10000人レース ー73 奪う神と守る神
「わし、命の恩人じゃぞ」
ふんす、とちっちゃいのに態度のドデカいパンダちゃん。かわいい。
しかし、祐也の目には可愛いパンダちゃんは入っていない。ひたすら理々を見つめている。いや、理々にしがみついている。
「理々……、理々……」
味わった絶望が深すぎて祐也の震えが止まらない。理々を喪っていたかも知れない恐怖を振り払うように、祐也は理々を抱きしめて離さない。まるで腕の中に閉じ込めて逃がさないというように。
たった今見た理々の死という悪夢のような現実に、祐也の瞬きのしない目から押し殺すことのできない涙が流れる。
それは、血の涙だった。
「祐也……、ごめん、なさい……」
もう許して、とは言えない。祐也の震えを治めるために、理々からも抱きつく。かたく、きつく。祐也の背中に腕をまわした。
「……レース期間中は幸運様と上手く共存できていたから、まさか、幸運様が本気で力を使ったら負荷がかかりすぎて身体が壊れてしまうなんて……、思ってもいなかったの……」
「理々、体調は……?」
祐也のくぐもった涙声。カタカタ震えているのに理々をまず心配する祐也に、理々も涙が溢れて溢れて止まらなくなった。
「大丈夫、嘘みたいに元気になった……けど。ごめんなさい、悲しませて。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
それ以外の言葉が出てこない。
だが、謝罪以上に祐也と彩乃と高広にきちんと経緯を説明するべき、と理々は顔を上げた。
「あのね、聞いて欲しいの」
理々はもちろん幸運様にも予期せぬ結果となってしまって多大な迷惑をかけてしまい、合わせる顔がないという心境であったが、理々は祐也と彩乃と高広に覚悟を決めて向きあった。
体内を循環する血液を一瞬で凍えさせたような顔色の悪い3人に、たまらなく胸が痛い。
ずび。理々は鼻をすすって涙を拭って、口を開いた。
「……幸運様は地球の神様なの。と言っても本体ではなく、たとえるならば神様の髪の毛の一本みたいな感じなの。ここは女神様の世界だから、髪の毛一本くらいの力しか秘密裏にこっそり侵入できなくて。それ以上の力だと女神様に感知されてしまうから」
「幸運様は地球の神様として、女神様の人間の連れ去りにずっと立腹していたのだけれど。抗議をすれば、女神様は面白半分に全面戦争を遊びでするような性格でしょう? しかも無差別攻撃をするような。神対神の争いは、お互いの世界をも巻き込んでしまうから幸運様としては回避したかったの、女神様は無駄に強烈な力があるし」
「そうね。神様同士の争いなんてゾッとするわ。世界が滅亡をするわよ。ラグナレクとかノアの洪水みたいに」
彩乃が溜め息をつく。
「人間なんて無造作に蟻のように踏み潰されてお仕舞いだな。ましてやクソ女神が相手では、面白おかしく残忍に惨たらしくオモチャにされるだろう」
高広も嘆息をする。
「うん。だから幸運様も戦争は避けたかったの。理々だって公也お兄さんたちが巻き添えになるのは嫌だもん。幸運様は、今までも女神様を押さえようと色々としたけど成功をしなくて。でも今回、幸運様は条件にぴったりの理々を見つけた……」
「条件?」
祐也の眼光が鋭くなる。
「女神様に認識されずに、この世界で工作するための足場兼隠れ蓑。理々は心が欠けているから幸運様はそこに入って隠れたの、スキルという形で。そして準備を整えて女神様をこっそり攻撃した」
「あの神薬ね」
「理々だけ神薬を持てたのは神様の宿主だったからか」
彩乃と高広の声には熱が籠っていた。女神に一矢を報いたのだ。
「あれは神様の眠り薬。さすがに毒薬だと女神様に気付かれるから、危険度の低い自然に作用する性能の眠り薬なの。たぶん、女神様は数百年くらい眠るよ、女神様にとって数百年なんて数日感覚だから薬を使用されたことは認知されずに終わるはず。よく眠ったなぁ、って」
「でも数百年あれば地球の神様は結界の強化ができて、二度と女神様による拉致被害は起きなくなる。水蒸気ちゃんとドームホームの管理球が幸運様に協力したのは理々のため。数百年間、女神様が眠っていればこの世界に残る理々たちに手出しできなくて安全だから」
「そうか。幸運様は地球の神様だったのか。だったら皆を地球に帰還させることはできないのか?」
祐也が尋ねるが、理々は首を振った。
「幸運様本体ならば可能だけれど、髪の毛一本の力しかないから理々ひとりだけならば戻せる、って。女神様は眠ったけど、幸運様の本体の力がこの世界に介入することによって下手に女神様が起きてしまっても困るし。だから無理なの」
「理々は……」
語尾を濁す祐也を、理々が睨む。
「理々はひとりでだったら帰らない!」
「そうじゃ! 小娘が帰るのは困るぞよ」
パンダちゃんメロンパンにかぶりつきながら叫ぶ。
「私の美味しいご飯の元は帰ってはダメ!」
セレオネちゃんもクリームパンに顔を埋めながら主張する。
大切な理々の命の恩人に、スライムちゃんが深く感謝をしてセッセと接待をしていた。食糧庫から理々の作り置きの料理を運んで、ご馳走三昧の宴会状態となっていたのだ。
しれっとドームホームの管理球と机と水蒸気ちゃんも交ざっている。
理々はパンダちゃんとセレオネちゃんの前まで行くと深々と頭を下げた。背中には祐也が張り付いている。
「この度は命を助けていただき、ありがとうございました」
「よい、よい。それより女神が眠ったとは本当かの?」
「はい。遅効性の薬なので今頃は眠っていらっしゃるかと思いますが、この世界では女神様がいないと何か不都合があるのでしょうか?」
「まったくない!」
パンダちゃんが断言する。
「世界の統治は各種族がそれなりにしておるし、むしろ享楽的な女神はロクデモナイちょっかいを出す疎ましい存在であったしのう」
「チャンスじゃ!」
「チャンスよっ!」
パンダちゃんとセレオネちゃんが声を揃える。
「この世界の魔力は、女神の漏れ出た神力が薄まったものじゃから女神の存在は必要不可欠じゃ。じゃからこのまま永久に眠ってもらって世界の魔力庫になってもらおうぞ」
「女神はほぼ不死だから眠ったまま衰弱死なんて有り得ないし、たっぷりと神力を絞り取らせてもらいましょうよ。今まで散々迷惑をかけられてきたのだから。本当に忌々しいわ」
パンダちゃんとセレオネちゃんが笑顔でハイタッチをする。
「いかに我らが世界のトップクラスの実力者でも女神に正面から喧嘩をふっかける力はないが」
「でも、世界の頂点たちが協力すれば眠る女神を封印することはできるわ」
「さいわいドームホームには世界の頂点の3分の1がおるしの。球に水にわしにお前、それにプラス机じゃ」
「封印には残り3分の2の力もいるわ」
「ほっほっ。たやすい、たやすい。我らにはコレがある!」
バーン! とパンダちゃんが高く掲げたのは焼き鳥であった。
「私たちは超個人主義者ばかりだけれども、この料理があれば一致団結も夢ではないわっ!」
ドーン! とセレオネちゃんがカレーの大皿を抱き抱える。
「ミー! ミー!」
スライムちゃんも負けずに自分の好物をイチオシする。
「え?」
「え?」
「え?」
「え?」
思わぬ展開に、餌をもらう雛鳥のようにポカンと口をあける理々と祐也と彩乃と高広。
ほっほっほっ、ふふふふふ、と悪辣に笑うパンダちゃんとセレオネちゃんに理々が戸惑いがちに声をかける。
「ご自分の世界の女神様なのに封印してしまってもいいのですか?」
「じゃが聞くが。生命を玩具にして弄んで壊して棄てる女神が、神として尊敬できる点があるとでも? 世界を統べる仕事をしているのならば少しは考えるが、他所の世界にまで迷惑を及ぼして遊んでいるだけの恥を知らない女神じゃぞ?」
魔力タンク以外に価値なんぞない、と真面目な顔で宣言する可愛いパンダちゃんにボロクソに言われる女神であった。
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