14.敵か味方か(ロレーヌ)
マルティナ様と衝撃の対面をして以降、彼女は毎日私に会いに城に来る。スケジュールも組まれていて二人でまったり話をして、マルティナ様の作るリンゴジュースを飲む日々。謎過ぎるし私の公務は大丈夫なのかしらと不安になる。とはいえそのおかげで慢性的な疲労が取れて体が徐々に元気になっていく。
今日も私はマルティナ様から受け取ったリンゴジュースを飲んでいる。爽やかな甘みが喉を通過して胃に届くころには不思議と頭がすっきりして体が軽くなる。理解不能でヘンテコな祝福の力で作られたリンゴジュースは、今まで飲んだどのリンゴジュースよりも美味しい。
私はリンゴジュースを飲み干すとマルティナ様へ視線を向ける。いつ見てもマルティナ様は可憐で愛らしい。私の憧れと理想を体現したような容貌につい見惚れてしまう。小さな顔にぱっちりとした琥珀色の瞳、瞳を縁取る睫毛は長く煌めいている。そして背を覆う長い銀色の髪は神秘的に輝いている。顔は美人というよりも可愛らしいという風情で整っている。まさに『月から舞い降りた妖精』。
「ロレーヌ様。今日もクッキーを焼いてきました。どうぞ召し上がれ!」
ニコニコと差し出されたのはマルティナ様の作ったクッキーだ。レパートリーがないのか毎回同じ味。
これほど可愛らしい女性が作るクッキーならさぞ美味しいものに違いないと想像するも、実際は苦い寸前の香ばしさと、顎を鍛えるレベルの固さのクッキーだった。お世辞にも美味しいとは言えない。普通なら礼儀として嘘でも「美味しいわ」と伝えるが、私はマルティナ様に対し思うところがあるので「今日もなかなかなクッキーですね」と感想を伝えている。「不味い」と言わないのは淑女としての最低限の礼儀だ。
ところがマルティナ様は気分を害するどころか「なかなかでしょう?」と胸を張る。ちょっと皮肉も含ませていたのだが、まったく通じていない。それでも断らず律儀に食べる私はお人よしかもしれない。それに食べるうちに癖になってしまった。美味しくないと思いつつ、もう一枚と手が伸びてしまう。恐ろしいクッキーだわ……。
私は二人が当然のように気安げに名前を呼び合うことが不快だった。心の中ではハンカチをキーッと噛み締めていた。それだけ距離が近い二人が思い合っていないと否定するほど逆に深まる不信感。
それに私が二人の仲を疑い続けるには理由がある。
アレク様が療養から戻られてすぐに、アレク様付きの侍従がまるで私に悟られないようにこそこそと動いていることを知った。すぐに何をしているのか調べた。ちなみに私付きの使用人のほとんどが実家のダヴィット公爵家から付いて来てくれた信頼の置ける者たちだ。その筆頭である侍女頭が探りを入れると、意外なことが発覚した。
「デュラン伯爵家のマルティナ様と頻繁に文通をしている?」
「左様でございます。それとこちらをご覧ください。調査結果です」
アレク様はマルティナ様からの手紙を読んでは深い溜息を吐いていると言う。しかも王都の一級品の布を扱う店で薄紫色の絹の布地を大量に買い求めマルティナ様に送ったらしい。かなりの金額だったがアレク様の個人の経費で計上している。侍女頭はその請求書の写しを密かに手に入れ見せてくれた。
「この金額は……」
一友人への贈り物としては高すぎる。
「殿下の側近たちの話を盗み聞きしたところによりますと、マルティナ様への贈り物のようです」
「そんな!」
やはりアレク様はマルティナ様を愛している。でも彼が王宮を抜け出してマルティナ様に会いに行ったことはない。(密かに監視しているので間違いない)それならこれくらいは見て見ぬ振りをしよう。寛容さを示すことで自分の心に余裕があると思い込もうとした。
このこともあり私はマルティナ様に心を開くことは絶対にないと思っていたが、最近それが揺らいできた。マルティナ様は心の距離をグイグイ詰めてくる。それも恐ろしいほどに。私の厳重に鍵をかけた心の扉を無邪気な笑顔のまま巨大ハンマーで叩いて壊してくるのだ。すでに心の扉は破壊される寸前。
「ロレーヌ様は食べ物では何が好きですか?」
「私小説を読むより遠乗りが好きです。今度一緒に行きましょう」
「今流行りのクマの縫いぐるみ。お揃いで買いましょう!」
私は時々探るようにアレク様の話題を振ってみた。すると心底興味なさそうに「はあ」と返事をする。最初は演技かと思ったが、マルティナ様の性格を理解するうちに「あれ? 二人は本当に愛し合っていないのでは?」と思うようになった。
それなら……友人になれるだろうか?
私は常にアレク様の婚約者としての威厳を滲ませていたせいで、女性たちから怖がられていた。もちろん小説のイメージもあると思う。要するに女性の友人が少ない。いるにはいるがこれほど距離感を無視してくる人はいないので、最初は困惑していたが慣れると楽しくなってしまった。女の子同士の和気あいあいとした会話、ずっと憧れていた。でも心を完全に許すにはアレク様とマルティナ様の疑惑が払拭できないと無理だ。
私は意を決してマルティナ様に問いかけた。
「アレク様はマルティナ様に高価な布を贈っていましたよね? 今着ているドレスもその布で誂えたものですか?」
美しい薄紫のドレスはマルティナ様によく似合っている。思い返せばいつも紫色のドレスを着ているが特別なこだわりがあるのだろうか?
「布? ああ、はい。送ってもらいましたね。王都には色の種類が多いので頼んでいました」
「やはりプレゼントしていたのね……」
「えっ? プレゼントされたことはないです。代金は立て替えてもらいましたがきちんと払っていましたよ」
「えっ? お金を返していた?」
「もちろん。私たちはプレゼントを贈り合う関係ではありませんもの。疑うのなら調べてください」
「本当に?」
マルティナ様は城の料理人が作ったクッキーが美味しいとむさぼり……頬張りながら頷く。
私は後ろに控えている侍女頭に耳打ちをして、アレク様の侍従に帳簿を見せてもらうように指示をした。遠慮なく徹底的に調べて白黒はっきりさせたい。私はこれ以上アレク様を疑い続けることに疲れていた。
アレク様は毎日私に「愛している。信じてくれ」と訴える。その言葉を心から信じたい。
マルティナ様はクッキーをお茶で流し込むと首を可愛らしく傾げる。
「ロレーヌ様。どうしてアレクセイがわたくしを好きだと思うのですか?」
「それはアレク様が伯爵領から戻られてから、あなたの話を一度もしなかったからです。二年間も一緒に過ごしていたのに不自然すぎです」
「ああ、それはわたくしのことが嫌いだからでしょう」
「まさか?! マルティナ様ほど美しい人を嫌う男性がいるとは思えません」
夜会会場でも男性たちはマルティナ様に熱い眼差しを向けていた。
「アレクセイはロレーヌ様が大好きで、伯爵領で会った時からわたくしのことを女性として意識したことがないのです。だからこそわたくしはアレクセイを信用していますけどね」
「私を大好き?」
「はい。領地に来た時のアレクセイはほぼ死にかけていましたけど、それでも絶対にロレーヌ様の元に戻ると言って苦い薬を頑張って飲んでいましたよ? ロレーヌ様からの手紙が届くと小躍りしていましたね。夜は枕の下に入れて夢でロレーヌ様に逢えるかもしれないとか乙女みたいなことを……ふふふ」
「まさか……本当に?」
「はい」
アレク様はデュラン伯爵領でも療養中に私のことを忘れずにいてくれた。それならアレク様を信じていいのだろうか? 信じたい。
「なぜアレク様はマルティナ様を嫌うのですか?」
「それはわたくしがアレクセイを強くしようとしたからです」
「強く?」
「ええ。アレクセイが来てトリスが護衛に付いたせいで、わたくしトリスと過ごせる時間がなくなってしまったのです。あの頃のアレクセイは護身術も剣術も身に付いていなかった。この際だから回復したら体を鍛えて毒の耐性と知識をつけさようってお父様がトリスに頼んだのです。アレクセイはのろまでなかなか進まないからわたくしが手伝ったのですが、それがトラウマになったみたいです。だからわたくしのことを思い出したくなかったのでしょう」
そういえば無理矢理軍馬に乗せられたり池に落とされたりと言っていたわね。トラウマになるほど酷い目にあって思い出したくなかったということかしら。
「紫の布を送るように依頼したのはなぜですか?」
マルティナ様は両手をパンと合わせニコリと微笑んだ。
「そ・れ・は! 紫はトリスの瞳の色なのです。領地だと紫の布の種類が少ないのでアレクセイに頼んで色々な紫色を集めてもらいました。わたくし、好きな人の瞳と同じ色のドレスを作りたかったのです!」
「え……」
二重の衝撃! トリスタン様の瞳が紫色? 常に糸目なので目を開いた表情がイメージできない。そして婚約者の瞳の色のドレスが来たくて集めていたなんて。言われてみればマルティナ様が紫色以外のドレスを着ているところを見たことがない。マルティナ様ならどんな色のドレスでも似合いそうなのにもったいない。
目の前のマルティナ様のキラキラと嬉しそうな笑顔に嘘はなさそうだ。それならアレク様を好きではないこと、トリスタン様を慕っているというのは本当なのね。
「ロレーヌ様。そろそろ信じてください。わたくしロレーヌ様とお友達になりたいのです。不安なら二度とアレクセイと会わないし話さないと約束してもいいです」
「そこまでおっしゃるのなら……」
「よかったあ! 信じてもらえるならアレクセイも報われるわ」
私ははっとした。そうだ。噂を鵜呑みにしてずっとアレク様を疑ってきた。何度も愛していると伝えてくれたのに、自分が傷つきたくなくて頑なに信じず拒絶した。
私はアレク様をずっと苦しめていたのだ。支えようと誓い結婚した夫を傷つけていた……。私は自分の愚かさに頭を抱えた。今更後悔して許してもらえるはずもない。
「どうしましょう……」
項垂れながら呟くとあっけらかんとした声でマルティナ様が言った。
「簡単です。アレクセイに愛してるって伝えてあげればいいんです。きっと大喜びしますよ。それで誤解が解けて仲直り!」
「そんなに簡単なことではないでしょう?」
「簡単ですよ。難しく考えて行動しないから拗れるのです。まずは伝えてそれで駄目ならわたくしも解決方法を一緒に考えます」
「……いいのですか?」
散々疑い敵視したのに相談に乗ってもらうなんて、虫が良すぎて申し訳ない。マルティナ様は優しい人だったのね。
「だってわたくしたち、今お友達になったのよ。それなら遠慮はいらないわ。その代わりアレクセイと仲直りしたら、わたくしの相談にも乗って下さいね」
「ありがとう。マルティナ様」
マルティナ様の言葉と笑顔に思わず感動して、恥ずかしくも私は瞳を潤ませてしまった。
その夜、私はマルティナ様の助言に従い勇気を出して、アレク様に謝罪とともに自分の思いを伝えた。アレク様は驚いたあと破顔し私を責めることなく抱きしめて喜んでくれた。
(マルティナ様の言う通りだったわ。素直になれば仲直りできるのね)
そして私たちは本当の夫婦として心を通わせることができたのだった。




