ミゼン10
続けて、彼らはミゼンでのデートの定番、緑化公園へと赴く。窮屈な煉瓦や大理石の大都市の中は、道も良く生活には快適だが、心が荒むほど合理的でもある。そんな都会に疲れた心を癒すのが、ミゼンの中心街から南方へ進んだ辺りにある、広い緑化公園である。
公園と道を仕切る垣根には美しい花々が咲き誇り、芝生の中に点在するクローバーの群生地も、心安らぐ光景だが、心穏やかでない男には周囲が見えていない。
「なんだこのいいムードの公園……!あいつらなんて隠し玉もってやがる……」
親指の爪を齧るクロ―ヴィスの殺意に満ちた視線は、この美しい緑の広場も、憎むべき処刑広場に映っている。垣根から様子を窺っているルクスは、ベンチに座り互いに赤面しながら視線を外す男女を認め、冷静に策を練る。
「既にこちらのカードは弱い。始めに切り札を持って行ってしまったからね」
ルクスは、「顔を出す」という行為そのものの危険性を十分考慮していた。顔を知られた状態で、直接接触することは危険極まりない。あくまで全ての問題を、男に帰責させなければ、彼らの破断は非常に困難だ。
「安心しろ、細々とした嫌がらせにおいて、俺に敵う奴はそうはいねぇ」
「流石は屁理屈の貴公子だ」
「今だけは誉め言葉と受け取ってやるぜ」
クロ―ヴィスは目を弧にして笑う。影の差した不気味な笑みで、「ふへへへっへっへ……」と断続的に声を漏らす彼は、彼女らの座る位置を確認すると、その垣根の真裏に忍び込んだ。
音を立てずに無防備な男の足元に、庭園の青虫を乗せる。暫くして違和感を感じた男が脛を見ると、そこには不気味なほど肥えた青虫が蠢いていた。
「ひぃあああ!」
男は飛び上がる。手をつないでいた彼女も引っ張られて立ち上がった。
「な、何?どうしたの」
「虫が!虫が!」
彼女は、男の指先を視線で追う。それを認めた彼女は、毛を逆立てて飛び上がった。
「きゃあああ!気持ち悪い、気持ち悪い!」
粘液をなすり付けながら脛を移動する青虫を、彼は摘まみ上げようとする。ようやく摘まみ終えると、彼女の悲鳴が彼の鼓膜を刺激した。
クロ―ヴィスは笑いをこらえ、続けて彼女の足元に毛虫を投入する。ベンチの下を出発した毛虫は、緑色の大地をゆっくりと進みながら、女性の靴の先まで行き着いた。
「よぉし、総員、配備完了……」
混乱する二人を尻目に、毛虫はゆっくりと彼女の足の上へと登る。クロ―ヴィスは完全に彼が靴に昇るのを見届けると、彼女が足元に注目するように、そっと彼女の靴の上を押し、垣根を即座に後退する。足下の違和感に気づいた彼女は、恐る恐る自分の足先を見た。そこには、何千もの毛を蓄えた、不気味な色彩を放つ虫であった。
当然、緑化公園の中は、二人のカップルの悲鳴でいっぱいになった。
「いやぁぁぁ!取って、取って!」
彼女の悲鳴に男は急ぎ彼女の足元に屈みこむ。彼は勇敢にも、彼女を害するその虫を払いのけようとした。その柔らかい感触が妙に気持ち悪く、彼はそれに何度も失敗した。 毛の嫌な感触が彼をさらに苦しめる。
彼女は声をあげながら、毛虫のいた足をぶるぶると振り回した。
男は慌てて足から離れるが、靴の先が鼻にあたり、鈍い悲鳴を上げる。その声に落ち着きを取り戻した彼女は、慌てて彼の鼻先を労わった。
彼の鼻から鼻血が一滴滴り落ちる。
「あ、ごめん、ごめん!」
ようやく払いのけた後には、息を切らして髪を乱す、全く雰囲気が出ない男女が息を切らせて立ち尽くしていた。
「い、いいよ。気にしないで」
男は苦笑いで応じる。彼女は勇敢な鼻先を撫でる。そのまま、真っ赤な滴が地面に落ちるのを摘まんで止める。息を切らせた彼らは、暫く呼吸を整える。深呼吸で荒れた心を落ち着かせると、腰に手を当てて憔悴しきった様子の彼女から切り出す。
「こ、ここはもうやめよっか……」
男は放心状態のまま、「う、うん」と力なく答えた。
「ヒィッハハハハハ!台無しだ、台無しだなぁ!」
クロ―ヴィスは腹を抱えて笑う。既に公園を出発したカップルに、その声は届かない。
「しかししぶといね。まだデートを続けるようだ」
「何度やろうと無駄だ。俺が悉く妨害しつくしてやるぜ」
陰気な笑みが板についてきた背の低い男は、カップルのやや乱れた髪を見届けながら、こそこそと彼らの後を追った。
その後も掛水をかけられ、足元の家畜が突然暴れて彼がひっくり返り、空から鳥(青い鳥ではない、飛べない鳥である)が糞を落とされ、満身創痍なカップルたちは、いよいよ自分達のデートの終着点である、彼らの集合した凱旋門前に辿り着いた。空は茜色に染まり、数々の災難で髪の毛が乱れ、息を切らせた男は、「この恋は終わったのだ」と、内心の沈んだ心を隠せずにいた。
彼は酷い有様である。頭に掛けられた鳥の糞を取り除くために髪はすっかり乱れていたし、尻もちをついた際にズボンはすっかり汚れてしまった。水浸しの服は多少乾いてこそいたが、冷え切った心は彼の唇を真っ青に染め上げてしまっている。
「大変だったね……」
「うぅ……ごめんよ……」
彼女の言葉に、理不尽な自責の念に駆られた男が項垂れる。夕陽は二人を祝福するどころか、後ろ指をさすように背中を赤く染めあげている。
その丸まった背中を指を差して、笑っている男のことも知らずに。
「はっはっはっ、うぐ、はぁぁ!これは傑作だ!ほら、見ろよあの絶望に満たされた表情!極上の酒の肴だ!」
自らの卑しい武勲を自慢げに友人に見せる背の低い男は、腹を抱え、脚をばたつかせる。這いまわる様子の異様さは目立ちそうなものだが、ルクスとの身長差があるため、傍からは駄々をこねているようにも見える。
「いや。どうやら我々の負けのようだよ」
「あ?」
終始ゲームを監督していたルクスは、顎を摩りながら彼女の表情を指さす。駄々っ子は眉間にしわを寄せ、視線を持ち上げて二人の姿を見た。
地獄の業火のごとく、男女の背中を染め上げる夕陽が沈んでいく。唇を噛む男の隣で、乱れた髪を整えた彼女は、目を弧にして微笑んだ。
「大変だったね。お疲れ様」
男と堕天したキューピットは女を凝視する。彼女は男の反応に、少し困ったような笑い声を零した。
「初デートは台無し……だったけど。それも含めて人生だから。また、デートしようよ」
「ぁッ……」
クロ―ヴィスは口を開けたまま吃音を漏らす。意外な反応に立ち尽くすばかりの彼に、彼女はあきれた様子の溜息を吐いた。
「もう。邪魔が入ったのは貴方のせいじゃないでしょうが。そう言う風だと嫌いになっちゃうよ?」
彼女はそう言うと、飛び跳ねるように彼に歩み寄り、そっと頬に口づけをした。
瞬間、雑踏が無音になる。開いた口が塞がらない男を真っ赤に染め上げる夕陽は、彼女たちを優しく照らしていた。
男はみるみる元気を取り戻していく。泣き笑いの様子で、彼女をしっかりと抱き寄せた。
「ははっ。ちょっと、臭いよ」
彼女はそう言って男の頭を撫でる。すました表情のルクスは、放心状態のクロ―ヴィスの頭を撫で回した。
彼がその手を払いのけなかったことが、何よりの敗北宣言である。
「ごめんよ、ありがとう」
「……うん」
夕日が祝福する舗装された道を、しっかりと手を握って去っていく二人。その背中を見ながら、なで肩を晒して空を見つめる男、その男を面白がって撫でまわす長身の男。凱旋門の前には、今朝と同じような感情の錯綜があった。
「約束の時間だ。ほら、バニラ君達が待ってるよ」
クロ―ヴィスの手を引っ張り上げたルクスは、心を失ったこの男を連れて、ギニョール劇場へと向かう。観劇の題目は、『祝福こそ誉れなり』、馬上槍試合に赴く騎士と淑女の、甘い恋愛を描いた作品だ。
騎士は淑女への捧げものを勝ち取ると誓い、淑女は彼を応援すると誓う。彼は試合に敗北し、勝者の騎士を後援する淑女に指輪を送る背中を見送る。彼は自らの無力を嘆き、淑女に頭を下げ、泣いて詫びる。ところが淑女は既に望んだものを手に入れたと笑う。騎士に対して、彼女はこう笑いかけるのである。「私が欲しかった一番は、貴方の私への本気の愛。私は貴方を選んだ私を誇りに思う」、騎士は彼女と抱き合い、劇はフィナーレを迎える。「愛の祝福こそ誉れなり」と。
この物語の焼き回しを、どこかで見た者がいるだろうか?クロ―ヴィスは目の前で、図らずも感想戦を見せられたのである。
終始半泣き状態でこれを見せられたクロ―ヴィスの隣で、終劇の余韻に浸りながら、ルクスは「これほど見事なグランギニョールも他にない」と、絶賛し、独り言ちた。
俺達は仲間だと思ってた お前がいつも卑屈に笑うから
だけど違った お前は敵だ
この手にナイフを、お前にはバターナイフをくれてやる
それ程勝ちたい、お前には
お前が女と楽しむならば、お前は敵だ、覚悟しろ
女が去るよう卑屈に笑え それでお前は仲間に戻る
そうでなければバターナイフを振り回せ
精々楽しめ、この野郎




