20.彼の名を呼ぶ(回想5)
翌日は念のために安静にしていなさいとベッドに押し込められた。家族みんなが心配してお見舞いだと顔を見に来てくれた。季節外れのレアセトロスュクレをわざわざ取り寄せて、お母様が手ずから向いて食べさせてくれた。久しぶりに甘えることができて幸せを噛み締めている。
「マルティナ。今は祝福の力は使っては駄目よ」
「でもせっかく人の役に立てることができるのよ」
「今は、よ。もっと詳しいことが分かったら今後のことを考えましょう。あなたのお祖母様も祝福の力はめったに使わなかったわ。あの力は命を削ることになる。お母様はマルティナに元気でいて欲しいの」
「命を削る?」
「そうよ」
そんなに大事なの? 人の役に立ちたいけど長生きはしたい。
「分かったわ」
「トリスタンが調べてくれるから焦らないでね」
「はい。お母様」
「さあ、休んで」
お母様が部屋から出ていくとわたくしはベッドの中から窓の外を眺めた。確かに力を使った後、目の前が暗くなって意識を失った。急に倒れたら迷惑をかけるし、どのくらいで回復するのかまだ分かっていない。わたくしはすぐに意識を取り戻したのだと思っていたが、丸一日眠っていたらしい。三回目で倒れたから一日一回くらいならいいのかしら。確かに慎重になった方がいい。考え込んでいると急に扉が開いた。びっくりして起き上がるとそこにはセシルがいた。
「セシル、どうしたの? 久しぶりね。元気だった?」
「マルティナ様。祝福の力を発現したというのは本当ですか?」
「ええ、そうよ。お母様に聞いたのね。でもたくさんは使えなくて――」
「やはり祝福の力は途切れていなかった! それならば本来の場所に戻るべきです!」
セシルは歓喜したように顔を輝かせた。ところがすぐに目をスッと細めにっと笑う。それは仄暗さのある嫌なものだった。これがいつも穏やかにわたくしを可愛がってくれた人なの? 豹変ぶりが信じられない。
「セシル?」
セシルは恍惚とした表情でベッドの前に来た。そしてポケットからハンカチを取り出すと、それをわたくしの口に当てた。
「な、に?」
「帰りましょう。私たちの国に。いるべき場所に」
セシルの低い声が耳に入った瞬間、意識を失った。
体が揺れる。ガタゴトガタゴト。体は自由に動かない。痺れた感じがする。
ゆっくりと目を開く。瞬いて周りを確認すると馬車の中にいることが分かった。どこかに移動している。斜め前に座るセシルと目が合った。
「目を覚まされたのですね。マルティナ様。もうすぐ国境を越えますよ。国境を越えた村には迎えが来ているはずです」
「……セシル。わたくしをどこに連れて行くの?」
「マルティナ様を本来いる場所へお戻しするだけです。祝福の力はわが国の宝。異国の人間がかすめ取っていいものではない! 国ではみながマルティナ様を待っていますよ」
セシルが怖い。
「わたくし、屋敷に戻りたい。お父様やお母様たちから離れたくない」
「国にはマルティナ様のお祖父様とお祖母様たちがおられます。何も心配しなくていいのです」
セシルは自分こそが正しいと思っている。わたくしの気持ちは考えていない。セシルは元々お祖母様の信奉者のような発言をすることがあった。確かにわたくしのことを大切にしていたけど、それはお祖母様に似ていたからかもしれない。セシルを説得するのは無理だと悟った。
(どうしよう)
わたくしはこのままお祖母様の祖国に連れ去られてしまうの? わたくしにとっては知らない国。怖い。帰りたい。目には涙が浮かんでくる。せっかく万が一に備えて鍛えたのに、薬が残っているのか体が痺れて動けない。本当に国境を越えてしまったら二度と戻れない、そんな気がして体が震えた。
『その代わり誰かに話しかけられたり、攫われそうになったら私の名前を呼んでください』
ふいにトリスタンの言葉を思い出す。言われた時はカチンときたけど今はそれどころではない。わたくしが縋れるのはトリスタンのその言葉だけだった。
「トリ……」
声が思うように出ない。恐怖で喉が思うように動かせない。わたくしは唾を飲み込み必死に声を出そうとした。擦れていているが少しだけ声が出そうだ。
「ト……リスタ……ン、たすけ……て」
小さな弱弱しい声しか出ない。目の前にいるセシルにだって馬車の車輪の音で聞こえないくらいの小ささだ。それでも諦めたくない一心でわたくしは心の中で強く叫んだ。
(トリスタン! 助けて。わたくしはここよ。助けて!)
突然馬の大きないななきが聞こえた。すると馬車が急に止まる。
「どうして止まるの?! 国境まですぐそこよ。急いで出してちょうだい!」
セシルが焦ったように御者に文句を言った。
「それはできませんね」
静かな、わたくしの知っている声がした。馬車の扉が開くとそこにはトリスタンが立っていた。
(うそ……来てくれた。本当に呼んだら来てくれた……)
「な、なんでここに。見つかる前に出てきたはずなのに」
「マルティナ様を返してもらおう」
「いいえ。マルティナ様はわが国のもの。お前たちが不当に奪ったのよ。今度こそ返してもらうわ!」
セシルは馬車を下りトリスタンに手を挙げた。トリスタンはその手を掴むとセシルに顔に近づき耳元で何かを囁いた。するとセシルは脱力しその場に倒れた。
「ジョルジュ。片付けろ」
「はっ」
後ろから突然ジョルジュが現れセシルを引きずっていく。トリスタンが馬車に乗り込むとかがんでわたくしに声をかけた。
「マルティナ様。動けますか?」
わたくしは無理だと首を振ろうとしたがまだ思うように動けない。トリスタンは反応できないことを察したようだ。
「たぶん痺れ薬ですね。心配しなくてもじきに切れます。お家族のもとに帰りましょう。助けるのが遅くなって申し訳ありませんでした。もう、大丈夫ですよ」
無表情なのは変わらないのにいつもよりたくさんしゃべるトリスタンが可笑しくて、でもそれが不思議と安心できた。
「それと、私の名前を呼んでくれましたね。よくできました」
「ふえ……」
トリスタンが優しく顔をほころばせた。そんな表情を見てしまったらもう駄目だった。わたくしはぽろぽろと子供みたいに涙を流した。トリスタンはいつものようにわたくしの頭をわしゃわしゃと撫でるとそっと抱え馬車を下りる。また荷物のように担がれるのかしらと思ったが、今回は縦抱っこだった。
(子供扱い! 攫われたところを救助したら普通、お姫様抱っこじゃないの?)
泣きながらどうでもいいことが気になってしまう。トリスタンは細身なのにわたくしを抱き上げる腕は頼もしく安定している。片手で優しく背中をポンポンされて、助かったことを実感した。わたくしは止まらない涙を誤魔化すようにトリスタンの肩に顔を埋めた。トリスタンが小さな声で言った。
「マルティナ様。少し眠りなさい」
その瞬間、どうしてかわたくしは眠ってしまった。でも怖くない。温かな体がわたくしを包んでいてくれたから。
♢♢♢
次に目を覚ましたらわたくしは屋敷の自室のベッドにいた。
(あれ? もしかしてセシルに攫われたのって夢だったのかしら?)
一瞬だけそう思ったのだが。
「マルティナ! よかった……」
すぐ横で悲鳴のようにわたくしの名前を呼ぶ声が聞こえた。涙声の主はお母様だった。
(お母様が泣いている。それならあれは夢じゃない)
「マルティナ。もう大丈夫だ。すぐに助けてやれなくてすまなかった」
お父様がお母様の肩を慰めるように抱きしめながら謝った。お父様やお母様のせいではない。そんなに悲しまないで。でも両親に再び会えて、戻ってこられてよかった。
「だいじょうぶ。トリスタンがきてくれたの」
「ああ、そうだな」
声は出るがたどたどしくなってしまった。部屋を見渡すとトリスタンはいない。お礼を言わないと。
「トリスタンはセシルの対応をしている。あとで来るよ」
わたくしは体が怠かったので小さく頷いた。まだ頭がぼんやりしている。再び目を閉じると睡魔が襲ってきてそのまま眠ってしまった。何だかわたくし、眠ってばかりね?
翌日には回復していつも通りの生活に戻った。サラは二~三日安静にするよう言うがわたくしはいつもの日常に戻ることで安心したかった。午前中はトレーニングをして過ごす。午後にトリスタンが顔を出したのでお礼を言った。
「あの……トリスタン。助けてくれてありがとう」
「いえ。私の不手際で怖い思いをさせて申し訳ありませんでした」
深く頭を下げる姿に思わずきょとんとする。いつも不愛想なので不遜な人かと思ったが、それは思い込みだったのかもしれない。それに気付かなかった自分の未熟さを反省する。助けてくれた時のトリスタンは優しかった。護衛だって真摯に務めてくれている。家族が反対した体を鍛えるのも乗馬を習うのも祝福の力を知ることも、トリスタンがわたくしにくれたものだった。
(これってものすごくわたくしを大切にしてくれているってことよね?)
言葉にしなくてもわたくしのことを見てくれていた。もしかしてトリスタンは口下手で感情を出すのが苦手なのかも。そう考えると今までのトリスタンの態度に納得できる。人の表面ですべてを判断するのはいけないことだ。これからは意地を張らずにわたくしから話しかけて仲良くなろう。
「トリスタン。これからもよろしくね」
「はい」
トリスタンの声が優しく感じるし、トリスタンが格好良く見える。いやいや、これはきっと吊り橋効果ね。
でも感謝しているのも信頼しているのも本当よ。




