Contrail 01
6・【Contrail】風を切る者の決断
空の果てが青から赤、そして闇に染まっていく頃、2匹のドラゴンと1機の飛行艇が濃い霧の上を飛んでいた。
歩けば5日程の距離も、ドラゴンにとって僅か1、2時間。視線の先ではもう光が点々と町の形を浮かび上がらせている。町の灯が迫って来た頃、飛行艇は無線連絡で滑走路の使用許可を取り飛行場へ、ドラゴン達は町の入り口の少し手前に降り立った。
夕暮れの物悲しさとも相まって、復讐を遂げたというのに表情は暗い。ヴィセ達は言葉少なにドラゴンの背から降りる。流石に夜中までラヴァニやエゴールをこき使う訳にはいかないため、モニカの町で1泊するのだ。
しかし、エゴールは人の姿に戻れるとして、元の大きさに戻ったラヴァニは流石に町へは入れない。
≪我にこの町の道は狭すぎる。それに友好的なこの町に要らぬ恐怖心を与えたくはない。我は近くで休むとしよう≫
「すまない、食べ物の残りがあるからそれを。水もある」
「オレとジェニスはボイさんと合流して宿を取るよ。ゆっくり話したい事もあるからね」
「ヴィセ、バロン、それにラヴァニ。あんたら、あたしの我儘に付き合ってくれてありがとう。気が晴れたかと言われるとそうとも言えないが、非道な者の勝ち逃げは阻止できた」
エゴールはフードで顔を隠し、ジェニスを支えながらゆっくりと歩き始める。見た目は青年のエゴールと、老婆のジェニス。けれどやはりまだエゴールはジェニスの事を愛しているのだろう。
「……見た目で、という事じゃなくて、お似合いな2人だな」
「ドラゴンになれなかったら、結婚してたのかな」
「そうだろうね。でも皮肉な話、エゴールさんがドラゴンの血で長生きしていなかったら、2人は出会う事すらなかった。俺もバロンに会う事はなかったかもな」
ドラゴンの血のお陰で得たもの、そのせいで失ったもの。エゴールとジェニスを見ていると、その両方を思い知らされる。
「うん……ねえ、もうヴィセは怒ってない? 悲しくない?」
「どうだろうな、悲しいけど、もう怒ってはいないかな」
ヴィセはラヴァニに食べ物をすべて与え、2人の水筒の水もすべて飲ませた。体が大きくなった分、必要な量も多くなる。
「後でもっと持ってくる。特に水は全然足りないだろ」
≪何から何まですまぬ。明日また我が翼によって恩を返すとしよう≫
「恩なんて難しい話いいんだよ、仲間だろ」
「ラヴァニ寒くない? 大丈夫? もう小さくなれないの?」
≪我は元々外で暮らしていたのだ、全く問題はない。だが心配には礼を言う。我は良い仲間を持った≫
ラヴァニが大きく羽ばたき、空へと舞い上がる。
≪明日、日が高くなった頃にまたこの場所で≫
「分かった」
「ラヴァニおやすみー!」
ラヴァニはヴィセ達の頭上を2度ほど旋回し、北方の山脈へと消えていく。遠ざかるその姿は、夜空に目を凝らしてももう分からない。
「んじゃ、とりあえず俺達も飯にするか」
「ホテル? 俺はね、着いたら鳥の揚げ物が食べたい!」
「前回俺が泊ったホテルがあるから、そこに行こう。明日は両替商に行かなきゃな……」
自分の旅用品、食費、滞在費、移動費、それにバロンやラヴァニの分が加算される。出費は思った以上に激しく、ヴィセはもう金貨を3枚使っている。まだ金貨10枚にプラチナ貨も20枚弱あるが、こんな生活を数年も続けてはいられない。
「ドラゴニア探しも元の体に戻る方法も重要だけど、収入を得る手段は確保しておきたいな」
「仕事? 俺も手伝えるよ!」
「仕事するなら、バロンはまず字を覚えないとな。さ、そこのホテルだ」
ヴィセは初日に泊ったホテルではなく、次の日に選んだホテルを訪れた。飴色の重厚なカウンターの前に立ち、部屋の空きを尋ねる。
「2人なんですが」
「お2人ですね。今晩ですと……1人用のお部屋でしたら2部屋お取り出来ますが」
「2人泊まれる部屋は満室ですか」
「はい、申し訳ございません。あー……失礼しました、2部屋は駄目ですね。そちらのお子様はまだ15歳を超えていないようですので、保護者の方が同室でないとお泊めする事ができず……」
どうやら、2人で泊まる事ができないらしい。かといって、他のホテルを尋ねる気力もなく、ヴィセはしばし考え込む。
「もしお1人用のお部屋でもよろしいのであれば、小さいお子様分の宿泊代は結構ですよ。お食事代は掛かりますが、いかがでしょう」
「本当ですか! 良かった、有難うございます!」
多少窮屈だが仕方がない。ヴィセは前金を5千イエン支払い、鍵を受け取った。フロント横の階段を上り、503号室を目指す。部屋で着替えてサッパリした後は、食べて寝るだけだ。
ただ、美味しい食事が大好きなバロンはやけにおとなしい。
「どうした? ラヴァニの事か」
「……違う。俺、小さいお子様じゃない」
バロンは子ども扱いに納得がいかなかったようだ。
「そういう事か。確かにバロンは小さいお子様じゃない。お前は大きな男だ。ただ、今日だけは小さなお子様ごっこをしてくれていたら助かる」
「何で、俺小さい子扱いやだ」
「そうか? バロンのおかげで1万イエン浮いたんだぞ?」
「……でもやだ!」
バロンはどう見たってまだ子供だ。それは自身でもよく分かっていた。でも早く一人前になりたいと思っているのに半人前扱いされると、やはり腹が立つ。
ヴィセはそんなバロンに特に困る様子もない。機嫌が良くなる魔法の言葉を知っているからだ。
503号室の扉を開け、ランプに火を灯す。渋々入って来たバロンに荷物を置くように告げると、ヴィセはバロンの前にしゃがみ、ゆっくりと言い聞かせる。
「いいか。さっき言った通り、俺とお前は1万イエン浮いたんだ。バロンのお陰でな」
「嬉しくない」
「本当か? 本当だったらこの1万円は支払いに充てるはずだった。でも、使わずに済んだ。この金を貯めてもいいけど、使ったって一緒だ」
バロンはヴィセが何を言いたいのか、まだ理解しようとしていない。ムスッと頬を膨らませ、口を一文字に結んでいる。尻尾は不満げに左右に振れ、眉間にはシワが寄っている。
対してヴィセは笑顔だ。
「例えば、だ。今日ここで鳥の揚げ物を頼むとする。それでも全然余る。2000イエンのステーキを頼む。それでも余る。白い飯、ゆでたまご、豚骨のスープ……」
「……全部、頼めるの?」
バロンの耳がピクリと動く。心が揺さぶられている証拠だ。
「ああ、そうとも。この1万イエンはバロンが浮かせた金だ。お前は今日、1万イエン分飯を頼んでもいいんだ」
「じゃあ、じゃあステーキお替りできる? ご飯に目玉焼きのせてもいいの?」
「サラダとスープ、シチューを付けてもいいな」
バロンの目が途端に輝く。もう頭の中は食べたいものでいっぱいだ。嬉しそうに飛び跳ねてコートを脱ぎ、早く食堂に下りようとせがむ。
「俺、今日は子供! ヴィセ早く!」
ヴィセはこうなると分かっていたのだ。先にシャワーを浴びるのは諦め、バロンに手を引かれながら部屋を後にした。
そして2階の食堂に下りたのだが。
「申し訳ございません、こちらの食堂は20時までとなっておりまして」
「え、じゃあ今日はおしまい?」
時間は20時15分。オーダーは19時半でストップとなり、もう食堂は後片付けが始まっていた。
「ヴィセ、ご飯は? ねえ」
こればかりはヴィセも予想していなかった。バロンは期待を裏切られ、大きな瞳が潤んでいる。と言っても、食べ物はさきほどラヴァニに全て食べさせてしまった。
「ご飯……」
バロンはあと数十秒以内に泣くだろう。ヴィセはどこか開いている店がないかと考え、ふと思いついた。
「バロン、俺の知ってる店がある。そこに行こう。飯がすごく美味いんだ」
「……ほんと?」
「ああ、俺はラヴァニとその店を悪者から守ったんだ。行ってみないか」
「行く」
バロンは悲しみよりも好奇心の方が勝ったらしい。ヴィセはバロンの扱いにすっかり慣れていた。






