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36 控室にて



 レース会場の控室にて、わたしはリカルドの横でその手を握っていた。


「本当に綺麗だよ、マリア」

「……わたしがこんな格好をしなくてもいいと思うの」


 不満そうに上目遣いでリカルドを見ると、彼は苦笑しながら、わたしの手を握りしめる手に力を入れる。



   ~✿~✿~✿~


 今、わたしは何故か、結婚式の花嫁もびっくりなくらい、着飾らされていた。

 何やら、レヴァルは賞品である女性にとって晴れの舞台らしい。


 朝、空が晴れ渡ったことを確認したところで、レース会場の雪かきと同時に、わたしの装飾が開始された。


 洗われ、削られ、揉みこまれ、塗りたくられ、乾かされたところで細やかな細工が始まり、目が回る中、口にサンドイッチを突っ込まれ、わたしはいつぞやのように、目をつぶって精神統一を図ることしかできなかったのである。


 そして目を開けると、鏡には、タラバンテ族の豪奢な民族衣装に身を包んだ茶色の髪の綺麗な女の人が映っていた。


「えっ、誰?」

「《マリアさん、素敵よ!》」

「奥様、お美しいですわ!」

「《まぁまぁ、お可愛らしい! 本当に、お化粧映えするお顔立ちですわねぇ》」

「お化粧がタラバンテ風だから、とっても衣装がなじんでいますわね」

「《王国民がこうもタラバンテの衣装を着こなすなんて、素晴らしいです》」

「奥様が金髪だったらこうはいかないかもしれませんね。本当に、どんなお洋服にもなじむ髪色で素敵ですわ」

「《うん、茶色の御髪(おぐし)がいいのね、きっと》」


 ルビエールの侍女達と、タラバンテの女性達は、お互いの言葉が分かっているのかいないのか、口々に似たようなことをわたしに告げてくる。


「あの、どうもありがとう。《あんまり綺麗で、本当にびっくりしたわ》」

「!! 奥様、タラバンテ語が話せるのですか!?」

「《タラバンテ語をお話しになるのですね!?》」

「ええ、少しだけ。《本当にちょっとだけなんですよ。難しい言葉は苦手で》」


 化粧が崩れないように柔らかく微笑むわたしに、侍女達も女性達もきゃあきゃあはしゃいでいる。

 なんなら、「《やはりマリアさんにはタラバンテに来ていただかなくては!》」「いっそのこと、ルビエールに残ってくださいませ!」と謎の取り合いを始めている。

 わたしはリキュール伯爵領に戻るんだってば!


 侍女達が騒めく中、扉から現れたのは、リカルドだった。


 びっくりしすぎて、椅子から転げ落ちるかと思った。


 白がベースの、王国風の煌めく騎手服に身を包む彼は、雪の精霊のようだった。

 透明感のある銀髪が艶やかで、切長の瞳が儚い色気を醸し出している。


 侍女達もあまりの美しさに唖然とする中、リカルドはわたしを見つけると、安心したときのリーディアと同じ、華やぐような笑みを浮かべた。


「マリア、綺麗だ」


 侍女達から黄色い悲鳴が上がる中、リカルドは脇目を振らずにわたしに近寄ってくる。


「綺麗なのは……あなたの方よ……」

「マリアの華やかな美しさには敵わない。それに」


 リカルドは、少し不満そうな顔をして、わたしの耳元に口を寄せる。


「愛する妻には、美しいよりも、格好良いと言われたい」


 小声のハスキーボイスに、わたしが慌てて手で耳を抑えると、リカルドは優しげに微笑んでいる。


 知ってる。

 これは、天使のように見せかけた、悪魔の微笑みである。

 証拠に、今、耳から溶けてしまうかと思ったではないか!


 先程よりも盛大に黄色い悲鳴が上がる中、リカルドはくつくつ笑うと、ようやく耳元から顔を離した。


「……リカルド」

「緊張がほぐれただろう?」

「別の意味で胸がドキドキして、心臓がもたないわ」

「それはすまない」


 全然反省していない様子の彼は、本当に悪い男である。

 お陰で、わたしの頭の中はもう、彼のことで一杯だ。


 わたしが憤っていると、扉の方からもう一つの声がした。


「マリア」


 呆れた顔をしてそこに立っているのは、黒髪に緋色の瞳をした男、タシオだ。


 赤地に金色の絹糸で刺繍をされた、草原風の豪奢な騎手服に身を包む彼は、炎の化身のようだった。

 その生命力溢れる美しさに、侍女達からまたしても黄色い悲鳴が上がる。


「少し目を離すとまあ、すぐ戯れる」

「新婚だもの。夫婦が仲良くして、何が悪いの」

「もうすぐ俺のものになる。――マリア、本当に綺麗だ」


 頬に手を添えて、熱い瞳を向けられ、カッと赤くなるわたしに、タシオはニヤリと笑う。

 しかし、リカルドがすぐ様タシオの手を振り払い、わたしを引き寄せ、タシオの前に立ちはだかった。


「私の妻だ。気安く触れないでもらおう」

「まあ、今のうちだけさ。思う存分、別れを惜しむことだな」


 バチバチと視線で火花を散らす二人に、わたしは真っ青である。


 ちなみに、周りの侍女達は静かにしているものの、二人に送るキラキラとした熱い視線を隠せていない。


 戦うイケメン、格好良いものね? 外野にいたら、そうなるわね!?


 けれども渦中の人であるわたしは、二人の様子に、ただ狼狽えることしかできないのだ。


 タシオはその後すぐ、控え室を立ち去った。

 リカルドは暫くわたしと共にいて、衣装に文句を言うわたしを宥めていたけれども、馬のところに行くと言って彼も控え室を去った。


「奥様。会場の準備が整いましたわ」

「ええ……」


 何やら、わたしはこのレヴァルの賞品なので、一番いい観客席――貴賓席からレースの様子を見ることができるらしい。


 設営したばかりとは思えない、しっかりと建てられた木造観客席の二階、会場を見渡せる場所に出たところで、周囲からワッと歓声が上がった。


「えっ、何?」

「《奥様がお綺麗だから、皆喜んでいるのです》」

「《マリアさんは本日のレヴァルの華ですから》」


 草原の女性達の言葉に、わたしは自分の位置付けを理解する。


 レヴァルの華。

 確かに、皆わたしのことを、めちゃくちゃ笑顔で見ている!


(この貴賓席、わたしがレースを見るためのものじゃない。皆がわたしを見るためのものだわ!?)


 真実に気がついたわたしが、顔を赤くして震えていると、そこにディエゴがやってきた。


「リーディアはいないのですか?」


 優しい十歳の黒髪の少年は、リーディアがここにいないと言うと、何か思案するようにしながら、頭を下げて去っていく。


「マリアさん、綺麗よ!」

「本当に。草原の服も着こなしてしまうなんて、素敵ですわ」


 その後、貴賓席に現れたルシアおばあ様達を、わたしはホッと息を吐きながら出迎えた。


 ルイスおじい様やライアン辺境伯、リチャードにレイモンドも来ているようだ。

 どうやら、辺境伯一家はこの貴賓席に共にいてくれるらしい。


「おばあ様達がいてくれて心強いです。なんだか不安で」

「そうよね。大丈夫、リカルドは強い子よ。なんとかしてくれるわ」


 手を握ってくれるルシアおばあ様に、わたしは強く頷く。


 今のわたしにできるのは、彼を信じることだけだ。


 そう強く願ったところで、レヴァルの儀式の開始の鐘が鳴り響いた。



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