8. 留守番の子どもたち
「お父様とお母様が旅行に!?」
「しかも明日から!?」
驚く三人の子どもたち――特に驚いたのは、ルチアローズとシュティリオだ――を見ながら、ティアラローズとアクアスティードは頷いた。
「ええ」
「たまには夫婦水入らずもいいかと思ってね」
今は九年の月日が経ち、子どもたちも成長している。学園も卒業しているので、独り立ちをしても問題ないのだ。
ルチアローズはハルカと文通をしているのだが、婚約の申し入れなどはまだ何も行っていない。
ティアラローズとしてはさすがにそろそろ何か進展があってもいいのでは? と思っているが、アクアスティードはまだまだ心配な面もあるようだ。
シュティルカとシュティリオはそれぞれ好きなことをしながらのんびり過ごしている。
シュティルカは魔法の研究や魔道具作りが楽しそうだし、シュティリオはルチアローズと一緒に騎士の鍛錬を受けていることが多い。
三人ともすっかりたくましくなってしまった。
「ルチアは十九歳に、ルカとリオは十七歳になったでしょ? 長期間でなければ、あなたたちに任してもいいのではないかとアクアと話したのよ」
「ああ。これからはそれぞれ判断していくことも多くなってくる。私たちがいない時間というのも、三人にとって勉強になるだろう」
「…………」
とんとん拍子で決まってしまった……ではなく、決まっていたことに、言葉が出ない。
――さすがにいきなりすぎたかしら?
ティアラローズはどうにかフォローをしようと、口を開く。
「そうだわ! お土産に美味しいお菓子を買ってくるわ」
「母様、それは嬉しいですけど、そうじゃないです……」
ガックリ項垂れるシュティリオに、ティアラローズは苦笑する。
「でも、わたくしたちが貴方たちになら任せられると思っているのは本当よ? マリンフォレストのことをお願いしていいかしら」
ティアラローズがそう言うと、シュティルカは「まあ、問題ないと思います」と軽く受けてくれた。が、ルチアローズとシュティリオはえっと驚いたような顔でシュティルカを見た。
「いやいやいやいや。さすがにいきなりすぎるんじゃないかしら!」
「俺たちだけで上手くできるかなんて……いやまあ、ルカだったらそつなくこなすんだろうけどさ」
ルチアローズとシュティリオはまだまだ不安なようで、どうにかしてティアラローズとアクアスティードの旅行をやめさせるか、せめて日程を縮めさせようとしているらしい。
その様子が、ティアラローズの目にはなんだか微笑ましく映る。
――あのときに会ったルカとリオは、今ぐらいの年齢かもう少し上だったかしら。
それは、パールの魔力暴走で未来へ行ってしまった時のことだ。
その時間軸のティアラローズとアクアスティードは、旅行に行っていたと記憶している。つまり、未来の自分たちも同じように子供たちに任せて夫婦で旅行をしていたのだ。
そう考えると、あの未来へ繋がっているような気がして不思議な気持ちになる。
ティアラローズはルチアローズ、シュティルカ、シュティリオ三人の手を取った。
「貴方たちなら大丈夫よ」
そう言ってティアラローズが微笑むと、アクアスティードも同意して頷く。
「問題ないと思っているよ。普段から仕事を手伝ってもらっているが、三人の判断は間違っていないし、何か疑問があればすぐに聞いてくれるからね。安心して任せることができる。もし何かわからないことがあれば、おじい様に相談するか、他の人に確認を取ればいい」
アクアスティードがここまで信頼しているという態度を取ると、ルチアローズとシュティリオはうっと言葉に詰まる。
これだけ父親に信頼されていては、その期待に応えなければいけないと思ってしまったからだ。
ルチアローズはぐっと拳を握って、アクアスティードをまっすぐ見た。
「わかりました。わたくし、第一王女としてしっかり仕事を行いますわ!」
「俺……私も、しっかり役目を全うしようと思います」
「どうぞゆっくりしてきてください」
緊張した様子のルチアローズとシュティリオと違い、シュティルカは余裕そうな表情で微笑んでみせた。
ティアラローズとアクアスティードは、ひとまず三人に仕事を任せてみて、次期王としての適性を見ることができたらとも思っている。
もちろん、二人きりの旅行が楽しみなのも本当だけれど。
***
「ちょっと、ルカ、リオ。こっちの書類も手伝ってよ!」
「いやいやいや、俺だってまだこんなに山積みなんだぞ!?」
「二人とも落ち着いて」
ティアラローズとアクアスティードが旅行に旅立ってから二日。
三人が使わせてもらっているアクアスティードの執務室の机の上は、書類が山になっていた。
最初のうちは手際よく書類の処理をしていたのだけれど、難しい書類が一件、二件と溜まっていってしまい、一つの案件に対して予想以上の時間を使ってしまった。
その結果、書類の山が出来上がったというわけだ。
ルチアローズとシュティリオは阿鼻叫喚で、どうにかして今日のノルマを終わらせなければと必死で手を動かしている。
そんな二人を尻目に、シュティルカだけは自分のノルマをきっちりと終わらせている。
しかし、だからといってルチアローズとシュティリオに振られた分の仕事を手伝うわけではない。「ほらほら、頑張って」と応援ぐらいはしてくれるけれど。
「ルカ、俺のも手伝ってくれよ」
「わたくしのも!」
シュティルカは二人からの熱烈なラブコールをもらうけれど、それは笑顔で躱してしまう。
「駄目ですよ。これは二人の仕事なんですから、私がこなしてしまっては意味がないじゃないですか。……まあ、どうしても助けてほしいというのであれば考えますけど?」
余裕綽々のシュティルカの言葉にルチアローズはムっと頬を膨らませる。
「大丈夫よ! これくらい、わたくしだって一人でできるわ!」
〈姫なら簡単だ!〉
「そうよね、グリモ!」
ルチアローズは再び机に座ってバリバリ仕事をこなし始める。その様子を見たシュティリオも、やれやれと肩をすくめつつ書類仕事を再開した。
夕方を過ぎ、夕食の時間を過ぎ、夜の遅い時間になってやっとどうにか今日のノルマが終わった。
わからなかったところは素直にほかの者に相談し、解決の糸口を見つけた。
本当にどうしようもないものに関しては、アクアスティードが帰国してから指示を仰ぐ予定だ。
「二人ともお疲れ様」
机に突っ伏してぐったりしているルチアローズとシュティリオに、シュティルカがフルーツの差し入れを持ってきてくれた。
「お前ばっかり早く終わって。……はあ。今日も鍛錬の時間が取れなかった」
「わたくしだって、朝からずっと書類とにらめっこよ? 鍛錬に混ざることができなかったわ」
体育会系の二人に朝から晩までの書類仕事はよほど辛かったらしい。シュティルカは文系タイプなので、朝から晩までの書類仕事もへっちゃらだ。
「でも、お母様とお父様が帰ってくるまでまだ結構かかるわよね?」
「行き先は隣国のラピスラズリだけど、移動だけでもそこそこ距離があるからなぁ。母様の実家だし、ゆっくりしたいとは思う」
「そうよね」
ルチアローズとシュティリオは、ティアラローズたちがどんな様子かを話しながら果物をつまんでいく。
「ああ、美味しい。やっぱりマリンフォレストの苺は最高よね」
「わかる。この甘酸っぱい感じ、いいよな。母様が焼いてくれるケーキに乗ってる苺なんて最高にうまいと思う」
「わかるわ」
疲れ果てたルチアローズとシュティリオの会話は甘いものが中心になっていく。
ティアラローズの作ったお菓子が食べたいだとか、お菓子の妖精たちが来て美味しいスイーツを振る舞ってくれないだろうかとか、そんな話題ばかりだ。
そんな二人の様子をニコニコ顔で見ていたシュティルカに気づき、シュティリオは「そういえば」と声をかける。
「母様たちって、本当に旅行に行っただけなのかな」
「え? どういうこと?」
シュティリオの言葉に真っ先に反応したのはルチアローズだ。
「ほかに何か意味があるっていうの?」
「いや、俺だってわからないけどさ……いくら俺たちが普段から仕事をしているとはいえ、十分な日数もなくいきなり明日から旅行にっていうのはさすがにちょっと厳しいだろ? だから何か意図があるのかと思ったんだ」
「確かに」
シュティリオの言葉にルチアローズも頷いた。
仕事のできるティアラローズとアクアスティードが、何の準備もなく突然明日から旅行に行くというのはなかなか考えづらい。
ふざけてそういうことを行う人ではないからだ。そこに何かしら意図があると言われたら、その方がしっくりくる。
ルチアローズはシュティルカに視線を向けて、「こういうことはルカの方が得意でしょ。ねえ、どう思う?」と答えを求めるように尋ねる。
シュティルカはなんとでもないというように、「まあ、例えばだけれど」と前置きをして考えを話してくれる。
「次の王にふさわしいのは誰かとか、そういうのが見たいのかもしれないね」
「えっ!? どういうこと?」
「ルチアは、次のマリンフォレストの王になりたいと思うかい?」
先ほどのニコニコ笑顔と違い、真剣味を帯びたシュティルカの瞳に、ルチアローズはドキリとする。
けれど、ルチアローズの答えは決まっていたようで、まっすぐシュティルカを見つめ返した。
「――わたくしは、騎士王になりたいと思っているわ」
普段とは違うルチアローズの真剣な声色に、シュティルカとシュティリオは息を呑む。
「それって……」
「ええ。王になりたいと……そう、思っていたのよ。騎士王アウグストの物語を読んで、私、すっかりファンになってしまったの」
ルチアローズの言う騎士王アウグストは、『騎士王アウグストの冒険譚』という物語だ。特に令嬢に人気があり、この国にはファンも多い。
幼い頃に読んだ本の冒険譚。
王城から外に出て冒険することができなかったルチアローズにとって、それは心躍る内容だった。
「騎士であり、王である。素敵だと思わない?」
何度も読み返し、勧めてきたグリモワールが呆れてしまったほどだ。当時のことを思い返して、ルチアローズはふふっと笑みがこぼれた。
「だけど、ダメね」
ルチアローズはへにょりと眉を下げて、シュティルカとシュティリオを見た。
「だって、王になったらこの書類の山と戦わなければいけないのでしょう? わたくしには、ちょっと無理そうだわ」
その発言を聞いたシュティルカは、ふふっと笑う。
「そんな正直に言わなくても」
「だって、仕方ないじゃない! ルカかリオが王になって、わたくしはそのサポートをするのがちょうどいいわね。騎士として、可愛い弟たちを守るわ」
そう言って、ルチアローズはお茶目な顔で笑った。




