10000人レース ー67 残り7分、そして0分
空気中には肉眼で見えない微細な物質が多く存在する。
気体であったり。
液体であったり。
固体であったり。
様々である。
ウィルス、細菌、砂塵、花粉、カビ、フン、埃、灰、金属、無機質、有機物、湿気、酸素、窒素などなど、多種多様であるが見えない故に認識されることはない。
しかし、ウィルスによって風邪を引いたり、花粉によって花粉症になったり、目に見えない物質によって感染することは多々ある。
故に、女神の結界内部に密やかに侵入した水蒸気ちゃんが放出する神薬が、皮膚や粘膜や口腔から女神も気づかないうちに吸収されて、じわりじわりと肉体に作用していることを女神自身は知りもしなかった。
「ほらァほらァ、しっかりィ。
もっと頑張ってェ。
あと7分しかないわよォ」
女神が、からかうように手を叩いて囃し立てる。
その時、全身で闘気を漲らせた高広の魔法剣が桐島高校のスクールエンブレムを付けたゴーレムの魔石をとらえ、貫いた。
ドシュッッ!!!
胸部の奥にあった魔石を電光と化した剣が打ち抜く。
高広と桐島高校の100人によって、右腕を斬られ、左腕を失い、とうとう胸部を抉られて剥き出しになったゴーレムの魔石は、バキバキ! ビキンッ! と砕け飛散した。
苦悶と憎悪の声を迸らせるみたいに口を開けたゴーレムは、そのまま土塊となって崩壊する。
「「「ウオォォォォッ!」」」
100人の歓喜の雄叫びが大気を染めるなか、高広と水原が走り出す。
「高瀬高校に助太刀するぞっ! あと7分! 7分だっ!」
ゴーレムへの決定打に欠けて攻めあぐねていた高瀬高校は、高広と桐島高校の援軍に歓声をあげた。
「俺の魔法剣ならばゴーレムを引き裂けます。俺が障害となるゴーレムの腕を切り落とすので、みんなは魔石が露出するまで胸部を魔法や矢で掘って下さい」
言葉とともに高広が空歩で空中を駆け登る。
すでに桐島高校のスクールエンブレムのゴーレムでコツを掴んだ高広は、手際が良い。
あっという間にゴーレムの右腕を切断して、左腕も斬り落とした。
その間、約5分。
5分の間に桐島高校と高瀬高校は一致団結して、ここを先途と攻撃に死力を尽くした。
勝敗も。
運命も。
この短い時間に決定してしまうのだ。
「勝つぞッ!」
南城の叫びが加速して大波となり生徒たちを奮いたたせる。
「打てッ!」
「射てッ!」
「撃てッ!」
ドガガガガガガガッ!!!
高瀬高校のスクールエンブレムを付けたゴーレムの胸部が破裂するように抉られる。
1100人が一斉に撃ち出すのだ。
無数の魔法と矢と石がゴーレムの胸部に集中し、衝撃に胴体がのたうつが如く振動した。
「見えたぞ、魔石だッ!」
残り2分。
高広の魔法剣が風を切り、魔石に突き刺さる。
ゴーレムがもがく。
だが、魔石は硬い。
裂傷は僅かだ。
地上数メートルの魔石に剣を届かすことができるのも、ましてや硬い魔石に剣を貫通させることができるのも、高広のスキルと魔法剣だけである。
1100人の熱波のような視線を背中に受けて、高広は力を振り絞った。
ビシリ! 亀裂が魔石に入るが、割れない。
あと、1分。
1100人が固唾を飲み、息を詰める。
誰も喋らない。焦燥と緊迫感に痛いほどの沈黙が張りつめ、キリキリと内臓がねじ切られるように身体が強ばった。
お願い。
頼む。
割れて。
壊れて。
瞬間。
「水弾」
「火弾」
「風弾」
「土弾」
ゴーレムの背に穴が開き、魔法が魔石にうち込められる。
後方から祐也の魔法が。
前方からは高広の剣が。
魔石を両側から挟み、同時に直撃する。
バリンッッ!!!
あっけなく魔石が砕け散った。
バラバラとゴーレムが崩れて土砂の小山に変化する。
「0分よォ。ここまでェ、終了よォ」
女神が刺のある薔薇のように美しく笑う。
「んふ。
勝者はァ、桐島高校と高瀬高校ねェ。
ドラマがあってドキドキしちゃったわァ。
楽しかったわよァ、満足ゥ」
楽しかった、と数多の死体と血塗れの負傷者を前にして女神が嗤った。
「じゃあ、約束ねェ。
桐島高校と高瀬高校はァ、この世界の人間に種族変換してあげるわァ。
それとォ、もうォ森の結界は消滅するからァ、逃げるのならばァ逃げなさいねェ」
女神は優雅に手をひと振りすると、くすくす笑い声をもらしながら姿を消した。
「「「ギャアアアァァッッッッ!!!」」」
女神の言葉か終わるまで沈黙のまま耳を傾けていた桐島高校と高瀬高校の生徒たちが絶叫を上げる。
「「「痛いィィィィッ!」」」
初日の適応化の激痛を数十倍も上回る激しすぎる痛みが身体中で煮えたぎった。
火に炙られるように熱く。
水に沈められるように苦しく。
針が体内で暴れ回るように痛く。
耐えきれず、全身から血が噴き出した。
呼吸困難となって喉を掻きむしり。
ショックに痙攣して白眼を剥き。
口から大量の血を吐いて。
1100人が地面の上で身体を折り曲げて悶え、のたうつ。
すぐさま彩乃が治癒をかけ、生徒たちの間を走りまわった。
高広が空から治癒の魔法薬を大量に雨あられと降り注ぐ。
おそらくこの時に彩乃と高広がいなければ、レベルの高い一部の生徒をのぞいて、大多数の生徒がショック死していたことだろう。
あるいは祐也がいなければ、全員が他の高校の生徒によって惨殺されていたことだろう。
祐也は、守るために1100人を頑丈な風壁を作って取り囲んだ。
敗者である8校の生徒たちが向かって来ていたからだ。
ズルイ、ズルイ、ズルイ、ズルイ、ズルイ、ズルイ、ズルイ、ズルイ、ズルイ、ズルイ、ズルイ、ズルイ、ズルイ、お前たちだけ種族変換してズルイ。
自分だけが損をするのはフェアではないと鬱屈して、渦を巻く憤激が出口を求めて。
この世で一番理不尽な扱いを受けている自分は被害者であると、可哀想な自分のための捌け口を求めて。
嫉妬と欲望の湾曲した被害者意識が、不平不満と逆恨みとなって8校の生徒たちを呪詛のごとく虜にしていた。
種族変換の苦痛に息も絶え絶えの桐島高校と高瀬高校の生徒たちは、今、抵抗をすることさえできない。
「自分たちが勝てなかったからって勝者を妬むなんて、おまえたちは恥ずかしくないのか?」
声音はオブラートに包まれることなく、祐也は冷酷だった。
「だって1位に味方されて、あいつらだけエコヒイキじゃないか!」
怒鳴る生徒に祐也の眼は冷たい。
「もともと僕たちは桐島高校の所属だ。女神が勝手に団体戦で分けただけで、本来属する高校のゴーレムを倒して何が悪いんだ?」
「高瀬高校にも手を貸していたじゃないか!」
「桐島高校と高瀬高校は同盟を結んでいる。相互援助は当然のことだ」
自分が尊重されたい、不満を解消したい、と感情で訴えている相手に正論は通じない。そのことを祐也は理解しているので、立て板に水を流すように淀みのない弁舌である。
だが祐也は別のことも思っていた。
人間である南城でさえ、他人のプラスマイナスの感情をコントロールできるのだ。女神にとって人間のマイナス感情を支配することなどオモチャで遊ぶ感覚以下かも知れない、と。
「だいたい不公平だのエコヒイキだの言って僕の風壁に魔法をぶつけているけど、いいのかい? 女神は結界を解いたんだ。外の人間が雪崩れ込んでくるぞ。魔力の無駄遣いをして奴隷狩りから逃げきれるのか?」
祐也の言葉がトリガーとなって、8校の生徒たちは悲鳴をあげて四方八方へとバタバタと逃げ出した。
「俺たちだけ不幸になってたまるか! お前たちも平等に地獄に堕ちろッ!」
という捨て台詞を残して。
読んで下さりありがとうございました。




