生 じる違和感
どろどろとした黒い闇から、ぷかりと意識が浮上する。
さむい、さむい、さむい。
あぁ、けれど。自分の存在の深い所、おそらく魂というべきものに触れる何者かの手だけが温かくて、ソフィアの意識はその手にすがるように覚醒していく。
人の手なんて知らない。抱きしめられたことなんてない。
人類は、生き残るために愛し合うことを手放してしまった。
父母の愛も抱擁も、ぬくもりさえも分からないソフィアたちにとって、ぬくもりとはヒーターがもたらす温度でしかない。
身体機能を損なわない程度に設定されたぬくもりと違って、今もたらされている熱量は火傷しそうで時折逃れたくなる。けれど、炎のようなその熱は、求めるように燃え盛ったかと思えば、不安そうに揺らめき、悲しみに消えそうになる。
その存在のありようは、自分と何ら変わりがなくて、ソフィアは凍えた土くれのような体を丸めて、そのぬくもりを抱きしめるのだ。
心地いいばかりではないその熱を失いたくなくて、身を焼く痛みさえもなぜか切ない。その正体を知りたくて、ソフィアの意識は今日も漆黒の泥濘から身を起こすのだ。
■□■
「お目覚めですか」
「おはよう、アモル。今日は誰かログインしている? シビュラさんは?」
「いえ、どなたも」
「そう」
このやり取りも、そろそろ終わりにするべきだ。繰り返される淡い期待と落胆はソフィアの心を蝕むし、答えるアモルもどことなく気づかわしげだ。
「さて、今日もレベル上げ頑張りますか! 早くエルダーになりたいしね。アイテム特盛でも日中に活動できるのは大きいもの。その前にアリストクラットだけどね」
「ソフィア様ならすぐでございますよ」
冠位がエルダーまで上がれば、日中のダメージをアクセサリーで緩和できる。日の光を浴びて行動できるようになるというのは魅力的だ。単純に行動のは幅が広がるだけではなく、日中の世界はさぞかし美しかろうと思うのだ。
「では、そのためにもトレントを」
「また?」
「お召し物が埃で汚れますが、鉱物系のエレメンタルに致しますか?」
「木こりの次は、採掘? たまには竜種とか狩りたいんだけど?」
「それはアリストクラットになられてからの方が。今でしたら、蟲系でもいいかもしれませんが」
「あ、蟲はヤダ。しょうがない、エレメンタルで妥協するわ」
「畏まりました。ではご準備を」
パンとアモルが手を打てば、侍女たちがソフィアの着替えの為に入室して来る。なんと今日の武器は戦槌だ。先端は錫杖のような凝ったデザインになっているけれど、重量が半端ない。とがった部分は刃になっていて、切り裂き叩き潰しぐちゃぐちゃにするための、機能性を兼ね備えたデザインの棍棒だ。
(これで生き物は叩きたくないわ)
こんなもので叩いたらぐっちゃぐちゃになるのが目に見えている。赤い血を流す生き物なら痛々しくて見てられないし、青やら緑やら白やらの体液を流す蟲なんて、グロくてソフィアのSAN値がもたない。
(今日は大人しくエレメンタルを叩いておこう)
アモルのことだ。やっぱり採掘は嫌だなんて言えば、笑顔で蟲の巣窟に連れていかれることだろう。超ありうる。いい笑顔で尻尾を振る様子が目に浮かぶ。
(蜘蛛の巣だっけ、蟻だっけ。あとからあとからうじゃうじゃ湧いてきて、汁は飛ぶわ素材はつぶれて使えないわで大変だったの。おかげでアリストクラットには早く上がれたけど……って、あれ? 私、まだアリストクラットにはなってないし、蟲なんていつ行ったっけ?)
あの狩場は、アモルが効率だけで選んだものだ。悪意があったわけでも、ちょっとした意地悪だったわけでもない。効率の良い狩場を聞かれたから、最も空いていてレベル的にも効率が良い蟲の巣に案内しただけだ。それは情報蓄積の少ないサポートNPCの、ありふれた行動だ。
著しく減少した人口を補えるほどAI技術が発達したと言っても、AIは2000年ごろに想像されていたような、人間のように自由に思考したり、ましてや感情を持つようなものではない。
ヒューマンフレンドリーなインターフェースの一環として、まるで人間と相対しているような応対はするものの、あくまでプログラムに過ぎない。大量に蓄積された会話のログからの学習結果に過ぎないのだ。特にサポートNPCはプレイヤーの快・不快の感情情報が褒賞情報として設定されていて、付き合う時間が長くなるほど担当するプレイヤーに最適化されるようプログラムされている。
だからどんどん好ましいキャラクターに成長することはよくあることなのだけれど。
(なんだろ、何か忘れている気が……。記憶がうまく噛み合わない……)
頭に靄がかかったようだ。目覚めたばかりだというのに、頭がうまく働かない。
「ソフィア様、いかがなさいましたか?」
「アモ、ル?」
いつの間に部屋に入ってきたのか。いつの間にこれほど近づかれたのか。
目の前に立つアモルがソフィアの瞳をのぞき込む。近距離から見るアモルの目は眼鏡のレンズによって遮られることなく、眼球の炎の色が見て取れる。
(いつもの赤に青が混じって、今日はアメジストみたいだわ)
アモルの瞳を見ているだけで、ソフィアはいつも落ち着いた気持ちになれるのだ。
「ご気分がすぐれないようでしたら、本日は城でお過ごしになっては。カードゲームなどご用意しましょう」
気づかわし気なアモルの様子にソフィアは少し笑いそうになる。
ソフィアがわがままを言えば、わざと蟲穴に連れて行き、ステキなステッキで蟲団子を作らせるところか、サポートと称して周囲でミキサーみたいな魔法を繰り出して、嫌がるソフィアを笑顔で蟲汁まみれにするだろうこの悪魔は、今は心からソフィアを心配してくれているのだ。
「平気よ。さぁ、採掘に行きましょう」
「本当に大丈夫ですか。本日は埃が舞います。服も汚れますし、ご気分が悪くなるやも」
「蟲汁よりはましでしょ。このステキなステッキで蟲団子を作るとかなら、遠慮するけど」
「蟲汁……。それは、アリ……」
「ナシだから!」
思った通りのリアクションを返すアモルにソフィアは安心して笑う。先ほど浮かんだ疑念は、いつの間にかソフィアの胸中から消え去っていた。
ソフィアはアモルと向かった狩場、暗い坑道で戦槌を振るい、不格好な泥人形のような形をして襲い掛かって来るエレメンタルを打ち砕いていく。
思う存分体を動かすことで、ソフィアの気分はどんどん晴れていくけれど、空気中を舞う粉塵に衣服がくすんでいくように、ほんのわずかに残った靄のような思いは、ソフィアの心の奥底に残り続けた。
たぶんよくわかるこんかいのまとめ
ソフィア「メシはまだかいのー?」
アモル 「さっきたべたでしょー」




