9.お土産
幻かと思いながらそれを手に取れば芳醇な甘い香りが鼻をくすぐる。
「レアセトロスュクレ! でもどうして? 今年は不作で手に入らないって」
アレクセイも目を丸くして頷いている。王家の献上分だって蜜漬けになっている。
トリスはこともなげに言った。
「マルティナが欲しがっていると聞いた」
「そうだけど……」
なんで知っているのだろう。みんなにはトリスを驚かせたいから内緒にしてねとお願いしてあったはず。結果的に商人たちが調達出来ないからアレクセイと取り引きしたのだ。それにこれは自分が食べるためじゃなくてトリスに食べて欲しかったからなの。とは目の前のレアセトロスュクレを見ては言えない。だって美味しそう。わたくしもレアセトロスュクレは大好きだ。食べたい!
「これ、私のために?」
「ああ」
トリスは浅く頷いた。感激した。嬉しい。これってわたくし、愛されている証拠よね? まさに今、言葉にしてもらうチャンスよ。
「ありがとう。嬉しい! ねえ、トリス。今年は手に入りにくいレアセトロスュクレをわざわざわたくしにくれたということは、」
ごくりとつばを飲み込んで続ける。
「わたくしを愛しているってことよね?」
わたくしは期待にキラキラと瞳を輝かせながらトリスを見つめる。トリスはわたくしの瞳をじっと見つめて口をーーーーーー全然開かない。
「………………………………………………………………………………」
長い! 黙考の時間が長すぎる。
「違うの?」
「……」
無表情のまま首を傾げた。糸目がいっそう細くなった気がするのは気のせいかしら。本気で思案している。嘘でも愛してるって言わないのは彼のいいところだと思う。嘘はよくないもの。わたくしは本気の言葉が欲しいのだから。
とにかく愛ゆえのお土産ではないのね。そうなのね。違うのね……。がっかりしてない。だって……うっすら知っていたから。大丈夫! まだわたくしへの愛が育っていないということなら、育てるまでよ! わたくしたちの結婚式まで一年ある。それまでに大きく育てて見せますとも。
「もう、いいわ。それより一緒にレアセトロスュクレを食べましょう」
わたくしは気を取り直すと部屋に控える侍女に果物ナイフと器を用意するように頼む。侍女から受け取ると気合を入れレアセトロスュクレを剥こうとしたらトリスに取り上げられた。
トリスは果物ナイフを手に取るとするすると皮を剥いていく。この果物は果肉が柔らかく優しく扱わないと潰れてしまう。凄く皮が向きにくい。強く持ってへこんだ部分はあっという間に変色してしまう。すぐに味が落ちることはないけど見た目が悪くなってしまう。これは何度も潰した経験者が言うのだから間違いない。トリスはとても器用だ。綺麗な形で一口の大きさに切るとそのまま器に盛った。
「美味しそう!」
わたくしは早速フォークにレアセトロスュクレを一切れ刺すと、ニコニコとトリスの口元に運んだ。トリスが目を見開いた気がする。糸目のままだけど。
「マルティナが食べたかったのだろう?」
「わたくしも食べたかったけど、一番はトリスに食べさせたかったの! だからお先にどうぞ」
トリスは無表情のまま「そうか」というと口を開け、レアセトロスュクレをもぐもぐと食べる。
「トリス。美味しい?」
トリスは頷くとわたくしからフォークを取り上げた。そしてわたくしがしたようにレアセトロスュクレを一切れフォークに刺し、わたくしの口元に運んだ。それは少し大きめだったのでわたくし大きく口を開けてぱくりと頬張った。
「おいひぃ~」
口の中に果汁が広がり果肉が溶けていく。甘くて美味しくていくらでも食べれそう。残りのレアセトロスュクレもトリスがわたくしに食べさせてくれた(トリスにもっと食べてと勧めたけど断られた)ので、あっという間に間食した。満足!
「見せつけるだけ……マルティナ。少しは私たちに分けようとか思わないのか?」
声の方を見るとアレクセイが呆れと不満を滲ませている。
(ああ、いたのね)
わたくしはトリスとレアセトロスュクレに夢中で、アレクセイとロレーヌ様のことをすっかり忘れていた。そういえばここ王宮だったけど、普通に我が家にいるかのように侍女を使っちゃったわ。
「思わない。これはトリスがわたくしのためにくれたものだもの。誰かと分かち合うつもりはないわ」
独占するに決まっている。分かち合うとすればその相手はトリスだけよ。当然でしょう。アレクセイは諦めたように肩を竦めるとロレーヌ様にトリスタンを紹介した。え……今?
「ロレーヌ。彼はルグラン子爵家の嫡男トリスタン。マルティナの婚約者だ。そして私にとって兄のような存在だ。もっと早く紹介したかったのだが、トリスタンが忙しくてなかなか王都に出てきてくれなくてな」
トリスは果汁で汚れてしまった手をハンカチで拭うと立ち上がりロレーヌ様に挨拶をした。
「ロレーヌ様。初めてお目にかかります。トリスタン・ルグランと申します。この度は結婚三周年、おめでとうございます」
ロレーヌ様はぽかんとわたくしたちのやり取りを見ていたが、トリスに声をかけられて我に返った。
「ありがとう……そう、あなたがマルティナ様の婚約者……」
ロレーヌ様のヘーゼルブラウンの瞳には疑心が浮かんでいる。この表情は見慣れている。釣り合わないとか、偽装婚約じゃないのかと思っているのでしょう? よく言われるのよ。
「ロレーヌ様。わたくしが懇願してトリスと婚約を結んだのです。わたくしとアレクセイは何の関係もありません。愛も恋もないですし、アレクセイの側室になるくらいなら亡命します。お願いですからくれぐれも誤解をなさらないで下さいませ」
「亡命? マルティナ様は本当にアレク様を何とも思っていないのですか? アレク様はこれほど素敵な男性です。それなのに心から恋心はないと言いきれますの?」
言い切れますとも! 驚くことにロレーヌ様の口ぶりでは本気でアレクセイがいい男だと思っているように聞こえる。耳を疑いたくなるがロレーヌ様の表情は真剣そのもの。
「アレクセイが素敵ですって? ふっ。わたくし、視力がとてもいいのでアレクセイが素敵に見えたことは一度もありません。アレクセイのことは運動音痴としか思っていません」
わたくしが鼻で笑って否定すると、アレクセイが「運動音痴」に反応して強く抗議をする。
「マルティナ。私の体の動きが鈍かったのは子供の頃だけだ。今は馬にも乗れるし剣術もしっかりと学び身に付けた。運動音痴ではない!」
「運動……音痴?」
初めて聞いたような不思議そうなロレーヌ様に、わたくしは教えてあげることにした。
「そうなのです。アレクセイは馬が怖いって泣いていました。剣を持ってもよたよたとして。湖で溺れるし」
「あの時は! 私は子供だったし、いきなり大きな軍馬を見れば怖いと思うのは当然だ。それにまだ剣は危ないからと学ぶことを許されていなかった。あと泳いだことがないのに湖に突き落とされれば誰だって溺れるだろう!」
「そのあと剣も泳ぎも練習していたけどなかなか上達しなかったわよね? 馬だってトリスが一緒に乗っていたわ」
最後の方は恨みっぽい口調になってしまった。そうなのだ。思い出すともやもやした気持ちになる。
あの頃、トリスはわたくしの護衛をしていのにアレクセイが領地に来たせいで、トリスはわたくしではなくアレクセイを護衛することになった。アレクセイはわたくしと違ってとろいので手がかかる。そうなるとトリスは付きっ切りになってしまい、それがわたくしには嫌だったのだ。
「やはり二人は仲がよろしいではありませんか。本当は愛し合っているのでしょう?」
「愛し合っていない!」
「愛し合っていません!」
わたくしとアレクセイはロレーヌ様の言葉を大声で否定した。
ロレーヌ様は「否定の言葉も揃っている……」そう呟き目を潤ませている。えー。これはもしかして疑いが深まっている? そもそもわたくしにはトリスという最高の婚約者がいるのに、まるでいない者のように考えているのが許せない。失礼しちゃう。
ロレーヌ様は立ち上がると足早に部屋を出て行った。もっと聡明な女性だと思っていたのに恋は人を愚かにするのね……。
アレクセイは引き留めようと手を伸ばすも呆然と固まったままだった。
ちらりとトリスを見れば我関せずと一人静かにお茶を飲んでいた――。
カオス……。




