人 の蜜
加工室と呼ばれる部屋がどういう部屋か、置かれた道具がすべてを物語っていた。
血の匂いがいっそう濃いこの部屋に置かれたたくさんの道具は、武器とするにはいささか小さく、人を殺さず痛めつけるための工夫が随所に施されている。
人はか弱く、悪魔は強い。
つねったつもりが肉をつぶしてちぎり取る程度なら、治癒の魔法で治せるが、うっかり首を握ってしまい、殺してしまったこともある。近隣の集落にいくらでもいる人間ならばまだしも、ここの“メイプル”と呼ばれる原料たちは、女性なら誰でもなれるわけではない。一定以上の戦闘力や魔力がある生命力にあふれた個体で、年齢の若い者しか、味の基準を満足できない。
プリメラは若く美しかったが、ただの商人の娘である彼女の魔力や生命力は人並みで、彼女にとっては幸運なことに“メイプル”には選ばれなかった。
そして、“蜜”の品質を向上させるため、加工の最中は魔法で眠らせることも魅了することも禁じられている。可能な限り自然体で、肉体的にも精神的にも健康で健全な状態のままで、殺さずに死ぬほどの痛みを与えなければならない。
それは、道化の悪魔たちにとって難しく、彼らは自分たちを呼び出し、歓喜に満ちた素晴らしい仕事を与えてくれた偉大なる支配者の期待に応えるべく、日々研鑽を重ねている。置かれた道具の数々は、彼らが人間種の研究を重ね、殺さず痛みを与えられるように作り上げた研鑽の結果ともいえた。
「ふむ。やはり強い痛みを与えたほうが味はハッキリするようだ。直接吸血する際は、痛みより快楽を感じるはずなのに、刺激の種類より強度の方が影響するとは。動物の肉の場合は長く痛みを与えると味が悪くなるというが、血が逆というのも興味深い。生命の危機を感じさせることで生命力が込もるのだろうか……」
アモルは資料をめくりながらつぶやく。そこにはこの地下室に集められた“メイプル”たちの種族と年齢、そして、どのようにして“採取”を行ったかが詳細に記載されていた。その結果と、ソフィアの反応を照らし合わせて、アモルはソフィアのために、“蜜”と呼称する極上の血液を採取しているのだ。
毎日“食事”として口にしているワインの中に、この“蜜”が混ぜられていることを、ソフィアは知らない。
「コチラをどうぞ、アモル様」
「昨日の結果です、アモル様」
「……やはり不純物の混入対策と、量の確保が課題か」
道化の悪魔たちは実に勤勉かつ優秀だけれど、生き物相手というのは思うようにはいかないものだ。
痛みのあまり泣き叫ぶだけならまだしも、死の恐怖に失禁する者が後を絶たない。悪臭となる成分は、水の中に溶け込みやすい。悪臭にさらされた血を献上するわけにはいかないから、失禁すれば全量廃棄で、“メイプル”を治癒魔法で癒したのちに、また一からやり直しになる。そうなると、今度は血の出が悪くなり、下手をすると途中でメイプルが壊れてしまう。
今のところ、手足の指を1センチ刻みで肘や膝の半ばまで切り刻んでから、心臓に管を突き刺し、噴き出す血を採取するのが最も良い結果が得られている。これなら瓶に直接採取できるから、空気に触れることもなく、異物の混入を抑えられる。
「ヤバイ、ヤバイぞ、心臓止まる。回復頼んだ、相棒ヨ!」
「マズイ、マズイぞ、脳みそ腐る。回復任せろ、相棒ヨ!」
今日のメイプルは、試しに先に喉を潰してある。おかげで静かに加工できたけれど、余計な痛みを与えたせいで少し弱っていたらしい。管を心臓に突き刺した男のピエロが鼓動の弱さに慌てふためき、女のピエロが治癒魔法を急いでかける。
心臓が止まると、回復させても発狂してしまう者が多いのだ。発狂したメイプルから採取した血を混ぜた食事は、腐る寸前のような、不快な味になるらしい。だからと言って魅了や眠りを使ってはいけない。味が薄くぼやけてしまう。アモルはソフィアの「美味しい」とほころぶ顔が見たいのだ。
基準を満たす“メイプル”の確保は難しく、ようやく確保した“メイプル”は簡単に折れてしまう。加工場の運営は順調とは言えなかった。
「メイプルたちには、痛みと恐怖に打ち勝てる、強い心を持ってもらいたいものだ」
「オオセの通りにございます。いわゆる度胸とイウヤツデ!」
「オオセの通りにございます。それこそ勇気とイウヤツデ!」
悪魔が持ち合わせていない感情だからアモルの配下に使える者はいないけれど、そういう精神強化の魔法を使える者がこの地下室に一人いる。
「今日捕まえた男のエルフ、あれを知っている者は?」
「オリマシタ! 冷静なフリをしていましたが、アレは例のエルフのイイ男」
「オリマシタ! 他人のフリなど意味がない。アレなら良い餌にナリマショウ」
男のエルフとは、ソフィアに森で矢を射かけたエルフのことだ。地下室に捕らえたエルフたちは、近くの里を襲って連れてきた者で、その中に一人珍しいエルフがいた。アモルが狩りに行った時、里のエルフたちはそのエルフを取り返そうと、勇猛果敢に抵抗をした。
(あれは、実に愉しい狩りでした。手を折っても、足をもいでも向かってきた。仲間が死んでも諦めなかった! あぁ、実に素晴らしい!)
動く者が一人もいなくなるまで狩り尽くしたかったけれど、アモルは悪魔だ。契約や交渉を持ちかけられたなら、興奮の渦中にあろうと冷静さを取り戻す。
里を襲う狂乱のさ中に、その変わったエルフは言ったのだ。
「悪魔よ! おとなしく付いて行きますから、村の皆を助けてください。貴方はわたくしを生きて捕らえたいのでしょう? 皆を殺すなら、わたくしも舌を噛んで死にます」
この交渉のおかげで、アモルは冷静さを取り戻し、若い女のエルフたちを何人も無傷で捕らえることができた。里のエルフも生き延びたから、win-winの交渉だったろう。
一つだけ誤算だったのは、変わったエルフは見た目に反して年齢を重ねており、その血は「草を煮詰めた味がする。……青汁ってやつ?」とソフィアに不評だったことだ。
その変わったエルフとは、先祖返りで稀に生まれるハイエルフという上位種族だった。
ハイエルフは、――本人は自分が特別だからあまり加工されないと思っているようだが――血が青汁味ゆえに、連れてきた他のエルフたちが死んでいく中、今もこの地下室で生きている。
「あのハイエルフなら、話し合いも容易かろう」
ようやくこの加工場を軌道に乗せられる見込みに、アモルは笑みを深める。
「デハ、さっそく我々ガ」
「デハ、交渉イタシマショウ」
「いえ、君たちは“蜜”の保存方法の開発を。ここは近々移設する予定だからね」
本来、食材の加工場などというものは、住居から離して作るべきだ。少なくとも大切な主の眠る足元に置いておくべきでないとアモルは考えている。
今はまだ試験段階でアモルが関わらざるを得ないから、この城に置いているだけだ。眠るソフィアの元を離れるくらいならば、不快な生物を城で飼うことも致し方ない。
(これでようやく、“食事”のめどはつきそうですね。しかし、“食事”はあくまで補助的なもの)
この食事も製造している“蜜”も、『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』で、ソフィアが楽しんでいた飲食という娯楽を再現するためにすぎない。エネルギー摂取という意味では、日々行っている狩りがメインだ。
(もっとたくさん食べていただかなくては……)
今のソフィアがアモルの望む姿になるには、もっとたくさん、数えることができないほどの命を喰らう必要がある。こんな方法では、到底時間が足りはしない。何か方法を考えなければ。
(私の血を飲んでいただければ手っ取り早いのですけれどね。それには冠位が少し足りませんが)
アモルは、血にまみれたエルフをうっそりと見つめるソフィアの姿を思い出す。
――あれは心乱される光景だった。
あのエルフの使い道を思いつかなければ、その場で肉片に変えていただろう。
欲に濡れたソフィアの瞳に映るのが自分であったなら、どれほど素晴らしいだろうとアモルは思う。ソフィアの柔らかな唇が己の首筋に触れ、あの白い乱杭歯がこの肌を食い破る。それはどれほどの法悦だろうか。
その瞬間を想像するだけで、アモルの体は甘く震える。彼女が望んでくれるなら、魂ごと差し出しても構わないというのに。
アモルの主は彼を人形か何かだと考えているのだろう。彼の足元にひれ伏し泣き叫ぶしかない脆弱な人間は餌として彼女の欲を満たすというのに、彼のことは餌としてさえ見てはくれないのだ。
そう思うと、いくらでも増えて湧く、人間どもに対して僅かばかりに関心が向く。普段は意識も払わない蟻の行列を、踏みつぶしたくなるような、嗜虐的な衝動だ。
あの世界に創造された時は持ちえなかった衝動。
本来ならば得ることはないはずの、感情と呼べる情動。
それがなんという名の感情なのか、その正体をアモルは理解していない。
たぶんよくわかるこんかいのまとめ
メイプル「献血痛すぎ死ぬ」
アモル 「青汁エルフにケツバットしてもろたらどやろ?」




