10000人レース ー53
いつも誤字報告ありがとうございます。
とても助かっています。
水の匂いがした。
日本の街中では感じることのなかった、豊かな土と若々しい緑と濁りのない水が織り成す清浄な匂いだった。
滝は険しい断崖から水が咆哮するように、一気に水柱が落下してくる直瀑である。
水に黒く濡れた岩肌に咲く花々を纏った崖が、渓流をはさむようにそそり立っていた。
広くて深い、エメラルド色をした滝壺に落水した水は雪吹の夜のように白く逆巻き、水煙となって白く細かい泡が無数に立ち上がってゆく。水面を境として、水中と空中に白い流れが生まれていた。
その白い渦に巻き込まれて、上流から流れてきた花々が激しい水流によって蝶々の翅が毟られるように花びらを散らす。ひとひら、ふたひら。エメラルドグリーンの水を花簪のように美しい花色の花びらが彩っていた。
わざわざ外部から霧の塊がこの滝まで訪れるのも納得の、幻想的な美しさだった。
「森林浴もいいけど、滝の飛沫浴も気持ちいいな」
滝下で水の飛沫を浴びながら祐也が、苔むした木々が鬱蒼と茂る濃密な緑の森が育んだ水に指先を浸す。ひんやりと冷たい。
「滝の裏側から流れ落ちる水を見ることのできる滝を裏見の滝と言うんだけど。裏見の滝って側面から行けたり、滝壺の奥が水によって浸食されて洞窟状になっているのが正面からでも見えたりするのもあるけど、この滝は水がカーテンの役目をしていて滝裏がまったく見えないな」
「どうやって行く? 正面突破する?」
高広が勘の鋭い獣のような双眸で滝の奥を見つめる。超直感が滝裏に潜む存在を警告するように身体を締め付けていた。
「でもさ、曖昧な感覚的なものなんだけど、俺、滝の裏に生き物的な匂いを感じないんだよ。なのに超直感がガンガン警告音を鳴らしていて。なんだろう? 罠か何かあるのかなぁ?」
「もともとここは、この世界の人間が狩場とする女神の遊戯場という森型ダンジョンだ。今は女神の結界でレースのために10日間、この世界の人間は入ることができないし、僕たちも森から出ることはできないだけで。だからダンジョンの罠とかあっても不思議ではないよ」
祐也が考えこむ。
「ただ罠と決めつけるのも早計だ。何かある、確かなのはそれだけだ」
「理々が自分の結界魔法を固有スキルにしてくれたおかげで、私たちの魔衣結界も強化されているわ」
彩乃が交互に高広と祐也を見る。
「ボスだったら討伐するまでフィールドから出られないけど、それ以外なら撤退可能なんだから用心しつつ行ってみましょうよ?」
「そうだな。身体強化があるから滝の水圧に耐えることができるだろう。水に濡れるからレインコートを着て、高広は空歩で、僕は風壁を足場にして、前面側面にも風壁を張って滝の中に飛び込んで突破しよう。滝の奥から攻撃をされても風壁が守りの役目をはたしてくれる」
祐也の言葉に高広と彩乃が頷いた。
高広は彩乃を抱き上げると、空中へと駆けのぼった。祐也も風壁を踏んで高広に続く。
滝から少し距離をとった空中で止まり、
「行くぞ!」
と、3人は滝へと潜るように突っ込んだ。
バシャッ!!
一瞬で滝を抜けると、滝の裏側の洞窟に降り立った。
振り返り、流れ落ちる滝の水を通常とは逆の方向から3人は眺める。
「ちょっと不思議な光景ね」
と彩乃は綺麗な唇の端をゆるめて言った。
祐也と高広が空間把握を使う。
先ほどまでいた洞窟は底無し沼のごとく広大だったが、この洞窟にはきちんと行き止まりがあった。
そして驚いたことに生活臭があったのだ。
「ええ!? 木箱がある、麻袋みたいなものも。もしかして隠れアジト? ほら、異世界あるあるの盗賊とかの」
高広が興奮気味に声をあげる。
ドシン。岩床を打つ足音が響く。
洞窟の深い闇のから湧き出すみたいに人型のものが姿をあらわした。6本の手にそれぞれ剣を持ち、目は前後左右にひとつずつ、しなやかで隙がなかった。
「うわっ、隠れ家につきものの守り番もいる。強そー!」
高広が目をワクワクと輝かせて剣を構える。
「ゴーレムか? 初めて見た、凄い、二足歩行をしている。日本のロボットは二足歩行の場合、重心の位置が極めて不安定になりがちで外部からの力で転んでしまうが、構造が違うのだろうな。剣もしっかりと掴んでいるし。魔法でごり押しをしているのか?」
祐也が高広とは別の意味で目を輝かせて、ウキウキと声を出す。
「あのゴーレムを調べたい。倒した後は貰ってもいいか?」
「わかった。でも、闘うのは俺ひとりでしたい。剣術みたいのがあるのか俺はそっちを調べたい。ゴーレムだから剣技があるのか疑わしいが、この世界で初めての剣を持つ相手だし」
高広が剣をかかげて一歩を踏み出した。
目にも入らぬ速さで突進する。
刃鳴音。火花が飛散した。
襲いかかってくる6本の剣を打ち払い、何十合と打ち合う。高広にとって攻撃はすなわち防御であり、相手がどう動こうと自在に対応して、必殺の一撃を振りおろすのだ。
ドシュッ!
1本目の腕がゴーレムから断たれた。
ザンッ!
2本目。
6本の腕による数の有利が消滅してゆく。
剣が、1対6が1対5となり、1対4となって、加速度的に数の優劣が狭まった。
何よりも高広にはスキルが、身体強化による筋力が、高速機動による素早さが、あらゆるものが大幅にゴーレムを上回っていた。
その上、高広の剣は魔法剣だ。
高広自身がレベルアップしているように魔法剣もこれまでの戦闘によりレベルアップをしていた。これにより、たとえ破損しても所有者の高広の魔力を使って修復ができるようになっていた。ほぼ破壊不可に近い状態である。
「おおおッ!」
高広の剣が銀色の弧を描いてゴーレムの胴体に亀裂を入れる。ガクン、とゴーレムが傾く。ゴーレムは苦悶と憎悪のような音を迸らせて、高広によって斬り倒された。
「「やった!」」
祐也と彩乃が駆け寄ってくる。パン! と3人でハイタッチをして笑いあう。
「快勝だったわね、高広」
彩乃が誉める。
「キレイに斬ってくれているからゴーレムを調べやすいよ」
祐也が喜ぶ。
「あのゴーレム、俺の剣道の師匠クラスの腕だったから打ち合いが楽しかった!」
高広がニカリと笑った。
そして3人が、日用品の100年セットにあったランタンで洞窟の奥を照らすと、脱ぎ捨てられたマント、開封された酒の小樽と酒の入った飲みかけのコップが5個、転がったコップが1個、食べかけの干し肉などが雑然と置かれていた。
まるで酒盛りの途中で人間だけが忽然と消えてしまったか、のようだった。
「ねぇ、これって私たちが経験した洞窟からの強制ポイ捨てに似ていないかしら?」
「たぶん、レースが始まる時に女神の遊戯場にいた人間は瞬間的に排除されたんだろう」
「だったら、ここにいた人間は今頃やきもきして焦っているだろうな。見ろよ、壁のところに木箱やら樽やら袋やら大量にある。あきらかにヤバそうな感じ、ここ本当に盗賊のアジトだったんじゃないかな」
3人の視線の先には盗品らしき品々が山積みされていた。
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