2 王都にやってきたリキュール伯爵家
そこは、エタノール王国の王都へと続く大街道。
整備された広い石畳の上は、多くの行きかう馬車でにぎわっていた。
大街道を進む馬車の見た目は様々だ。
乗車できればなんでも構わないといった体の、屋根のない質素なものから、煌びやかな装飾を施されたもの、魔石の加工により振動を少なくし、室内も温かく保たれたものまで入り乱れている。
それらの馬車の一つ、そこそこに装飾を施され、魔石加工も施されたものに乗車しているのは、わたし達、リキュール伯爵家の三人だ。
「……というわけで、強欲で悪い人だった魔女さんは沢山反省して、みんなと仲直りしました。こうして、お姫様は王子様と、幸せに過ごしたのです。おしまい」
手元に開いていた絵本の最後の一節を読み終わると、わたしは絵本をゆっくりと閉じた。
そして、腰に寄り掛かるようにしてお話を聞いている可愛い銀髪の六歳児に目を向ける。
彼女はリーディア=リキュール。
白い肌にふくふくのほっぺ、大きな紫色の瞳が愛らしい、六歳の伯爵令嬢である。
お出かけ用の深緑色のコケティッシュなコートに身を包み、銀色の髪を帽子にしまいこんで、はちみつ色の縁取りの伊達眼鏡をかけている彼女は、今日も最強に可愛い。
自慢の銀髪が帽子で隠れている分、可愛いほっぺが目を惹いて、そのもちもち感を楽しむべく、つい手が伸びてしまうのだ。
わたしが彼女の頬を撫でまわす誘惑と必死に戦っていると、小さな銀色娘は居住まいを正し、眉間にしわを寄せ、真剣な顔つき――傍目には膨らんだほっぺが愛らしいむくれ顔――をしたまま、首をかしげた。
「ママ。わるい魔女さんは、やっつけなくていいの?」
わるい魔女をやっつける。
そういえば、彼女が読んできた絵本に出てくる悪役は、割と物語の最後に退場してしまうことが多かったかもしれない。
少し考えた後、わたしは絵本の表紙の隅に描かれた『わるい魔女』の絵を見ながら答えた。
「そうね。ママはやっつけないほうがいいと思うわ」
「そうなの?」
「パパもそう思うよ」
「パパも? どうして?」
くりくりの瞳が可愛い銀色娘にパパと呼ばれたのは、わたし達の向かいの席に座っている男性だ。
彼はリカルド=リキュール伯爵。
わたしの大切な夫であり、義娘リーディアの父親である。
吊り目がちな紫色の瞳、スッと通った鼻筋に白い肌が美しい彼は、今日はサラサラの銀髪を金色のかつらで隠し、銀色娘と同じく伊達眼鏡をかけている。
「やっつけて居なくなったら、反省できないだろう?」
「反省?」
「そうねぇ。虫歯を作った悪い子のリーディアを、追い出しちゃう?」
ハッとした顔の銀色娘に、わたしは、絵本に描かれた『わるい魔女』そっくりのたくらみ顔で語りかける。
「ママは追い出してやっつけちゃうより、虫歯を治したいい子のリーディアと、王都の屋台を見に行きたいなぁ……」
「!!」
「リーディアは、やっつける方がいいのか。じゃあマリア、二人で屋台は見るか。やっつけられたリーディアは馬車でお留守番かな」
「パパ!」
悲鳴のような叫び声を上げた幼い伯爵令嬢は、プルプル震えながら、わたしに必死にしがみついてきた。
「リーは! リーは、虫歯を治した、いい子なの! だからリーは、屋台に行く!!」
~✿~✿~✿~
わたしは伯爵夫人マリア=リキュール、二十三歳。
マーカス=マティーニ男爵の長女で、半年程前にリキュール伯爵家に嫁いできた新妻だ。
マイルドな茶色の髪に、はちみつ色の瞳、割とシンプルな顔立ちをした、平凡極まりない貴族夫人である。
わたし達三人はこんなふうに、今でこそ仲のいい家族だけれども、半年前まで、その間柄は契約関係に過ぎなかった。
夫リカルドとわたしの契約結婚。
そして、義娘リーディアとわたしの契約親子関係である。
ことの発端は、聖女の血を引き、国内随一の高位治癒魔法の遣い手でもあるリキュール伯爵家の血を引く者が、リカルドとリーディアの二人だけになってしまったことだった。
戦争に引っ張りだこであったリキュール伯爵家の一族は、年々その数を減らし、領主一族である二人を残して、皆亡くなってしまったのである。
この事態に焦ったのは、エタノール国王だ。
聖女の血を引くリキュール伯爵家の存在はエタノール王国の自慢であり、これを絶やすことは、各国から責められる汚点になりかねなかったからだ。
エタノール国王はリキュール伯爵家の血を途絶えさせないため、なんとしてもリカルドを再婚させたがった。
けれども、当の本人であるリカルドは、前妻の不倫により離婚したばかりで、今後結婚するつもりはないと公言していた。
国王がことあるごとに見合いを持ち込み、それを逐一、リカルドが断る。
一進一退にせめぎ合う両者の攻防は続き、エタノール国王は、まさかの手段に出た。
リカルドに対してハニートラップを仕掛けることにしたのである。
ハニートラップの対象が、眉目秀麗で国一番の麗人とも囁かれるリカルドであったことが災いし、国王の扇動は大変な威力をもたらした。来る日も来る日も、秋波を送る女性達に迫られ、襲われ続けたリカルドは、ひどい女性恐怖症に陥ってしまったのである。
そんな彼に同情したわたしは、そんな彼を女性達から守るために、彼と契約結婚をすることにしたのだ。
わたしは、女性達に迫られ続け、女性恐怖症になるまで追い込まれた彼を守るための、一年限りの隠れ蓑。
そう思って、わたしはリキュール伯爵邸の一角で静かに隠れるようにして過ごしていたのだけれども、リカルドの可愛い一人娘であるリーディア(六歳)は、それを許してくれなかった。
屋敷で過ごしているわたしを見つけだしただけでなく、驚異の天使力を発揮し、契約結婚二ヶ月目にして、わたしとリカルドを本当の夫婦に押し上げてしまったのである。
そんなこんなで、今年の冬はわたし達の結婚後、初めての社交シーズンなのだ。
わたし達は今、社交界で結婚のお披露目をすべく、南方にあるリキュール伯爵領からはるばる王都へとやってきたのである。
そう、社交。
わたし達がここに居るのは、社交のため。
けれども、社交だけでなく、ものごとの見聞を広めることは、領主一族として大切なことだ。
特に、自国の王都の実態を知ることは、大変に有用なことである。
リーディアは王都にやってくるのが初めてのことで、何ごとも知らないよりも知っているほうがいいことが多いわけで。
実は私達は今から、屋台が立ち並ぶ王都の下町大通りにお忍びで出かける予定なのである。








