10000人レース ー56
「あー……」
「まー……」
「どへぇ……」
「ひぇぇ……」
祐也、彩乃、高広、理々が溜め息をついた。
水蒸気ちゃんが次々と、33個のナイショの神薬を吸収するように消してゆく。
「あー、前に当たったのと同じ神薬だ。この神薬は僕たちが所有できるようなものではないし……」
「まー、水蒸気ちゃんが500万ポイントを獲得したようなものだもの……」
「どへぇ、ブラックホールみたいに恐ろしい気配のする神薬を33個も……、いや、前のと合わせると34個……」
「ひぇぇ、水蒸気ちゃん平気そうだけど、ちょっと心配だよ……」
祐也、彩乃、高広、理々が口々に半笑いで言った。妙に不穏なものを感じるが、次手の予想がつかないだけに4人とも口にはしない。刺激を与えず影響を及ぼさないように、無難な言葉を選んで喋る。
災いに巻き込まれないように逃げの処世術も、絶対的な強者に対しては必要なことを4人は知っていた。おそらく管理球も机も水蒸気ちゃんも4人に比べて10億倍は強い。その水蒸気ちゃんが望み、たぶん管理球と机が後押しをしていることなのだから、無力な人間の身としては、見ざる聞かざる言わざるをモットーに知らんぷりをするのがベストな方法だと4人は思った。
何しろ名前からして神薬という物騒な代物なのだ。
ぽん、と手を叩いて理々が明るく雰囲気を変えて口火をきった。
「ねぇ、ねぇ。全言語理解って祐也と彩乃が読みたがっていた書庫の本が」
理々が全部を言う前に、祐也と彩乃が、
「「あっ!!」」
と叫んで書庫へ走って行く。
しかし、すぐに落胆して戻ってきた。
「読めなかった。古代エルフ語で書かれていることはわかったけど。あと複数の千年前の言語。ダリオス語が大陸共通言語となったせいで滅んだ言語ばかりだった」
「特に古代エルフ語は今や絶滅危惧種のハイエルフの言語だから。ああ、使用者が千人以下は除外って! 森の外に行けば役に立つスキルなのは理解できるけど、せっかくの全言語理解なのに!」
祐也と彩乃が歯噛みをする。期待が高かっただけに悔しさもあって意気消沈してへこんでしまった。
「うーん、でも、森の外で使える言語だから古代エルフ語の研究者とか学者とかに教えてもらえるんじゃないかな? それに全言語理解のレベルが上がれば把握できる言語も変化するんじゃないかなぁ?」
理々の言葉に、遠雷の兆しを聴きとったかのように祐也と彩乃が、がっかりと肩を落としていた顔を上げた。双眸に焰がちらつく。
「そう、そうだ。学べばいいんだ」
「やだ、がっかりしすぎて単純なことをウッカリしていたわ」
「「レースが終わったら勉強あるのみだ!」」
「それからね、固有スキル変換オーブは理々は1個でいいよ。戦力的に祐也と高広が2個ずつ、医療的に彩乃が2個、が妥当だと思うの。理々には水蒸気ちゃんたちがいるから大丈夫だし」
思案を整えて言う理々に、祐也と彩乃と高広が向きなおる。
「いいのか?」
「ごめんね、理々。いつも私の方がスキルやオーブをたくさん貰って」
「ありがとう、理々。スキルを固有にして理々が危機の時は必ず助けるから」
「でね、悪いけど、あの蝙蝠いっぱいの洞窟が復活したら水蒸気ちゃんが再制覇してもいいかなぁ? もっと神薬が必要なんだって」
祐也と高広と彩乃の額から頬へ冷たい汗が流れた。
「「「……あの神薬を……?」」」
「うん」
理々が頷く。
欲しい理由は? と喉元まで出かけた言葉を祐也と高広と彩乃は意思の力で呑み込み、
「「「了解」」」
と、短く応えたのだった。
「それからね、ドームホームは管理球ちゃんのテリトリーだから、今日の神薬は内密のままだって。別のスキルが当たったように、偽物の映像で細工しているらしいよ。女神様にはバレていないって」
「わかった。無力な人間だから何も見ていない」
「ええ。無力な人間ですもの。何も聞いていないわ」
「何も言うわけないじゃん。俺、触らぬ神に祟りなし教徒だもん。くそ女神関係なんて怪獣大戦争よりも厄介きわまりないよ」
「待てよ」
はっとするように祐也が察知をして言った。
「そうすると。これからガチャは神薬のみになるのか?」
理々が首を可愛く傾げる。
「うーん? どうだろう? 水蒸気ちゃん、詳しく教えてくれないから不明かなぁ。でもポイントは蝙蝠の洞窟で水蒸気ちゃんがドンドン稼いでくれるらしいから、ガチャが駄目ならばポイント交換で欲しいスキルを取ればいいかも、と理々は思うの」
「「「水蒸気ちゃんは100万単位で稼ぐから……」」」
ハハ、と祐也と高広と彩乃が苦く笑う。
その時、チーン、とオーブンが鳴った。
「あ、パンが焼けた」
理々が台所へパタパタと足取り軽く戻る。
「時間停止の収納をもらったから色々な作り置きを入れておこう、と思って」
スライムちゃんが、鍋の間を行ったり来たりして奮闘している。
カタカタ鍋が揺れて、シュウシュウ音が立ち、蓋の小さな穴から蒸気が噴き出して香ばしい匂いが台所に広がっていた。
スライムちゃんは、大きな寸胴鍋をちまこい手でかき回したりアク取りをしたり、圧力鍋を見たり大忙しである。
「ありがとう、スライムちゃん。理々もいっしょに作るね」
「ミー、ミー」
「僕たちは訓練をしようか」
「そうだな」
「そうね」
祐也と高広と彩乃は訓練室へと歩き出す。
その夜。
ランプの淡い光が薄闇の室内をほのかに照らす中、静かに祐也と高広が布団から半身を起こした。わずかな明かりが祐也と高広の影を伸ばす。
「水蒸気ちゃん」
祐也が、眠る理々の枕元に鎮座する霧の塊に呼びかけた。
「僕と高広は少し外に出る用事があるんだ。理々と彩乃のことを頼みたいのだが?」
頭を下げる祐也と高広に、水蒸気ちゃんが任せろとばかりにくるくる渦巻く。
音もなく身支度をしてドームホームを出ると、祐也と高広は夜の闇の中を飛ぶように進んだ。疾風のように速く、迅雷のように駆ける。
待ち合わせ場所には、ふたつの人影があった。水原と南城である。
「申し訳ありません。お待たせして」
祐也の謝罪に、水原が首をふる。
「いや、僕たちもさっき来たところだよ。祐也君、こちらは高瀬高校の南城会長だ」
水原に紹介された南城が祐也に手を差し出した。
「南城だ、よろしく」
「はじめまして、花園です」
「青山です」
南城が、祐也と高広に握手をする。お互い、探るように穏やかに微笑む。目の奥で相手の力量を推測をつけ認識を深めた。
上辺の鍍金ではなく、手を組むにふさわしい本質があるかどうかを祐也と南城は見定める。
祐也は、にっこりと笑った。牙を隠した獣のように。
「実は僕たちから提案があるのです。聞いて下さいますか?」
「もちろんだ。是非とも聞かせてくれ」
南城も笑みを浮かべた。毒を隠した大蛇のように。
夜空には、満開の桜の花みたいな薄ピンクの月が美しく咲いていた。
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