18.確信(回想3)
おおまかな淑女教育はシャノンのおかげで終わっている。優秀だと誉められているので安心だ。それ以外の勉強は……したくないがしないわけにはいかない。新しく侍女になったサラが勉強を見てくれた。
「サラは何歳?」
「十七歳です」
「トリスタンと同じなのね」
「私とトリスタン様は乳兄弟なのです」
「そう。トリスタンって誰にでも無表情なの?」
わたくしが眉根を寄せて問えば、サラはくすくすと笑った。
「ええ。誰にでも無表情です。マルティナ様だから愛想が悪いわけではありませんのでご安心を」
「安心? べ、べつに気にしてないわ」
トリスタンは他にも仕事があるらしく常にわたくしの側にいるわけではない。でも基本的にはサラがいるので一人になることはない。
「サラ。セシルがどうしているか知っている?」
「彼女はアドリーヌ様付きになりました」
「お母様?」
「はい」
アドリーヌはお母様のことだ。トリスタンが護衛になってからセシルと会えなくて心配していたが、お母様のところなら安心だ。元々セシルはお母様の侍女をしていたこともありお母様とも仲が良い。最初はセシルがいなくて寂しくてどうしようと思ったが、サラがいてくれるので気にならなくなった。サラはシャノンと少し似ている。それは顔とかではなく行動が。普段はとてもおしゃべりなのに、わたくしが物思いに耽っているとそっとしておいてくれる。距離感もちょうどよくわたくしは勝手に友人認定してしまった。
午後になるとトリスタンが側に控える。無言で……。護衛がおしゃべりでも困るけど気まずい。今まで護衛に付いた騎士たちは必ずわたくしの好きなものとか色々問いかけてきた。それがよかったかと言えば……嬉しくなかったけど、だからといって完全なる無言の時間は辛い。わたくしは断られると思ったが思い切って頼んだ。
「ねえ。トリスタン。お庭に出たいわ」
「いいですよ」
「えっ?! あっさり……」
「その代わり誰かに話しかけられたり、攫われそうになったら私の名前を呼んでください」
「……」
それはトリスタンを頼るようで嫌だ。護衛だから助けを呼ぶのは当然だけど、わたくしはよく分からない反抗心をトリスタンに抱いていた。
「嫌ならやめましょう」
「……呼ぶわ。約束する」
口に出していないのに顔に出てしまっていたようだ。でも危機が訪れたとしてトリスタンの名前を呼んだくらいで助かるとは思えない。まあ、呼ぶくらいはしてもいい。
わたくしは庭に一歩を踏み出す前に無意識にトリスタンに手を差し出した。
「?」
トリスタンがわたくしの手をじっと見ながら首を傾げる。
「手を繋がないの?」
「手を? 別に必要ありませんが不安なら繋ぎましょうか?」
「えっ?」
わたくしは顔が一瞬でボンッと熱くなった。シャノンと庭に出る時は必ず手を繋いでいたからそれが当たり前だと思っていた。でもあれは義務ではなくシャノンの配慮だったようだ。これではまるで心細くて手を繋いでほしいと言っているようで恥ずかしい。
「いらないわ!」
「そうですか」
わたくしはむきになって否定すると慌てて手を引っ込めた。トリスタンは揶揄うこともなくあっさりと引き下がった。それもなぜだか癇に障る。わたくしは先にずんずんと歩き庭に出た。季節が変わり咲いている花の種類も変わった。お日様が眩しいけど温かくて気持ちいい。
「楽しいわ」
「……」
別に返事を期待していなかったけど無言なのね……。無言のまま二人静かに庭を一周したところでわたくしはくたくたになった。普段動かない弊害が出た!
「ぜえぜえぜえ」
「マルティナ様。体力がありませね」
「そ、ん、なの、しかたな、いじゃな、い……」
苦しくてなかなか息が整わない。ちょっと歩いただけで息切れなんて自分でも情けないと思うけど、普段部屋にいるし屋敷内も来客にかち合うのが嫌でうろうろしなくなった。初見の人は不躾なほどわたくしを凝視する。気持ち悪くて耐えられない。ふいに視線が高くなった……顔は地面を向いている。
「ちょっと!」
すぐに抗議の声を上げるもトリスタンは無言ですたすたと歩く。わたくしはトリスタンの肩に担がれていた。これって重い荷物の運び方よね? 女の子にはお姫様抱っこが定番じゃないの――? 屈辱! 部屋に付くとわたくしをソファーの上にそっと置く。置く時は優しいけど誤魔化されないわ。
「マルティナ様。これから午後の時間をつかって体を鍛えます」
「鍛える?」
「はい。どれだけ護衛がいようとも、攫われるときは攫われる。せめて時間稼ぎができるように体力とできれば護身術も身に付けたほうがいい」
「やるわ!」
わたくしは嬉しくなった。今まで女の子だから、護衛が守ってくれるからと静かに過ごすように言われていた。でもわたくしは体を動かしたかった。庭で使用人の子供が声を上げて走っているのを見たことがある。羨ましかったのだ。わたくしはトリスタンへの不満や苦手意識など忘れてやる気を漲らせた。
「ふっ」
トリスタンが小さく声を漏らす。僅かだか口角が上がっているように見える。糸目のままだけど。ちょっとだけ心がざわざわした。
「トリスタン、もしかして今、笑ったの?」
「……」
無言? 笑うのが悔しいのかしら。それなら笑わせたわたくしの勝ちね! 担がれた屈辱は晴らせたわ。
「まずは体力をつけましょう」
「頑張るわ」
翌日からわたくしはトリスタン監修の体力作りプログラムをサラと一緒に行うことになった。
まずは柔軟。子供なので体は柔らかいと思う。でもサラはもっと柔らかかった。屈伸は床に手がぺたりと着く。わたくしはさすがにそこまで柔らかくなかった。悔しい……。
「毎日やっていればできるようになりますよ」
サラは励ましてくれるけどトリスタンは無言で監視するだけ。見どころがあるとか素質があるとか誉めないの? いいわ。いずれ驚かせるほど成長して見せるから!
最初の一週間は筋肉痛に苦しんだがケアもしっかりと施し徐々に体力がついた。そもそも体力なさすぎだったけど、二か月もすれば見違えたと思う。
庭を走ってもぜえぜえしないしサラくらいには体も柔らかくなった。サラを相手に護身術も教わっている。このままだと最強の力を手に入れちゃいそう。でもトリスタンは誉めなかった。絶対に認めさせるわ。
わたくしは剣術も学びたいと頼んだ。お母様は青ざめ心配していたがトリスタンが怪我をさせないからと説得してくれた。剣術はトリスタン直々に教えてくれた。わたくし用の軽い木刀で握り方と姿勢を教えてもらい素振りを繰り返す。一振りごとに強くなっていく気がして興奮した。飽きずに何回でも振れる。
「呑み込みが早いですね」
「まあね」
これは誉め言葉? 早い段階で打ち合いをさせてくれるようになった。もちろんトリスタンは軽々と躱し明らかに手加減されている。わたくしは素人だけど、たぶんトリスタンは強い。姿勢は変わらないし息も全く乱さない。
(なかなかやるわね。わたくしの護衛に選ばれただけあるわ)
わたくしは心の中でトリスタンを認めることにした。
「マルティナ様は」
「なあに?」
そろそろ誉めちゃう? 期待を込めてトリスタンを見る。
「マルティナ様はお祖父様のマクシム様によく似ている。目の良さ、反射神経の良さはレオン様やアシル様と匹敵するくらいでしょう」
「……えっ。本当?」
トリスタンは大きく頷くとわたくしの頭をわしゃわしゃとかき混ぜるように撫でた。髪がボサボサになると思ったがされるがままでいた。
「はい」
「そう……」
わたくしは平静を装ったが実は泣きそうなほど嬉しかった。お兄様たちに匹敵すると言われたこともそうだけど、お祖父様に似ていると言われたことが本当に嬉しかった。
お二人ともすでに亡くなっている。お祖母様のことは幼すぎて覚えていないが、お祖父様のことは記憶にある。豪快で楽しい人だった。大きな手でわたくしの頭を撫でてくれた。そう、今のトリスタンみたいに。大好きだった。
外見がお祖母様に似ているのは嫌ではない。でもそれ以外の家族に似ているところがないことに、疎外感があった。でもわたくしの中にお祖父様に似ているところがある。それはお父様やお兄様たちとも似ているということだ。わたくしは間違いなくみんなと家族だと思えた。心が温かくなる。やっと自分の存在を、家族としての確信を見つけた、そんな気がした。
その夜、わたくしは布団の中でひっそりと嬉し涙を流したのだった。




