彼の武器といえるもの。
ヘクターのライフ(※精神的な意味で)は最早、風前の灯火。
優しく声を掛けながら撫でるダニエルへ、ドルチェの甘えるような仕草。ヘクターのライフが今まさに尽きようとしていた──その時である。
「本当によく躾られていて、とても美しい。 愛情を注がれて大事に育てられているのがわかるよ」
「!」
「騎士にとって馬は生命の次に大事という。 快く貸してくれてありがとう」
「い……いえ。 とんでもございません……」
ヘクターは思わぬ賞賛と感謝の言葉に、一気に毒気を抜かれた。そこへ──
「慣れない僕に大人しく従ってくれるのも、君が傍にいるからだろう。 相棒への信頼ありきだね、なぁドルチェ?」
「ブルルッ」
「!」
ダニエルの言葉に返事をするように鼻を鳴らす、ドルチェ。
(ドルチェ……!)
ドルチェの瞳は澄んでいる。
真実なにを考えているかはよくわからないが、兎にも角にも澄んでいるのである。
それをヘクターは都合良く捉えた。
(そうだ──私とドルチェの関係はちょっと誰かを乗せたくらいで崩れるモノに非ず! むしろ相棒である私を慮ってくれたに違いない……嗚呼ドルチェ、君は最高だ!)
「──ふっ……ドルチェは私の自慢の相棒ですから(ドヤァ)」
煌めきと自信溢れるドヤ顔で、ヘクターは鮮やかに復活を遂げた。
ダニエルの言葉によって、と言っても過言ではない。
『愛情』もだが、『相棒』『信頼』あたりがパワーワードとなったらしい。
(ふん、この男……なかなかわかっているではないか)
モテるのに休みや夜にも女性と出掛けるでもなく、馬が大事なばかりに規則正しい生活を送るヘクターは『馬が恋人の変人』と陰で言われていた。
そんな彼に先のパワーワードはかなり刺さった模様。
(私の賢いドルチェが認めたのだ……ならば合格として良いのかもしれん)
考えを改めたヘクターが何気なく話してみると、ダニエルは動物好きで案外気が合う。王都ではなかなか動物と関われず、馬番の仕事をたまにやらせて貰ったりしていた彼は、馬の飼育の大変さもわかっていた。
虐げられ想定の『馬番でもいい』は『どうせなら馬番がいい』でもあった模様。
「──だよね? ノースブロウ卿」
「ヘクターで結構です、若旦那様」
いつの間にか馬の話ですっかり盛り上がった結果、ヘクターは名前呼びをダニエルに許していた。
ふたり(と一頭)を、少し離れた位置から静かに眺めていたネイサンは、口許を柔らかく緩ませる。
(不思議な人だ……)
昨夜ダニエルに話したことに、馬への愛情等は含まれてはいない。聞かれたのはやりそうなことと、ネイサンから見た人物像のみ。
そして最後に言われたこと。
『大変だとは思うが、実際になにか起こるまで極力手出ししないで欲しい』
幼馴染みだけにヘクターのことはよくわかっている。
馬を貸してからの彼の表情の僅かな変化や癖から、大体のことを察していたが、なにもしなかったのは『ダニエルが仕えるに値しないから』ではなく、この言葉があったから。
代わりにヘクターに都合のいい展開にさせない為に、いつでも救出できるよう態勢を整えていた。
(だが、またも自力で切り抜けてしまわれた……ドルチェが懐くなんて、私も想像していなかったかたちで)
しかもヘクターの心も動いている様子。
ダニエルは、ネイサンが脳筋のクリフォードよりも遥かに面倒だと見ていた、拗らせ人間不信ヘクターを懐柔しつつある。
ダニエルの為人はまだそこまで知らないが、御者への気遣いや資料から察するに、素の彼の発言なのだと思う。
(妻の報告や彼女が推しているのも意外だったが……なかなかどうして。 閣下、コレは拾いものだったかもしれませんよ?)
──そして辿り着いた城壁。
ダニエル達がやってきた唯一の大きい道。その正面にあたる場所には、飾り気がないが邸宅のような建物が聳えている。ここも城壁の一部らしく、そこから横に延々と壁が続く。
壁の下部、時折大きくアーチを描く開口部から覗く奥行は広く、遠目から見て想像していた以上の規模の大きさが窺い知れる。
「やあやあ! よく来たねダニー!!」
城壁に着くと、勢いよくキースが出迎える。
彼はとてもご機嫌で、今までで一番テンションも高い。
彼の後方には、和気あいあいとした様子の何人もの軍人。
ある者は仕事をしつつ、ある者は明らかにさぼっており、上官らしき人に怒られていたりしながら。その上官もこちらを気にしている。
皆ダニエルに興味津々ではあるが、そこに害意は感じられない。
普段からの仲の良さが感じられ、ダニエルは和んだ。
(なんか思ったよりほのぼのしてるなぁ……)
唆した、とは言ってもアデレードに向けたヘクターの言葉は助言と言っていいだろう。
当面『キース』として通すつもりなら、先に城壁に行って周知をさせておかないとすぐバレる──というもの。
確かに軍人達は辺境伯邸内の皆と違い、空気を読んで察してなどくれない。その為アデレードは予定を変更して先に行き、皆に『キース』を周知させていた。
この行動の際のアデレードの態度や軍人達からの遠慮ない質問によって、ダニエルはアデレードに気に入られていることも同時に周知されており、既に城壁内は歓迎ムードなのである。
「わざわざお出迎えありがとう」
「ん? 馬車は」
「ちょっとしたアクシデントでね。 ヘクターが馬を貸してくれた」
「……ヘクターが?」
ヘクターは目的を忘れ、着くなりさっさとドルチェを連れて厩舎に行ってしまった。権力は欲しいが愛馬の方が大事。
彼の職務は行き帰りの護衛のみ。あとはネイサンとキースに任せれば問題はないのである。
(ヘクターがドルチェを?)
ヘクターが手塩を掛けて騎馬として育て上げ、手入れを怠らないドルチェはとてもいい馬だ。だが自分が乗らせて、と頼んでも渋面をしていたヘクターの行動がにわかには信じがたく、思わず思案顔になる。
少し気が逸れているうちにダニエルは、既にキースの後方でわちゃわちゃしている軍人達の方を向いていた。
「皆さんもお出迎えありがとう。 アデレード様の婚約者ダニエルです。 これからよろしく!」
にこやかにそう言うと、場がわあっと湧く。
元々歓迎ムードではあったが、平民が多い軍人達だ。
貴族には畏怖や反発がある。
自分達を蔑むこともなく、媚びたり臆したりもなく堂々とにこやかに挨拶したダニエルは、自然なかたちで彼等の心を掴んでいた。
【どうでもいい補足】
ダニエルの言葉は素だが、王都での彼の周囲の描写諸々を、是非思い出していただきたいところ。
『動物は裏切らない』──少なくとも人間よりは。しかも可愛くて癒される。(※前話より抜粋)
ダニエル「わかる」




