10000人レース ー60
「川に行こうと思っているんだ」
「「川?」」
祐也の言葉に高広と彩乃がハモる。
「森の中央の魔獣やボスは生徒たちでいっぱいだろうし。生徒たちのいない場所の強い魔獣は水蒸気ちゃんが狩りまくっているし」
祐也が指をおる。
「川は穴場で生徒たちはいないし、何より水の中ということで難易度が高いからボスの討伐報酬が格段に違う」
「そうだな。10パーセント魔力増強オーブが報酬のボスも多くいるし、もう理々のガチャに頼れないからオーブ類は欲しいしな」
と高広が賛成をする。
「ポイント交換だとオーブはひとり1回しか交換できないから、報酬で貰えるオーブは有ればあるほど助かるわよね。それに水の中だと水中呼吸とか諸々の耐性とかもあがるから一石二鳥だわ」
と彩乃も賛成をした。
川への道を歩きつつ彩乃が躊躇いがちに口を開いた。
傾斜地の小道は、両脇に野草の小さな花が咲き可憐に彩られている。樹木下の半日陰には白い花が群生して、まるで白い蝶々の群舞のようであった。
「ねぇ、女神の貴族知識の冊子は高瀬高校と桐島高校と、残る8校にもひろまったかしら……」
「無理だろう。他校と交流はないだろうし、第一に桐島高校は高瀬高校以外の8校から襲撃を受けた身だ。わざわざ知識を教えに行くとは思えない」
「俺たちだって、蝙蝠の洞窟まで殺意たっぷりに追いかけられて逃げて。俺たちは英雄でもヒーローでもないんだから、できることなんて限りがあるよ」
祐也と高広は、レース中は敵対関係にある8校に直接に援助をする気はなかった。それに、それぞれの高校の一部の生徒たちの暴走である可能性もあるが、桐島高校は900人の命が奪われたのだ。今さら仲良く手を結ぶなど許容範囲外であった。
「僕たちは理々の提案を実行する、それくらいしか桐島高校にも高瀬高校にも、他の8校に対してもできることはないよ」
「俺たちにとって、理々の提案は凄く危ない橋だ。危険を知った上での覚悟はあるが、もうそれ以上の差し伸べる手はないよ。俺たちの精一杯だ」
彩乃はうつむき、足下の小石を見る。海底に潜り砂の重さに耐える貝のように固い硬い石だった。その小石を足先で、ぽん、と蹴る。
「わかっているわ。私たちの運命なんて女神様の気持ちひとつだって」
女神が指先で軽く弾くだけで1万人は容易く消去されるだろう、と彩乃は思った。祐也も、高広も。
けれども足掻くと決めたのだ、4人で。
「ごめんなさい、ちょっと不安になったの。レース後のことが……」
彩乃は4人のなかで一番善良だ。
些細なことに落ち込んで、それが心の大部分を占めてしまうことがあるような普通の人間だ。
祐也と高広のように、理々と彩乃を守るためならば他者をバッサリと切り捨てる冷酷さはない。
怒れない理々の持つ、波のない湖面のような冷静さもない。
そして、たとえ明日に世界が終わるとしても花に水を撒き、種を植え、掃除や洗濯をして料理を作り「お腹がすいちゃったね。ご飯を食べようよ」と言う理々のような強さもない。
レース終了後を案じて怯えるみたいに身体をすくませる彩乃を高広が腕の中に囲い込む。
「平気だって。4人で頑張ってきたんだ、レース後も4人でいれば何とかなるって」
高広の声は真夏の太陽のように明るい。何時だって彩乃を照らしてくれる。寂しい時も悲しい時も怒った時も不安な時も、彩乃を掬い上げて暖めてくれるのだ。
「それに、もしもの時も4人でいれば悔いはない」
高広は腹を括っていた。
果報は寝てるだけではやって来ない。努力しても報われないかも知れない。報われるまで努力し続ければ良いと言う者もいるが、4人を含む1万人に与えられた時間は10日間だ。
たった10日間である。
努力が成果に結び付かないかも知れない。その努力を無駄だったと言う者もいるだろうが、必死に努力した者に努力をしなかった者が言うべきではないし、ましてや努力しなかった者の怠惰の言い訳の攻撃に使われたとしても耳をかたむける価値もない。
最悪の結果までをたじろぐことなく強く決心している高広とて、まだ16歳だ。それでも、彩乃がいて祐也がいて理々がいて、4人でいるからこそ折れることなく足掻くことができたのだ。
強烈な心理的抑圧を受けるこのような異常な状況に、ひとりではない、信頼できる仲間がいる、それがどれほど心を支えてきてくれたことかを高広は身に沁みていた。
「もし、もしも、世界が終わったとしても俺は彩乃が傍らにいてくれれば幸せだ。今日の続きに明日が来なくても、俺は彩乃とずっと手を繋いでいたい」
朝が明けるように。
夜が訪れるように。
4人が消えたとしても、明日はくる。4人が存在しなくても明日はくるのだ。
爛漫とした三つの太陽が沈み、桜が満開に咲いたような薄桃色の月が昇り、そして曙を知り花が咲き鳥蝶が歌い舞う明日が。
夏帆がいなくなっても訪れたように。
4人がいなくなったとしても。
彩乃を守りきることができないかも知れないと言う懺悔めいた告白に、かえって彩乃の背筋がピンと伸びる。
「もう! 高広ったら、おバカね。高広は私にとって天空の太陽なのよ。天には輝く星星が数多あるけれども、太陽はひとつだけ。いつもみたいに明るく笑って私を照らしてくれていれば、それだけでいいのよ」
「彩乃……」
高広が彩乃を抱きすくめる。だが、祐也がヤンデレ系の腹黒ならば高広はワンコ系のポンコツだった。
「でも……彩乃、この世界には太陽が三つあるよ」
「もう! 高広のおバカ! ロマンチックが台無し!」
彩乃は口では怒っているが、目は笑っている。うふふ、と高広の広い額にデコピンをした彩乃だった。
ふたりの世界をつくる高広と彩乃から少し距離をとり、祐也は岩に腰かけて本を読んでいた。魔法袋の中にはハイエルフの本がどっさりと入っているのだ。
気配りを忘れない祐也は、恋愛面ではヘタレな高広のせっかくのラブラブチャンスの邪魔が入らぬように、ソッと風壁を張り巡らして魔獣が近寄れないようにしていた。
ふと空を仰げば彼方に竜が飛んでいる。
「さすが異世界」
と祐也は呟いて、見上げていた空から本へと視線を戻したのだった。帰ったら理々を抱きしめよう、と考えながら。
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