第21話 ご飯の時間、湯気の作戦会議
振り向いた先、ガラス越しに出前のオカモチが見えた。守衛室の古い引き戸がコトと鳴り、外気の金属みたいに冷たい匂いが湯気と混ざった。
「どうも……」
そこには中華料理屋の出前持ちの青年が愛想笑いを浮かべていた。今までの騒動をすべて見ていたことを物語るその顔は微妙な引きつりを起こしていた。警備室の中にいかにも気まずい雰囲気が漂い人一倍こういう雰囲気に弱いカウラが真っ赤な顔をして俯いた。
「何、恥ずかしがってんだよカウラ。この店員さんだってこんなの見慣れてるに決まってるんだから気にする必要なんかねえんだよ。それとアメリアと神前はどうせ金なんか持ってねえんだろうし。仕方ねえなあ。アタシがとりあえず立て替えておくから」
かなめは腰を上げて財布を取り出した。青年はオカモチを置きながら、一瞬だけ視線を泳がせた。……見られていた。さっきまでの沸点も。
「三千八百五十円です」
入り口の戸棚の上に料理を並べながら青年が口にしたのを聞くとかなめは財布に一度目をやった。かなめの財布から西園寺家の家紋であるみつどもえ入りのマネークリップがのぞく。万札は新品の紙のきしみを立てた。かなめは何度も札入れから万札を取り出すが、どう見てもそこには千円札は無かった。かなめは鏡都っ子を気どっていて『釣りは要らねえ!』が口癖なので当然小銭入れを持ち歩く習慣がないのは誰もが知るところだった。
「……万札しかねえ。アタシは釣りはもらわねえ主義だからな。こういう時もある。アメリア二千円あるか?金遣いの荒いオメエでもそのくらいは持ってるだろ?一応階級の中じゃ一番上なんだから」
立て替えておくと言った割にかなめの札入れには相当な厚みの一万円札が無造作に入れてあるだけだった。
「また……。しかたないわねえ……かなめちゃんは万札しか持ち歩かないものね。さすがお金持ちは違うと言うかなんと言うか……」
呆れたような口調でアメリアも財布を取り出した。その光景を見ながらカウラと誠はただニヤニヤと笑うだけだった。
「西園寺さんはお金があっていいですね。僕の財布なんて万札なんて滅多にありませんよ」
誠は嫉妬半分にそう言った。そんな誠にかなめは得意げな笑顔を向けてくる。
「羨ましいか?それならオメエも殿上貴族の息子に産まれりゃよかったんだ。そうすりゃ金の心配はしなくて済む。アタシも金の苦労ってものだけはしたことがねえんだ。羨ましいだろ?」
かなめは明らかに優越感に満ちた表情で誠にそう言ってきた。
「それなら例外もあるぞ。隊長も殿上貴族だが生活費は月3万だ。あの人も四大公家末席……荘園の収入では西園寺家をも凌ぐ立派な貴族だが、常に金に追いまくられてる。まあ、ここの給料も含めてすべて娘に没収されているだけだから本当に金が無いわけでは無いがな」
カウラの落ちにすっかりやられたかなめは腹を抱えて笑い始めた。
「じゃあ、海老チャーハン……」
店員がそう言うとアメリアがさっと手を挙げた。オカモチから出された海老チャーハンが湯気を挙げているのを見てアメリアは満足げに店員が差し出したレンゲと箸を受け取った。
「アタシとこいつは排骨麺で……」
「私は回鍋肉定食で。当然ご飯は大盛だな」
かなめとカウラの言葉に店員はうなずきながら料理を畳の上に並べていくのを眺めていた。
「じゃあいただきます!」
アメリアはかなめが店員の並べた料理をコタツに載せていくのを待たずに海老チャーハンについてきたスープを飲み始めた。
「卑しいねえ……アメリアの奴は待つってことを知らないんだな……叔父貴、飯食うから切るぞ!」
一人だけかなめは排骨麺のどんぶりを先に取るとそう言って部屋の中のどこかにあるらしいマイクに向かって怒鳴った。
『ああ、飯食って充電してくれや。仕事の野暮な話より飯を食う方が優先だ。しかし、一々出前を取る金があるとは羨ましいねえ……俺は今日もカップ麺に甲種焼酎飲んで寝て一日終わり。本当に金が無いのは首が無いのと一緒だな』
スピーカーの向こうで、灰皿にトンと灰を落とす音がした。嵯峨はそう言って通信を切った。挑発するようなかなめの一言にアメリアはかなめを一瞥したあと、無視してチャーハンにレンゲを突き立てた。
「別に貴様の得意のテーブルマナーなどはないんだろ?」
回鍋肉にかけられたラップを外しながらカウラがつぶやいた。かなめは面白くないというように箸を口にくわえてカウラをにらみつけた。
「凄んだって駄目よ、かなめちゃん」
一言アメリアはそう言って再びチャーハンに向った。アメリアはレンゲで海老だけ丁寧に避難させてから、満を持して口へ放り込む。勝ち誇った横目を一堂に向けるのがいかにもアメリアらしいと誠は思った。
「相変わらず奇妙なチャーハンの食い方をするんだな。チャーハンは具を混ぜて食うからうまいんじゃねえのか?そんな食い方をする奴をアタシは見たことがねえぞ。それはそれとしてだ。話を元に戻してだ……神前の実家か。車で行くのか?神前の実家は大東区の朝草だよな。あそこは道がごみごみしていて人ばっかりで年中渋滞している。それ以前に年末の都内の道はどこも渋滞ばっかりで混むぞ。いっそのこと電車で行くか?」
排骨麺のスープをすすりながらかなめが誠に目をやった。誠はそのまま視線をカウラに移した。排骨麺の衣がスープを吸ってほどける音。刻みネギの青い匂いが鼻を抜けた。
「それは問題外だ。神前は電車でも気分が悪くなるからな……それより神前の家は駐車スペースはあるのか?剣道場を経営しているくらいなんだんだからそれなりに大きな庭くらいあるんだろ?それよりなんであんな都内の一等地に剣道場が経営できる程度の土地が持てるんだ?貴様の父親は私立高の教師でそれほど給料が良いはずがない。固定資産税とか……どうしているんだ?それとも貴様の母親の剣道場の月謝は月百万円とかで金持ちの子女専用の剣道場なのか?」
カウラのまっとうな問いに誠は静かにうなずいた。確かに誠の実家は都内にこんな広い敷地の家があるのが不思議なくらいに大きな庭があった。社会情勢に疎い誠にはどうして月に数千円の月謝の剣道教室に五十人にも満たない生徒しかおらず、父親もあまり収入が多いとは言えない私立高の教員であるにもかかわらずあれほど広い敷地を維持できるのか初めて不思議に思った。
「うーん。確かに言われて見るとそうですね……うちの固定資産税がいくらかなんて気にしたことも無いですけど……」
そんな当たり前の疑問に今のこの時点で気付く誠に一人アメリアだけが何か知っているとでもいうようにニヤリと笑った。
「おい、アメリア。今笑ったな。オメエは知ってるだろ?なんで神前の実家の土地があんなにデカくても売らずに済むかを……教えろ。死にたくなければな」
自分が広大な『西園寺御所』というとてつもない固定資産税のかかりそうな土地持ちだというのにかなめは脇の銃に手をやってアメリアをにらみつけた。
「知ってるー。でも教えないー。これは隊長から口止めされてるのー。一応私はこの中でも唯一の部長だから誠ちゃんの知らないような誠ちゃんの家の事情は知ってるけど教えるなって言われてるのー。これを言うとかなめちゃんが誠ちゃんを『こいつにはアタシ以外の女は似合わねえ!ああ、かえでも釣り合うがアイツは変態だから譲らねえ!』とか言い出すのは間違いないからー。だから言わないー」
アメリアはチャーハンについて来たスープをすくいながらそうつぶやいた。嵯峨が絡んでいる事にはろくな秘密があるわけが無い。誠はそう判断して話題を元に戻すことにして誠の理系脳では理解できない固定資産税の話は一時的に忘れることに決めた。
「まあ、アメリアさんに聞くだけ無駄なことはこれまでの付き合いで分かってますし、隊長が絡んでいることにろくなことは無いのでそれで惨めな思いはしたくないので忘れます。カウラさん、庭ならありますし駐車場もありますよ。うちにはよく母の話を聞きに名のある格闘家や剣道の師範とかが訪ねて来るんでその人たちの高級車も泊まれる程度の駐車場です。ああ、その時にその人達、母の話を聞き終えると母に何か渡してましたけど……それがお金でそのお金で固定資産税を払っているとか……それって脱税……確かに隊長ならそのことを知っていてアメリアさんも……やっぱりお金の話は忘れますね。話を戻して最近は僕も乗用車は大丈夫になったんです。クバルカ中佐の車で法術兵器の実験とかに連れていかれますけど吐いたことは無いですから。胃薬は一応持っていきますけど」
誠の気弱な一言に女性陣の覚悟は決まった。
「なら車で行こう。神前は長い距離を電車に乗ると酔うからな。仕方がない。じゃあ私が出す。空気圧も冬用に見ておく」
……カウラは箸を置くと指先でポケットから運転用グローブを取り出してその縫い目を確かめた。こういう時にいつも損をするのはこの中ではカウラだった。アメリアは面倒くさいからという理由でそれなりの高級車を寮の入る時に手放していたし、かなめも『同盟厚生局違法法術研究事件』が終わるとすっかり車に飽きてすぐに買ったばかりの高級スポーツカーを下取りに出していた。となるとあてになるのは愛車の『スカイラインGTR』を大事に乗っているカウラだけということになる。
「剣道場の庭か……聞いた限りでは結構広そうだな。都内に庭付き一戸建てとは良い身分だ。まあ、西園寺なら大したことはないと言いそうだがな」
ご飯をかき込んだ後、カウラはそう言って誠を見た。俯いたカウラの耳朶だけがほんのり赤い。みかんの白い筋を、いつも通り几帳面に摘まんで揃える。
「でも……下町と言っても都内でしょ、誠ちゃんの家。確かに今買おうとしたら大変よねえ……ランちゃんに聞いた話だとお母さんの実家なんだっけ?まあ、そうでもなきゃ都内に一戸建てなんて夢の夢よ。それこそ隊長やランちゃんや高梨部長クラスのお給料をもらっているのなら話は別だけど」
アメリアに言われて誠は静かにうなずきながら麺をすすった。
「それはそうだ。私立高校教師の安月給で都内に千坪なんて無理だ。東都の土地はとにかく高いんだ。こんな都心から電車で一時間かかる豊川にまで来なきゃサラリーマンには家なんて買えないな」
カウラも私立高校の教師の給料の相場くらいは分かっているらしく誠の代わりにそう答えてくれた。
「そう言う西園寺の実家は」
「カウラ……アタシの家の話はするな。あそこは参考にならねえから。それにあれはご先祖様が勝手に陣取った場所だ。親父の手柄で建てた家じゃねえ」
甲武国、四大公筆頭で首都鏡都に広さが山足線が丸々入る広さの『西園寺御所』と呼ばれる広大な敷地の御殿を構えているかなめのことを思えば、誠の実家などボロ屋も同然だった。しかし、誠がうまく軍で出世しても実家のような規模の家を買うことなど夢のまた夢なのは誠にもわかっていた。
「で、明後日車で移動して……でも混むのよね……まず、東関道で渋滞。京要道で渋滞。そして首都高に入ってもまた渋滞。本当に嫌になるわ」
なぜかチャーハンの海老を一つ一つ皿の端に集めながらアメリアはそうこぼした。
「確かにな。平日はトラック、年末になれば帰省の車で渋滞だろうな……しかし、この東和じゃそれが当たり前だから皆慣れ切っている。道路を拡張するとかバイパスを作るという発想は今のままで困らなければそれで良いという東和に住む遼州人には無い発想だ」
すでに付いていた定食のスープを飲み終えたカウラがそう言ってアメリアに目をやる。
「やっぱり電車か?勘弁してくれよ……どうせ都心に入ったら何度も乗り換えて、その度に人ごみに揉まれて……想像しただけで疲れて来るぞ」
元々電車嫌いのかなめはそう言ってアメリアに文句を垂れた。
「西園寺。それは分かったうえで車を出すという話をしているんだぞ。それに最近は神前も自動車に慣れてきた。これで吐かなければ完全に慣れたことが確認できる」
愚痴るかなめにカウラはそう言って誠に目をやった。一人沈黙して排骨麺を食べていた誠に三人の視線は集中した。
「正月とかだと東都朝草寺の周りは交通規制が敷かれるんで……結構うちの周りって車は不便ですよ」
誠の実家は都心部に有るので、道は交通量が多い。さらに下町なので狭い上に何かというと東都警察が交通規制を敷いた。実際、誠の学校の同級生達も相当な金持ちでもない限り自家用車など持っていなかった。
「明後日は正月じゃないぞ。それに東都朝草寺はどうせオメエの家から歩いて行けるんだろ?行きと帰りの話をしてるんだ」
かなめの言葉に誠は苦笑いを浮かべながら頭を掻いた。
「じゃあ足はカウラちゃんに頼むとして……って今から細かく決めても……どうせ誰かが予定をめちゃくちゃにするし」
アメリアは厭味ったらしくかなめの方を見つめた。
「アメリア。それはアタシのことを言ってるんだな?そうだな?アタシがオメエの立てた異常な計画をぶち壊してやって日常を取り戻してやってるんだ。感謝して貰いてえな」
排骨麺の肉ばかり先に食べてどんぶりの中に残った麺を箸で漁りながらかなめがアメリアをにらみつけた。
「くだらないことで怒るな。まあ、休日だ。どうせアメリアが夏の海に行った時みたいに『クリスマスのしおり』なんて作ってもどうせ無駄になるだけだからな」
カウラは鋭い目つきでかなめを見ていたアメリアを見つめた。
「カウラちゃんひどいわよ。その言い方。あの時だって渡すタイミングを忘れちゃって……終わってから配ってもみんな変な顔するし……分かったわよ!作らないわよ!」
アメリアはそう言いながらため込んだ海老を一気に口に入れて頬張った。
「でも事実だからな。オメエの計画。予定通りに行ったことあんのか?」
スープを飲み終えたかなめがタレ目をさらに垂れさせてアメリアに挑戦するようにつぶやいた。
「いいじゃないの!予定通りにいかないから人生面白いんじゃないの!」
海老を食べ終えたアメリアはそう言って誠に目をやった。
「僕がどうかしました?」
楊枝で前歯を掃除していた誠を一瞥するとアメリアは大きくため息をついた。
「神前は悪くないぞ。予定がうまくいかないのは、ほとんど……アメリア。貴様のせいじゃないか」
カウラは茶碗に残った最後の白米を口に入れながらアメリアを見つめた。
「え?私?いつも私は予定の遂行を優先して……」
口ごもるアメリアを横目に、かなめは箸をどんぶりの上に載せて手を合わせた。
「じゃあ、ごちそうさん。アメリア。そんな話はどうでもいいんだよ。なるようになるってことでいいじゃん」
「かなめちゃんはいつだってそうやって行き当たりばったりで……しおりは作らないわよ……もうこれ以上自分の苦労をみんなにあっさり捨てられるのを見たくないから」
そう言いながら、アメリアはキラキラのマスキングテープの入ったポーチをそっと引っ込めた。
「予定通りじゃなくても問題は起きていない。アメリア、お前の予定ははっきり言って立てるだけ無駄だ」
カウラのとどめの一言にアメリアはそのままうなだれて見せた。
「じゃあ……空いたお皿とかは僕が洗いますんで」
そう言って立ち上がる誠を見て三人は大きくうなずいた。とりあえず雑用は誠がやる。それだけが三人の共通認識らしいことに気づいて、誠はただ乾いた笑みを浮かべるだけだった。
誠が食器を重ねると、やかんがコトコト鳴いた。外は風。中は湯気。……ご飯の時間は平和だ。それだけが誠の言える言葉だった。




