13.悲恋(ロレーヌ)
夫であるアレクセイが本当に愛する女性、それはデュラン伯爵家のマルティナ様。妖精のように美しく微笑みは愛らしい。か弱そうで守ってあげたくなる。男性ならみんなそう思う。
私たちの結婚三周年を祝う夜会でマルティナ様を初めて見て「負けた」と思った。これほど美しい人ならアレク様が想い続けるのも納得できる。夜会で二人は見つめ合い何かを伝えあっていた。
それはきっと――――。
『やっとマルティナと一緒になれる。待たせてすまなかった』
『いいのです。わたくしこの日が来るのを信じていましたから』
とかに違いない。
(悔しい……)
婚約してからずっと私がアレク様を支えてきた。
初めて会った日のアレク様は私より三歳年下のせいか、まだ幼く女の子のように可愛らしかった。でも一生懸命大人の男性のように振舞おうと私をエスコートしてくれた。その姿にきゅんとしたのを覚えている。ペリドットの瞳を私にまっすぐに向け言った。
「僕はロレーヌを幸せにするから、ロレーヌも僕を幸せにして欲しい」
少したどたどしく、でも本気の表情に心が温かくなった。「一緒に」の言葉は嬉しかった。彼なりに私たちは対等だという思いを感じた。どちらか一方が幸せにするのではなく共に力を合わせようと受け止めた。
「はい。お互いを幸せにしましょうね」
アレク様は嬉しそうに微笑んでくれた。私たちの婚約は国のためのもの。それでも彼とならきっといい関係を築けると確信した。
ある日、王宮で出されたブルーベリーのチーズケーキが美味しいと喜んだら、登城のたびに同じケーキが出された。アレク様は私が喜ぶと思って満面の笑みを浮かべている。対照的にアレク様の後ろに控える侍従は私に申し訳なさそうな顔をしている。本心は同じケーキに飽きているがアレク様をがっかりさせたくなくて「美味しい」と笑顔で食べていた。帰りに侍従が私にこっそり教えてくれた。
「王太子殿下は一度好きになった食べ物をずっと繰り返し食べるのです。そして飽きることがないので他の人も同じだと思われている節がありまして……」
「いいのよ」
アレク様は良かれと思っている。きっと私は一生、ブルーベリーのチーズケーキを食べ続けることになる。でもそれを嫌だとは思わなかった。ただ体重管理はきっちりとするようになった。私たちは喧嘩することもなく順調に関係を深めていった。
変化があったのはアレク様が前ボワイエ公爵夫人に毒を盛られていたことが発覚し頃。母親を早くに亡くしたアレク様はボワイエ公爵夫人を母親のように慕っていた。その人に裏切られた絶望はどれほどのものか。私はそばで回復を祈ることしかできない。夫人は三年がかりで段々と体を弱らせたので気付くのが遅れてしまい解毒が上手くいかない。この件は王がボワイエ公爵家の存続を望み公にはされなかった。私も父も不条理だと思ったが王の決定を覆すことはできなかった。
アレク様の治療は秘密裡に行われた。国内外から解毒に詳しい医者を集めたが、気休め程度の処置しかできなかった。それは毒が新しい特殊なもので解毒剤がなかったせいだ。
食事も摂れず痩せていくアレク様の回復を誰もが諦めそうになった頃、デュラン伯爵が治療をすると言ってアレク様を領地に引き取った。それは藁にも縋る思いで誰も異を唱えなかった。それほどひどい病状だったのだ。
私は側にいられないままアレク様に万が一のことがあったらと胸の潰れる思いだった。毎日訃報が届くのではと怯えていたが、届く手紙には日々回復していると書かれている。あの状態から本当に回復できるのか? 私を心配させないための嘘かと疑い父に頼んで密偵を送ってもらえば、本当に元気を取り戻していると報告があった。私は嬉しくてアレク様が戻られた時に公務が滞りなくできるようできる限りのことをした。頻繁に手紙のやり取りは続けた。私たちはこの困難を経てさらに絆が深まったと思っていた。
二年の療養を経て城に戻ったアレク様は見違えていた。成長期を迎え身長がグンと伸び男らしくなっていた。少し日焼けをして健康を取り戻した姿に胸が熱くなった。もう女の子には見えない。でも優しいペリドットの瞳は変わっていない、あの頃のまま。
「おかえりなさいませ」
「ロレーヌ。ありがとう。あなたのおかげで私はすっかり元気になった。感謝する。これからは私がロレーヌと国を守る」
「はい」
再会に感動しているとアレク様がふわりと微笑んだ。その笑みに私の心が甘く染まった。これからは二人で手を携えてこの国を盛り上げていける。そう信じていた。
アレク様はすぐに公務に取り掛かった。その姿は格好良く隣にいて照れくさくはあったが、それもすぐに慣れていった。
「デュラン伯爵領はどうでしたか?」
「ああ。トリスタンに色々教えてもらったし、鍛えてもらった。その……ロレーヌに頼もしいと思ってもらえるように頑張った……」
耳を赤くして視線を彷徨わせるアレク様に私もつられて顔を赤くした。
「……嬉しいです」
平穏な日常の中で、アレク様は伯爵領での話をたくさんしてくれた。特にトリスタン様のことは多く聞いた。私はそれを微笑ましく聞いていたが、一つ引っ掛かることがあった。アレク様からマルティナ様の名前を一度も聞いたことがなかったのだ。彼女の美しさの噂は伯爵領を訪れた貴族や商人たちが口々に噂した。アレク様はもちろん一緒に過ごしているはずなのに、マルティナ様の話題が出ないのは不自然だ。
「マルティナ様はどんな方でした?」
私は緊張しながらも努めて自然に問いかけた。
「……マルティナの話はしたくない」
アレク様は口を一文字に引き結んだ。不機嫌さを隠さない姿を初めて見る。マルティナ様と喧嘩でもしたのか、嫌っているようにも見える。あまりに頑なな態度にそれ以上聞けなかった。
その様子を見ていた侍女が顔に疑心を浮かべて私に言った。
「わざと嫌いな振りをしているのです。ロレーヌ様を油断させていずれ王都に呼び寄せるつもりです! 貴族たちはそう噂していますもの」
「えっ? 噂?」
侍女はしばらく前から社交界や市井でアレク様とマルティナ様のロマンティックな悲恋が噂されていると教えてくれた。気付けばその話は本になりベストセラーとして女性たちに大人気になった。本の中で私は二人の仲を裂く悪役として書かれていた。
ショックだったし悲しかった。社交界では私を睨む令嬢もいる。本に感情移入しているのだろう。王都にマルティナ様がいないことで噂はより真実味を増してしまった。
この噂をきっかけに私はアレク様を心から愛していると思い知った。だから肯定されるのが怖くて噂の真偽を確かめなかった。でももし噂が本当で彼の心が貰えなくてもアレク様の妻として側にいられるならそれでいい。そしてとうとう結婚式の日を迎えた。式の始まる直前、アレク様が言った。
「ロレーヌ。その噂が、私の不誠実な噂があると侍従から聞いた。だがそんな事実はない。私が、あ……愛しているのはロレーヌだけだ」
悲痛な表情で私にそう告げたアレク様の言葉はきっと嘘だ。心にはマルティナ様が住んでいる。でも私の気持ちを慮ってくれたのだ。アレク様は自分の恋を封印してくれた。だからその言葉だけで充分。私はアレク様を支えようと決意を新たにした。病がちだった王の病状は回復せず私とアレク様の公務は多忙を極めた。一緒に過ごす時間も取れず、疲労が溜まる。私たちの気持ちは徐々にすれ違っていった。
結婚してから三年が経っても私が懐妊することはなかった……。そしてとうとうマルティナ様が王都に来る!
(私が子供を授からなかったのだから側室は……受け入れるしかない。必要だ)
心は軋むが私はアレク様の正妻として毅然とした態度でマルティナ様を迎えて見せる。いつでもアレク様から側室を迎えると言われてもいいように構えていたが、一言も告げられないままマルティナ様が姿を現した。
一言相談して欲しかったがきっと言い出せなかったのだろう。
「惨めね……」
アレク様を奪われ貴族たちから笑い者にされる。その屈辱の日々が今から始まるのだ――。
市井ではマルティナ様とアレク様の悲恋を応援しているが、私にとっては私の恋こそが悲恋に思えた。私には応援してくれる人はいない。
私は覚悟を決めマルティナ様と対面したが、現実は私の想像とは大きく違っていたのだった。




