Dimension 06
* * * * * * * * *
オムスカの町を離れ、一行は次の町へと向かっていた。
遊園地のあるジュミナスまではまだまだ遠い。ヴィセ達はその手前に工業の発達した町があると聞いて、立ち寄る事にした。
工業の発展と共に周囲の空気も汚れ、汚水処理も進んでいないのだという。町全体が埃臭く、1日も滞在すれば服の臭さに驚くというから深刻だ。
何故そんな町がドラゴンから襲われていないのか。いや、過去には何度も襲われていたが、昨今はドラゴンが手を出せずにいると言った方が正しい。
この町は現在、対ドラゴン兵器を幾つも揃えている。機関銃など序の口だ。はるか数キロメルテ先のドラゴンをも撃ち落とす砲台、上空数百メルテまで吹き上がる火炎放射器、音波発生器。とにかくドラゴン憎しでここまでやるかと言うほど取り揃えている。
「見えてきたかな」
「すっごく高い塀に囲まれてるね! 中が全然見えない」
≪この場所からでも空気の淀みが分かる。あのような空気の下でよく生きていたいと思えるものだ≫
ラヴァニが飛行して近づけば、ラヴァニが攻撃の的にされてしまう。そのため、ヴィセ達はオムスカで稼いだ金を資金に、飛行艇をチャーターしていた。
紺色の機体が灰色の霧の上を飛んで行く。
高度を上げていないためか、飛行艇の後ろでは霧が舞い上がって渦を作っている。もう少し高く飛べばいいと言っても、操縦士はドラゴンに目を付けられたくないと言って拒否をした。
「ヴィセさん、バロンくん! あの高い壁に囲まれた町がボルツだよ」
「遠くからじゃ外壁しか見えませんが、あまり標高がありませんね」
「ああ。多分霧の上200メルテも出ていないんじゃないかな。おまけにあれは数万年前の火山の跡に出来た町なんだ」
「火山ってなに?」
「火山ってのは、山から熱いマグマを噴き出す山のことさ。煙と火が噴出してくるんだぞ」
バロンは勉強を満足にした事がない。ヴィセもそういうものがあると聞いていただけだ。何となく相槌を打ってはいるものの、カルデラや死火山などと言われてもピンとこない。
「まあ、百聞は一見に如かず! 外側に見えているのは外輪山と言って、山体が崩れたあとの縁の残骸なんだ。内側は窪んでいて、霧よりも低いと言われている」
≪そのような危険な場所に住む必要はなかろうに≫
「なんでそんなところに人が住もうと思ったの?」
「硫黄、鉄、とにかく資源が豊富なんだ。熱水が地下から湧いてくるから水不足の心配もない。手放すには惜しかったんだろう」
小型の飛行艇は次第にボルツへと近づく。滑走路は東西にそれぞれ1本ずつ、外壁の上に設置されている。長さは1000メルテ程、貨物用のプロペラ機も発着できるというから、壁の幅と頑丈さは相当なものだ。
「この壁の高さ、何百メルテあるんだ? これなら流石に霧は……」
「うわっ、こりゃいけねえ!」
滑走路に降り立つ瞬間、操縦士の男が声を上げた。
「どうしたんですか! 故障!?」
「いや、違う! 右だ、町の中が一瞬見えた! とにかく一度機体を止める。自分の目で確認してくれ」
飛行艇は滑走路の上で速度を落とし、端の待機スペースに停まった。他にも小さな機体が2,3機あり、数十人程度を運べる中型のプロペラ機も1機ある。
だが、付近に人の姿がない。
アスファルトはよく整備され、他の機体も放置されているとは思えない。どんな田舎の飛行場でも、係員の1人すら出て来ない場所はない。
「なんだか、やけに静かですね……」
「戻るなら勿論乗せてあげるから、ちょっと確かめたら引き返そう」
操縦士の男は滑走路の端にある塀の中を見ろと言う。ヴィセ達は石の壁からゆっくり町の中を覗き込んだ。
男が言いたい事は、すぐに分かった。
「町が霧に覆われてる!」
≪高い壁が仇になったか。これでは一度入った霧は外に出られぬ≫
小さなカルデラの中は、まるでお椀に灰色のスープを注いだようだった。
高い壁のせいで溜まった霧は殆ど動かず、上に乗れるのではないかと思えてくる。霧の中からはポツリポツリと赤や黄色の屋根が見えており、霧の厚さは然程ではない。
その端では何かが赤々と燃えており、大量の煙がゆっくり霧と交じり合う。
「ヴィセ、あっちの壁、壊れてるよ」
「どこ……もしかして、あの燃えている何かのせいで壊れたのか」
≪これでは兵器使用を止めさせるどころではない。そもそも使える者がおらぬわ≫
「あ、ああ……」
砲台や物見櫓などが壁の上に幾つも置かれている。しかし、やはり人の姿は見当たらない。
「そこの管制塔に誰か残っているかもしれない。壁の中に空間があるなら、逃げ込んだ人がいるかも」
「ヴィセ、行ってみよ!」
「ちょ、ちょっと、おい!」
操縦士の男はこの場から早く立ち去りたいのだろう。誰もいない滑走路の端に取り残されると分かり、ヴィセ達を呼び止める。
「非常食はあったよな。今日ちょっと見て回るくらいなら、なんとか」
≪我はこの姿のままでいよう。元の姿では食べ物が足りぬ≫
「おじさーん! 俺達、町の中を探すから、おじさんは帰っていいよー!」
バロンは満面の笑みで元気に手を振る。その様子は、まるで遊園地に行く子供のようだ。これから静まり返った町に向かうとは思えない。
「帰っていいって、どうやってこの町から出る気だい!」
「ラヴァニが飛べるもーん! 攻撃されなかったら大丈夫!」
ヴィセとバロンは一礼して管制塔と待合室のある建物へと消えていく。男は躊躇いながらも飛行艇の燃料を確認し、しばらくして飛び去っていった。
* * * * * * * * *
「こんにちはー、誰かいませんか!」
3階建ての大きなコンクリートの建物に入り、ヴィセとバロンはしばらく人を捜し歩いた。一部の場所は鍵が掛かっていて入れなかったものの、執務室も、待合室も、荷物倉庫も、どこにも人が見当たらない。
けれど、売店にはいくつかのお菓子が並んでいて、従業員たちの執務室ではカップに珈琲が入ったままだった。食べかけのクッキーは腐っておらず、数日前までは誰かがいたと思われる。
「もしかして、みんな逃げたのかな」
「とすると、あの飛行艇の持ち主達は、逃げ遅れて霧の中……」
本来なら町から上るためだったエレベーターは、霧の中で止まっている。電源は入るが、ヴィセ達はボタンを押す勇気がなかった。
もし中に人が乗っていた場合……どうなっているかは容易に想像できる。
「バロン、ラヴァニ、ここで待っていてくれるか」
「え、やだ」
≪何故待つ必要があるのだ≫
「いや、町の中がどうなっているか分からないんだぞ」
「やだ! 俺も行く!」
出来る事なら、行き倒れた者達の姿などをバロンに見せたくない。ヴィセはバロンのためを思って言ったのだが、バロンは置いて行かれる事を酷く嫌う。
かつて自分がスラムに置き去りにされたせいなのか。それとも、霧の中で仲間が死に、自分だけ生き残った時の恐怖からか。思えばドーンの町で置いて行かれた時も、バロンは泣き叫びながらヴィセを追って来た。
姉のエマがいたから大丈夫だ、周囲が安全だから大丈夫だ、という問題ではない。置いて行かれるという状況がトラウマになっているのだろう。
置いて行く事は、かえってバロンを苦しめる事になる。ヴィセはため息をつき、防護服を2人分取り出した。
「荷物は預かり用ロッカーに入れておこう。鍵を掛けたら誰か来ても簡単には開けられない」
「うん! 俺も行く!」
「分かったから。これを着て、念のためにマスクも付けるぞ」
ヴィセは小さなポシェットを腰につけ、万が一でも盗まれないよう、金をビニールに包んでポシェットの中に入れる。灰色の防護服で全身を包み、顔にはガスマスクを装着した。
エレベーター横の鉄の扉を開ければ非常階段だ。
「行くぞ。ラヴァニは俺の肩に」
ヴィセ達は懐中電灯の明かりを頼りに、外壁の中に作られた石の階段を降り始めた。






