27 馬選び
勝負の内容は、馬駆け。
広大なレース会場を五周し、先にゴールした方が勝つという単純な勝負方法である。
魔法の使用は禁止、ただし、指定の木刀で相手を攻撃することは可能となっている。
「危険よ! そんな、だめよ、二人とも危ないでしょう!?」
「女の生涯を賭けての戦いだ。命くらいは賭けないと、割に合わないだろう?」
「何言ってるの、冗談じゃないのよ!」
なんでもないことのように命を賭けると言うタシオに、わたしは憤る。
今日は、ライアン辺境伯とリカルドと共に、タラバンテ族の集落を訪れているのだ。
集落は、十年近く前に来た時よりも、ずっと大きく栄えていた。
テントの数も馬の数も増え、活気も増しているような気がする。
レヴァルの内容調整をすることが目的だけれども、そんな危険な内容の決闘に、夫とタシオを送り出す訳にはいかない。
わたしが怒りを通り越して白い顔をしていると、タシオを後ろから小突いた者がいた。
「タシオ。お前、人をからかうのもいい加減にないか」
「兄貴」
「ケメスさん!」
黒髪に青い瞳の巨躯の男。深い紺色に、金糸の総柄の刺繍が映える民族衣装を身に纏った彼は、ケメス=テオス=タラバンテ。この草原の王、その人である。
いかつい風体の巨体の彼が心優しい人であることを、わたしは知っていた。
「マリア、久しいな」
「はい! ご無沙汰しています」
「隣の御仁は、君の夫君か」
「初めまして。リカルド=リキュールと申します。エタノール王国にて、伯爵を賜っています」
「うん。私はケメス=テオス=タラバンテ。このタラバンテ族の族長を担っている。そして、今は我らが草原で最も強い」
そう言うと、ケメスは手に持つ二つの指輪を示した。
ライアン辺境伯もリカルドも、指輪を見てほっとしたように息を吐いている。
「今のレヴァルでは、これを使う。守りの指輪だ」
「なるほど」
「リカルド?」
「マリア。これは、事前に魔力を込めておくと、持ち主に危険が迫った際に、自動的に防御魔法を張ってくれるんだ」
木刀が肌に触れる瞬間、馬から落馬し地面に叩きつけられる瞬間。危機に陥った主人を守るべく、指輪は発動する。
「今回は、指輪の力が発動したら即時に負けとなる。多少のかすり傷程度には反応しないようにしてあるが、基本的には相手の攻撃は、避けるか、木刀で受けなければならない」
そしてケメスは、レース会場に目をやった。
雪が穏やかに降り積もる中、観客席が設営され、コースの目印の旗が立てられていく様が窺える。
「今日は雪が降っているが、レヴァルは晴れの日に行う。来週の後半から再来週にかけて、晴れた日に雪を退け、午後に開始だ。それまでは十分に馬を慣らすといい」
「その馬ですが」
「うん、今日はそのために来たんだったね」
ケメスは穏やかに笑うと、集落の中を、迷いなく進んでいく。
その先には、馬の群れがいた。
若く猛々しい、草原に生きる馬達だ。
「この馬達には、まだ主人がいない。二人とも、己がいいと思う馬を選ぶといい。そして、二人の選んだ馬のうち、どちらかが己の相棒となる。私とライアンで、その選定は行うよ」
ケメスがライアン辺境伯を見ると、ライアン辺境伯も意を得たりと頷いた。
わざと悪い馬を選んだり、こっそり懇意にしていた馬を選んでも、ケメスとライアンがそれを見抜き、思惑どおりにはいかせないということだ。
「本当は、こういったときには、それぞれの愛馬を使う。けれども、今回はそれができないようだから」
ケメスの言葉に、リカルドは頷く。
今回の旅に、リカルドの愛馬リクハルドは連れて来ていない。
しかし、たとえ連れて来ていたとしても、リクハルドで勝負に臨むことはできないのだ。
何故なら、二人の愛馬の品種が違うからだ。
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「愛馬では戦わないのですか?」
昨日、そう尋ねたナタリーに、ナタリーの夫リチャードは首を横に振った。
「リカルドの愛馬はサラブレッドだからな」
「サラブレッド?」
「ああ。エタノール王国の馬は殆どがそうだ。その体は大きく、高さは百八十センチ以上あるのが普通だな」
「一方で草原の馬は、小さく早い。巨体の私が乗ったら潰れてしまいそうなくらいだ!」
「あなた、それは言い過ぎです」
「悪い」
ルシアおばあ様にキロリと睨まれ、ルイスおじい様は口を閉ざす。
言われてみると、草原の馬は小さい。
方や、リカルド達エタノール王国民の乗る馬は倍ほども大きく、騎乗するだけで精一杯で、木刀は武器になるどころか、攻撃の射程に相手がいないという事態になってしまう。
要は、リカルドとタシオの愛馬のサイズが違いすぎるのだ。
そこで、今回の馬選びに至ったのである。
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若い馬達は、雪を除けたその一帯で、草を喰み、穏やかに過ごしている。
そこにタシオとリカルドが、ゆっくりと足を踏み入れた。
タシオは、目を凝らして馬を見つめ、いいと思う馬を探している。
しかし、リカルドはただ歩みを進め、馬達の中心へと辿り着いた。
そしてふわりと、紫色の瞳が煌めき、銀の髪が揺らめく。
「……! これは……」
ライアン辺境伯が驚き、ケメスが目を見開く中、リカルドは体から、真っ白な聖女の力を解放した。
彼から迸る柔らかな白い光に、馬達は一斉に振り向く。
しかし、駆け寄ったりはせず、ただ静かにリカルドを見つめている。
それはまさに聖女の血を引く一族のなせる技だった。
治癒の力だけではなく、動物と心を通わせ、命を司る聖女の魔力。
あまりの美しさに、わたしも、タシオですら、息を呑んでその様子を見守っている。
リカルドは、リーディアに話しかけるときのように、優しく告げた。
「神聖な勝負なんだ。強き者。何より、私に寄らず、彼に寄らず、正しく誠実でいられる者を二人、求めている。任せていいかな?」
リカルドの言葉に応じるように、馬達はゆったりと動き出した。
彼の周りに空間ができ、その中に、二匹の馬が残る。
この群れの中で、最も精悍で、大きく美しい馬だ。
リカルドがその二匹の背を撫でると、二匹は嬉しそうに目を細めた。
「どちらか好きな方を選ぶといい。君が構わなければの話だが」
そう告げるリカルドに、タシオはしばらく驚いていたけれども、ふとニヤリと笑うと、リカルドの左手にいた馬を選んだ。
「いいだろう。俺はこちらにする」
「では、私はこちらにしよう。――ケメス殿、叔父上、いかがか」
馬を選び取った二人に、ライアン辺境伯は両手を上げて降参のポーズをとり、ケメスはくつくつと笑った。
「構わないよ。うん、いいだろう。お互いに、自分が選び取った馬を使うといい」
「そうだな。……リカルド、お前はそれでいいんだな」
「はい」
呆れた様子のライアン辺境伯に、リカルドは迷いなく頷く。
そうして馬を連れ、リカルドはわたしのところに戻ってきた。
「マリア、すまない」
「リカルド、いいの」
「私は」
「いいの。……惚れ直したわ」
涙を浮かべて抱きつくわたしに、リカルドはホッとしたように微笑んでいる。
そんなわたし達を、タシオは恨めし気に睨んだ。
「おい、マリア。そうしていられるのも、今のうちだぞ」
「タシオ」
「マリア。お前の夫はいい男だ。それは認めてやる」
意外な賛辞にわたしが目を丸くすると、タシオはニヤリと不敵に笑った。
「だが、その男に打ち勝って俺は必ず、お前を手に入れる。お前の価値を一番知っているのは、俺だ」
熱を持った緋色の瞳に、わたしは射すくめられるようで、思わずリカルドの影に隠れる。
「そんなことはない。彼女を最も知るのは、夫の私だ」
「……まあいい。レヴァルで全ては明らかになるさ」
タシオは、馬と共に去っていった。
その後ろ姿を見つめたままのリカルドに、わたしは不安をかき消すように、リカルドの腕にしがみついた。








