2. フィリーネの事情
王太子から国王に即位したアクアスティードは、執務室の場所を広い場所に変えた。資料を置く書棚も増え、仕事に関して出入りする人間も多くなったためだ。
それでも、落ち着いた雰囲気の内装は以前と同じなのですぐに馴染むことが出来た。
高さのある窓と、その前に置かれたアクアスティードの執務机。革張りの椅子は漆黒で、座り心地がよさそうだ。
話し合いをするためのテーブルとソファもある。けれど今日は、そこに座ったティアラローズが神妙な顔をしていた。
「……?」
仕事をしていたアクアスティードとエリオットは、思わず顔を見合わせて首を傾げる。
いつも元気なティアラローズが何かを考え込んでいるので、またよからぬことを企んでいるのでは……なんて思ってしまったのも仕方がないだろう。
「どうしたの、ティアラ。何かあるなら、相談してほしいな」
「アクア様……実は、フィリーネの元気がないみたいで」
「フィリーネが? それは確かに心配だね」
アクアスティードは席を立ち、ティアラローズの座るソファへ行って隣へ座る。
それを見て、ティアラローズはアクアスティードの肩に寄りかかった。小さく息をついて、「心配です」と声をもらす。
「あ、もしかして……エリオットは何か聞いていたりしない? フィリーネから」
「私ですか?」
「ええ」
ぽんと手を叩き、ティアラローズはエリオットに視線を向ける。
優しい目元と、柔らかなオレンジがかった茶色の髪。穏やかな性格ではあるが、アクアスティードの優秀な側近だ。
フィリーネとは同僚にあたるため、彼なら何かフィリーネから話を聞いているかもしれないとティアラローズは思った。
エリオットは「うぅ~ん」と悩むように考え込むが、心当たりはないようで小さく首を振る。
「普段通りだったと思います……」
「そう……。フィリーネは一人で解決しようとするところもあるから、心配で」
「確かに、しっかりしていますからね」
相談も受けていなければ、別段変わった様子もなかったらしい。
ティアラローズは何も手掛かりがつかめず残念に思うけれど、フィリーネの性格を考えるとそれも仕方がないなと納得する。
むしろ、長い付き合いだからこそ最近のフィリーネの様子に気付けたのかもしれない。
――少しぼおっとしているところがあるのよね。
普段は元気なのに、最近は口数が減っているように思えるのだ。
けれど、正直に聞いてフィリーネが素直に教えてくれるとも考えにくい。
「わたくし、ちょっと様子を見てきます!」
「私も一緒に行こうか?」
「いいえ、アクア様は仕事をしていてください。わたくし一人で大丈夫ですから」
「わかった」
ティアラローズがすくっと立ち上がると、アクアスティードが気遣って声をかける。が、それはティアラローズによって断られてしまう。
確かに、女性同士の悩み相談に男性がしゃしゃり出るのもよくないだろうとアクアスティードはすぐに納得した。
一言、「気を付けてね」とだけ伝えてティアラローズを送り出した。
***
隅々まで清掃が行き届き、綺麗な廊下を神妙な顔で歩くティアラローズ。
――いきなりフィリーネに「どうしたの?」って聞くのもどうだろう?
とりあえず、控室で休憩しているであろうフィリーネの様子を伺うところから始めてみよう。
ということで、ティアラローズはメイドたちが自由に使える控室までやってきた。扉をそおっと数センチだけ開いて、中を覗き込む。
まるで不審者のようだけれど、幸い今はティアラローズ以外の人はいない。
控室の奥……窓際の席に、何かを見ているフィリーネの姿があった。
――いた!
フィリーネは何を見ているのだろうと、ティアラローズは目を凝らす。どうやら、手紙を見ているようだ。
その表情は憂鬱そうで、最近の悩みの原因があの手紙なのだろう。
しかし、さすがに読んでいる手紙の内容までは見えないし、勝手に覗き見するのはよくない。
――声をかけようかしら?
でも、もしかしたら聞かれたくないような悩みかもしれない。
そんな風にもんもんとティアラローズが悩んでいると、ふいにフィリーネと目が合った。
「……あ」
そして同時に、驚きが声に出ていた。
まあ、見つかってしまっては仕方がない。ティアラローズはドアを開けて、堂々と控室にいるフィリーネの下まで行って向かいの椅子に腰かける。
フィリーネは不思議そうな顔で、ティアラローズを見た。
「ティアラローズ様? 呼んでいただければ、わたくしが向かいますのに……」
「いいのよ」
申し訳なさそうな様子の彼女に、ティアラローズは真面目だなと苦笑する。
「もし嫌なら言わなくていいけど……最近、フィリーネの元気がないみたいだったから」
「――っ!」
ティアラローズの言葉に、フィリーネの肩が跳ねる。主人に図星を突かれてしまい、心配をかけてしまい申し訳なく思ってしまったのだろう。
眉を下げて、フィリーネは観念するように頷いた。
「ティアラローズ様に隠し事は出来ませんね」
「フィリーネ……」
そう言って、フィリーネは持っていた手紙をティアラローズへ差し出した。
見ていいということだと解釈したティアラローズは、目を通して内容を読んでいく。それはフィリーネの実家から送られてきたものなのだが、一方的な内容に思わず眉をしかめる。
「書いてあるように、親から婚約をしなさいと言われていて……」
フィリーネは苦笑しつつ、「いい歳ですから」と言う。
彼女の告げた通り、手紙の内容は結婚に関する内容だった。
フィリーネももう21歳なので、とっくに結婚をしてもいい年齢だ。普段あまり恋愛に関する話もしないので、結婚のことで悩んでいるとは思いもよらなかった。
――でも、考えてみたら当然よね。
もしティアラローズと一緒にマリンフォレストへ来ていなければ、フィリーネも結婚していただろう。
とはいえ、辛そうなフィリーネの表情が気がかりだ。
「あまり乗り気じゃなさそうね……どなたなの?」
「……ティアラローズ様もご存知だと思うのですが、ルーカス・ダンストンです」
「確か……フィリーネの幼馴染だったわね」
「はい」
聞いてみると、婚約者に薦められていたのはフィリーネの幼馴染だった。
もちろん、ティアラもフィリーネの幼馴染のルーカスのことは一貴族としても知っている。
ルーカス・ダンストン。
ダンストン伯爵家の長男で、22歳。
どちらかといえば、裕福な部類に入る貴族だろう。
ティアラローズも、夜会などで何度か話をした記憶がある。
どんな人物だったろうかと思い返してみると、確かにルーカスはフィリーネを見ていることが多かったなと思う。
――そういえば、ルーカス様がフィリーネを追い回していたのを見たような……。
一方的なルーカスの片思いのようだと、ティアラローズは苦笑する。
「わたくしは、結婚を理由にラピスラズリへ戻りたくはありません。これからもずっと、ティアラローズ様にお仕えしたいです」
「フィリーネ……。ありがとう、その気持ちはとても嬉しいわ。でも、フィリーネに好きな方がいるのであれば、わたくしには遠慮しないでほしいの」
もし自分のことを考え、フィリーネが好きな人をあきらめる……ということには、なってほしくない。
そのために伝えたけれど、フィリーネはふわりと微笑み「ありがとうございます」と礼を言う。
「ルーカスと結婚するくらいなら、わたくしは家と離縁する覚悟もありますわ」
「ええと、フィリーネは、ルーカス様のことはお嫌いなの?」
「あんな男を好きになるなんて、とんでもありません!」
きっぱりと言い切ったフィリーネを見て、ティアラローズは目を見開く。フィリーネは自分のことで感情をあらわにすることはほとんどないので、めずらしい。
ため息をつき、フィリーネは言葉を続ける。
「ルーカスは、自分本位なんです。自分の思い通りにならなければ、面白くないのでしょうね。わたくしにしつこく出かける誘いをしてきたり、今も手紙が定期的に届いています」
「そうなの……」
ルーカスの恋心なのだろうけれど、すべてが逆効果に働いているようだ。
「結婚に関しても断り続けているんですが、しつこくて。いい加減にしてほしいです」
「そうだったの……。フィリーネが結婚したくないというのであれば、わたくしは何も言わないわ。困ったことがあれば、相談して。力になるから」
「ありがとうございます、ティアラローズ様」
胸の内を話すことが出来たからか、フィリーネはすっきりした表情で微笑む。
「それじゃあ、わたくしは戻るわね」
「はい。何かあれば、遠慮なく呼んでくださいませ」
「ええ」
フィリーネの事情を知り、ティアラローズは控室を後にする。
ずっと滞在しては、フィリーネの休憩にならないからだ。ゆっくり戻ってきて問題ない旨を伝え、ティアラローズはシリウスが滞在しているゲストルームへと足を向けた。
ティアラローズの祖国であるラピスラズリから、シリウスが留学に来ているのだ。
ラピスラズリ内のことを聞くのであれば、彼に尋ねるのがいいと判断した。もちろん、フィリーネに結婚をせまっているルーカスに関しての情報を得るためだ。
シリウス付きのメイドに用件を伝えると、部屋を用意してそこでお茶をすることになった。さすがに一国の王妃であるティアラローズが、男性の部屋へのこのこ入っていくようなことはしない。
紅茶を飲みながらしばらく待っていると、シリウスがやって来た。
「ティアラ姉様!」
「シリウス王子、急にごめんなさい」
「いいえ。ティアラ姉様にお会い出来るだけで嬉しいです」
嬉しそうに部屋へやって来たのは、シリウス・ラピスラズリ。
色素の薄い金色の髪と、空色の瞳。まだあどけない表情で笑う10歳の少年だけれど、ラピスラズリ王国の王位継承第一位の次期国王だ。
ティアラローズの元婚約者だった、ハルトナイツの弟にあたる。
「でも、どうしたんですか? ティアラ姉様が私に用なんて珍しいです」
「実は聞きたいことがあって……」
「聞きたいこと、ですか?」
きょとんとするシリウスに、ティアラローズは「座ってちょうだい」と向かいのソファを進める。メイドが紅茶を用意したところで、話を切り出した。
「……なるほど、ダンストン家の子息ですか。もちろん私も面識はあります」
「わたくしが知っているのは、嫁ぐ前の事情なので、今のことはあまり知らないんです」
「ああ、そうですよね」
シリウスは思い出すようにして、知っている情報をティアラローズに教えてくれた。
ルーカスの家は珊瑚の加工などをする工芸の事業に成功して、金銭的にかなり潤っているのだという。街にも複数の店舗を持っていて、ラピスラズリで人気店のひとつだ。
「なるほど、確かに攻めてくるのも頷けるわね……」
「ティアラ姉様?」
「フィリーネに求婚してきてるみたいで、どんな方か知りたかったの」
「そうだったんですか……。サンフィスト家は、逆に事業があまり上手くいっていないと記憶しています」
ルーカスのダンストン家とは逆に、フィリーネの実家であるサンフィスト家の事業は業績がよくないとシリウスは言う。
元々フィリーネの家があまり裕福でないことはティアラローズも知っていたけれど、思いのほか状況は深刻なのかもしれない。
つまり、今回は金銭が大きく絡んだ政略結婚だということがわかる。
「条件的には、悪くはないと思いますけど……」
「そうね。客観的に見れば、なんのわけもない政略結婚だもの」
シリウスは結婚すればいいと考えたようで、不思議そうにしている。
しかし、ティアラローズとしてはフィリーネが納得していない結婚に賛同したいとは思えない。どうにかして断る口実があればいいが、ありきたりな断り文句ではルーカスが納得しないだろう。
ひとまずシリウスにお礼を告げて、ティアラローズは部屋をあとにした。




