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さいしょの約束



 あまりにも突然の告白。

 わたしは最初、わけがわからなかった。


「でもっ。わたし、女の子だよ?」

「・・・おかしいかな」


 悠はしょぼんと顔を俯ける。


「私はりんちゃんと結婚したい。ほかのだれかなんて絶対やだ。りんちゃんじゃなきゃイヤなのに、りんちゃん以外の子なんてみんなきらいなのに・・・」


「ゆう・・・」


 胸がギュッと締め付けられた感覚がした。

 こんなにストレートに好意をぶつけられたのは初めてだ。

 確かに悠とは家が隣で、ずっと一緒に居たけれど・・・。それでもこんな事を言われたのは初めてだ。

 好き、だとか。結婚したい、だとか。冗談で言っている雰囲気じゃないことくらい、誰にでもわかる言い方で。


「じゃあ、結婚しよう!」


 わたしは悠に向かって笑いかける。


「えっ。いいの・・・?」

「ゆうの方からいったのに、なんだよそれー」


 ぶーっと頬を膨らませながら言う。


「わたしもゆうと結婚したい!」


 正直に気持ちをぶつける。

 ただ、自分の思ったことを言っただけ。


「だってさっき、みんなとはなしてたときにだれとも結婚したくなかったんだもん。でも、ゆうも選んでいいなら、わたしはだんぜんゆうだね!」


 たったそれだけの事なのに。

 悠はぼろぼろと大粒の涙をこぼして、大泣きしてしまった。


「わ、わわわっ。ごめん、変なこといった?」

「ちがうの・・・。うれしいのに涙がでてくるの。変だよね・・・」


 わたしはぎゅっと、悠を抱きしめる。

 小さな腕で、小さな身体を。


「変じゃない・・・、変じゃないよ。ゆうは変じゃない。わたし、ゆうのことが好き。だいすきだから」

「私も・・・。私も、りんちゃんのことだいすき」

「ね、わたしたち、おんなじこと考えてるんだよ。だから、変じゃない」


 わたしは言葉の意味も知らずに。


「ゆう、あいしてる」

「うん」

「ぜったいぜったい、結婚するんだからね」

「うん、うん・・・」


 悠が泣き止むまで、ずっと悠の近くでそんな事を言い続けた記憶がある。


 その日、突然うちの両親も悠の両親も都合が悪くなり、車で迎えに来る時間が遅くなることになった。

 わたしと悠は両親を待つ間、庭で追いかけっこのような事をして。


「えへへ、りんちゃーん。こっちこっちー」


 忘れもしない。悠がそんな事を言って走りまわっていた時のこと。


 悠から見て後ろ側―――

 つまり、彼女に見えないような角度から車が走ってきている。普段ならただ自動車が道路を走っているだけの見慣れた光景。

 でも、この時のことは明確にわかっていた。そのスピードが明らかに見慣れた速度では無いほど加速していて、エンジン音がうるさいくらいに大きかったことを。


「ゆうっ!!」


 わたしは条件反射のように悠の身体を突き飛ばし―――


 それからの事はよく思い出せない。

 なんとなく覚えているのは大きな救急車のサイレンと、なんだかよく分からないけどとてつもなく臭い鉄のにおい。


 しばらく経つと、すすり泣く女の子の声が聞こえてきた。

 彼女はずっと何かに謝っている。ごめんなさい、ごめんなさいと何度も何度もつぶやき、そのたびに泣き方がひどくなっていた。


(なんだか、放っておけない子だな)


 見かねたわたしはそう思った。この子がどうして泣いているかはともかく、このまま泣かせておくわけにはいかない。なぜなら、わたしが声をかけなかったら、この子は永遠に泣き続けるような、そんな危うさを感じたからだ。


 だったら、わたしがそばに居て、もう泣かせないようにしよう。

 そう思い、わたしは彼女に手を伸ばした。


 その瞬間だ。

 視界が開けて、光が見えてきたのは。


 結論だけ言うと、わたしは目を覚ました。

 見慣れぬベッドの上・・・そして右手に感じる温かくやわらかな感触。

 悠はこの時もまた、泣いていた。

 それでも、わたしの記憶からはもう、生死をさまよった時に道を示してくれた泣く少女も、そして。悠と結婚を約束して愛を語りあったことも、全く思い出せなくなっていた。


 外傷性ショックによる断片的な記憶の消失。

 消えてしまった記憶が、事故の前後1日程度だったのは不幸中の幸いだったと両親は言っていた。何せ、それ以外はほとんど後遺症も残らず、わたしは2週間足らずのうちに退院することが出来たのだから。


 でも、いま考えてみると。

 不幸中の幸いどころか、この事故がもたらした最悪の後遺症が、その"事故の前後1日程度の記憶の欠損"だったのだ。





「手錠・・・解くね」


 悠はポケットから鍵を取り出すと、わたしの後ろに手をまわしてそのまま手錠の鍵を外す。

 軽い金属音の後、鍵が外れる音がして、わたしは手をぶんぶんと空中で振った。


「手、後ろにまわしてるの・・・楽じゃないね」


 正直、手がだるくて仕方がない。薬のだるさを差し引いても。

 その後、止血したり傷の手当てをしたりといろいろ大変なことがあった。お互い血まみれになってしまったからシャワーを浴びて、衣服を洗濯したり。

 そして最後にやったことは。


「ああ、シャバの空気がうめえ」


 固く施錠され、厚いカーテンが遮っていた、窓を開ける事だった。

 とはいえ外はもう夜。真夏にしては涼しい夜風が吹いていたのが唯一の救いだろうか。


「悠、こっちおいでよ。一緒に星でも見よう」

「ええ~。星~?」

「うん」


 あまり乗り気でない悠がのそのそとやってきて隣に立つと、一緒に空を見上げた。


「・・・見えないね」

「だね」


 街の灯りやスモッグが完全に夜空を曇らせてしまっていて、星なんて見えない。

 雲は見えないので完全に晴れている状態なのにも関わらず。


「もうっ、凛ちゃん、私のこと、おちょくってる?」

「違う違う。たださ」


 わたしは見えない星空を見上げながら言う。


「ここに来てから・・・1回も、こうやって夜空を見上げたことなんてなかったね」

「あっ」


 わたし達は今の今まで、ここから星なんて見えない事すら知らなかった。

 理由は簡単・・・一度も見ようとしなかったからだ。

 ただ見上げれば、そこには答えがあったのに。


「わたしもね、悠の気持ちにもうちょっと寄り添うべきだったと思う。悠にちゃんと想いを聞けばよかった。悠の考えてること、勝手に決めつけてその役割を押し付けてた。もう少し気づくのが遅かったら・・・わたし達、取り返しのつかないことになるところだったから」


 あと一歩遅かったら・・・悠は壊れて、わたしは悠に壊されていただろう。

 それを思うと背筋がぞっとする。こうして2人で並んで想いを語ることも、勿論なかった。


「私も・・・。凛ちゃんは私の婚約者なのに、私のことを愛してるって言ってくれたのに、その凛ちゃんが他の子にきゃーきゃー言われたり、憧れの目線で見られてたり、私の知らないところで仲良くなってたりしてて・・・」


 悠の音量がどんどん小さくなっていく。


「耐えられなかったの。頭が真っ黒になって、気づいたらいろいろ買い込んじゃって・・・。でも、だからって私のやったことが許されるなんて、今は思えない・・・」


 顔が曇っていく悠の肩を持って、わたしは抱き寄せた。


「いいんだ、いいんだよ悠」


 悠はわたしを事故にあわせてしまったこと、さらに彼女にとっては何よりも大切だったであろう約束を交わした思い出を、わたしだけが失くしてしまったこと。

 そして、その原因を作った自分自身を責め続けてきたのだろう。


「赦してくれるの・・・?」


 約束をすっかり忘れたわたしと10年弱の間、何事もなかったように幼馴染をやっていたのだ。

 結婚を約束したはずの相手が、自分のことを恋人以前に恋愛対象として認知していない無間地獄。その間、わたしは彼女にとって無神経な行動をとり続けていた。

 もし逆の立場に居たら・・・。それこそ、1人で逃げ出してしまっていたかもしれない。


 でも、悠はその間、わたしから決して顔を背けず、その日を待っていてくれた。

 決して戻るはずのない、消えてしまったわたしの記憶が、ある日突然よみがえる奇跡が起きるのを。


「赦すも赦さないもない。今までずっと悠に辛い思いをさせてきちゃったから・・・」


 悠の顔を見て、はっきりと言う。


「おあいこ、ってことで」


 わたしが笑いかけると、悠も少しふき出しながら。


「うん」


 と、嬉しそうに頷いた。


 ―――かわいい。

 今の笑顔は本当にかわいかった。さっきまでの笑った表情とは全然違う、悠の上品で柔らかな笑い方。

 やっぱり悠はこっちの方が良い。激昂したり泣いてる表情なんかより、ずっと。


「でも、お腹の傷・・・」

「ああ、これ」


 包帯でぐるぐる巻きになっているお腹を見る。ちょっと大げさな気もするけれど、悠がこれくらいしとかなきゃダメだっていうから。

 悠がフォークをぶっ刺した左のわき腹には、大きなガーゼが貼ってある。少しだだけ赤黒い色が、ガーゼの端を濡らしていた。


「ごめんなさい。一生、消えないよね・・・」

「まあ、しっかり刺さってたからなあ」


 傷跡を改めて見てみたら割とえげつない感じになってて笑ってしまった。確かにこれは一生もんの傷かもしれない。


「でもいいよ、気にするなって」

「ウソだよ。いいなんて思ってるわけない。ホントのこと言って、凛ちゃん」


 ここで嘘をついたら同じことの繰り返しだ。


「一生消えない傷なんてさ・・・」


 わたしは、思い切って言った。


「超かっこいいじゃん」

「へ?」

「いや、ムチャクチャかっこいいでしょ。烙印を押されたとか、過去に何かあって頬とかに傷のある勇者とか、くっ、腹の傷が疼く・・・! みたいなのとかさ。かっこよさしかないじゃん!!」


 今の本音を。1ミリも包み隠さず、そのまま伝えた。


「ぷ」


 悠は思わず笑いを吹き出すと。


「はは、凛ちゃんらしいな。本当に。凛ちゃん、そう言うの大好きだもんね。呪われし右腕みたいなの」


 思わず目からあふれ出てきた涙を一筋、手で拭ってひたすら笑っていた。


 ―――今思うと。

 あの時わたしが失った記憶、そして悠だけに残った記憶が、悠の心を壊れる寸前までに追い詰めてしまったのだろう。あんなになるまで悠を追い込んでしまったこと・・・、それを思うと、本当に苦しい。


「悠」


 ぎゅっと悠の小さな手のひらを握って、親指から順番に、その細い指に自分の指を絡めていく。


「凛ちゃ・・・っ」


 さすがの彼女も顔を真っ赤させてしまっていた。


「恋人つなぎ。初めてやったけど、恥ずかしいね、やっぱ」


 わたしも顔が熱くなるのを必死で我慢しながら話す。


「悠を一番近くに感じてたいから。もう、絶対に離さない」


 一瞬、あの日病院で目を覚ました時のことがフラッシュバックしてきた。

 病院で目を覚まして、本当に大切なことを全て忘れてしまっていた、あの恐怖を。


 あの日以来、長い間失っていた記憶を理由はどうあれ取り戻したのだ。

 この奇跡を偶然のものにさせちゃいけない。


「この手だけは・・・」


 それだけは、絶対に。


「ねえ、凛ちゃん」


 そこで彼女は、わたしの方を上目遣いで見ながら、何やらもじもじと話し始める。


「指切りげんまん、して欲しいの」

「指切り?」


 あの小指と小指を結んでやる、あれだろうか。


「私、ずっと後悔してた。あの時、凛ちゃんが私との約束を忘れてたのは、ちゃんと約束しなかったからだって。だからね・・・今度はちゃんと、して欲しいの」


 悠は少しだけ下を向いて。

 次の瞬間にはばっと顔を上げる。


「ね?」


 そう問いかけてくる悠の顔は本当に明るくて。

 もう大丈夫だな。そう確信した。


「わかった。やろう」


 彼女は本当にそのことを悔いてきたのだろう。

 本当の本当に、長い間。


「わたしは、悠を愛し続ける。絶対に忘れない」

「私は、凛ちゃんを愛し続ける。絶対に忘れない」


 わたし達は小指を立てて、相手の小指と軽く結ぶ。


「ゆーびきーりげんまん、嘘ついたらフォーク1000回刺ーすっ」

「え、えええぇ!?」


 わたしが知ってるやつと違う!


「ゆーび切ったっ!」


 しかし悠は驚くわたしにためらうことなく、元気よくそう言った。


「これで今度忘れた時は、1000回刺して思い出させてあげるね」


 悠は心底嬉しそうに微笑む。

 とても幸せそうに、楽しそうに。


「あ、あと誓約書も書いてね。実印無いなら拇印で良いから。大丈夫、血判じゃなくて朱印でオーケーってことにしとくから。あ、その誓約書、写メ撮って色んなところに保存しまくった後、同期させるからね。もちろん100枚はコピーするから」

「あ、あの・・・悠さん・・・?」

「今度は絶対に忘れさせない。忘れさせるもんか。凛ちゃんに触れていいのは私だけって言ったの、半分本気だからね?」

「か、顔が怖いって」

「はんぶん、本気だからね?」


 微笑みながら言う悠は、目が曇っている時より断然怖く見えた。


(ああ、ダメだ。しっかり病んでるわこれ)


 わたしが黒龍の呪縛にとらわれてしまったように、悠は悠で、違う種類の呪いをしっかり浴びて、それを己がものにしてしまったようだった。

 始まりはどうあれ、長い年月を経て獲得してきたそれを、完全に払うことなんてできない。こういう子なんだと、それを受け入れてあげなきゃならないんだ。悠がわたしの呪縛を許容してくれているように。


「・・・努力しよう」


 悠のその闇を、認める努力を。

 とりあえず、なるべく浮気はしない方が良いということだけは確かなようだ。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

定期的にド直球の百合モノを書きたくなります性分で、この作品も好きなものだけ詰め込んだような内容になってしまいました。

遠くないうちにまた短編でも書ければと思っています。それでは、また。

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