Innovation 01
10・【Innovation】導く者
露天風呂で夜空を見上げ、夜風に吹かれたヴィセとバロンは、湯に浸かれない事を残念に思いながら部屋に戻っていた。ラヴァニは丁寧に拭かれた後、タオルにくるまったままだ。
部屋着の浴衣も着やすく、ヴィセ達はとてもリラックスしていた。
トメラ屋の2階の部屋からも海を眺める事が出来る。大浴場のある離れの方が海に近いものの、やはり高い所からの方が眺めもいい。
海賊が長く占拠していたせいで、このトメラ屋もまだ歴史があるとは言い難い。それでも町で一番古い時代の建物であり、風情が良い。今でも時折海賊や移民との小競り合いがあるものの、45年も木造建屋が無事という事は、そこまでの緊急事態は起きていないのだろう。
「お食事の用意ができました。失礼します」
「あ、はい」
ヴィセの故郷でも靴を脱ぐ習慣はあった。ベッドではなく布団を敷き、あぐらをかいてクッションに座り、囲炉裏を囲んで食事をしていた。ただ、旅に出てからは経験がない。
久しぶりに故郷を想い出す。バロンは座り方が落ち着かないと言うも、ヴィセはとても満足そうだ。
≪我はどこにでも座れ、どこでも羽を休めることが出来るのが気に入った≫
「タオルにくるまってるくせに」
「さあ、たくさん召し上がって下さいな。お水はポットに入れてこちらに」
料理を運んできたのはミナだった。引き戸をゆっくり開け、上り框で正座をし、頭を深く下げて挨拶する。この宿が特別なのか、それともブロヴニク地区の伝統なのか、とても心地が良い。
ミナは敷居を踏まないように料理を運び、それぞれの料理の説明を始めた。海辺で出会った時とは違い、今は宿の女将としての振る舞いに徹している。
「お箸は使えますか?」
「あー、俺は大丈夫ですけど、バロンは無理だと思います」
「それではスプーンとフォークを。こちら食前酒です。お連れ様は麦の茶を。箸染めは蟹の身を載せた葉物の浅漬け、前菜は長芋といんげんの煮物、海老のお吸い物でございます」
「すごい、いっぱいある! これなに?」
小鉢に入れられた肉や野菜、平たい皿に上品に盛り付けられた野菜と魚、それに小さな鍋、蓋のついたお椀など、お盆からはみ出しそうな数だ。
説明を聞いてもどれが何だか覚えられない。それでもヴィセとバロンは1つ1つに目を輝かせていた。刺身と言われ生の魚を食べるのかと驚いたが、トメラ屋で特に喜ばれるのだという。
≪我は生で喰らうぞ。何を躊躇う必要がある≫
「いや、そうだろうけど」
「お刺身はアジ、タイ、遠洋のマグロ、お肉は牛のステーキです。こちらは鍋物。サバ、白菜、にんじん、豆腐」
「豆腐……?」
「大豆で作るんよ。優しいお味やけん、お食べなさい。最後に雲丹ごはん、デザートの氷みかんです」
「ヴィセ、果物だよ! 俺果物好き! あまいもん」
バロンが満面の笑みで頬を押さえる。ミナはゆっくり微笑み、召し上がれと言って頭を下げた。ラヴァニはヴィセ達よりも大きなステーキ、焼きサバの2つが用意された。
「いただきます!」
ヴィセが食前酒を一気に飲み干し、ミナがまあと言って目を見開く。ラヴァニ村ではウォッカを飲んでいたのだから、これくらいは平気だ。
「あのね、ヴィセはビールがいい! ね? ヴィセいっぱいビール飲む!」
「あ、ああ……えっと、ありますか」
「もちろん。お持ちしましょう」
ミナがフロントに電話を掛け、ビールを小瓶で3本用意させる。イサヨがビールを持ってきた後、ミナはグラスにビールを注ぐサービスを行い、洗濯物があればと言って受け取った。食べ終わるまで横にいる訳ではなかったらしい。
「日焼けはどげんね。痛くなかったかね」
「あ、はい。教えて貰わなかったら今頃大変な事に……」
「まだいたーい!」
「あら。片膝立てたまま食事しちゃいけませんよ。お手手はちゃんとテーブルや食器に添えて、お行儀よくお食べなさい」
「……はぁーい」
ミナから叱られ、バロンは渋々座り直し、食器に手を添える。ラヴァニもしてないじゃんと言わなかったのは、口答えしても仕方がないと分かっていたからだ。
「寝る前にお薬ば塗って、夜は窓を開けんで寝なさいねえ。夜は冷えるけん、日焼けが痛いけっち布団剥いどったら風邪ひくばい」
「あ、はい。色々と有難うございます」
ミナはニッコリ笑い、ゆっくりとした動作で部屋を出ていった。恐らくこれから洗濯をしてくれるのだ。
「凄いな、料理が凝ってる。味も今まで食べた事がないものばかりで、どれも美味しい」
「俺早くみかん食べたい! あ、このごはん味ごはんになってる! 順番に食べなくてもいい?」
「今日はいいよ、好きに食え。これ、生魚だって。身だけ綺麗に切ってんだな……醤油って、これソース?」
バロンは何の恐れもなく、何でもパクパクと食べている。刺身だと言われたらそうなのかと頷くし、醬油に浸けなさいと言われたら浸ける。鍋料理はまだ温かく、今は蓋を開けて出て来た蒸気に感動している。
旅人を名乗っておきながら、旅先のものを経験しないのも格好悪い。ヴィセはアジの刺身を醤油に浸け、口に運んだ。
「……すげえ、何この食感! もしかして生の魚って甘い? それともこんな風に薄く切られてるから?」
≪我はこの丸かじりがいい。骨以外を全て食すのなら、焼いてある状態はとても食べやすい。ゆでたまごといい、魚といい、火を通すと全く異なるものになるのだな≫
「俺が刺し身に感動してるのに、焼き魚で誘惑すんなよ……」
ヴィセ達は旅の大半の食事において、質より量だった。もちろん美味しいものも食べているが、それは好きなものを頼んで食べていたからに過ぎない。
すっかり食べ終わった後、ヴィセは最後に残ったビールをゆっくり飲み干した。
「バロン、みかんやるよ。本当に1人前全部食ったんだな」
「みかんありがと! 美味しかったもん!」
「俺、もう一泊したいな……」
「あー俺も! ごはん美味しいし、この部屋すっごく楽ちん!」
時刻は21時を過ぎている。食事の後でダラダラし、ヴィセは少しバロンと間隔をとって布団を敷いた。電球の明かりを消せば、カーテン越しに月の光がぼんやりと照らす。
「おやすみ」
「おやすみなさーい!」
翌朝、案の定バロンは布団ではない場所まで転がっていた。浴衣は脱げ、まるで……
「あーあー。なんつうか、脱皮だなこれ」
* * * * * * * * *
「え、もう1泊ですか?」
「はい、いいでしょうか」
「それは、勿論」
翌朝、ヴィセ達はフロントでもう1泊したいと申し出た。従業員は住み込みらしく、午前中は昨夜いた男、午後からはイサヨが交代で仕事をするらしい。
「ノスケ、どうしたんね」
「あ、女将! お客様がもう1泊したいと」
奥の部屋からミナが出て来た。ミナは勿論だと言って嬉しそうに笑う。
「でも女将、今日の分は……」
「ヴィセ様、今日の分はお代を頂いても宜しいでしょうか?」
「え?」
ヴィセはミナに何を言われたのか分からなかった。先払いなのに昨日払わなかったからかと、慌てて財布を取り出す。
「えっと……1泊いくらでしたっけ。昨日はビールを頼んだし」
「昨日の分のお代はいりません。あたしが客人としてお招きしました」
「は?」
どうやらミナは昨日の宿泊代をタダにしてくれるつもりだったらしい。ノスケは今日の分もタダなのかと心配していたようだ。
「そう伝えたつもりだったがね。うちにおいでなさいっち、招いたつもりやったけど」
「いやいや、いやいや! お金は払います、そんな、あれだけ食べて2人と1匹分タダって訳には」
ヴィセは丁重に断り、お札を何枚か取り出そうとする。
「いいの」
「でも……」
ヴィセは申し訳なさそうにしており、この様子では宿にいる間委縮したままだろう。ミナは少し考えた後、1つ提案をした。
「それなら、ちょっと手伝ってくれんかねえ」






