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雪火野  作者: 俊衛門
20/53

二十

「都市生活なんて、そんなに良いものじゃないが」

「そうなの? 七海もあまり良くない、みたいなことは言ってたけど」

「新人どもには苦痛ではないがな。生まれた時からそうだったから。旧人にとってみれば、慣れるまでは時間がかかる。そこら中にあふれているからな、歌音チャンクなんてものは」

「たとえば?」

「主に広告。歌音から相手の情動を読み取って、消費者にとって今の気分にふさわしいものを表示するディスプレイ。あとは警告音も、人工歌音だ。歌音なんてものは、高音域過ぎて人間の耳には聞こえないものだから。鳴官を備えていれば、言語と同時に発することは出来るとしても、理解するのには回路が必要だ。相応の受容器官がないものにしてみれば……その物欲しげな目は止めてくれないか」

 リツカと調の距離は、人ひとり分から五十センチほどに縮まっていた。調が次に話す言葉を、リツカは一言も聞きもらすまいとしている。にわかに、入り口付近で殺気が膨れ上がる気配がして、調はついと顔を仰け反らせた。

「君の相棒に殺されかねない」

「時間がもったいないから、もうちょっと話聞かせてよ」

 リツカは次に何を話すのか、期待し、待ちわびている。齢九つにして世界に絶望していた操の目で、今まさに世界そのものに楽しみを見出している。入り江の少女とは似ても似つかぬ、都市に思いを馳せる無邪気な子供で、好いことなんて一つもないと吐き捨てたあの眼差しとまるで逆の反応だった。言って聞かせろとせがむこの娘は、記憶の中にある光景とは違う。

 調はかぶりを振った。今、目の前にいるこのは別人なのだ。この子と操が重なるなんてどうかしている。

「門限があるならもう帰った方が良い。君がここに来ていることがあの男に分かれば」

「倉木のこと? あいつなんてどうでもいいよ」

「俺がどうでも良くないよ。この間なんて、その場で射殺されかねない勢いだった」

「言うだけだよ、あんなの」

 操ではない少女――リツカはむくれたような顔をした。

「何かあれば、お前には関係ないとか、そんなこと知る必要ないとか。私が何にも知らないままでいることが、あいつの生きがいなんじゃないかって思うぐらい。ボランティアが、近くまで来たことあったけど全部追い返しちゃった。ここら辺の人ってなんでか都市の人を嫌うんだよね。よく分からないけど」

「原野では、州都の人間は歓迎されない。昔、連邦が行ったことを考えれば無理もない話。保護政策で、脳改造を施して、その結果廃人を生み出して」

 新人の、連邦の汚点ともいえるかつての保護政策。旋法回路が新人にとっては必要な器官であっても、旧人にとっては異物でしかない。脳髄に埋め込み、旧人を新人と同等に引き上げる試みは、三度の技術改良を重ねても実現しなかった。調が習った限りでは、回路を施された旧人たちは、等しく脳を破壊された人々は精神を持ち崩し、廃人となり、そして。

「千秋もその回路だかっての、埋め込まれたんだっけ」

 リツカがちらりと後ろを振り向いた。千秋は背中を向け、こちらのことなど全く意に介さないかのようだった。

「そうなのか」

「多分、その回路施術を受けた最後の世代だって。だから年齢は倉木よりも上だよ。でもその施術のせいで精神壊して、それでこっちのサイバー手術を受けて。体の半分以上を機械にしたから、見た目は若いままなんだってさ」

 調は様子を伺うが、千秋は自分のことを話していると気づいていないのか、相変わらず背を向けたままだった。リツカは続けた。

「脳の奥深くに、感情を司る部分があるらしくて、そこを破壊されたからもう千秋は何も考えることも出来ないし、自我を持つことも出来ない。だから千秋は本当の機械みたいなんだって」 

「回路は情動系に深く根ざしているからな」

 軍学校での講義内容を、少しずつよみがえらせた。情動と理性は別個のものではなく、理性は情動によって得られる。もし情動を得ることが出来なければ、当然理性もない。

「でも、みんなは違うって言うけど、千秋だってちゃんと心はあるんだよ。私のこと気遣ってくれるし、私が三味線、って阿宮は分からないか。まあそれを聴かせるとね、うれしそうな顔もする。みんなが、都市に行けば千秋みたいにされてしまうって言うし、千秋のことみんなして哀れむけど、千秋はそういうんじゃない。比べてみても、私とあんたと、そう変わらないはずだよ」

「俺にはなんとも、判別がつかないな。実際、見た目は変わらないが、脳を破壊されたとあれば」

 調が言葉を繋ぐ間際に、どこからか電子音が鳴った。一瞬調は身構えたが、それがリツカが取り出す端末からの音であることに気づく。

「ミハルさんからだ」

 液晶のパネルを開くと、リツカは果たして渋面を作る。

「早く帰れって。次の仕事があるらしい」

「こういうことは、気にしないんじゃなかったのか」

「仕事は別」

 リツカは観念したように溜息を洩らした。

「この携帯、位置の補足まで出来るから。下手すると完治されて、私があんたのところにいることがばれる」

「地下から通じるのか? GPS?」

「そういうんじゃないよ。何だか分からないけど、私の細胞がこの中に埋めてあって、それに反応して端末同士共鳴させるものだって。普段は患者の血を抜き取って、遺伝子を解析するのに使うんだけど」

 つまりはリツカの遺伝子を回路に組み込んだ分子端末のようなものだと知れた。遺伝情報を読み、分子を回路とする。原野の技術は、さほど州都と変わらないのかもしれない。

「もう行くよ、放っておくと居場所まで特定されかねないし――千秋」

 リツカが千秋に声をかけると、長身の体躯がのそりと動いた。背中越しに睨みつけるに、冷や汗をかかせるには十分すぎる眼力でもって見据えてくる。まともに目を合わせるには相当の度胸がいる男だった。威圧し、押し迫る眼差しだけでは、機械か否かの区別はつかない。

「君は」

 去り際、調が訊くのに、リツカが怪訝そうに振り向いた。

「いや、もし許されるなら、君は都市にいきたいのか」

「うーん、まあ一回ぐらいは行ってみたいかな」

 リツカは特に考えるまでもなく、そう言う。

「そうか、でも一つだけ言っておくが原野を離れて州都に行った旧人が、再び原野に戻ることなんて稀だ。本人が希望すれば州内の移動は自由だが、原野に赴くことは基本的に禁止されている」

「何で? 普通に行って帰るってのはだめなの?」

「原野に行けるのは、軍関係者か認可されたボランティアだけだ。そのボランティアも、奥地には行けない。増して、一般市民となれば」

「意味わかんない。都市を見て、ここに戻って、ってのが許されないってわけ」

「原野に人がいることが、連邦から見れば許されないことだから。原野を離れたものは、須くして州都の住人になるべき、そういう理屈だ」

 リツカは呆れたように嘆息した。

「都市には行ってみたいけど、永住するってなったらどうかな。州都って、ここよりも良いかもしれないけど、ここを離れたいってわけでもないし。ここには千秋も、まあ倉木とか七海もいるし」

「都市に行くことはそういうことだ。七海が君を都市に行かせたくないというのも、そういう理由だろう」

 言いながら、少しばかり疑問を得た。俺はいったい何を口走っているのかと、自分の言葉がどうにも信じられなかった。どうして俺は奴らの――ここにいる過激派連中の肩を持つようなことを言うのか? 彼女が都市に行きたいというならそれを推奨するのが、白兵として求められる姿なのではないのか。

 回路があれば。鳴官があれば。自分の声はどう写るのか。棘や土、砂利を食らうような感触がすれば、それは調の心を一番端的に示しているような気がした。あいにくと声は、何一つとして感触のない無味乾燥なものでしかない。

「その辺はあんまり考えたことないし。でも新人もおかしなこと言うね、原野も州都も、好きに行き来すればいいのに。自分の家に帰れないなんて、ちょっと納得行かない気分」

 そう言ってリツカは肩をすくめた。

「まあいいわ、じゃあ阿宮。また今度ね」

 リツカが部屋を去り、千秋が扉を閉めた。去り際に刀の鞘が金属壁に当たり、乾いた音を響かせた。鍵がかけられ、二人分の足音が遠ざかり、徐々に静寂がよみがえる。

「州都か」

 一人ごちてマットの上に身を預けた。州の旧人が好んで原野に行くことはないが、それは自らの意志で原野を抜けたものか、あるいは州都で生まれた者に限られていた。調とて、軍属でなければ原野に赴くことなく、州都で一生を終えたはずだ。操のことも忘れ、カミラに手ほどきを受けることなく、そこらにある歌音とそれに伴う共感覚に戸惑いながらも。あのとき、操が消えたとき、調が白兵になると言わなければ。

 カミラは、調にそうしてもらいたかったのだろうか。食堂で見せたカミラの顔を思い出していた。憂いを帯びた旋法と、悲哀めいた色を帯びたカミラの声を、今更ながらに噛みしめた。本当はカミラは、そうして欲しくはなかったということだろうか。

 ではリツカは。果たしてどうすれば良いのか。あの少女は、操と違って州都に憧れるあの娘が取るべきは――。

 だんだんと頭が痛くなってきた。考え込み、眠れなくなるのだけは勘弁だった。すべての思考を断ち切るべく、カビ臭い毛布をかぶった。

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