表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雪火野  作者: 俊衛門
36/53

三十六

 エンジンの音が、途切れがちになっていた。集落を出てから、三時間。燃料切れが近いのか、そもそも車自体にガタがきているのか。ともかく目的の場所まで保ちそうもない。

 調は注意深くハンドルを切った。舗装されない悪路を、なるべく車体を揺らさないように走る。わずかな振動も、傷には堪えるだろう――調はミラー越しに後部座席を見た。

 青ざめた顔のミハルが、腹を押さえて横たわっている。"ケツァール"の炎の直撃は避けたものの、爆風で潰れた家の下敷きになっているのを、何とか助け出したものの、腹に瓦礫の欠片を受け、両の足は押しつぶされて原型をとどめなくなっている。膚は、ところどころが焼け爛れて、あと十分も遅ければ炭と化していただろう。そんな状態だ。

 ミハルが声を上げる。水を飲ませるわけにはいかないので、湿らせた手拭いを噛ませていた。それが気休めであることも分かっていた。

「調」

 ミハルが苦しい息の下からあえいだ。

「もう私のことはいいから。置いて行きなさい」

 調は全く無視して車を走らせる。燃料が底を尽きかけるのを、気にしながら。

「医者やっていれば、自分の体のことなんて嫌でも分かってくる。もう私は駄目だって、だから」

「喋るなよ、気が散る」

 調は舌打ちした。ハンドルを叩いてやりたいのを、堪えた。

「あんたらの、原始医療ならそうかも知らんが、州都に行けばそれなりの治療を受けられるんだから。そこに行くまでは黙ってろ」

「州都になんて、どうやって」

 ミハルが咳込むのに、調はゆっくりと車を停めた。後ろをのぞき込む、血が付着した手拭いを吐き出し、ミハルは肩を震わせてうずくまる。

 調は新たな布を噛ませた。少しずつ、水に浸らせ、注意深くミハルの口にあてがうと自らは再び運転席に座り込む。

「山を越えれば境界だ」

 調は雪に埋もれた山林を見上げる。色づく白に青みが差しているように見えた。

「もう少し行けば州軍の領域、そこ通信塔がある。そこまで行けば救援を呼べるはず――」

 言葉尻が爆音にかき消された。上空から鳴り響き、瞬間的に重音が耳を圧す。腹の底が震え、肺腑を打つ音響に見上げてみれば、夜の空を突っ切り二機の"カグー"が飛んで行くのが見える。ステルス性能を備え、水素エンジンによって並の戦闘機よりも音は大分押さえられた、隠密行動に適した設計。臙脂えんじの機体色は闇にとけ込み、まさしく爆撃するために生み出された完璧な形と機能だった。平和な社会には過ぎ足るものとこき下ろされ、常に非難の対象とされた戦の鳥が、今まさに本領発揮と、その性能を見せつけるかのごとくに飛翔する。

 おそらく西北区域の、ほとんどのレーダー基地を破壊したのだろう。レーダー、対空ミサイルを"ケツァール"で叩き潰し、"カグー"で爆撃する。陸戦隊が派遣されるもの、時間の問題であると思われた。

 二時間、かかった。背の低い山であるが、雪に車輪をとられ、また方向を見失いかけながらもどうにか頂上にたどり着く。そこが連邦の領域であることを示す、大鷹の記章をあしらった壁面、立方体の建物からは無数の鉄骨が突き出ている。無人の、電波塔だった。

 ゲートの上から、自動射出の短針銃がにらみを利かせている。もし連邦関係者以外がここを突破しようとすれば、毎秒三百連射の鉄杭に晒される仕組みだ。

 調は正面の静脈照合センサに掌をかざした。ほどなく鉄の扉が開かれはずだったが、いつまで経っても扉は開かない。おそるおそる、門に触れてみる。案外簡単に扉が開いた。頭上の短針銃は襲ってこない。そのまま中に入る。

 塔に入ると、通信パネルが出迎えた。

 手動操作に切り替え、パネルを叩いてみる。一瞬、画面に何かが写ったがすぐに消える。何度か叩くが、もはや何も反応しない。

「壊れてやがる」

 どのパネルを叩いてもそうだった。表の門といい、この通信塔自体があちこちガタが来ているのだ。白兵と違い、州軍の管理は州政府が行う。その維持費は市民の税金であるが、どこの州でも都市民は、資金を軍事費に回すことを嫌う。その結果として、維持管理が細部に行き渡らないことがある。

「こんなときに」

 腹立ち紛れに椅子を蹴飛ばした。キャスターが転がり、床を滑り、中央の螺旋階段に当たった。

 その階段を昇る。数えられるほどの段数だった。二階に上がると、見慣れぬ機械が目に飛び込んできた。

 鍵盤がある。銀色の長方形が、三列に並んでいた。四角いキーに、かすれた印字がなされており、その一つ一つが文字だった。アルファベットでもなく、また形が意味を持つ表意文字でもない。見たことのない字だった。渦を巻き、黒い円とうねった線が組合わさった形。符号をさらに複雑にしたような、それだけでは意味が読みとれない。

 その鍵盤を囲むように、鈍色の空管リードパイプが取り囲む。長さはまちまちだが、ちょうど突端を線で結べば放物線になるように並べられていた。その管は、鍵に対応するのだと、直感でそう思った。

 一つ、叩いてみる。中央のパネルに、関数グラフが表示された。緑色の線でもって波形を描く。もう一つ触れると、同じような波形が上書きされた。三つ、四つと叩くと微妙に線をずらした格好でグラフが刻まれる。しかし中心点だけはすべての線で重なり、そこがゼロ地点であるようだった。

 今度は上の段の鍵盤を叩いてみた。同じグラフが、しかしずいぶんずれた位置に描かれた。中心点すらも重ならない。

 調はグラフに見覚えがあった。出撃前にいつも目にする、周波グラフのそれに重なる。だとすればこれは、歌音を人工的に発する何かなのだろう。発笛にも同じような鍵がついているが、これはさらに大型の、ハミングバードや本部に備わる鳴盤なのかもしれない。

 そうであるならば、このリードの並びもある程度想像がつく。韻律の通りに、リードが並び、音のピッチを表す。そして鍵盤は文字通り、音を奏でるためのものだ。鍵を叩き、歌音を操り、旋法を作る。音奏者カンツォールと呼ばれる者が日常的に行っていることだ。

 調は鳴盤を叩いた。液晶にグラフが刻まれる。複雑な旋法は描けない、そもそも新人が理解する旋法は、人間が理解し切れない音律を持っている。認知出来ないことを、端的に表すのが旋法回路であり、共感覚的な理解とさせるのだが、実際の数学的方法に頼れば、人一人の知識では表せない。だからこそ、音奏者カンツォールのような音楽感覚を養った専門の者に、操作を託すのだ。

 白兵は、ある程度は人工歌音を作る訓練はされている。しかしそれは発笛で生み出す、簡単な信号だ。音楽教育を受けた専門家とは違う。そんな自分に、これを扱うことが出来るか。

調は鍵に向かい合った。パネルを見ながら、一つずつ鍵盤キーボードを操る。音は、今の調には認識できない。簡単な旋法すら作れるか怪しい。

「こんなことで……」

 ひたすらに鍵を叩く。救援信号の旋法がどんな形であるのか、思いだそうとした。その記憶の中にある形がモニターの中に描き出せれば、それが救援の旋法だ。

 鍵を叩く。グラフが揺れる。救援を表す旋法は、もっと丸みがあって、しかしところどころに棘があって、若干の熱がある。グラフの曲面が、イメージした通りに描き出すことを期待した。だが意図する図形はなかなか現れない。そうこうしているうちにグラフが急に暗転した。何度も鍵を叩いても、もうグラフは現れない。

 畜生、とつぶやいた。意図せずして、拳を打ちつける。どうしていつも肝心なところでうまく行かない、どうしてここまで来て。声にならない声であったように思われた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ