12. 二人きりの時間の始まり
シュティルカとシュティリオが即位した後、ティアラローズはアクアスティードと二人で世界旅行の旅に出た。
国を息子たちに任せて二人きりの旅行は、なんだかとってもドキドキワクワクしてしまう。まるで、イケナイことをしているかのように。
侍女も護衛も誰もつけず、本当の本当に二人っきりの――まるで秘密の旅行。
いつだったか、アクアスティードはティアラローズに旅行に行こうと約束してくれたことがあった。
それが今、本当に叶ったのだ。
ティアラローズたちが最初にやってきた国は、マリンフォレストから西に行ったところにある『コラージュ』という国だ。
小さな国だけれど、チョコレートが名産で美味しいお菓子がたくさんある。マリンフォレストとも親交があり、カカオなどの輸入をしている。
前々からアクアスティードがティアラローズを連れていきたいと思っていた国の一つだ。
「わあ、チョコの香りがすごいですね」
ティアラローズは街に入ってすぐ、キョロキョロ周囲を見回した。甘い香りが鼻まで漂ってきて、気を抜いたらふらふらと匂いのところまで歩いてしまいそうだ。
この国では気を引き締めなければ、あっという間に迷子になってしまうだろう。
「ティアラ、まずは先に宿を取ろう」
「あ、そうでしたね。わたくしったら、ごめんなさい。アクア」
アクアスティードが手を差し出してくれたので、ティアラローズはそっとその手を取る。
恥ずかしいような、そんな気持ちで恋人繋ぎをする。
外見年齢こそ二十歳程度だけれど、四十六歳になってまでと思うと少し恥ずかしい。けれど、今は自分たちを知っている人は誰もいない。
そんなふうに自分に言い聞かせるようにして、ティアラローズはアクアスティードとデート気分で街中を歩く。
――って、実際にデートだわ!
改めてデートだと実感すると気恥ずかしいけれど、アクアスティードとこうやって街中を歩けることはとても嬉しい。
ティアラローズは少し積極的になって、寄り添うように歩くことにした。
「ああもう、ティアラは可愛すぎる」
「!」
「チョコに釣られてどこかへ行ってしまわないように、しっかり私にくっついていて」
「は、はい……」
アクアスティードにそう言われて、額に触れるだけのキスが落ちてくる。顔を赤くしつつも、ティアラローズは頷いた。
見つけたのは、木造二階建ての可愛らしい宿屋だった。
外には花が飾られていて、何人か出入りもある。どうやら一階に食堂があるようで、そこで飲食だけの利用もできるらしい。
「あら、いらっしゃい。泊まりかい?」
宿の女将さんが声をかけてくれたので、ティアラローズは頷いた。
「ええ」
「とりあえず、一週間お願いするよ」
アクアスティードがざっくりと滞在期間を述べると、女将はすぐに「わかったよ」と二階の一番奥の部屋の鍵を渡してくれた。
庶民的な宿なので、部屋に荷物を運んでくれる人もいないし、掃除や片付けなども自分たちで行うことになる。
今までの旅行も宿屋に泊まることもあったけれど、街で一番いい宿屋だとか、サービスが充実しているところだった。
そのため自分たちの手を煩わせることはほとんどなく、ティアラローズにとってもアクアスティードにとっても、この旅行は新鮮なことが多いのだ。
――なんだか前世を思い出すわね。
今でこそ貴族の令嬢として生まれ、大国の王妃という地位にいるが……前世は一庶民だったのだ。
一般家庭に生まれ、学校に通い、社会人になり、ハマっていた乙女ゲームで日々の疲れを癒す。そんな人生を歩んでいた。
しかし一変して、今は大好きだった乙女ゲーム『ラピスラズリの指輪』の悪役令嬢だ。
もうゲームはエンディングを迎えたけれど、いつまでもドキドキしてしまう気持ちだけはなくならない。
アクアスティードと一緒に二階に上がると、廊下にはカーペットが敷かれ、花が飾られていた。温かい雰囲気が心を落ち着かせてくれる。
「素敵な宿屋ですね」
「そうだね」
「でも、何か不便があったらすぐに教えて。違う宿に移ることもできるからね」
「はい。……でも、わたくしは大丈夫ですよ? この世界で生まれる前は庶民でしたから」
そう言ってティアラローズは笑って、しかしハッとした。大変なのは、どちらかといえばアクアスティードの方なのでは――と。
ティアラローズは庶民の生活経験があるけれど、アクアスティードにはそれがない。
もしこの生活が耐えられないとすれば、きっとティアラローズではなくアクアスティードだ。
――どうしましょう。わたくしはちょっと前世の気分も思い出して楽しかったけれど、アクアにしてみたら全て自分でやらなければいけないし、大変よね。
服の用意も片付けもお風呂の準備も、全て自分たちでやらなければいけない。メイドたちがやってくれた王城生活とは全く違うのだ。
ティアラローズが慌てていると、その様子を見たアクアスティードがくすりと笑う。ティアラローズが一体何を心配しているか察したようだ。
「大丈夫だよ、ティアラ。私だってこのくらいはできる」
「そうなんですか?」
「もちろん。騎士たちと遠征したこともあって、その時は自分のことは自分でやったからね。ある程度生き抜く知識は持っているつもりだ」
野宿をしたり料理の手伝いをしたことなどを、アクアスティードが話してくれた。大変だけれど、とても楽しそうなエピソードだ。
「そうだったんですね。……でも、何かあったら私を頼ってくださいね。もしかしたら、アクアに頼ってもらえるチャンスかもしれませんから」
いつもはティアラローズが助けられてばかりなので、ここぞというときに頼りになる姿を見せたいと思ったのだ。
ふんすと気合いを入れるティアラローズを見て、アクアスティードは頬を緩める。
「それは頼もしいな。何かあったときは、ティアラに助けてもらうよ」
「はい、任せてくださいませ」
そんな雑談をして部屋でのんびり過ごしていたら、あっという間に夜になってしまった。
二人だけの夜はなんだかドキドキしてしまう。
別に王城で暮らしている時だって、二人きりの時間はたくさんあった。
――夜はいつも二人きりだというのに、環境が変わっただけでどうしてこうもドキドキしてしまうのかしら。
アクアスティードの一挙一動に、ティアラローズは緊張してしまう。
ティアラローズがベッドの縁に腰かけていると、アクアスティードが「ティアラ」と呼んだ。
「あ、はい」
できる限り冷静に答えるものの、アクアスティードは何かに気づいたようだ。くすりと笑って、ティアラローズの横に腰かけた。
「なんだか緊張してるようだね」
「う……。その、なんででしょう。新鮮な感じだからでしょうか? その、夜着とかが……」
ティアラローズもアクアスティードも、いつも着ている夜着とは違うものだ。シンプルだけど、ちょっと大胆なものだ。
それもあって、ドキドキしているのかもしれない。
――でも、これを選んだのはフィリーネなのよね。
おすすめですと言ってフィリーネが渡してきた夜着は、どちらかというと大胆なものが多くて。普段王城で着ているものとは少し違うものだった。
確かに王城では他のメイドに見られてしまうので、恥ずかしがり屋のティアラローズからすれば着る機会はあまりない。
胸元は大きく開いていて、肩の部分が見えている。裾は短くはないけれど、スリットが入っていて白い太ももが見える。
それもあって、こんなにもドキドキしてしまうのだろう。
アクアスティードはといえば、落ち着いたグレーの夜着に身を包んでいるシンプルなものだけれど、上質なものだ。
けれどいつもより胸元がはだけているので、ドキドキしてしまうのだ。
――見慣れていないわけではないのに、目のやり場に困ってしまうわ。
油断したら、ティアラローズの顔は一瞬で真っ赤になってしまうだろう。
「ねえ、ティアラ。実は、この旅行には目的があるんだ」
「え? 目的、ですか?」
ふいに告げられたアクアスティードの言葉に、ティアラローズは目を瞬かせる。
楽しく二人で世界旅行をしようという話はしていたけれど、何か目的があるというのは初耳だ。
――一体どんな目的があるのかしら。
ティアラローズは考えてみる。
即位したシュティルカとシュティリオのために、多くの国と外交をしようと思っているのかもしれない。もしくは、何か新しい素材だったり材料を見つけて、それをマリンフォレストに取り込もうとしているのかもしれない。ほかには、優秀な人材のスカウトなども考えられる。
旅行をしていて国のためにできることは意外にたくさんあるのだ。
ティアラローズがどれだろうと考えていると、アクアスティードがくすりと笑った。
「難しく考えすぎてる顔してる、ティアラ」
「――っ!」
耳元にアクアスティードの唇が寄せられて、「答えはもっと簡単だよ」と囁かれてしまう。その低く甘い声に、ドキリと心臓が音を立てて鼓動が早鐘を打つ。
――わたくしが考えていることよりも簡単なものといっても、わからないわ。
う〜ん、う〜んと、悩むしかない。
「あ。も、もしかしてルチア、ルカとリオにお土産を……」
「ティアラじゃないんだから、そんなには買わないよ? もちろん、お土産は買うつもりだけどね」
あっさり、お土産購入が目的ではないと言われてしまった。
「……であれば、他国との交流でしょうか。今のわたくしたちであれば、ある程度自由に動けますし」
「ハズレ」
どうやらこれも違うらしい。
「では、各国の遺産巡り……!」
「それもハズレ」
「……んっ!」
ニコニコ顔のアクアスティードは、ティアラローズが正解するのを待っているようだ。しかも、間違えるごとに、頬、首筋、耳と色々な箇所を触ってくすぐられてしまう。
――このままだと大変なことになってしまうわ!
ティアラローズは顔を赤くしつつも真剣に考え、ハッと一つの答えを導き出した。
「わかりました!」
「うん?」
間違いない! と確信めいた瞳のティアラローズを見て、アクアスティードは笑う。おそらく間違っているだろうと思ったからだ。
「アカリ様のような、聖なる祈りの力みたいな特殊な力を見つけようとしているのではありませんか!?」
「はい、ハズレ」
「!」
アクアスティードが無慈悲にそう言った瞬間、ティアラローズの視点が反転した。視界に映るのはアクアスティードと、その肩越しの天井だけだ。
飾られた花のランプが可愛らしいなんて思ったけれど、そんなことを考えられたのは一瞬だった――。




