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雪火野  作者: 俊衛門
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四十八

 銃撃が遠くで響いていた。火薬の破裂する音と、甲高い金属音が交錯している。白兵の発火弾頭と機甲兵の短針銃、どちらが多く、弾をばら撒いているのか分からないが、そのどちらからが扉を突き破り、リツカの体を貫くかもしれない――そんな不安があった。リツカはベッドの上で、耳を塞ぎ、膝を抱えた。少しでも自分に当たる確率を小さくする、そんなことをしてもどうせ死ぬときは死ぬのだとは分かっていても、そうせざるを得ない。

 白兵がここに到達して、どれくらいの時間が経つか。自室にこもりながら、リツカは銃声が過ぎ去るのを待っていたが、いつまで経ってもその時は来ない。戦場はどこまでも広がる、この地下のシェルターにも。火は一度燃えれば広がり、対象を焼き尽くす。同じことだ、居住空間であっても、シェルターでも。今、リツカが生きながらえているのは、白兵が個々の居室にまで踏み込まず――あるいはその存在が分からず――回廊で撃ちあいをしているためだった。壁一枚、扉一枚隔てた先に戦場は在る。

 助けが来るだろうかと思った。機甲兵は戦うことしかプログラムされていない。ほかの誰かが。誰が、来るのだろうか。七海はもういない、倉木もどこにいるのか――千秋は、いったいどこに行ったのか。

「千秋……」

 膝を抱きこんだ。どうして千秋はあんなことをしたのか。前線に送り込まれ、もう会うことはないと思っていた。千秋もほかの機甲兵同様、戦うことをプログラミングされた存在だ。命令以上のことはしない、できないとされるのが機甲兵だ。機甲兵に心はないと、誰もが口をそろえる。

 ではどうして戻ったのか。そしてリツカを連れて城塞まで走った。そのことが、命令によるものでないとすれば――。

 もう諦めろ、と以前言われたことがある。七海は、千秋に話しかけるリツカに対して、責めるのではなくたしなめるように言った。諦めろ、お前の声は届いていないんだから。何を言っても無駄なことだ。

 機械だ。それも戦闘に特化した特殊な躯体。それを保つために、定期的に人の手を入れなければならない。千秋は雪火野にとどまるしかない存在なのだと。もはや人である部分は、わずかに残る脳髄と、その脳ですら、感情を司る領域が破壊されている。感情を持ちえない、すなわちそれは理性もない。

 違う、そうじゃない。千秋にも心はある。そうでなければ私を守ってはくれない――私を守ろうと、プログラムされないことを、どうしてできるものか。

 銃声が、耳を塞いでも、自分の声だけは届く。妙な感覚だった。こんなにも周囲の雑音もかき消す、すべてを白く塗りつぶす騒音を間近に受けても、声は変わらない。ならば大声で、どこにいるのか分からない千秋に向かって叫んでやるのもいいかもしれない――銃撃の的になるかもしれないけれども。

 扉に何かがぶつかる音がした。反射的に身を竦め、枕元に常備している護身用の短針銃に手を伸ばす。

 何度も、扉を叩く音がした。叩いたところで鉄の扉を破られることはない。ひときわ頑丈なつくりになっている。扉の向こうにいる者は、諦めたのか、やがて音は鳴り止んだ。リツカは安堵しつつ、短針銃を机に置く。

 轟音が響いた。

 金属が弾ける音だった。固く閉じた扉が、隙間を生じさせる。そこから無理にねじ込まれ、こじ開けられる。フルフェイスヘルメットの白兵が一人、踏み込んできた。

 リツカは短針銃を構える。反動の少ない空気射出タイプのそれを二度、撃った。ヘルメットに当たり、傷一つつけずに針が跳ね返る。もう一度引き金を引く――引けない。撃鉄が引き戻り、弾切れを示めしていた。

「ああ待って待って。別にあなたを傷つけたいわけじゃないわ」

 白兵がそう言って両手を上げる。女の声だった。リツカが銃を下すと、女はヘルメットを脱ぐ。東洋系の顔立ちをしていた。

「あなたがリツカね。確かに良く似ているわ」

「どうして私の名前……」

 女の肩越しに、別な白兵が顔を覗かせた。ヘルメットを脱いだその男の顔を見た。

 己の姿見を見せつけられた心地にさせた。男の、自分と同じ顔のその男を。

「阿宮?」

 リツカが呆気にとられているにも関わらず、調は何かを言おうと、唇を動かした。

 調の背後で破裂音がする。女がショットガンを、音のする方に向けて撃った。調は部屋に踏み込み、リツカの手を取った。

「こっちだ」

「え、ちょっと」

「いいから……ヨファ」

 ヨファと呼ばれた東洋女が頷き、手榴弾のピンを抜く。投げ込み、廊下の向こうで爆発音を響かせる。リツカは半ば無理やり引っ張られ、部屋を出た。調に抱えられるようにして廊下に出、せっつかれるようにして走る。時折、ヨファが後ろに向けて発砲を繰り返し、一気に走る。

だがエレベータまで辿り着いた瞬間、リツカが手を振り払った。

「待ってよ、いきなり来て、出るとかって。どういうこと?」

「そのままだ。ここから出る」

「意味が分からない」

 遠くで銃撃が鳴っている。短針銃の金属音が断続的に響き、ヨファが放つショットガンが応戦していた。

「いきなり来て何なの。なんでそんな話になってんの」

「ミハルに会った」

 胸の内に、ちくりと刺さるものがあった。唐突に投げ込まれた言葉が一番深くに届き、適格に傷を抉った。

「いつ……」

「お前と別れた後な」

 ヨファがこちらを振り向くと、調が目で合図する。ヨファは手榴弾を投げ込んだ。爆音とともに銃声が鳴り止むに、ヨファが駆け寄ってくる。

「すぐに応急処置を施したが、駄目だった。ただ最後に」

「やめてよ」

 ぴしゃりと言い放つ。自分でも意図しない、はっきりとした拒絶を口にした。

「やめてよ、そんなこと。私に思い出させないでよ。ミハルさんの、最期を看取ったなんて話。聞きたくない」

「看取ったのはそうだが、それよりも」

 エレベータの扉が開いたが、調は動かない。もう無理に、手を引こうとはしなかった。

「お前を都市に連れて行ってくれとな、頼まれたんだ」

「ミハルさんが?」

 少しだけ信じられない気分だった。ミハルは都市の話を積極的にすることなどなかった。都市の話になれば口を閉ざす――そういう人だったはずなのに。

「ここを出るか、ここに残るか。二つに一つだと。ここで死に行くよりは、都市に行き、そこで生きる方が良いだろうと」

「でもそれは」

「そうなれば、ここにはもう戻れないということだ」

銃撃が遠ざかる。あるいは遠く聞こえるのは、調の言葉があまりにも卑近であったためだっただろうか。

「それじゃあ意味がないんだよ。ここに戻ってこれなきゃ――」

「そう。だから、ここから先はお前が選ぶことだ」

 調が言うと、ヨファがなぜか驚いたように振り向いた。

「調、それは」

「いいから!」

 調はそう一喝しておいて、ヨファを黙らせる。

「本当は、無理にでも連れて行こうと思ったんだがな。ただそれだと、倉木のやり方と同じになる。残るか、俺たちと来るか。それを確かめに来たんだ」

「それは……」

 脳裏に千秋の顔が浮かんだ。どうあっても離れそうもない像だった。リツカが悩んでいると、調は心中を察したように訊いた。

「千秋のことを、気にしているのか」

「だって、戻ってこれないんでしょ? もし私が行けば、あいつは一人になっちゃう。千秋はここを出ては生きていけないんだ、雪火野でしか」

「ではここに残るか?」

 リツカは答えられなかった。しばらく沈黙が続いた後、いきなり短針銃の銃撃が近づいてきた。

「ここは駄目だよ、調」

 ヨファが駆け寄り、二人をエレベータに押し込めた。扉が閉まり、ヨファが最上階のボタンを押す。

「多分、もう下は駄目だから、上に行って”ハミングバード”に引き上げてもらうしかない」

「ちょっと、私はまだ」

「文句言ってる場合じゃないよ」

 ヨファははっきりと物を言う。ぴりぴりした面持ちだった。

「私は調と違って気が短いからね。上に着くまでに結論出しなよ」

 エレベータがぎしぎし音と立てながら昇ってゆく。二十階層ある城塞の、最上階はヘリポートになっている。

「俺も悩んだ」

 調が階数表示を眺めながら言った。

「リツカは分かるかどうか、知らないけども。あの街は本当に、旧人にとっては生きづらい。好むと好まざるとに関わらず、新人の歌音に慣れ、慣れければどうあっても社会には食い込めない」

 誰かに聞かせるというよりは独り言の延長のような、そんな風情だった。自分に言って、聞かせて、それでどこか、気持ちの整理を付けようとしているかのように。

「操は――妹は、そこから逃げ出した。当然だ、生きづらい場所にはだれもいられない。俺もそうだ、あそこにいられないと思った」

 十五階まで到達する。ヨファは苛立つかのように、指先でショットガンの銃口を叩いている。

「そこに行くのも、そこで暮らすのも。どちらかに馴染めなければ、弾かれる」

 扉が開く。

 最上階までたどり着いた。下の銃撃戦が嘘のように、ここは静まり返っていた。

 ガラス張りの天井が出迎える。回廊から空を、地上を、見ることが出来た。透明な天空回廊、そこが今、リツカのいる場所だった。下界を覗き込めば戦闘を繰り広げる市街地。ところどころで火の手が上がっていた。

空は雪模様、今はまだ灰色のうねりに覆われて、舞い散る雪の欠片はわずか。雪空を眺めた。

「でも最近、あそこでも生きられるというかもしれないと思えるようになった。まだ確証はないけども。望めば、俺のような人間が生きることもできる」

 一歩踏み出す。リツカはしかし、動かない。

「生きられない人間はどうすればいいの」

「生きられる方法を見つけるしかない」

「それでも駄目なら死ぬしかないの」

「あるいは」

 躊躇いが、リツカを縛りつけている。どうあってもそこから動けば、都市に飲み込まれるという危惧があった。

「私は――」

 言い終わらぬうちに、ヨファが動いた。

 調がリツカの手を引く。かばうように、背中側に隠した。ヨファがショットガンを向けた。

 破裂した。ショットガンを撃つと同時に、銃身自体がいきなり吹っ飛び、ヨファが体を仰け反らせた。

調が銃を向ける。

 リツカが視線を走らせる。

 回廊の端。白いジャケット姿。刀を下げ、鉄の腕が紫色の電光を纏っている。鉄面皮の顔に、少しだけ鋭さが増した目をしている。

 千秋がいた。ただ少しの躊躇の合間に、幾度となく想起した姿が、紛れもない実像としてそこにある。

 ヨファが拳銃を抜き、リツカの前に立ちはだかった。それを見た千秋の目が、少し揺らぎを帯びたように見えた。

 千秋が手裏剣を構える。ヨファはリツカの手を引き、柱の影に隠れる。調も遮蔽物に隠れた。

「リツカを連れて逃げろ、ヨファ」

 調が銃を構えたまま言った。

「俺が時間を稼ぐ」

「分かった」

 ヨファがリツカの手を引いた。

飛び出した、瞬間。ヨファの肩を電光が掠めた。

強化服が破け、白い液体が飛び出る。ヨファが倒れ込むのに、調は舌打ちしながら飛び出た。

 千秋が走ってくる。調が撃つ。三連射、銃口が火を噴くのを、千秋は全て叩き落とした。走り、千秋が調に斬りかかった。

 一閃。千秋の剣が調のヘルメットを砕いた。

 調が首をもたげた。銃床を千秋の顔めがけて叩き付ける。二人して組み合った。もみあい、刀と銃を奪い合うようにして、もつれ合う。

 千秋が押し付ける、刀の柄。調の首に当て、体を返し、足を払った。ガラスの壁に向けて調を投げ飛ばす。そのまま二人して、もみ合ったまま外に落下した。

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