10000人レース ー33
残酷な描写があります。
ご注意下さい。
「走れ!」
数百人に追いかけられて、祐也は理々を、高広は彩乃を抱き上げたまま地上10メートルの空中を走り続けていた。
「1位だ! 2位も3位も4位もいるッ!」
「殺せば俺が1位になれるッ!」
「追え、逃がすなッ! ポイントの塊だッ!」
海鳴りのような怒声をあげて生徒たちが追ってくる。右からも左からも、前方からも後方からも、四方から殺意を剥き出しにした生徒たちが4人を激しく猛追する。
バリンッ!
ガラスが割れるような音が響く。それは祐也の風壁にヒビが入った音だった。
「マズイ! レベルの高い者が複数人参戦したみたいだ!」
空中での風壁の発動と、先ほどの高瀬高校の生徒たちを防御していた単なる風壁の発動では、制御も練度もあらゆるものが雲泥の差ほども大きな隔たりがあった。
シンプルに風壁だけを発生させるのに比べて、複雑で至難の技であるのだ。
祐也には、魔力の泉と並列思考と高速思考がある故に、空中における足場としての風壁の安定も守りとしての多面的な風壁の展開も、普通ならば容易ではなく難しいにもかかわらず上手くこなせている。だがそれは表面的で、習熟して十分に会得している状態ではない。
ましてや理々を抱き抱えて、身体強化も使って全速力で空を駆けている現状では祐也の処理能力を超えてしまい負荷が大きかった。
しかも攻撃は1位の祐也に集中し、高威力の魔法を連続してぶつけられては、祐也とて持ちこたえることができなかったのだ。
とうとう側面の風壁が悲鳴をあげるみたいな金属音をたてて破壊されてしまった。
ドンッ!
ドンッ!
ドンッ!
燃え盛る火炎に矢のごとく強襲されるが、すかさず理々が防ぐ。
「結界っ!」
しかし直接な攻撃を阻止できても、波のような火炎の熱気までは押し止めることはできなかった。
魔法を放った理々の指先が、熱風に炙られる。
「理々っ!!」
祐也は自分の胸に刃を突き立てられたかのような悲痛な叫びをあげた。しかし今は走る足を止めることはできない。ぎりっと奥歯を噛み締めて、祐也は走る速度を上げた。同時に、再び風壁を形成して理々の結界に器用に覆い被せて二重にする。抜群のコントロールであった。
「祐也、見えた! あの洞窟よ!」
理々の言葉に祐也は力を振り絞った。
「電撃! 電撃!」
祐也が雨のように雷を地上にばら蒔く。
しかしそれは、弱いものであった。これ以上の魔法の制御は負担が重すぎて、祐也の意志を離れてブレーキのないランダムで勢いのない弱い雷だった。
それでも威嚇にはなり、地上の生徒たちの鼓膜を脅して数瞬立ち竦ませた。
その隙に4人は、巨大な岩をくりぬいたようにポッカリと開いた洞窟に透かさず迅速に逃げ込む。
「高広、先に行ってくれ。僕は入り口に風壁を張る」
高広は一瞬躊躇したが、この後の惨状が予想できたため彩乃を抱きすくめて洞窟の奥へと進んだ。彩乃に見せたくも聞かせたくもなかったのだ。
「理々も行ってくれ」
が、理々は首を横に振って祐也に従わず、
「結界」
と洞窟の入り口に結界を形成する。
「ダメだッ! 理々!」
「祐也だけが泥をかぶる方がもっとダメ。理々もいっしょ。理々もいっしょに立ち向かう」
「ダメだ、理々。頼むから行ってくれ。見せたくないんだ!」
「無理。だってもう来るもの、残酷な世界が」
祐也の懇願は時間切れとなった。慌てて祐也も入り口に風壁を生成する。
理々の言葉通り、それは惨く残酷なものであった。
結界も風壁も透明である。
無防備な、ただの洞窟の入り口に見えたのであろう。生徒たちは、4人を追いかけて来た猛烈なスピードそのままに、結界と風壁にぶつかった。
ぐしゃり、と音がした。
絶叫が響く。
だが、止まれない。殺到してきた後続の生徒がさらに躓き、ぶつかる。勢いを殺せず後ろから迫る生徒たちが、ますます衝突をする。まるで土砂が崩れて斜面が崩壊するように、雪崩崩しのように、前方の生徒たちが結界と風壁と後方の生徒たちの間で圧迫されて押し潰された。
人間の濁流が下となった生徒たちの身体にのしかかり、容赦なく踏み潰し、もつれあった山が築かれる。倒れ、お互いの手足やら武器やらが絡まり地面に顔を押しつけられたのだった。
激痛の走った下の生徒たちは息もできないままに、自分の骨が折れる音を聞いた。
その上、好機とばかりに多数の無事であった生徒たちが激突によって怪我をして血を流し呻く生徒たちに襲いかかった。
「やめろッ!」
「助けてくれッ!」
4人を殺そうとしていた生徒たちは、逆に殺される立場となって悲鳴をあげたが、怪我をしていて逃げることができない。
地獄絵図のような阿鼻叫喚。
恐怖と苦痛と絶望と、断末魔の叫泣が辺りに充満して響き渡った。
祐也は理々の目と耳を塞ごうと、きつく抱きしめた。理々も祐也の目と耳を塞ごうと、祐也の頭に腕を回す。
彩乃がガラスの温室で大事に育てられた高価で美しい純白の百合の花とするならば。理々は野に咲く小さな菫の花だった。
可憐で。
初々しく。
春を告げる小さな花。
花屋のガラスケースで高級な切り花として売られる花ではないが、崖っぷちにでも零れた花のようにひっそりと咲く春の日だまりみたいな慎ましやかな菫の花。
春の嵐の中でも根をはり、小さな小さな花びらを散らすこともなく咲く菫の健気で強い様は、理々そのものであった。
だから理々は、ある種の災害のような祐也でさえ愛することができる、いや、許すことができるのだ。理々の愛は、相手をどれだけ深く愛せるかではなく、相手をどれだけ許すことができるか、であるのだから。
「祐也、いっしょよ。罪があっても罰があっても離れないから、祐也は理々を地獄の底であろうと伴に連れて行ってもいいのよ」
祐也は激情を孕む切ない色をした双眸を歪めて、両手を伸ばして理々の華奢な肩を強く強く掴んだ。
「理々、僕はね、天国でも地獄でも理々を手離す気など欠片もないよ」
瞳孔全開の祐也の眼差しが理々を刺し貫く。
「日本であろうと異界であろうと理々を守り幸せにするのはね、幸運様ではなく僕の役目なんだから。僕の、僕だけの理々」
祐也の手が、肩を滑り落ち腕を伝い理々の細い指に絡む。鎖のように、枷のように。
「理々は僕の心臓。理々が僕を生かしているんだからね、僕の理々」
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