
「美味しさは罪と言うが、これは大罪だ……」
と声を絞り出した。
リシャイルは内心で絶叫していた、美味しすぎて辛いなんてことがあるとは。
たとえるならば、甘露であるのに海水を飲んだように喉が乾く。そんな心境だった。つまりリシャイルの心を簡潔に語ると、もっと食べたい、という欲望が成立したのであった。
リシャイルは考えた。脳が高速回転をする。
おかわりが欲しい。
いや、おかわりでは満足できない。毎日食べたい。
そのために齢三百年のリシャイルは、ためらうことなくジョブチェンジを決定した。
王家に連なる血筋も、S級冒険者の地位も、この至高のフライドポテトを前にしては比較にもならない。尊さ、10億点。
エルフの寿命は約千年。
人生を生きるための資産は十分に所有しているリシャイルは、残り七百年を信仰にも似たハイエルフの側で理々の極上料理を食べて幸せな日々を過ごすことを自分の中で即座に決めた。
それはリシャイルが、他者が自分をどのように認識しているかに重きをおくタイプではなく、自分が自分をどう思っているかを重要としている故の結論だった。理々の押しかけ従魔たちも同様の思考を持っており、社会的制度はあるとはいえ弱肉強食面も強く残っている女神の世界では〈遠慮〉や〈我慢〉は弱者の台詞であった。何しろ〈金〉と〈承認欲求〉と〈脅迫もしくは暴力〉が欲求を叶える最後の手段である、と堂々と囁かれる世界なのだから。
日本であっても国が違えば常識が違うこともあったのだ。単純に身長の高さや視力が異なっても見えるものが異なることもある。ましてや世界が違うのだ、支配や従属などの社会形式も、慣習や法律や芸術などの文化も、個々や集団の行動様式も、あらゆるものが違ってくるのは当然であった。
リシャイルは、理々に向かって片手を胸にあてて優雅に礼をとる。
「理々殿、先ほど森で暮らしていたとおっしゃっていたが、もしや森の外は初めてですか?」
純粋にフライドポテトの感想を貰えると思っていた理々は、きょとんとしてから祐也を見た。つくった養父設定をリシャイルにも話していいか、祐也に確認するために。
祐也がにっこり頷いたので理々が口を開ける。
「はい。ずっと森で育ちました。ハイエルフの養父から森の外は怖い場所だと教えられていましたし、養父本人が外界との交流を千年ほど絶っていましたので、はっきり言ってこれ程たくさんの人を会うのは初めてなのです。知識やら常識やら養父から教えてもらっていますが、千年の引きこもりの養父の教養なので変なところもあると思うのです。ですので指摘していただけると嬉しいです」
リシャイルの優れた観察力は理々の視線の動きを見逃さなかった。瞬時にリーダーは祐也である、と洞察する。
「なるほど」
リシャイルは祐也に身体を向けた。
「初めての大都市では戸惑う場面も多くあると推察をします。どうでしょう? わたしを皆様の案内人として雇ってみるというのは?」
祐也が笑いかけた唇を引きしめる。釣り針にリシャイルは喰い付いたが、まだ釣り上げてはいない。臨機応変の交渉はこれからだった。
「案内人? ありがたいお話だが先ほど仲間が言ったように我々は初対面であり、貴方を雇うにはリスクが高い。ぶっちゃけ信用度が足りないのです」
何事にも保険は必要だ。特に見知らぬ世界では。
祐也は手の内のカードうち、最小の数字で最大の駆け引きをリシャイルに仕向けるつもりだった。
「我々の仲間はハイエルフです。ハイエルフに畏敬の念をいだく人々ばかりではない、と亡き養父も、リシャイルさん貴方自身も忠告された。単なる護衛ではなく雇用関係を結ぶならば我々を裏切らない保証が欲しいのです」
祐也の釣り糸を正しく理解した理々は撒き餌をすべく、おかわりのフライドポテトを魔法鞄から出したのだった。
読んで下さりありがとうございました。




