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雪火野  作者: 俊衛門
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五十

「あの子を思うならここで引けよ、千秋」

 吹き上げてくる風は冷たい。けれど、背中だけがやけに熱い。誘導弾の炎が、あちこちの導管に飛び火していた。導管の表面に赤い炎が走り、それが調のすぐ足元に迫っていた。

「お前の存在が、あいつを縛りつけている。でもあいつには未来がある」

 黙し、何も発せず、何も語らず。かつて自分がそうしたように、千秋はただ金色の目で見据えてくるばかりだった。

 何度語りかけようと同じだろうと思われた。それでも何度でも問いかけるつもりだった。自分がそうだったように、そうされたように。手段が他にないのならば。

「語れよ、あんたはあの子を自由にしたいのか。ただモノにしたいだけなのか。それともやはりお前は機械に過ぎないのか。心なんてないのか!」

 調は銃床をかちあげた。千秋の顎を打ち据える。千秋が下がると同時に三連撃った。

 着弾する。発火弾頭が千秋の左肩と左の膝を掠めた。

 白い炎が爆ぜ、機械の地金が露わとなる。己が鉄の躯体を晒し、油の血を曳かせ、それでも尚止まらず、千秋が打ち据える。刀が唸りを上げた。

 噛みあう。刃がぶつかる。

 熱と、炎と、猛る地吹雪の壁が聳え、それらを断ち切るように、剣を振るった。二人して、斬りつけ、撃ち尽くした。近づいては斬り、離れては、導管から導管を移動しながら手裏剣と銃撃を応酬させる。炎と電撃が交錯し、導管の至る所に鉄片が食い込み、炎が飛び散った。

「お前から語れよ、千秋!」

 叫んだと同時。千秋が向かってきた。

 誘導弾撃つ。真っ直ぐ、千秋に向かう。

 立ち止まる、千秋。腰の鞘を抜き取る、逆手で振り上げた。誘導弾を弾く、推進機構を打ち砕き、行き場を失った榴弾が真上に跳ね上がる。

 呆気にとられた、一瞬の間隙をつき千秋が踏み込んでくる。刀を逆手で切り付けるに、調は紙一重避ける。下がりながら、銃撃を加える。

 千秋が離れた。同時に、調も。その二人の間に、先ほど弾き飛ばされた誘導弾が落ちてきた。柱に身を隠すと同時に火炎が爆ぜ、紅蓮が一面拡がった。

 千秋が迫る。炎を越え、手中に電光を発し、手裏剣を打った。

 咄嗟に銃身を掲げた。銃床に手裏剣が突き刺さり、木銃床をバラバラに砕く。調はバランスを崩した、時。千秋が踏み込んだ。

 調、構えた。銃を向けた。

 斬った。弦刀が連管銃の先端、銃管と剣管を切り落とす。驚く調を尻目に、千秋が突き刺した。

 弦刀が貫く。

 左肩に突き刺さる。刃は背中に抜けた。

「こ……の」

 千秋が刀を引き抜く。

 刃を握りこむ。右手で拳銃を抜き、三発撃った。千秋の左側、肩と腕に突き立ち、発火弾頭が炸裂した。金属腕が弾け飛ぶのに、千秋はたたらを踏み後退する。

 再び調構える。拳銃を向けた。

 千秋は小刀を抜き、斬りつけた。拳銃の銃身を斬り飛ばし、そのまま刺し貫こうとする。避けようとした、瞬間。足を滑らせた。導管から足を踏み外し、調の体が下界に向けて吸い込まれる。

千秋が見下ろす目とかち合う、徐々に遠くなる。

 手榴弾に手を伸ばす。ピンを抜き、投げ込んだ。

 導管に当たると同時、爆発した。誘導弾よりは弱い、紅蓮の炎が膨れ上がり、千秋をすっかり飲み込んだ。炎に埋没する影を、確認することもなく、落下し、途中の導管に体を打ちつける。十階層ほども落ち、ついには一番下に到達した。

 地面の、雪が積もった上に投げ出される。衝撃で木の枝から雪が落ちた。

 そろそろと起き上がる。落下した時間は思いのほか短かった。導管を移動しているうちに下の方まで来ていたのだろう。雪のせいで、衝撃が大分吸収されたらしく、どうにか起き上がることが出来た。

 すぐ脇、斬り落とされた銃身がある。銃管と、剣管。その向こうには銃本体の残骸があった。

「くそ……」

 丁度、調が撃った導管の一部が崩れ落ちるところだった。炎をまき散らしながら雪原に落下し、雪の上であっても激しく燃え上がる。その炎を背にして、一つの影が立つのを見た。

 千秋がいた。体の、左半分が焼けただれ、地金が見えている。端正な顔に、ケロイドの切創を刻み付け、左目はもはや潰れてしまって、用をなしていない。

 それでも、構えた。小刀を正眼に取り、調に向き直る。

「まだやるのか」

 千秋は切っ先を向ける。応えろというように、そうすることでしか理解し得ないかのように、ただ刃でもって問うかのように。

 手を伸ばす。調は斬り飛ばされた剣管を掴んだ。焼けた銃身を握る手が、グローブ越しであっても熱を感じる。逆手に持ち、体の前に、水平に掲げた。

 関節が軋むような痛みがあった。出血も酷い。もはや立ってはいられない。それでも応えろと、問われている。だから応えなければならない。

 千秋がにじり寄った。

 風が吹いた。雪原に積もった粉雪を削り、飛び散る雪塵はミルクを流したような靄となる。凍える雪の風が、頬を撫でる。

 傷を冷まし、凍りつかせるものだった。逆巻く雪のヴェールが、炎めいて揺らぎ、空間に溶ける紅い火の粉と交じり合い、溶けあい、掻き消えた。

 一歩、前に出る。雪の野を踏みしめ、少しずつでも近づいてゆく。存在の境界、互いに踏み越える一線が、そこにある。

 にじり寄る。刃をかざす。熱と冷感を膚に受ける。一つ、近づき、機を伺い、来るべきその時を探る。

 冷気を吸い込む。

 息を止める。


 音が消えた。

 

 飛び込む――同時に。逆手の刃、突き出す刀。


 間合い――二人して。飛び越える――踏み越える――刃が交わる。


 火花散る――刃がこすれる。金属が鳴る。


 斬りつける――縦と横。弾かれる、互いの攻撃。


 すれ違う――背中合わせ。向き直る、千秋が一瞬だけ早く、体勢を整える。

 一時、千秋の顔が色を帯びた。面差しから鉄の鋭さが消える――千秋が小刀を下げる。


 目を瞠る。調が剣を突き出す。


 踏み込む――かつて心を縛りつけて止まなかったすべての物を断ち切るべく、横なぎに抜きつけた。


 斬りつけた喉から黒い液体がこぼれている。千秋は膝を突き、崩れ落ちた。雪の上に作る、黒いしみを見つめ、それがあるべきものであるかのように、傍観している風でもあった。

「どうして、刀を下げた」

 調は千秋の方を振り向かなかった。千秋は――当然といえばそうだが――何も答えなかった。降り積もる雪が黒い血を覆い隠し、その雪の上にも新たに血が流れ、際限なく広がった。

「お前は……」

 その時、千秋を見つめる影二つ、認めた。銃を杖替わりにしているヨファと、それを支えるリツカの姿。リツカは千秋を見ると、すぐに駆け寄ってくる。

「リツカ、これは――」

「いい、分かってる」

 リツカは調の言を遮ると、千秋の目の前にかしずくようにしゃがみ込んだ。千秋の肩に、手をやり、その手をおもむろに首に回す。まるで幼子にそうするみたいに抱き寄せた。黒い血が、リツカの絹糸の衣に染み込むのも構わずに。白地に薄い藍が差したリツカの着物が黒く染め上げあげられてゆく。

「あんたはもう、ここから動けないんだね」

 リツカはそう語りかけた。強く抱き、耳元でささやき、そうすることがまるで無意味だとは、全く思わないそぶりで。きっと届いているのだと、信じているようだった。

 しばらくそうしていた。千秋の肩と、リツカの肩とに、雪片が薄く積もり始めるほどの間。リツカは千秋の髪を撫で、千秋はただその身を委ねていた。

どれほどの時間、そうしていたのか。長かったのか、短かったのか。定かではない。リツカがそっと体を離し、立ち上がった。

「ごめんね、千秋。私は行くよ」

 最後に、額に口づけて。


 本当は分かっていた――リツカがそう話した。

「何て?」

「全部が全部、ね。倉木の言うことや、調の言うことも」

 炎が、立ち昇っている。炎柱が、灰色の空を突き、紅と白色を湛えた中に鉄の影を見据える。千秋の、鉄の躯が、ストロンチウム炎の中に燃えている――調が持っていた最後の榴弾によるものだった。

「この雪火野に、残るならばもう滅びるしかないって」

 炎の中で鉄の躯体が崩れ落ちる。雪の上でぶすぶすと燻るように音を立てた。溶けだした躯が雪の上を滑り、蒸気を噴き上げた。炎よりも勢いをつけた白煙は、風に吹き消され、少し密度の高い地吹雪に混ざって霧散してゆく。火炎と、地吹雪と、蒸気が交互に現れては消える。それをただ、リツカは何の感慨もない風に見つめていた。

「最初から、分かっていたんだと思う」

 炎に照らされた、リツカの横顔はどこか虚しさを湛えていた。あきらめともとれる、力ない目をしている。

「千秋を治す方法を知りたかった。あいつに心があるって信じない里の人に、ちゃんと千秋は人間だって言ってやりたいって。都市に行けば、それができるって」

 上空を旋回していた"ハミングバード"が降下してくる。気づけば戦闘は、だいぶ収束していた。

「でもあんたから、都市に行ったら戻ることがないって聞いて。それを聞いてから、どうすれば正しいのか分からなかった。もし都市へ行けば、千秋はひとりになってしまう。千秋はきっと、それを知っていたんだ。自分のせいで私がここに縛られることになるって。だから」

 それ以上続けることはなかった。リツカが目元を拭ったのを、調は見えなかったフリをした。

「倉木は」

 調は少し、話題を変えることにした。

「城塞にいるのか」

「さあ、知らない。二日前に別れて、それっきりだし」

 ヨファは、救護班の担架に乗せられるところだった。ほかの負傷した州兵たちが運び出され、白兵たちがこちらに走ってくる。

 銃声がした。

 駆けてくる白兵の一人が倒れるのを見た。背中に突き立ち、何の抵抗もなく事切れる。

 二発。銃声のほうをみる。建物の陰から小銃の銃口がのぞいていた。そしてそれを持つ人物を。

「倉木!」

 調が怒鳴る。それと同時に一斉射撃が始まる。白兵たちが撃った発火弾頭が倉木を襲った。胸と腹に受け、マグネシウム炎が弾ける。肉をまき散らし、臓物を引きずり出す。倉木の胴がそっくり焼け、それでも倉木は最後の力を振り絞って銃を向ける――銃口の先に、調の姿がある。

 撃った。

 リツカが駆けた。調の体にぶち当たった。

 調がよろめいた瞬間、傍らで血の霧が舞い上がるのを認めた。調に向けて放たれた銃弾の軌道上、リツカが立ち、そのリツカの腹に真っ赤な華が咲く。弾が突き立ち、背中に抜けるまでの間、肉と組織を抉り、刻み、地面に刺さる。

 一瞬なにがあったのか、分からなかった。リツカが倒れるまでが、ひどく緩慢なものに見えた。駆け寄り、リツカの体を支えるまで、ほとんどなにも考えていなかった。

「リツカ?」

 血の滴がこぼれる。調の手と、雪の上を染め上げて、どうしようもなくそれが現実であることを知らせてくる。

「リツカ、何やってんだ」

 ゆっくりと雪の上にくずおれる、リツカの体が徐々に重みを増してゆく。調はリツカの肩をつかんだ。

「リツカ、よせよ。こんなところで寝ている場合じゃないだろう」

 リツカを雪の上に寝かせ、傷口に雪をあてがった。冷やせば、あるいは傷口はふさがるかもしれないなどと考えた。そんなことはあるわけないと冷静に判断する自分もいた。無駄なことだと分かっても、そうせざるを得ない自分も。

「やめろよ、悪い冗談は。もう終わりだ、終わりなんだろ」

 呼吸が、浅い。目の焦点が定まらない。リツカはぐったりと横たわっている。傷口に雪をすりこみ、何とか止血しようと傷を押さえる、調の手も赤く染まっている。雪どけの水が赤く濁り、リツカの白い衣を汚す。

「もういい」

 銃撃が鳴る。発火弾頭が倉木の体を吹っ飛ばす。そんなことに目もくれず、調は必死に血を止めようと努める。衛生兵が割り込み、調を止めようとするのにも、構わずに。

「もういいんだ、お前は」

 血が止まらない。傷は深い。もう意識があるのかすらも分からない。そんな状態で、何ができる? 何が――

「何も苦しまなくていいんだ、俺たちは生きてもいいって、そう言っただろう。こんなとこで終わるなよ、終わらせるなよ――リツカ」

 衛生兵たちが医療カプセルを引っ張ってきた。ナノ分子が満ちたプールに、リツカの体が沈められる。緑色の液体に血が溶けて、どす黒く変容させた。調がすがりつこうとするのを、他の兵達が押しとどめる。カプセルが救護ヘリに収容されるまで、何事か調は口にしていた。意味のないことを、わめいていた。それが無意味だと知っていた。それでも口をついた。

 ヘリが離陸する。雪片が舞い上がる。兵達が調を押さえ込み、調はその手を振り払おうともがいた。

 風が吹いていた。地吹雪のせいで白く塗りつぶされた背景に、炎が揺らいでいた。機体が舞い上がり、灰色の空に吸い込まれるのを、呆然と眺めた。

 その日のことは、それが最後だった。

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