な がい夜の終わり
ソフィアにとってエルフの件は衝撃だった。
いくらリアリティーを追求したゲームだからと言って、人の形をしたものを食料と認識し齧り付こうとするなんて。
いつの間にそんなパッチが当たったのだろうか。それとも、シビュラに貰ったMODにそんなものがあったのか。
ファタ・モルガーナ城に戻ったソフィアは、侍女たちの準備した風呂に入り、湯上りにアモルの淹れた紅茶を飲んで、ようやく落ち着くことができた。イチゴのジャムがたっぷり入ったロシアンティーだ。
「今日はいつもより気持ちが昂っておられるご様子。いつもお召し上がりになるワインより、暖かで甘いお茶がよろしいかと思い、ご用意させていただきました。……お味はいかがでしょうか」
「ありがとう、美味しいわ。とても甘くて、ほっとする」
本当に気が利く悪魔だ。
出された紅茶はたっぷり入れられたジャムのせいか、染みわたるように甘く美味しい。
「それはようございました。特別な“蜜”をたっぷりと使った特製の品でございます」
ソフィアの反応がよほど嬉しかったのか、アモルがいつもより大きく尻尾を振りながら笑顔で答える。いつもの作り笑顔などではない。ソフィアにも分かるほど、嬉しそうな表情だ。これにはソフィアも思わずニコリとしてしまう。
「今日はもう、休むわ」
いつもはこのゲームの世界にいつまでもいたいと思うのだけれど、今日ばかりは現実世界が少し恋しい。
「はい。ソフィア様がお休みの間は、このアモルがお守りいたします」
寝台に横になるソフィアの側に、当たり前のようにアモルが控える。
ログアウトしている間は、サポートNPCがプレイヤーの肉体を守るのだ。このゲームはそういう仕様だ。
違和感はない、はずなのに。
天蓋の薄布越しにアモルの視線を感じる。彼の尻尾はピクリともせず、ソフィアの様子を見守っている。
その視線が気になって、ソフィアは薄目を開けてアモルを眺めた。
(私がログアウトしている間、サポートNPCはじっと待機しているのよね。私がリアルで仕事している間……。え? 待って、仕事? 私最近、何してたっけ?)
おかしい。
ログアウトしている間、何をしていたか思い出せない。
現実世界のことは覚えている。コンソール・ベッドと最低限の家具しかない部屋も、終わらない仕事も、ちっとも美味しくない完全栄養食の食事も。
けれど、どれも過去の記憶だ。どれくらい昔かははっきりしないが、最近の現実世界の記憶だけが抜け落ちている。
「……どうかなさいましたか?」
ソフィアが眠っていないと気づいていたのか、アモルが声を掛けてくる。
相談をしたくとも、現実世界の話題にNPCは回答できない。「夢を見られたのですね」といった定型文が返ってくるだけだ。
「大したことじゃないわ。最近、夢を見ないと思っただけよ」
「夢、ですか」
どうせ、「お疲れなのでしょう」だとか「今日は良い夢が見られますよ」といった定型文が帰ってくると思ったのに、薄絹の向こうから向けられたアモルの答えは予想外のものだった。
「お望みでしたらめくるめく夢の世界にご案内いたしましょうか?」
何言ってんだ、こいつ。
ソフィアの心の声が思わず口から洩れる。
「何言ってんの? ……あぁ、そういえばアモル、夢魔――淫魔の一種だっけ」
「はい、さようでございます」
『Gate of Gran Guignol~グラン・ギニョルの門』は暴力表現アリアリのR-16ゲームだけれど、アダルトコンテンツは過剰なほどに規制されている。
それは、このゲームに限らない。他者との接触で死に至る病が発症しかねないのだ。興味を抱いた者たちが、現実世界で他者との接触を試みないように、ゲームのような万人向けのコンテンツでは情報は徹底的に制限され、アダルト向けのコンテンツは精神成熟度試験に合格した者だけにアクセスが許されていた。
だから、有料コンテンツとして解禁されるゲーム中の動作規制も、ハグや挨拶程度のキス止まりだ。
夢魔――サキュバスやインキュバスという種族設定はあるけれど、睡眠状態を付与してHPやMPをドレインできるといった能力しかない。ついでに催眠だとか魅了も得意で、その延長でバフやデバフ、状態異常の付与などの補助魔法が得意だ。脳筋ヴァンパイアのパートナーとして選ばれるべくして選ばれたと言えなくもない。
「……ねぇ、ふと思ったんだけど。淫魔にとって、そういう欲求ってね……」
「そういうと欲求とはどういう欲求でしょう?」
「いや、だから……」
ちらりと見たアモルは、にやにやといつもより意地悪な笑みを浮かべている。これはわざとだ。いつものちょっとした意地悪に、ソフィアはぷいと口をとがらせて話を続ける。
「せ、性欲よ。本来はそういうのを食べるんでしょ? だったら食欲にあたるのかなって」
アモルを選択した時の種族に関する説明を思い出しながらソフィアは尋ねる。
「……まぁ、そう言った側面もありますね」
「まさか、私のこと食べてないでしょうね?」
「なにかそういう夢でもご覧に?」
「ないけど、ないけど! さっき、夢とか見ないって言ったばかりじゃない」
「では問題ございませんね」
白い歯まで覗かせた清々しいまでのアモルの笑顔に腹が立つ。なんだかしてやられた感じだ。サポートNPCが眠るアバターを側で守る設定が無ければ、部屋から追い出してやるのに。
「明日も……たぶん、早いし寝るから。オヤスミ」
そもそも、夢=現実世界なのだ。夢魔が夢に入れるというなら、現実世界に来てみろと言いたい。ついでに代わりに働いてくれればいいのに。
アモルがこんな調子なのだ。現実世界での記憶が薄れるようなパッチが当たったに違いない。きっとそういう仕様なのだ。
(あぁ、シビュラさんと話したい。そうしたら、いろいろ教えてくれるだろうに。ほんとに誰でもいいからログインしてくれないかな。いや、もうアモルでもいいや。何か面白い話が聞けるかも。それにしても、眠いなぁ。……朝日が昇っているんだわ)
目蓋の重さに耐えかねて、ソフィアは眠りに落ちていく。まるで本当に夢の世界に引きずり込まれていくようだ。
「お休みなさいませ、ソフィア様」
呼びかけるアモルにソフィアは返事を返さない。返ってくるのは規則正しい寝息だけだ。この寝息さえ、日が昇るにつれ失われていくのだろうけれど。
「……お強くなられるのは喜ばしいのですが、抵抗力が増していくのは悩ましい所ですね。せめて夢を操る術が残っていればよかったのですが。この一点においては、冠位を上げたことが悔やまれます。ですが、まだ。まだです。まだ、貴方は弱く儚い。だから、私がお護り致しますとも。貴女の願いを叶えるまでは。それが貴女と私――悪魔の契約ですから」
アモルの呟きも瞳に宿る紅い炎も、眠りに落ちたソフィアに届くことはない。
「さて、ソフィア様がお休みの間に、先ほど捕らえたエルフを活用するとしましょうか」
アモルは音もなく寝室を出て、城の地下へと向かう。そこに、ソフィアに矢を射かけたエルフが運び込まれているはずだ。
ログアウトしたプレイヤーをそばで守るサポートNPCなど、この城には存在しない。契約で結ばれた、悪魔とその契約主がいるだけなのだ。
本日はここまでです。お読みいただきありがとうございました。
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