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ラ・フォイ5

 火山島と記された宿屋の軒先には、ベッドの代わりにソファをあしらった看板が掲げられている。暗くなると一層境界を曖昧にするこの街の外壁は、手探りで歩くには、些か不気味である。


 彼らははじめ、軒先の看板を見てここを家具屋と判断し、この陰鬱な街並みを一周して、ようやくこの看板が宿屋のものである事に気が付いた。


 宿屋『火山島』では、まず真っ黒な外壁が出迎えてくれる。溶岩が冷却したこの岩壁には、斑模様のような色彩のむらがあり、壁を眺めるだけでも彼らにとって不思議な感覚を与えた。

 一方で、宿としては一般的であり、個室は無く雑魚寝形式であり、学生達は他の旅行客と共に薄いシーツ一枚を各人の領土として、隣り合って休む事になった。


 バニラは、大部屋の中に独特の汗のにおいが漂うのを、学舎での暮らしに重ねていた。彼らの熱狂的な雑談、取り分け血気盛んな若者によるとりとめのない猥談は、小さな窓の前で観測器具を広げる彼を一層警戒させた。


 町並みが闇に沈む、という感覚は、ラ・フォイでは一層顕著で、黒の外壁が空と地上の隙間を曖昧にさせる。一方で、内壁の淡い黒色は独特の斑模様を纏っているがために、混じり気のない夜空を切り取ることに苦労はない。黒い壁は却って夜の黒を一層目立たせているのである。

 家々が他の建物と一体化し、その屋根の輪郭だけがぼんやりと浮かんでいるように見える。

 バニラは窓の前に胡坐をかき、星の位置を記録する。この日課には、いつの間にか旅の仲間たちが寄り集まって観測の手伝いをしていた。ピンギウは酒の回らないうちに星の位置を打刻し、クロ―ヴィスはバニラの計算の横に入って間違いがないかを確かめた。ルクスは他の旅行客に混ざっているようにみえるが、これも、バニラが観測に集中できるように特別な計らいをししているのだった。


「……ありがとうございました」


 観測はごくスムーズに進んだ。星の動き、月の動きを記録と共に計算に落とし込んでいくと、バニラは星の運行が楕円に近づいていくのを感じていた。

 加えて、既に故ユウキタクマ博士や、故チコ・ブラーエ博士によって、地上が不動であるという仮説を否定する流れが生じている。しかし、カペル王国では長い伝統に従って、未だに地上を固定し、空のみが動くことを信じてきた。それが、海洋都市国家であったウネッザに眠る、幾千を超える観測記録と相容れぬことを、彼は徐々に感じ始めていた。


「水臭いこと言うなよ、お堅いなぁ」


 クロ―ヴィスはルクスに指を振って合図を出す。いよいよ旅の思い出を語りつくしたルクスと若い旅行客達は、よい雑談の区切りとして、翌日の朝食についての話題を繰り出した。


 バニラはルクスの背中に視線を送り、胸ポケットを気にする。学生達にとってそこは、財布を入れるのに丁度いい場所であった。


「明日は観光がてら、客寄せの手伝いでもするか」


「もう一つの教会も見たいのではないですか?」


 バニラは胸ポケットから手を放して狼狽えた。クロ―ヴィスは首を振り、舌を鳴らした。


「別に午後に見にいけばいいだろ?お前よりずっと手際よく稼いでやるよ」


 クロ―ヴィスは「な?」とバニラの同意を求める。バニラは頭の中で、そろそろ底をつきそうな旅費と、彼らの観光の時間とを天秤にかける。一人の苦労よりも、四人の楽しみが劣ることなどない。やはりバニラは横に首を振った。


「悪いですよ、俺だけのために」


「おいおい。俺達はとっくのとうに知らない仲じゃあないだろうが。一人掛けたら却ってソワソワするだろうがよ」


 クロ―ヴィスはバニラの肩に手を回す。朝食が硬いパン出ない事を祈ることをやめたルクスが、薄いシーツの上に戻ってきた。


「なんの話題かな?」


「明日はみんなで市場で客寄せでもしようぜって話さ」


「ちょっと、クロ―ヴィスさん!?」


 ルクスは察したように頷く。含みのある笑みには、少なくない呆れの表情も見え隠れしていた。


「ノブリス・オーブリジェだ。僕が旅費を工面してもいいのだけど?」


「酒代が足りないので、僕も市場に出るのはいいかと思います」


 ピンギウは瓶の蓋を開けて言う。勿論、彼は当初の願い通り酒代をルクスに肩代わりしてもらっている。瓶の上部から、僅かな気泡が込み上げてくる。

 ルクスは鼻を鳴らして笑う。顎に手を当て、わざとらしく唸り声を上げた後、彼は思いついたように手を叩いた。


「そうだ、ただ客寄せを任されてもつまらない。誰が一番客を呼べたか、競争しようじゃないか」


「きょ、競争ですか?」


「勝負とあっちゃ負けられねぇなぁ……!」


 クロ―ヴィスは腕を回す。もはや後に引けない雰囲気を感じ取ったバニラは、この事実を恩師にどう説明すべきかについて、思考を切り替えた。


「ふふん、君たちは単価の高い客を集める事は難しいだろう?数名で君たちを超える事は難しくないね」


「おうおう、言ってくれるな。俺達にも流儀ってのがあるんだ」


「……僕は荷下ろしでも手伝いますかね」


「勝負から降りるってことだね。賢明な判断だ」


 ルクスはピンギウの肩を叩く。ピンギウは静かに酒を傾けた。


「……さて、そうと決まれば英気を養わねば。久しぶりの仕事とあっては、大層疲れる事だろうしね?」


「おう、偶にはいいこと言うな今回ばかりはお前に全面的に同意しよう。ピンギウ、火の番はよろしくな」


 ピンギウは酒瓶を片手に持ったまま、もう一方の手でジェスチャーを送る。クロ―ヴィスは大胆にシーツの上に手を広げて横になる。大の字になった彼の取っている面積は、ピンギウと挟まれたバニラを一層窮屈にした。ルクスはクロ―ヴィスの腕をきっちりと正す。


「クロ坊はお子様だねぇ」


「誰がお子様だ、バーカ」


 彼はそう一言言って、そのまま眠りについた。ルクスは彼の寝息を確かめると、「それじゃあ、お休み」とバニラに断って横になる。

 バニラはピンギウに先んじて灯を消して、彼らと同じように横になる。彼の胸には、酒を飲んだ時の喉元と同じような温もりが広がっていた。




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