ミゼン3
旧市街を通り抜け、見慣れた外観の煉瓦の道を真っすぐに進む。この通りには幾つかの小さな段差があり、馬車は足元を気にして速度を遅くしながら、こののぼり段差を上がっていく。石畳の快適な道の、3つ目の角を曲がってすぐに、その建造物があった。
バニラは顔をほぼ直角になる程見上げ、停車した馬車の車窓から、聖堂の尖塔の先を見上げた。
「た、たっかぁー……」
「ミゼンと言えば何と言っても、このアル・ダアム・ドフォヴィエール聖堂だ」
聖堂は急峻な丘の上に聳え立っている。二百段を超える長く傾斜の急な階段が、聖堂の入り口に真っすぐに伸び、来るものを拒む様に、純白の建物が馬車を見下していた。
「ここを……登るんですか?」
バニラが恐る恐るモーリスの方を見る。モーリスは唾を飲み込み、黙って頷いた。
(あ、この人、自分でちょっと後悔してないか?)
彼にとってモーリスは尊敬すべき恩師ではあったが、そのやつれた横顔を見て、珍しく恨み節を述べたいような衝動にかられた。
モーリスは暫く階段の前に呆然と立ち尽くしていたが、二度深呼吸をし、険しい表情で聖堂を睨むと、一段目という大きな一歩‐‐それは、誇張でも、比喩でも一切なく、まさしく大きく膝を持ち上げるような一歩である‐‐を踏み出した。
「ありゃあ、後に退けなくなったんだな」
クロ―ヴィスは口を引き攣らせて笑う。ルクスは頬を膨らませ、そこから空気が完全に抜けてから、四段進んで既に息を切らしている恩師の後を追った。
「気晴らしに、何か語りながら登ろうか」
「やめとけやめとけ。倒れるぜ」
ルクスの後ろにクロ―ヴィスが続く。それに遅れてピンギウが進み、バニラも彼らの後を追った。
聖堂までの階段周辺には木々が生い茂っており二十段も登れば階段は木陰の下に隠れる。心地よい気温を打ち消すのが、傾斜の急な登り階段である。
「き、君たち、大丈夫かね!」
モーリスは息も絶え絶えに振り返る。元より細い体躯が、ますますやせ衰えて見えた。
「まだ、大丈夫です」
バニラは答える。とは言え、彼も、前方を行くピンギウを半ば支えながら階段を登っているのであって、モーリスのことを笑えるほど余裕があるわけではない。
「何やってんだ、置いてくぞ!」
一方で、クロ―ヴィスは軽快に階段を登る。彼は短い脚をひょい、と持ち上げては、休みなく、膝を労わることもなく、ルクスもモーリスも追い越して進んでいる。
「おぉーい、待っておくれよ!」
ルクスは、最後尾について歩いていた。彼は汗だくになった上衣を脱ぎ、トレードマークの帽子さえ脱いで、重い一歩を踏みしめていた。
「早く来いって貴族様!」
「胡蝶蘭を労わり給え!」
クロ―ヴィスは腹を抱えて笑う。彼は駆け足で階段をのぼり、そのまま百段目にある休憩設備の前で待ち構えた。
「九十九段だ!ほら、日が暮れるような休憩なしだぞ!」
「はぁ……はぁ……ううっ……聖堂ばかりが眩いよ」
「が、頑張ってください……」
バニラがピンギウの背中を支えながら言うと、五段遅れのルクスは手をあげて返事をした。一同がクロ―ヴィスと同じ目線に立つには、まだ暫く時を待たねばならなかった。
ようやくの思いで百段目を登り切ったバニラとピンギウ、モーリスは、ルクスを引っ張り上げるようにして救済した後、休憩所の椅子に腰かけて、市販の真水を一気に飲み干した。
(贅沢……!圧倒的贅沢っ……!)
バニラは喉を通り過ぎるよく冷えた水に、普段なら絶対に出さない硬貨を差し出してなお余りある満足を得ていた。聖堂まではやっと半分のあたりで、ここで休憩する観光客たちは木陰から中々動こうとしない。
「おいバニラ、クワガタ見つけた!」
「……子供かな?」
クロ―ヴィスは捕まえたクワガタを下ろし、青筋をむき出しにして威嚇する。バニラは思考が追い付いてやっと、自分が考えていたが言うべきでない失言を言ったことに気づいた。
もっとも、クロ―ヴィス以外は愉快そうに腹を抱えているのだが。
「クロ坊、よかったねぇー」
水分補給をし、多少体力が戻ったルクスがクロ―ヴィスの頭を乱暴に撫でまわす。クロ―ヴィスは例のごとく両手で彼の手を払いのけた。
「あぁー!もういい!クワガタなんて知らん!」
そう言って彼がクワガタを放ろうとした途端、ピンギウはクワガタを見つめながら呟いた
「……カッコイイ」
クロ―ヴィスは手を止めて、みるみる笑顔を取り戻す。彼はクワガタをもってピンギウの下に向かうと、自慢げにそれを彼に披露した。
「そうだろ!色も黒くて光沢もあって、角も見事だろう!」
「これは虫かごを買わなくては。あぁ、そうだ。編んだ籠か何かを買ってきましょう」
「よぉし!そこの店員に聞いてくるわ!」
クロ―ヴィスは駆け足で店に向かい、虫かご代わりの編み籠を携えて戻ってきた。
彼がクワガタを編み籠の中に仕舞うのを見届けると、モーリスは整えた呼吸を暫く維持するために、切り出した。
「出発前に、ここで少し聖堂の歴史を確認しておく事としよう」
「宜しくお願いします」
バニラが姿勢を正す。木漏れ日が差し込む心地よい昼下がりに、講師の咳払いが響いた。
アル・ダアム・ド・フォヴィエール聖堂は、チアーズ修道会派の聖堂であり、元はごく小さな修道院が、丘の上に立つに過ぎなかった。
この小修道院は、町で起こった疫病の終息を記念して建てられたものであり、町の最も高い丘の上に、神への感謝の念を込めて建てられた。それは、収入も酷く少ない状態での、最高の奉仕だった。
丁度、チアーズ修道会が清貧を重んじていたこともあり、市民はこの修道会から修道士を招き入れた。
その後暫くは小修道院に留まっていたものの、ロイ王による各国からの大規模な聖遺物回収の際に、これを納めるに値するものを建てるために、大規模な改修作業が行われた。その際の修道院は救貧院として、都市のパンデミックでは率先して治療にあたることを期待して残され、そのすぐ隣に完成したのが、現在の「アル・ダアム・ド・フォヴィエール聖堂」だ。
この聖堂は、花の女神の黄金像を擁する巨大な祭壇と、バシリカ式の大礼拝所を持ち、祭壇には聖遺物「聖オリヴィエスの落雷木片」が供えられている。この木片は、カペラの結婚の際、オリヴェエスが軽快な落雷を打ち鳴らした際のものとされ、黄金のカペラ像は、婚姻用に着飾った花冠を被っている。
小修道院建設から現在まで、数多くの参拝者が訪れたそうだが、やはり聖堂からのミゼンの眺めは最高だそうだ。
「結婚式ごときで落雷なんて、困ったもんだよな」
「はっは。地上からしたらたまったものではないね!」
ルクスは手を叩いて笑う。
「神の婚姻はそれほどめでたい事だったのだよ」
モーリスはそう言うと、天を仰ぐ。彼らの頭上には、純白の聖堂が聳え立っている。
「そうすると、聖遺物は疫病にまつわるものですか?」
「雷の落ちた際の光が、病魔を打ち払う、だそうだ」
「病気もしっぽを巻いて逃げ出すなんて、とんでもない祝砲だ」
「まぁ、でも、ご利益がそれくらいでないと、この階段は登りたくないですね」
ピンギウもまた、天高くそびえる聖堂を見上げた。一同は同様に空を見上げて、同時にため息をついた。
「……そろそろ行こうか。日が暮れてしまうよ」
太陽はギラギラと真上を通過する。彼らは一拍おき、重苦しい足取りで立ち上がった。




